第6話 無限の貯金

 無限の貯金?


「そんな物、何処にあるの? 僕は初めて、ここに来たのに?」


 まさか、彼女が用意したとか? そう考えれば、一応は納得もできる。人間を余所の世界に導いたのなら、そこでの生活を(必要最小限)保障するのは当然だろう。そうでなければ、本当の邪神だ。邪なる神だ。「裸一貫から頑張りなさい」なんて、現代社会の子どもにはあまりにも辛過ぎる。たとえ、すべての罪が許されるのだとしても。それならまだ、元の世界で野垂れ死んだ方がマシだ。


 栄介は不安な顔で、邪神の顔を見つめた。

 

 邪神の顔はやはり、楽しげに笑っている。


「邪神の加護よ」


 頭の中でイメージしてみて? と、ホヌスは言った。


「自分の貯金額を、意識の中で数えてみるの」


「う、うん」と肯く栄介だったが、内心ではやはり不安だった。「わか、った」


 栄介は、自分の意識に集中した。意識の中には……何だろう? 今まで見た事のない文字が、意識の中をふわふわと彷徨っていた。「一つの文字が見えなくなったら、次の文字がまた現れる」と言った感じに。それらは本来の形を失う事で、無限の情報を形作っていた。


 栄介は、意識の中に貯金を思い浮かべた。自分の貯金は今、いくらくらいあるのか? 先程の文字を辿って、その全額を探しつづけたのである。


 彼は文字から伝わる無言の意思を手掛かりに、貯金の全額をじっくりと割り出した。……貯金の全額は、本当に無限だった。それこそ、数字の桁が分からなくなる程に。文字から伝わって来た情報は、彼に言い様のない恐怖を与えた。


「こんな、こんな事って」


 有り得ない。そう思ったのは一瞬で、次の瞬間には「ニッコリ」と笑っていた。現実の人間が、宝くじを当てたのと同じくらいに。すべての金銭的な制約、そこから来る節制の心が、綺麗さっぱり消え失せてしまった。後に残ったのは、沸々と湧いてくる煩悩のみ。「この世の富をすべて手に入れた」と言う満足感だけである。


 彼は、その満足感に酔い痴れた。


「これなら国はおろか、世界も買えちゃうかもね?」


 ホヌスも、その言葉に微笑んだ。

 彼女は、欲を愛する邪神。

 人間が欲に酔い痴れる姿を見るのは、この上ない喜びであるようだ。


「ついでにすべての女も買えるわよ?」


 また、欲情をそそる一言。

 健全な男子なら、一度は夢みるお遊びだ。

 世界中の女性が、自分の所有物になるお遊戯。


 栄介は、その光景に思わずほくそ笑んだ。


「お金の貯金は、無くならないだろうけど。違う方の貯金は、空っぽになりそうだ」


 下ネタ全開の冗談。だが、邪神はちっとも嫌がっていなかった。「そう思うのが普通」と言わんばかりに。彼の冗談に「クスクス」と笑いはするが、その冗談自体に文句は言わなかった。


 ホヌスは口元の笑みを抑え、誘うような顔で彼の顔を見返した。


「その第一号は、私がなってあげましょうか?」


「え?」の驚きは、一瞬。次の瞬間には、「良いの?」と聞き返していた。「人間の僕とそんな事をして?」

 

 栄介は興奮の爆発を必死に抑えながらも、表情は何処か冷静に、あくまで平静を装い続けた。

 

 ホヌスは、その態度に目を細めた。


「私も、気持ちいい事は好きだからね。そんな事は、気にしない。要は、たのしめれば良いんだもの」


 栄介は、その言葉に身震いした。今夜はたぶん……いや、間違いなく! 最高の夜になりそうだ。少年が少年を捨て、大人に染まる第一歩。それを満たす儀式が、今日の夜にやって来るのだ。爬虫類が成長の度に脱皮を繰り返すのと同じように。自分もまた、自分の皮を脱ごうとしている。「貞操」と言う理性の足枷を外して、その本能を露わにしようとしていた。

 

 栄介は、その感覚に「ニヤリ」と笑った。ホヌスも、その笑みに「クスクス」と笑った。

 

 二人は互いの欲望を感じながら、町の道路を進んで、良さそうな服屋の中に入った。服屋の中には、数人程の人が見られた。店の中に並べられた商品を眺める者、その近くで商品を品定めする者。二人が店の中を回り出した時には、客の一人が会計所に欲しい服(結構な数だ)を持って行った。

 

 栄介はホヌスの趣味で、何着かの服を選んだ。


「流石は、邪神様だね。服のセンスも抜群。これなら全然恥ずかしくないよ」


「ふふふ、ありがとう。これでも一応、女だからね。女性にモテるには、まず見掛けから」


 ホヌスは、得意げに笑った。栄介もそれに釣られて笑ったが、試着室の床に置かれた制服を見ると、今までの笑みを忘れて、その制服をじっと見下ろし始めた。


 栄介は、学校の制服を睨んだ。


「こいつは、どうしようか?」


 ホヌスも、彼の制服に目をやった。


「貴方は、どうしたい?」


 彼女は、少年の顔に視線を戻した。


 栄介は、その視線に応えなかった。


「別に要らないかな? 向こうの世界には、もう戻らないし」


「そう。なら」


 ホヌスは、右手の指を鳴らした。


「それは、私が預かって置くわ」


「えっ!」と驚いた栄介は、彼女に「そんな事は、しなくて良いよ」と言おうとしたが、それを言おうとした瞬間、床の制服がスウッと消えてしまった。「なっ!」


 ホヌスはまた、右手の指を鳴らした。それに合わせて、栄介の服装がまたブレザーに戻る。彼がまた、「え?」と驚いている間に。すべての現象が、風のように流れてしまった。


「店の商品を着たまま、会計所には行けないでしょう?」


 確かに、と言わざるを得ない。自分が特別である事にすっかり舞い上がっていた栄介は、普通なら絶対にやらない筈の一般常識をまるで忘れてしまっていた。


「そうだね。それは、確かに駄目かも知れない」


 冷静にならなきゃ、と、彼は言った。


「頭を冷やすよ」


「ええ」


 ホヌスは「クスッ」と笑い、彼に貯金の引き出し方(意識の中で、いくら下ろすかを決める)を教えて、彼がその全額を下ろすと、彼と連れ立って店の会計所に行った。会計所の店員は、女性だった。見るからに悪そうな出で立ちで、ホヌスの事は嫉妬八割、嘲笑二割で睨み付けたが、栄介に対しては、嫉妬も嘲笑も忘れて、ただ綺麗な物でも見るかのように「ぽうっ」と、彼の事を何度も眺め続けた。

 

 栄介は、その視線に思わず怯んだ。


「あ、あの?」の言葉で、ようやく正気に戻る店員(相手の言葉はもちろん、相手もこちらの言葉が分かるようだ)。「はっ!」


 彼女は慌てて、服の代金を求めた。


 栄介は服の代金を払い、店の試着室でそれに着替えた。その際に脱いだブレザーは、ホヌスが責任を持って預かった(預かった理由は、結局分からなかったが)。


 ホヌスは店員の女性に頭を下げて、店の中から出て行こうとしたが、栄介が何やら考えてみるのを見ると、その足を止めて、彼の顔に目をやった。店員の女性もそれに釣られて、彼の顔を見た。二人はそれぞれの方向から、彼の背中を見たり、その横顔を眺めたりした。


 ホヌスは、隣の彼に問い掛けた。


「どうしたの?」


 栄介は、その質問にしばらく答えなかった。


「ねぇ、ホヌスさん」


「ホヌスで良いわ」


「そう。ねぇ、ホヌス」


「なに?」


「貯金は、無限にあるんだよね?」


「ええ、無限にあるわ。それこそ、世界のすべてを手にできるくらい。貴方には、それだけの財産がある」


「……そう。でも」


「でも?」


「そのお金は、一定じゃないんでしょう?」


 虚を衝かれた質問だった。流石の邪神も驚いてしまう程の。彼女は不思議そうな顔で、彼の顔を見ていたが……やはり邪神なのだろう。頭の中は覗けないが、その表情には確かな思考が浮かんでいた。


「まあね、確かに一定じゃない。『無限にある』とは言っても、減った分が補われる事はないわ」


「なるほど」


 栄介は自分の顎を摘まんで、また何やら考え始めた。


「なら、減った分は取り返さなきゃ」


「え?」


 どうして? と、ホヌスは言った。


「お金は、無限にあるのに?」


 栄介は、その言葉に溜め息をついた。


「ホヌス」


「ん?」


「金持ちは、どうして金持ちだと思う?」


 変な質問。だが、それには妙な哲学性が感じられた。


「お金を稼ぐ能力に長けているから、じゃない?」


「そうだね、確かにそうだけど。それは半分正解で、半分間違っている」


「半分正解で、半分間違い?」


「金持ちが金持ちなのは、金の消費を忌み嫌うからだ。『自分にとって無意味な物、無益な物には、金を使いたくない』ってね。だから、金も貯まる。使ったら、それ以上の金を稼ごうともする」


 そこまで聞いたらもう、答えを教えられたのと同じだった。彼は単純明瞭、無限が減るのを嫌がっている。それを聞いていた店員の女性すら、その意図を読み取れてしまう程に。栄介は無限の貯金を与えられながら、それを更に肥やそうとしているのだ。


 女性は、その意思に「ふふふっ」と微笑んだ。


「なら、賭け闘技に出てみたら?」に振り向いたのはもちろん、栄介である。「それって?」


 栄介はある程度の予想を立てながらも、あえてその答えを求める事にした。


 女性は、彼の質問に答えた。


「町の地下でやっている博打よ。本当は、御法度なんだけどね。町の裏収益にもなっているから、領主様も仕方なく黙認しているの」


 栄介はその話に興奮したが、一つの疑問が興奮を鎮めてしまった。こう言う異世界系の主人公は、何かしらの戦闘術……卑怯な設定的技量チートスキルが設けられているが、自分にも果たして「それ」が設けられているのだろうか? 


 彼は不安な顔で、邪神の答えを待った。


 邪神の答えは、「大丈夫」だった。


「貴方は、だから。この世界の住人には、決して負けない」


 栄介は、その答えに満足した。決して負けない(勝負の内容によっては負け、あるいは、引き分けるかも知れないが。それでも)最強の悪魔か……うん、悪くない。の部分が若干引っ掛かるが、「普通」と言う観点から見れば、自分は確かに悪魔だった。

 真面な人にはとても受け入れられない、自己の悪に忠実な存在。自分は今、「異世界」と言う新天地で、その主役となる主人公を演じているのだ。あらゆる傲慢、あらゆる悪を解き放つように。自分が今、身に纏っている衣服は、それが許されるための新たな制服なのだ。

 

 栄介は、服の襟元を正した。


「そう。なら、安心だ」


 最強設定の悪魔じぶんが、最高の結果をもたらしてくれる。


 彼は「それ」を噛み締めながらも、表情はあくまで冷静に、女性から闘技場の場所を聞いた。

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