第3話 それは、当然の疑問

 学校が放課後になるのは、意外と早い。大抵の生徒は「かったるい」と思っているが、気づいた頃には部活の準備を始めているのだ。運動部はそれぞれのユニフォームに着替えて、文化部もそれぞれの部室で道具類を準備し始める。それらの動きは実に生き生きしているが、美術部の幽霊部員と化していた栄介には、至ってどうでも良い事だった。


 テニスコートを走り回る奴は、そのボールを必死に追い掛ければ良い。

 楽譜の音符をなぞりたい奴は、そのメロティーを耽美に奏でれば良い。

 健全な精神をスローガンとする中学の部活動は、彼に退屈こそ与えても、興奮のそれはまるで与えてくれなかった。仲間との成長物語なんて糞くらいである。

 

 彼は幼馴染が部活を終わるまでの暇つぶしと、生徒があまり来ない屋上付近の階段に座って、ポケットの中からスマホを取りだし、例の小説投稿サイトを開いて、無造作に選んだ小説を黙々と読み始めた。……だが。

 

 異変が起きたのは、それからすぐの事。正確には何かの気配を感じただけだが、ふと屋上の方が気になってしまい、スマホの画面を消して、屋上の扉をゆっくりと開けた。扉の向こうには……誰だろう? とても奇妙な服装だが、14歳くらいの少女が立っていた。夕闇が混じり始めた風に黒髪(長さは、腰と肩甲骨の間くらい)を靡かせ、フェンス越しから遠くの景色をじっと眺めている。まるで背中から彼の視線を感じるように、彼の方をすっと振り返った動きにも、妙な余裕と言うか、相手を戦かせる不思議な雰囲気が漂っていた。

 

 栄介は、その雰囲気に息を飲んだ。その雰囲気が、あまりに神々し過ぎて。言葉を発したくても、その言葉自体が風に吹き飛ばされてしまったのだ。「クスッ」と笑いかけた彼女の顔にも、その風をより強くする、魔力のようなモノが混じっていた。

 

 栄介は、その場に固まった。彼女は恐らく、普通の人間ではない。その奇妙な服装……(冷静になって良く見てみると)黒を基調としたドレス風の服からは、禍々しい雰囲気が漂い、それと対比する真っ白な肌からは、畏怖の気配が感じられた。「お前など、すぐにでも殺せるのだ」と。その妖しげな眼差しを通して、相手の心を串刺しにしているのだ。相手はただ、その痛みに戦くしかない。自然の摂理を忘れて、逃げの意識をすっかり失ってしまう。

 

 栄介は「諦め」よりも悪い、「絶望」の感情を覚えて、地面の上にスマホを落とし、自分もその隣に座り込んでしまった。


「う、ううう」


「怖がる事はないわ」


 ゾッとする程、優しい声。


「私は、貴方の敵じゃない」


「敵、じゃ」


 ない、の声が出ない。


「そ、そんな」


 わけないだろう? 彼女は、どう見たって妖しい。そのヤバイ服装は、人間のそれを超えた雰囲気は、相手に恐怖以外の何も抱かせないのだ。第一、彼女は学校の制服すら着ていないし。単なるコスプレマニアにしては、どう考えても異質な存在だった。


 栄介は身体の震えを何とか抑え、地面の上から静かに立ち上がった。


「君は、誰?」


 の答えが返って来たのは、数秒後。生暖かい風が、彼の頬を撫でた時だった。


「邪神よ」


「邪神? 邪神って」


「そう、よこしまなる神。私は、世界中にいる邪神の」

 

 また、沈黙。だが今度の沈黙は、何かが違っていた。邪神の表情を見ても分かるように……彼女は(理屈は分からないが)、目の前の少年から何かを感じ取り、それを心から喜んでいるようだった。彼の前にそっと歩み寄った動きからも、その喜びが僅かに窺える。


「貴方」


「はい?」の返事すら許さない「クスッ」


 彼の恐怖を一瞬だけ忘れさせた笑みは、その容姿と相まって、とんでもなく美しかった。それこそ、亜紀の美しさが霞んでしまう程に。亜紀の美しさは、あくまで人間の領域だったが、目の前の少女はそれすらも超える美、一度嵌まったら二度と抜け出せない底なし沼だった。世の男達が憧れる、女性の究極系。彼女が醸し出す美には、人間の本能、内なる悪魔を撫で回す嫌らしさがあった。


 栄介はその美に圧倒されるあまり、今まで抱いていた恐れをすっかり忘れてしまった。


 邪神は、その態度に目を細めた。


「自由になりたいのね?」


「え?」の声は、すんなりと出た。どうやら、緊張の方も解けたらしい。「自由に?」


 栄介は「自由」の意味をしばらく考えたが、それもすぐに「ああ」と分かった。


「悪魔の事?」


 返事はない。ただ、「クスッ」と微笑まれただけだ。


「なるほど。君は、?」


「ええ、相手の心を読もうとすれば。魔力は、ちょっとだけ使うけどね」


「ふうん」


 栄介は、相手の目を見つめた。


「それで?」


「ん?」


「その遊びは、いつまで続くの?」


「え?」と驚く邪神だったが、栄介にとっては想定内の反応だった。「遊び?」


 邪神は不思議そうな顔で、相手の目を見返した。


 栄介は、その視線に溜め息をついた。


「だって、そうでしょう? 偶然に出会った子が、邪神だなんて。普通に考えたら有り得ない。『頭の逝っている変質者』と思うのが普通だ。君の着ている服も」


 ここまで言ったら分かるよな? 

 そう訴える彼の目は、邪神の心を「なるほどね」と納得させたらしい。


「なら、証拠を見せる?」


「証拠?」

 

 邪神は、右手の指を鳴らした。「パチン」と響く、心地よい音。その音に重なって、ある物体が空間の間に現れた。景色の中に隠れていた事物が、その顔を恐る恐る出すように。地面の上に「それ」が落ちた時も、落下時の金属音が快かった以外は、何の感想も抱けなかった。


 邪神は、妙に黒光りする「それ」を拾い上げた。


三叉槍さんさそう。本当は、ピッチホークの方が正式なんだろうけどね? 私の趣味では、こっちの方が良い」


「悪魔の武器、としては?」


「そう」


 彼女は、地面の上に三叉槍を放り投げた。


「持ってみる?」


「え?」


「私の事をまだ疑っているのなら。その三叉槍は、貴方の疑問を晴らす証拠になる」


「へ、へぇ」と苦笑する栄介だが、内心ではかなり脅えていた。「どうせ、何かのトリックでしょう?」


 そう考えれば、すべての辻褄が合う。彼女が言い当てた自分の闇も、空間の中から突然現れた三叉槍も、巧妙に仕組まれたトリックだと考えれば。


 栄介は恐怖半分、興奮半分で、地面の三叉槍を拾い上げようとした。


 だが、「あれ?」


 おかしい。三叉槍の感触は確かに金属だが、その重さが尋常ではなかった。まるで重さの決まりを無視したような重さである。人間の力では、決して持ち上がらない。辛うじて握り続ける事はできても、それを操るどころか、拾い上げる事すらできなかった。


 彼は三叉槍から手を放し、改めて邪神の顔にやった。


 邪神の顔は、笑っていた。まるでこうなる事が分かっていたように。


「信じてくれる?」


「うん」と肯かなかったのは、最後の抵抗。最も大事な疑問が残っていたからだ。「君が仮に邪神だとして」


 栄介はまた、邪神の目を見つめた。


「何が目的なの?」


「え?」


「人間を遙かに超越している(と思う)君が、ただの人間に」


「それは、『証拠を見せろ』と言われたから」


「だとしても! 君には、何のメリットも無い。『僕の魂を貰う』とかだったら分かるけどさ。何の利益も無いのに」


 を言い切るよりも前に、邪神が溜め息をついた。


「メリットは、ある」

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