第12話 -幻(まぼろし)の先-

 高鳴る鼓動、加速する意識、ふらふらしていたはずの体が緊急信号を発するかの如く世界をゆっくりと時をすすめた。


自分は、達人ではない。

それとは程遠いというくらいに刀を扱う腕は、未熟だ。


なぜなら、本格的には数週間自宅で体を鍛え、刀の基礎を知ったレベルでしかない未熟な剣士だからだ。


だが、あれ以降も実践と鍛錬を重ねてきており、来たるべき日のためを思い練習を重ねていた時期もあった。


現状、目の前にいる圧倒的とも呼べるような敵を前に日々鍛錬した量は、まったくと言っていいほど足りてない。


その証拠に大蜘蛛の攻撃は何もかもが上を行くように重い。


下層を行く探索員は、自分より強そうで巨大な猛獣すら、その一撃を受け止め押し倒せるというのに。


「勝兵は先(ま)ず勝ちて而(しか)る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む」


否が応でも戦いとは、常に始まったときから既に決着がついているようなものらしい。


この異界と呼ばれる世界において敗けるということは、即ち死を意味することに他ならない。


そんな日が来ないことを願い、みんな一様に努力する。


努力はした。(自分なりに)


時間はかけた。(嘆く暇があるほどに)


向上心もある。(もう悲劇をおこさないために)


それらを賭けても尚、駆け上がれきれてない。


そんな不出来な凡人の先に待ち受ける現実は、ありとあらゆる物を犠牲にしたとしても釣り合わない結果だった。


努力は重ねても報われず、時間を掛けたとしても尚報われない理不尽な未来。


そんな未来は……


不器用だからと、自身を諦め続けていた時間が長いからと言って、この先も諦め続けてしまうのは常に敗北を、満足のいかない納得を強いられる。


どうしよもない言い訳ばかりを並べる負け犬と弱者には、お似合いの結果だろう。


諦めて何になる?


切羽詰まった土壇場では奇策こそが輝くものだ。

試して抗って、この現実を打ち破ってみようじゃないか。


心が折れそうになるも構える。


呼吸を整え日々練習してきたことを思い浮かべていた。


柄を強く握りしめ、いつでも居合を繰り出せる体勢を保っている。


大蜘蛛の突進が迫ってくる重厚な音が聞こえる。


走る。


壁に向かって。


大蜘蛛もそれを見て進行方向を変える。


大蜘蛛とぶつかりあうその刹那。


強く地面から飛び、壁を蹴ってジャンプした。

大蜘蛛の突進を避ける。


壁にぶつかりと爆音を反響させ、その巨体は突進の速度を弱らせた。


そして大蜘蛛の頭胸部へと着地し右前足を渾身の居合でもって斬り落とした。


「まずは1本!!」


斬った足からは緑色の体液が流れ、大蜘蛛は地面を突き、壁にぶつかりながら体を揺らして頭上にいた俺を振り落とそうとした。


振り落とされる前にもう1本の足を切り落とそうとしたがうまく斬れない。


体勢を崩しそうになったため頭胸部の甲殻を蹴り地面へと降り立つ。


大蜘蛛の態勢が変わり互いに向き合う。

そして、ここから近距離での戦いが始まった。


大蜘蛛は、左前足を細剣のように使いながら串刺しにしようと攻撃する。


そうさせまいと大蜘蛛の鋭い左前足の攻撃を受け流し蟹のハサミのような触肢から繰り出される攻撃にも対応する。


一方的に後退する攻防ではあるがしっかりと、そして確実に大蜘蛛の攻撃を防いでいった。


体重の乗った前足の攻撃を受け流し触肢による攻撃は弾く。


大蜘蛛の攻撃が見える!


やれる! 自分にもやれる!


倒せるかもしれない!!


戦闘においてここまで充実とした瞬間はあったであろうか。


人を斬り、殺し合って成り上がったであろう歴史の戦闘狂達は、このような命のやり取りを行う時間の中に身をおいて快楽を味わっていたのだろうか。


これに魅入る気持ちもわからなくはない。


殺されるのはごめんだ。

だがそれを乗り越えた時、3大欲求を超えようとするとした時何かを感じる。


大蜘蛛が再度左前足を使って自身の体重を乗せた一撃を傾斜のある地形を利用し大蜘蛛の右へと滑り込んでかわす。


その瞬間に触肢による攻撃を左に弾き一直線にその腕が伸びた。


ここだ!!


右の触肢を縦に斬り落とすと大蜘蛛は後ろへ仰け反った。


その怯みを逃すまいと大きく一歩踏み込み、もう片方の触肢に狙いを定め斬る。


しかし、その斬撃は大蜘蛛の左前足によって受け止められ弾き返された。


その力を利用してバックステップし後方へ下がる。


僅かな沈黙が両者を包み込む。


水の流れる音が、反響する薄暗い洞窟の中。高められた集中力がすべての情報を捉えようとする。


この僅かな沈黙を破ったのは大蜘蛛だ。


すべての足で奏でる鋭い爆音の後に、その巨体は一瞬だけ宙を舞った。


「うそ……だろ?」


このままでは、まずいと思考するより速く坂を下るように進路方向から外れるため駆け抜けた。


大蜘蛛はこちらへ向かって大きくジャンプし、突進より速く飛びつこうとしてきたのだ。


洞窟中に響くような轟音で着地する。


着地した衝撃は、床を伝って振動を響かせる程強く異界の床をえぐり取るほどだった。


その後、こちらへと顔を向け、足音を大きく響かせながら接近し、左前足と切り落とされた右前足の後ろの足を器用に使って突きを繰り出してくる。


右の触肢を切り落とされ激怒したのか、先ほどとは打って変わって激しく攻勢に出てくる大蜘蛛。


繰り出される足の突きを刀で受け流しながらかわし対応するが、大蜘蛛は、その圧倒的な重量に物を言わせるように更に猛攻撃を加えた。


繰り出される突きと刀がぶつかり会うたびに腕が痺れる。

後ろへ下がるためにひっきりなしにバックステップしていた足が悲鳴を上げる。


疲労が蓄積する。


長期戦になると、とても分が悪い。


集中力もそろそろ限界に達してくるだろうと考えた、次の瞬間。


後退するために送るはずの足が岩にとられた。


ここで時が止まるような感覚に再び落ちた。


死ぬのだろうか?


父さんや母さんが、弟が、友達が生きていた。

あの日常が眼前に写し出される。


幻か?


人は死ぬかもしれないという状況下で走馬灯を見るって。


あの日、5年前に少しでも強く、戦えてたのならば両親を見殺しにすることなどなかったのだろうか。


この刀を手に取り震える足と震える手を必死に抑えながら戦おうとしたが結局のところ失敗した。


もっと力があったのなら、もっとうまくできる知恵が自身にあったのなら、あの理不尽とも思えるような敵を前にしてもなお皆を守れることはできただろうか。


1人生きながらえて、孤独になって何があった。


そこにあったのは虚無に等しい地獄だ。


このまま、諦めたら押しつぶされるのか。

痛いのは、きついなぁ……


大蜘蛛は、残った触肢のハサミを鋭い槍に見立て貫こうとしてくる。


反射的に体が反応しその攻撃を抑えてこらえる。


幸い倒れたとしても大蜘蛛の体重が乗り切らないところで受け止めたのだ。


滑り込むように大蜘蛛に引きずられ後退する。


体が、こんな状況だったとしても、もがけとムチを打つ。

なんのために、ここまで来たのか。


恐怖にまみれ、ただ漫然と生き延び、日々を堕落して過ごした日常に……悲しいからと力が無いからと理由を付けて逃げていた情けない自分に……


怒りが。


憎しみが。


嫌悪。


あったからだろう。


誰かが言っていた。


人にトラウマなど無いと。


そんなの人によるし、より傷つく原因にもなりうる危ない考えだと思っていた。


だが、今はその言葉に乗ろう。

腕だけでなく体全体に力を集中させる。


「ぬぁああああああああああああ!!」


名一杯力を込め、大蜘蛛を弾いた。


ここだ!!

縦に、そして垂直に力を一点に絞り刀を振るう。


スパ!っと綺麗な触肢の断面が見れたのを確認する前に大蜘蛛が後ろに仰け反った。


この瞬間を逃すものかと立ち上がり、構え、そして踏み込む。


左足の節に狙いを定め切り落とす。


「4本目!!」


緑色の体液が切り落とされたところから溢れ出る。


大蜘蛛は、足を切り落とされたことでバランスを崩し頭を地面にぶつける。


「これで、止めだ!!!」


刀を再度強く握りしめ姿勢を低くし、起き上がった大蜘蛛の頭に口元から刀を勢いよく突き刺した。


緑色の体液が滴り落ち、なんとも言えぬ生臭さの中で大蜘蛛の力がパタリと失われていったのを感じ、大蜘蛛の口に刺した刀を抜く。

荒れる呼吸と心臓の鼓動を整えるように膝をついた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る