第6話 ひとときの勝利

竜王暦360年2月9日

商都キリバス 迎賓館


魔族撤退から2日後


「まだアークスは目覚めないの?」


手渡された報告書をめくりながら、目の前にいる壮年の男性に声を掛ける。


「はい、姫様。まだ目覚める兆候はありませんな。ぐっすり眠っております。」


男性からの報告を聞くと、盛大にため息をつく。


「どうかされましたか?」


心配そうに男性が尋ねると。

クリスティナ皇女は持っていた書類を男性に手渡しながら悪態をつく。


「どうしたもないわ。兄上からよ。私達を都合の良い手駒と勘違いしてるんじゃないかしら。」


「なるほど、次はギリアム峠ですか。確かあそこには遺跡がありましたな。ではそこの調査をしろと。」


「ええ、魔族側に動きがあったらしいわ。冒険者チームが魔族の出入りを確認したそうよ。もう使われなくなった筈の遺跡に魔族が何の用かしらね。」


「なるほど、ではアークスが目覚め次第出発なさるのですか?」


壮年の男性は、自慢のカイゼル髭を左手で整えながら、持っていた書類をクリスティナ皇女に返す。


「そうね、準備まで時間必要だし。先ずはアークスが目覚めるのを待ちましょう。それまでに細かな物質の調達と部隊への伝令指示をお願い出来るかしら。シュタイン副隊長。」


「はっ!承知しました。我らが紅の殲滅姫。」


「もう、その呼び方は止めてって言ってるでしょ。」


子供が拗ねた時の様に頬を膨らませて、ムクれた様子でクリスティナ皇女が呟く。


「ははは、これは失礼。姫様も大人になられたと思いましたが、まだ可愛い所が御座いますな!」


傍目からみたら不遜と捉えかねない態度もこの壮年の男性だからこそ許される。主従の関係以上に、この3年の苦しい戦いを共に戦い抜いた仲間という意識がそこには確かにあった。


*


キリバスの街は住人の多くが疎開しており、住人も在りし日の4割程度しか残っていない。だがここ数日は魔族軍を退けた興奮冷め止まぬままに、連日お祭り騒ぎであった。


「紅の殲滅姫の雄弁聞いたか?俺は未だに震えが止まらねぇよ。噂に違わぬカリスマよ。俺たち兵士の女神様だぜ、あの方は!」


昼だというのに、彼方此方で酒を飲み交わす男達が飲んで騒いでいる。


「あぁ、あれは最高だった。胸に熱い火が灯る様だったぜ。噂は本当だったんだな、紅の姫の立つ戦場は不敗、我らの希望の女神。」


「凄いと言えば、英雄様も物凄い呪文だったよな。あの恐ろしく強い魔族達を紙屑の様に蹴散らすなんて信じられねぇ。」


興奮冷め止まぬ男達は何度目かも分からない女神と英雄の話を肴に今日も飲み続ける。


人々は、今だけはこの勝利に酔いしれたかった。俺達は、国を家族を大切な人を確かに守れたのだと、心に誇りを抱いて。


また戦いに出向く、その日の為に。


*


「やっと目覚めたか、坊主。」


(ここは、、?)


酷い倦怠感だ。

全身から魔力が感じられない。

体から限界以上に魔力を絞り出した反動だろう。そこまで理解して、自分の体の状況を正確に把握する。


「リッドル卿、俺は、どれだけ寝てました?」


扉の脇、壁にもたれてかかっている男性に尋ねる。


「ざっとまる2日だな。」


(やはり、極大魔法はまだ無理か。)


「すみません、姫は今どこに?」


まる2日寝ていた体に鞭を打つ。

少しずつ体を起こし、ベッドから出ようとする。


「おいおいおい、まだ寝てろ。今回あれだけの無茶な魔法使ったんだ、お前だからこの程度で済んでるが、普通なら呪文の反動で消し飛んでるぞ。」


リッドル卿の心配を他所に、アークスは無理矢理体を動かす。


「大丈夫です。それより姫は?」


「かぁー、お前も強情な奴だな。最大の戦功者なんだ、寝ていても誰も文句言わねぇのに。」


無作法に伸ばした黒髪を掻き毟りながら、リッドル卿と呼ばれた男が、アークスの下に歩いていく。


「そんな状態じゃ、満足に歩けねぇだろ。俺が支えてやる。」


アークスの腕を掴んで、支えながら、ゆっくりと部屋の外に歩を進める。


「はぁ、むさ苦しいオッサンに腕を組まれる日が来るなんて。」


「てめぇ、折角の俺様の親切を。まぁそれだけの口が利ければ、大丈夫か。」


*


コンコンコン


「開いてますよ。どうぞ。」


「失礼しますぜ、姫様。」


ガタイの良い男が入ってくる。

そしてその脇に2回り以上小さい青年の姿を見つけるとクリスティナ皇女は声を上げて駆け寄った。


「アークス!もう大丈夫なのですか?」


見るからに本調子では無いアークスを見て、心配そうに見つめている。


「姫様からも言ってやって下さい!こいつ、起き上がるのも辛い癖に、姫様、姫様って言って聞かないんですぜ。」


アークスが隣の大男を睨む。


「何好き勝手言ってるんですか。俺はそんな事言ってない。」


アークスとリッドル卿が睨み合っている。


「はいはいはい、もういいわ。アークス、本当に大丈夫なのね。」


リッドル卿から離れて自分の足で立ち、ハッキリと答えた。


「大丈夫です。俺が倒れた後、戦いはどうなったんですか?」


*


「そうか、無事勝てたんだな。」


捨身の攻撃をしてまで、活路を切り開いた甲斐があると言う物だ。一歩間違えば自らが死んでいた。


「もうあんな作戦はごめんよ。私は仲間を犠牲にした勝利は欲しく無いわ。」


執務室の中に設えられたソファに座りながら、戦いの顛末を聞く。


「あの時はあれがベストだと思ったんだが、まだ極大魔法は早かったらしい、体が耐え切れなかった。俺のミスです。」


「まぁいいわ。こうやって貴方も私も、皆んな無事だったんだもの。」


「それで姫、次の作戦は?もう指令が来てるんでしょう?」


アークスがクリスティナ皇女にそう尋ねると、ため息と共に手に持っていた指令書をアークスとリッドル卿に手渡す。


「ご明察。アークスの体調が戻り次第出発するわ。余り時間も無いのだけど、今はゆっくり休んで。」


「はぁ、人気者は辛いですな。」


クリスティナ皇女の隣に座っているシュタイン副隊長がぼやくと。その場の全員が頷く。


「私達が頑張ればそれだけ救える命もあるわ。今は頑張りましょう。」

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