第2節 ①

 さて、大型帆船が出航したその日の夜。

 明日の正午には目的地に着くこともあり、船旅をされている乗客の方々は翌日に備えて寝静まったころのことにございます。

 

 潮風にさらされた甲板に、ポツリポツリと水滴が降り注ぎ。

 程なくして、ザアザアと騒然たる音を鳴らす大雨になりまして。

 雨は一向に止む気配はなく、むしろ激しさがどんどんと増していきまして。

 烈風、いや暴風と呼べるほどに激しい風も吹き荒れて。

 夜闇の中を航海する大型帆船は大嵐に巻き込まれ。

 さらには大波に揺さぶられて今にも傾きそうでありまして。


 突然の天候の悪化によっていつ転覆してもおかしくない状況に、慌てた様子で船室から飛び出してきたと見えるは乗組員と乗客か。

 大半の人達がオロオロと慌てふためいて、冷静さを失っておりました。


 対して冷静さを失わずにいる年配の船員が甲板の上に見受けられました。この船の船長でございます。

 長い年月を船の上で過ごしてきた身でございまして。当然ながら同様の経験も幾知れず。

 この様な状況下に置かれましても判断能力を失わず、近くにいた船員に的確な指示を出しまして。

 まともな行動を取れる船員は船長の指示に従い、乗客の避難誘導や船の安全対策の対応に向かいまして。


 そんな中、指示通りの行動が上手く取れない者が一人。

 不運なことにまだ船に乗るようになって日の浅い新人の船員でございます。

 ただでさえ、通常の業務の出来が半人前でございまして。

 なかなかどうして思うように行動ができず慌てふためき。

 他に頼れる仲間も近くにおらず。

 何とか自分で指示通りに対応をしようと藻掻けば藻掻くほど上手い行かず。

 ついにはシクシクと半べそをかいてしまいました。


 それを見て業を煮やした船長。

 やむおえず自ら対応をしようとしましたところ、遮るように発狂寸前の乗客がつっかかりに来まして。

 鬱陶しく思いながらも、相手は乗客でございますから、はじめは諭そうと試みて。

 されど効果はなく。

 仕方なく払い除けようとしますが、乗客は抵抗して更に暴れ出し。

 これは手に負えないと判断した船長。

 止む終えず、乗客に当身をくらわせて意識を失わせたのでございます。


 しかしその状況を見た別の乗客。

 船長が己の身可愛さに、我らを見殺しにする気だと勘違いしてしまいまして。

 同じく暴れ出してしまうものですから、どんどん他の人たちへと伝染していきまして。

 ついには暴動が勃発してしまったのでございます。

 皆で助け合わねばならない状況にございますが、やはり己の命の危機が危機にさらされますと、冷静な判断は難しいと言えるのでしょう。


「おいおい酷い有様だな」

「呑気に言ってないで、この場を治めるよ」

 そう言って、混乱する現場を何とかしようとしていますのは、嵐に見舞われたことをいち早く察した、ベテラン冒険者のワルトスとラティスにございます。

 船室内で混乱していた乗客たちを落ち着かせ、いざ船室の外へ赴くと阿鼻叫喚の地獄絵図。

 されどそんな状況下にあっても、ワルトスは冷静かつ迅速に状況を判断し。

 ラティスをはじめ、この場の対応にあたってくれた他の冒険者仲間にも指示を出し始めました。


 まずは船員が己の業務をしっかりと全うできるよう、興奮状態に陥っている乗客たちを抑えることを優先し。

 ワルトスを皮切りに力自慢の冒険者たちがあちらこちらで暴動を起こしている乗客たちの前に立ち塞がって。

「ここは俺らが何とかするから、あんたらは船の維持を頼む」

「すまない。助かった」

 船員たちは、彼らの助力に一言お礼をいいますと、本来の持ち場へと急いで向かいまして、船の対応を再開したのでございます。


 一方でラティスは、混乱はしているものの比較的大人しく指示を聞いてくれる乗客の避難誘導をしておりまして。

 取り残された人がいないか周囲を注意深く探っていると、はぎつけ近くに突っ立っている人影が一人。

 先ほど業務が上手くいかなかった新人の船員でございます。

 周りの同僚が対応に追われる中、足手まといにしかならない罪悪感から、業務を放棄してしまっておりまして。

(ったく、何をやってるのよ)

 ラティスは呆れながらも、新人の船員のもとに駆け寄ろうとしたそのときにございます。


 荒れ狂う溟海が船を大きく揺らしたかと思うと、ラティスは一瞬体制を崩しまして。

 立ち上がり正面を向きなおしたそのとき、高波がちょうど船員に降りかかろうとしている瞬間で。

「うわぁ!?」

 船員は恐怖のあまり身を屈め。

「危ないっ!」

 ラティスは叫んで船員のもとへ焦って向かおうとし。

 しかし二人の間は到底間に合う距離ではなく、ラティスは手を伸ばすも当然届くはずもなく。

 二人してもう駄目だ、そう思ったときでした。


 船員の真横から小柄な人影が飛び出してきて、彼を吹き飛ばしたのでございます。

 船員は勢いよく甲板を転がるも波から遠ざかり、無事一命をとりとめて。

 何が起こったかわからずキョトンとするも、ただ自分が無事であったことに気が付きホッとして。 

 しかしラティスは青ざめた顔で高波が襲った場所を呆然と見つめておりまして。

 そこには先ほど見えた小柄な人影の姿は見受けられず。

 ラティスの震える口から、ボソッと漏れた一言が何が起きたのか物語っていると存じます。


「今、波に飲まれたのって……コレットちゃん?」

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異民の詩 高島音夜 @soundnight

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