第1節 ②

 声の主は右肘を曲げて拳を強く握りしめておりまして。

 その姿を見れば、ワルトスが急に倒れた原因は、不意打ちの殴打によるものだと容易に想像がつきます。


 気まずい空気を裂くように突如として現れましたこちらの人物。

 先ほどの言動と相まって、ワルトスのような屈強な人物であるとお想いになるでしょう。

 ところがなんと、これまでの経緯とは裏腹に、その正体は見目麗しい女性でありまして。

 背丈はコレットより頭一つ分ほど高く、すらりとした体格で。

 赤毛の長髪を後頭部で一纏めにしているところは活発な印象を受けますが、二重瞼のぱっちりとした丸目も相まって、一見するととてもワルトスをしずめるような剛腕には見えず。

 さりとて、黒地のクロップトップと革製のボレロから露出された腕やお腹は、細身でありながらも筋骨隆々でありまして。

 女性の身でここまで鍛え上げられているのは相当なことで。

 たゆまぬ努力、並ならぬ鍛錬を積み重ねてきたことが伺えて。

 改めて容姿を確認すれば質実剛健と言うに相応しく。

「お嬢ちゃん、大丈夫だったか?」

 されど、コレットに話しかける声はやわらかく、優しさを滲ませて。

 ラティスという彼女の名を体現するような、温かさを感じさせる雰囲気も醸し出しております。


「あ、はい、大丈夫です」

 先刻のワルトス同様に声をかけられたコレットでございますが、先ほどよりか幾分と落ち着いた返答をしつつ、

「……けど」

 と、少し間をおきまして。

 ラティスから倒れ伏したワルトスに視線を移し。

 拒絶を示した相手だというのに心配気な表情を浮かべ。

 それを察したラティス。少々驚きの表情を浮かべつつ、

「へぇ、君って良い奴だね。自分を襲った奴を心配してあげるなんて」

 と、感嘆し。

「いえ、別に襲われたわけではないので──」

 対してコレットは否定の意を示し。

 胸の前で両手のひらをラティスに向けてブンブンと腕を振り。

 その姿は見た目相応の愛らしさを感じさせ。

 コレットは拒絶こそしたものの実際にワルトスに襲われたわけではございませんので、誤解を解かねばとこのような身振り手振りになるのも無理からぬことでありましょうか。


 コレットは勢い良く振っていた腕を降ろしますと、

「助けていただき、ありがとうございました」

 お礼の言葉とともに両手が両膝に触れるくらいの角度でお辞儀をし。

「あのっ、私が勝手にびっくりしちゃっただけで、本当に何もありませんので」

 と、改めてラティスのワルトスに対する疑惑の念を否定して。

「多分私が一人だったのを気にして声をかけてきてくれたのだと思います」

「まあ、お嬢ちゃんがそう言うのなら、ホントのことなんだろうね」

 コレットの態度を見るにその発言に偽りはないのだろうとラティスは納得し。

 倒れ伏してるワルトスに人差し指を向けまして。

「だけども、こいつがお嬢ちゃんを怖がらせたのは事実だよね。恥ずかしながらこの男の仲間として謝罪させてほしい」

 そう申して背筋を伸ばした状態で腰を倒し深々と頭を下げたラティスの姿勢は、先ほどまでのたくましさとは打って変わって慇懃な対応でございまして。

 その仕草は同性であっても思わず見惚れてしまうように美しく。

 コレットも一瞬ドキリと胸をときめかせてしまいまして。

「いえっ、本当に大丈夫なので」

 慌てて意識を取り戻しますと、再び両手をブンブンと可愛らしい態度を示し。

 コレットの許しを受けて顔を上げたラティスはその姿を目の当たりにし。

(この子、お持ち帰りしたいな……)

 と、態度に示さないものの、心の中ではワルトスよりも邪な感情をコレットに向けまして。

 言うまでもなく、本気でコレットを連れ去ろうと画策したものではないと存じます。

 それくらいにラティスの瞳にはコレットが可愛らしく映し出されたということにございます。


 ワルトスがコレットに絡んだときとは別の意味で何とも言えない雰囲気が二人を包みまして。

 とある趣味嗜好を持つ方々が反応しそうな状況ではございますが、先に申しておきますと、この先この二人がそちらの方面に進展することはございません。


「ラティスよぉ、いきなり脳天突きしてくるこたぁないだろう……」

 そのような方々から空気が読めない奴と言われる絶妙な間合いで声が挟まれて。

 ラティスはハッと我に返り。

 声の主であるワルトスが頭頂部を抑えながら立ち上がり、怒りというよりも拗ねた表情でラティスに目を向けて。

「それは、あんたが勘違いさせるような態度をこの子にしたせいでしょうが」

 対するラティスはプイっと顔を横に向け、起き上がったワルトスから視線を外し。

「でも、確認もせず急に殴っちゃったのは私も悪かった……ごめん」

 態度はそのままではあるものの、誤解から暴力をふるってしまったことには謝罪しまして。

 それに対してワルトスは苦笑を浮かべながら、

「まあ確かに、俺も馴れ馴れしく行き過ぎたな」

 と、謝罪したラティスの頭を撫で。

「ん……」 

 ラティスは慣れているのか恥ずかしそうに頬を赤く染めつつも素直に受け入れまして。

 今度はワルトスとラティスの二人でただならぬ雰囲気を作り出しまして。

 当事者の一人であるコレットを置き去りにし。

 誰も入りえぬ空間を作り出しまして。

 コレットは、この状況をどうしたら良いか思いつかず。

 二人をそのままに、黙ってこの場から離れることは失礼と感じ。

 されど二人に話しかけられることも躊躇われ。

 人の良さが仇となり、ただただ途方に暮れるしかございませんでした。


 余談ではございますが、察しの良い方なら何故コレットとラティスの関係が進展することがないのかお気づきになられたことでありましょう。

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