第1節 ①
その日は人族の住む街の港から一隻の大型帆船が出航しておりました。
天候は晴天、船出日より。
澄んだ青空を自由に舞う鳥たちの鳴き声も響き渡ります。
船に乗る者たちはみな目的地に辿り着くまでの一時を穏やかに過ごせるものだとさぞや思いになられていたことでしょう。
その証拠と言わんばかりに、
「そこの兄さん、追加の酒持ってきてくれないか」
「ついでに俺の分も頼む」
と、お天道様が燦々と輝く時分から、お酒を浴びる青年たち。
「♩♩♫♩~♪♩♪~♪♩♪♩♪~♩♩♪♩♪~♪♩♪♩♩」
「この歌なんだろ?」
と、何処からともなく聞こえてくる歌声に耳を澄ます女性。
「さぁ、皆様ご注目。ここに取り出しますは、何の変哲もないただの剣」
と、観衆の注目を浴びて、大道芸を始める芸人。
日中ではございますが、そこかしこで乗客たちは宴会の如く騒ぎ立てておりました。
一方で、人の喧騒から離れて、甲板の隅に少女が一人。
肩にかかる程度の長さで綺麗に揃えられた栗色の髪が風になびくのを片手で押さえ、
「海ってこんなに広々としてるんだ。それにすっごく綺麗」
人生で初めて見る海原に目を輝かせて興味津々な表情を浮かべております。
目元まで伸びた前髪の隙間からのぞく、まるで紅玉の様な深紅の瞳に映り込むは、対照的な紺碧の水平線。
丸みを帯びた幼い顔立ちと、大の大人の胸元くらいの背丈をしておりますが、不釣り合いな大きな剣を背中に掛けておりまして。
素朴な服装の上に鉄の籠手と胸当てを身にまとった姿は、さきに挙げた大剣と相まって少女が冒険者であることを物語っております。
「思い切って、船に乗って良かったなぁ」
あまりの感動に先ほどから心の声が漏らしてしまっておりますこちらの少女。
その名をコレットと申します。
先日、この船が出航した町で冒険者登録を終えたばかりの新米冒険者にございまして。
ついでに申しますと、外界に赴くこと自体が初めての体験でございまして。
年相応以上に気持ちが高ぶっているように存じます。
さてこの時代、人族の冒険者の役割は主に探索と討伐の二種類に分けられて。
前者は、周辺の土地から未開の地を捜索し、生活に必要なものを採取したり、開拓が可能か調査をすることを主とし。
後者は、害獣であったり、侵略を企てる異民の討伐にあたるものを主としておりまして。
コレットのような新米となりますと、熟練者の支援のもとであったり、能力の近しいもので仲間を集め、近辺の探索に当たるのが定石で。
過去に類をみない程ではございませんが、一人で航海することはそうそうなく。
そのような人たちは大概何かしら事情を抱えておりまして。
傍から見れば、コレットも例に漏れない内の一人に映るわけでございます。
そんな状況下でございますので、
「おうおう、どうしたんだ嬢ちゃん。こんなところに一人で突っ立って」
興味本位か、はたまた別の理由か。コレットに話しかけてくる人が現れても、何ら不思議なことではございません。
急に発せられた威圧感のある男性の声と遠慮のない言葉遣いに、
「っひゃい?」
と、思わずコレットは裏返った声を発しまして。
明るい笑顔から一転、恐る恐る話しかけられた方向に視線を向けますと、再び漏れてしまいそうになった声を何とか抑え。しかし身体はびくりと振るわせて。
それも致し方ないことでありまして。
コレットの目に映った声の主が、額に大きな傷跡と手入れが施されていないもみあげから顎まで繋がった無精髭という強面の青年。
服装からむき出された隆々とした肌のそこかしこにも生傷は見受けられ。
いかにも死地を潜り抜けてきた歴戦の戦士と言わんばかりの勇ましい体格ではあるものの、コレットにとってはその辺のごろつきと何ら変わりなく。
寧ろ、異民や害獣に遭遇したかのような衝撃をコレットに与えたのでございます。
「なっ、なにか……?」
そんな訳ですから、おっかなびっくり訊ね返すコレットでございまして。
青年は、そんなコレットの心情を察しったのでしょう。
「おっと悪いな。そんな驚かれるとは思わなかった」
と、見た目とは裏腹に申し訳なさそうな表情を浮かべ、後頭部をかき。
しかし、やはりコレットのことが気になるようで。
周囲を見回したあと、
「嬢ちゃんのような子が、一人でいるのが気になってな。仲間はいねぇのか?」
コレットに再び目も向けて、心配そうに話しを続けてまいります。
実はこの青年。
その名をワルトスと申しまして。
見た目通りのごろつき……などではなく、歴とした冒険者でございます。
新米冒険者であるコレットは気づいておりませぬが、界隈では有名なパーティーのリーダーを務めているほどの傑物で。
周囲に比べても体格の良さは際立ちますが、見た目とは裏腹に情に厚く。
冒険者としての経験や実績も伴って、同業者から一目置かれている存在でございます。
事実を知れば、経験の積み重ねからくる生傷の多さもご愛嬌と言えましょう。
そんな彼であればこそ、見るからに新米冒険者の少女が一人でいることが気にかかるのは無理からぬこと。
しかしコレットはワルトスから顔を背けつつ、
「……えっと、その……私は一人で冒険をしたいと思っているので」
先ほどの明るさは何処へやら。
ぎこちなくも自分の思いを口に出し。
その返答に納得がいっていない様子のワルトスは表情を曇らせて。
「そうなのか?」
と、コレットの顔を覗き込もうとしまして。
その行動にコレットは思わず、
「やめてくださいっ」
先ほどとは打って変わって、大きな声で拒絶をし。
想定外の反応に一歩後ずさるワルトス。
これほどまでにコレットに拒絶を示されるとは想定外のことでして。
目を大きく開いて、瞬き一つ。
しかし瞬時に驚きの表情を抑えて、ばつが悪そうに後頭部をかるく掻き。
「あぁー……」
改めて言葉を選びながらも、さてどう接しようかと思考を巡らせていたところ──
ドスッ!
と大きな物音とともに、ワルトスの体は前のめりに崩れ落ち。
「なに、女の子を脅かしてるのさ。この唐変木っ」
先ほどまでワルトスが立っていたところに、荒立てた声とともに別の人影が現れたのでございます。
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