14 全てを知るカール、僕は還るべき場所へ

 足音を忍ばせて、僕はその場を離れた。通路の硬い敷石が、まるでぐにゃぐにゃと沈みこむように感じられる。僕はそのまま、裏口から城壁を出た。


 そこには、見慣れた銀色の機体が横たわっていた。コクピットに戻り、カールの名を呼ぶ。メインディスプレイが、青く光った。

「おや、おかえりなさい。こんな時間にどうされましたか?」

「ちょっと、眠れなくなることが起きてね」

「それはいけませんね。子守歌でも歌って差し上げましょうか?」

 人工的な響きの渋い声で、カールはいつものように冗談を言った。


「一つ、確認したいのだが」

 僕は咳払いをした。

「この船には、微振動計測センサーがあるはずだね? つまり、あの月泉郷がっせんきょう内部で生じた音を、ある程度把握しているはずだ。芋を煮る音や、誰かの会話も」

「おっしゃられる通りです」

「カール、君は知っていたのではないか? 連中がラントヮかのじょを使って、僕をどのように利用するつもりだったか。答えたまえ。念のために言うが、これは冗談じゃない。指示だ」

「知っていました」

 こともなげに、カールは答えた。


「なぜ、伝えなかった!」

 僕は絶叫した。

「貴様は航行アシスタントだ。キャプテンである僕に迫る危険について、警告する義務があるはずだ」

「即、危険が迫っている状況ではないと判断しました」

 カールは淡々と答えを返した。

「もしも彼らが、あなたに危害を加える可能性があれば、もちろん警告しますが。当面は、丁重な扱いが続く状況である、そう考えます」

「僕が、どんな思いで……どんなに傷ついているか、お前に分かるか?」

「感情系の損傷数値は把握しています。セロトニン・スタビライザーにより、比較的容易に修復可能な水準だと判断しますが」

 なおも冷静に、カールは事実を告げた。彼はあくまでも、航行アシスタント用のAIだ。仮想空間内の人工人格A・Pのように、こちらの感情に配慮したコミュニケーションを取る機能までは実装されていない。

鎮静シガースティックをお吸いになってはいかがでしょう? 恐らく、二本から三本程度で、すっかり落ちつかれるかと」


 彼の、あまりの実務家ぶりに、僕はとうとう笑い出しそうになってしまった。

 カールの指示に従い、僕は鎮静スティックをくわえた。備品ボックスには、新品がまだ1カートンも残っていた。口の中から、セロトニン・スタビライザーによる安堵感が広がっていく。

 シートにもたれかかり、僕はため息をついた。一時は、この月泉郷がっせんきょうを鉱物採掘用のメーザー銃で焼き払ってしまおうかとまで思い詰めたのだが。

 しかし、下手にあの強力な武装で反撃されたら、ひとたまりもない。


「カール、船の機能はすでに完全修復されているな?」

「はい。問題ありません。修復率100%です。宇宙空間で全て自給自足可能な状態です」

「では、これから地球を離脱し、宇宙空間へ戻ることとする。熱核メインエンジン、および航行用各部機能を始動。イオンクラフトによる浮上開始」

「今、すぐにですか」

 カールは珍しく、戸惑ったような声を上げた。

「もう、一瞬たりともここにいたくないんだ。少し眠りたいから、航行は君に任せるよ。元々の、周回軌道まで戻ってくれればそれでいい。ええと、これは指示だ」

「了解しました。エンジン始動します」

 後方で、高周波音が急速に高まる。僕はそのままキャプテン・シートを倒し、目を閉じた。

 ラントヮ……。涙が、こぼれた。


 随分長い間、嫌な夢を見ていた気がする。

 ようやく目が覚めると、頭上を覆う粒子減速ガラスのドームの向こうに、凍てついた宇宙空間が広がっていた。

 第二宇宙速度による大気圏離脱は、すっかり完了していた。あの赤茶けた地球の姿は見えない。ちょうど背後に位置しているようだ。

「お目覚めですか」

 カールが言った。

「あ、ああ……。何だか、長い長い悪夢を見てたような気がするよ」

「それは、地球に降下してからずっと、という意味でしょうか?」

「いや」

 そうじゃなくて、と言いかけて、僕は口を閉ざした。恐らく、カールが正しい。


 正しく周回軌道に乗ったことを確認して、僕は航行制御サブシステムの終了コマンドを入力し、カールにしばしの別れを告げた。

「またご用の際は、なんなりと。それでは」

 カールの丁寧な挨拶と共にIUI画面は終了アニメーションに切り替わり、コクピット内の計器類はスリープ状態に入った。

 コクピットを離れ、色とりどりの通知ランプが点る通路を通り、僕が向かった先は言うまでもなく、「砂箱サンドボックス」だった。

 透明なプレートで上下左右を囲まれた、狭いケージ。この世界からの出口、そしてもう一つのリアル・ワールドへの入口。


 生命維持サブシステムのハーネスを首元と下半身に装着し、「超粉体アルティパーティクル」のケージ内への充填を開始する。

 そして間もなく、「砂箱サンドボックス」を囲む壁面に並んだ磁気銃エムガンからの、磁気ビームによる投射描物レンダリングが始まった。

 真っ暗だった視界が、揺らぎながら開ける。そこはあの、朱色とクリーム色で塗装された列車の車内だった。

 青いモケットのボックスシートに、僕は座っていた。内燃機関の騒々しい響きが、トンネル内に響く。天井の、弱々しい蛍光灯の光が、僕にはひどく懐かしく感じられた。


 列車は次第に速度を落とし、トンネルを出たところで停車した。プラットホーム。古びた木製の柱には「丹後松島」と書かれた、青い琺瑯看板が取り付けられていた。

 還るべき場所。僕は戻ってきたのだった。

(最終話へ続く)

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