14 全てを知るカール、僕は還るべき場所へ
足音を忍ばせて、僕はその場を離れた。通路の硬い敷石が、まるでぐにゃぐにゃと沈みこむように感じられる。僕はそのまま、裏口から城壁を出た。
そこには、見慣れた銀色の機体が横たわっていた。コクピットに戻り、カールの名を呼ぶ。メインディスプレイが、青く光った。
「おや、おかえりなさい。こんな時間にどうされましたか?」
「ちょっと、眠れなくなることが起きてね」
「それはいけませんね。子守歌でも歌って差し上げましょうか?」
人工的な響きの渋い声で、カールはいつものように冗談を言った。
「一つ、確認したいのだが」
僕は咳払いをした。
「この船には、微振動計測センサーがあるはずだね? つまり、あの
「おっしゃられる通りです」
「カール、君は知っていたのではないか? 連中が
「知っていました」
こともなげに、カールは答えた。
「なぜ、伝えなかった!」
僕は絶叫した。
「貴様は航行アシスタントだ。キャプテンである僕に迫る危険について、警告する義務があるはずだ」
「即、危険が迫っている状況ではないと判断しました」
カールは淡々と答えを返した。
「もしも彼らが、あなたに危害を加える可能性があれば、もちろん警告しますが。当面は、丁重な扱いが続く状況である、そう考えます」
「僕が、どんな思いで……どんなに傷ついているか、お前に分かるか?」
「感情系の損傷数値は把握しています。セロトニン・スタビライザーにより、比較的容易に修復可能な水準だと判断しますが」
なおも冷静に、カールは事実を告げた。彼はあくまでも、航行アシスタント用のAIだ。仮想空間内の
「
彼の、あまりの実務家ぶりに、僕はとうとう笑い出しそうになってしまった。
カールの指示に従い、僕は鎮静スティックをくわえた。備品ボックスには、新品がまだ1カートンも残っていた。口の中から、セロトニン・スタビライザーによる安堵感が広がっていく。
シートにもたれかかり、僕はため息をついた。一時は、この
しかし、下手にあの強力な武装で反撃されたら、ひとたまりもない。
「カール、船の機能はすでに完全修復されているな?」
「はい。問題ありません。修復率100%です。宇宙空間で全て自給自足可能な状態です」
「では、これから地球を離脱し、宇宙空間へ戻ることとする。
「今、すぐにですか」
カールは珍しく、戸惑ったような声を上げた。
「もう、一瞬たりともここにいたくないんだ。少し眠りたいから、航行は君に任せるよ。元々の、周回軌道まで戻ってくれればそれでいい。ええと、これは指示だ」
「了解しました。エンジン始動します」
後方で、高周波音が急速に高まる。僕はそのままキャプテン・シートを倒し、目を閉じた。
ラントヮ……。涙が、こぼれた。
随分長い間、嫌な夢を見ていた気がする。
ようやく目が覚めると、頭上を覆う粒子減速ガラスのドームの向こうに、凍てついた宇宙空間が広がっていた。
第二宇宙速度による大気圏離脱は、すっかり完了していた。あの赤茶けた地球の姿は見えない。ちょうど背後に位置しているようだ。
「お目覚めですか」
カールが言った。
「あ、ああ……。何だか、長い長い悪夢を見てたような気がするよ」
「それは、地球に降下してからずっと、という意味でしょうか?」
「いや」
そうじゃなくて、と言いかけて、僕は口を閉ざした。恐らく、カールが正しい。
正しく周回軌道に乗ったことを確認して、僕は航行制御サブシステムの終了コマンドを入力し、カールにしばしの別れを告げた。
「またご用の際は、なんなりと。それでは」
カールの丁寧な挨拶と共にIUI画面は終了アニメーションに切り替わり、コクピット内の計器類はスリープ状態に入った。
コクピットを離れ、色とりどりの通知ランプが点る通路を通り、僕が向かった先は言うまでもなく、「
透明なプレートで上下左右を囲まれた、狭いケージ。この世界からの出口、そしてもう一つのリアル・ワールドへの入口。
生命維持サブシステムのハーネスを首元と下半身に装着し、「
そして間もなく、「
真っ暗だった視界が、揺らぎながら開ける。そこはあの、朱色とクリーム色で塗装された列車の車内だった。
青いモケットのボックスシートに、僕は座っていた。内燃機関の騒々しい響きが、トンネル内に響く。天井の、弱々しい蛍光灯の光が、僕にはひどく懐かしく感じられた。
列車は次第に速度を落とし、トンネルを出たところで停車した。プラットホーム。古びた木製の柱には「丹後松島」と書かれた、青い琺瑯看板が取り付けられていた。
還るべき場所。僕は戻ってきたのだった。
(最終話へ続く)
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