13 閉ざされた扉、払われた犠牲
カールによる射線計算は完璧だった。
ローレンツ力によってレールガンから射出された弾体は、
通信端末越しの、自慢気なカールからの報告を、ベッドに横たわった僕は内心恐れおののきながら聞いた。悪辣な連中だったらしいとは言え、数少ない生き残りの人類には違いない。一体、何人殺してしまったのだろう。
地球になど、終わった現実になど足を踏み入れるべきではなかったのだ。
いや、そもそもこんなものが、本当に現実なのだろうか。
荒廃した世界でなおも争いを止めない人類や、地球外生命体との接触によって文明を再建しようとする人々。まるで、出来の悪いフィクションのようではないか。
ふらふらと、僕はベッドから起き上がる。もう、戻ろう。あの懐かしい丹後松島へ帰ろう。
こちらに持ってきているのは、ほんの身の回り品程度だった。全てを詰め込んだ、バッグのジッパーを静かに閉め終えたその時、不意にノックの音がした。
ぎょっとして身を固くした僕の耳に聴こえたのは、優しく柔らかい、そしてわずかに甘い声だった。
「ミネヤマ様? ラントヮです」
僕は慌ててバッグをベッドの影に隠し、
「どうぞ」
と言った。
扉を開いて、ラントヮが部屋に入ってきた。紅いドレスの裾には深いスリットが入っていて、ふくらはぎに包帯が巻かれている痛々しい様子がのぞいている。
「夕食かい? まだそんな時間じゃ」
「いえ、それは……」
彼女は、何か言い澱むような様子で、足元に視線を落とした。
「あの……今日は、私たちの
今度は、僕が言葉を失う番だった。とんでもない。甘い判断で、君にそんな怪我を負わせてしまったのだ、僕は。
「これからも……ずっと、ここにいてくださいますね? 私たちを、守ってくださいますね?」
ひどく緊張した様子で、ラントヮは歩み寄ってきた。そして、何も言えないままの、棒立ちのままの僕の胸元に、もたれかかってきた。
長い黒髪がさらりと流れて、甘い香りが立ち昇る。伝わってくる、彼女の体温。
入り口の扉は、いつの間にか閉ざされていた。
あの夜、一人で部屋に現れたラントヮを夢中で抱いた僕は、そこから全く別の道へと足を踏み入れて行くことになった。
皆の祝福を受けて、彼女を妻として迎えることになったのだ。
婚礼に当たっては正式な儀式も必要だということで、その日取りなどが次々と決まって行く。僕ら二人の新居として広々とした部屋が用意され、これは副長の特別な計らいによるものだということだった。
あれよあれよというその展開を、僕は呆然としながら、まるで回転する円盤の中心軸に立っているような気持ちで眺めていた。
大量に人を殺したという心の痛みも、まるで強力な麻薬を与えられたように、麻痺して感じられなくなっていた。
「それではもう、船ではお暮しになりませんね?」
ラントヮとの結婚を報告すると、カールは通信端末越しに淡々とそう答えた。
「ああ。もちろん、まだまだ君には助けてもらわなきゃならないがな。生命維持系のシステムは停止してくれていい。エネルギーは、他の処理に回してくれ。索敵を、最優先に」
「仮想空間のほうはどうしましょうか? ログオフされた時点で、空間内の時間の進行は凍結されたままですが」
丹後松島。美しい水路が流れる、あの静かな町。裏の浮絵さんや、絣の着物を着たお隣のご主人。素焼きを待っている焼き物たちや、駅前に停めたままの三輪トラック。
「……いや、あれは凍結のまま維持しておいてくれ」
「分かりました。まあ、凍結のままならさしてエネルギー消費もありません。それに、またあそこに逃げ帰りたくなる時が来るかも知れませんからね。生命維持系も、再始動可能なようにはしておきます」
カールの奴め、相変わらず皮肉屋だな、とその時はそう思っただけだった。
高度な情報収集・状況判断能力を有するこの優秀なアシスタントAIには、ちゃんと読めていたのだ。先の展開が。
事態の裏側で作動していた、精密な仕掛け。僕がその事実を知るまでに、時間はかからなかった。
全てが瓦解することになったのは、婚礼の儀式も近付いた、ある日の夜のことだった。
夜中にふと目を覚ますと、隣にラントヮの姿が無かった。彼女との情交で汗をかきすぎ、大量に水を飲んだせいか尿意がひどく、僕は部屋を出て厠所へと向かった。
下駄を履くのも忘れて、静かな通路を若干ふらつきながら裸足で歩く途中で、小声で誰かが会話しているのが耳に入って来た。突き当りを、右に曲がった向こう側。
フェリェ副長とラントヮの声だった。
「あなたを犠牲に差し出したことは、私も心苦しくは思っているのです」
副長が言った。
「いえ……あの方はとてもお優しいですし、特に辛いということはありません」
今度は、ラントヮだ。犠牲? 辛い? 何のことだ?
「しかし、ミネヤマを引き留めるために、あなたを利用したことは事実です。ちゃんと契りを交わした、
眠気など、一撃で吹き飛んだ。
「仕方のないことだと分かっています、少なくとも今は」
「ポロンに向かった人たちが戻るまで、それまで辛抱してください。明日の儀式も、ちゃんと正器を用いない模式礼にしてあります。あなたはあくまで、未婚のまま。ミネヤマには分かりますまいが」
「ご配慮、ありがとうございます。私が愛するのはロン・イーファン様、生涯ただ一人だけですから……。でも、いよいよあの人が戻って来ることになったら、ミネヤマ様は」
「ミネヤマをどうするか……。その責任は、全て私が負います。あなたは何も考えなくて構いません。今の我々には、彼とあの船が必要なのです」
通路の敷石から、裸足の足の裏を伝って、冷たいものが体の芯へと上がってくる。
そうか。そういうことか。
(第14話へ続く)
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