10 陽気で不穏なカールと、束の間の平穏を願う僕

 明くる朝早くから、僕は船のところへと戻った。

 空は恐ろしいほどに青く澄み渡り、斜めに射す朝日の光が、湧水の池の底を明るく照らしている。

 砂漠も眩しく白く光って見えて、僕は顔をしかめて目を細めながら、二千メートルの向こうへと歩き続けた。


「お帰りなさい」

 ハッチを開いて船内に戻った僕に、カールが人工的な抑揚で挨拶してくれた。

「心配していましたよ、なかなかお戻りにならないので」

「うまく行ったよ、出来すぎくらいにね。それで、戻れなかった」

「幻のハーレムでも見つけましたか?」

 カールは、なかなか鋭いところを見せる。

「まあ、そんなところだ」

 僕はキャプテン・シートに座った。


「離陸して、町のすぐ向こう側に移動する。あと、各オアシス都市の動向を調査したい。傍受した通信を全て記録して、分析してもらいたいんだ。この町、月泉郷がっせんきょうと言うそうだが、ここを攻撃するような動きを監視する必要がある」

「用心棒の仕事を引き受けた、というわけですね。鉱物採掘用のメーザー銃なら、問題なく励起発振可能です。あくまで兵器ではありませんが、先制攻撃をかければ船の一隻や二隻は落とせますよ」

 カールのやつ、話が早いのはいいのだが、ずいぶん物騒なことを言いだした。心なしか、声が浮き浮きしているようにも聞こえる。

「馬鹿、戦争するわけじゃない。あくまで情報収集任務だ」

 苦笑しながら、僕は離陸を指示した。


 起動させた大気圏内用イオンクラフト装置により、船はゆっくりと地面を離れた。ごく低い高度で砂漠の上を飛び、池と町を越えて、再び地上へと降り立つ。巻き上げられた砂埃が、船を包んだ。

 船体上部に格納された有翼ゾンデを数百メートル上空へと射出し、通信用ケーブルを空高く伸ばした。とりあえずこれで、地球上各地から発信される各種電波の傍受が可能だ。

 一日に数回は船自体を離陸させて、さらに高空からの位相走査レーダーによる詳細な情報収集を行うようにも指示した。


 これで、後はカールからの分析報告を待てばいい。ポータブル通信端末を身につけてさえいれば、船内に留まる必要はなく、城壁内の自室へ戻っても構わない。

 あの丹後松島の町に一度戻ろうか、そう思わなくもなかった。仮想空間内でも、携帯コンソールを使えば、カールからの報告を受けることは問題なく可能だ。

 だけど結局僕は、月泉郷がっせんきょうへと戻った。仮想空間からのログオフなどをしていたら、緊急時の対応が遅くなる。

 それに――月明かりの下で見たラントヮの面影が、僕の心を引き付けていた。


 ラントヮという名前は、古い言葉で「月を捕まえる者」を意味しているのだと彼女は教えてくれた。

 産まれてくる前から、すでにポロン調査団に加わることが決まっていた彼女にこのぴったりの名前を与えたのは、今は亡き祖母だったということだ。

「あの最終戦争カーテンで、お爺さんもお婆さんも、私の一族はみんな死んでしまいました。だけど私は、誰の顔も知りません。物心ついたときには、船の中だったのです。世界が壊滅したと聞いても、悲しむべきなのかどうか、何も分かりませんでした」

 静かな口調で話す彼女の表情には、確かに悲しみの色は見られない。ただ、その向こう側に何か虚無のようなものが広がっているように感じられるのが気になった。

 彼女、ラントヮにとって「世界」とはどのようなものなのか、それを知りたいと僕は思った。


 情報収集の任務だけでは暇で仕方がない。そこで僕は大勢の女性たちに交じって農作業や金属加工、食事の準備などの様々な仕事を手伝った。

 わずか数人だが、ここには小さな子供たちもいて、その中にだけは僕と同じ男の子も含まれていた。恐らくは人工授精によって生まれてきたのだろう。この子供たちからは、初めて実物を見た大人の男として、僕はなかなかの人気を得た。

 やがて、長年の仮想空間暮らしで身に着けた知識を基に、各種作業の改善などのアドバイスまでも行うようになった僕は、次第に特別な食客のような扱いを受けるようになってきた。

 カールの言う「幻のハーレム」で、僕はまるで仮想空間の中にいるかのように毎日をリラックスして過ごすことができた。


 ポータブル通信端末に届くレポートに特筆すべきものはなかったが、念のために僕は時々船内に戻り、カールに直接状況を確認した。

「相変わらずあちこちで、小競り合いが起きてますね。にぎやかなことです」

 どこか他人事のようにカールは、メインディスプレイに映し出した世界地図の上に、光点を表示しながら説明してくれる。

「こんな状況で何を取り合うのか、私たちには良く分かりませんね。オセロゲーム以下の意味しかないと思いますが」

 人工知能界を代表しての意見、ということだろうか。カールの言葉は非常に第三者的で、辛辣だった。

「そう思うけどね、僕だって」

「しかしあなたも、この町を守るためなら争いも辞さないおつもりなのですよね、キャプテン・ミネヤマ」

「だから、用心棒じゃないんだって。争いに加わるつもりはないよ、直接にはね」

 あくまで、僕はそのつもりだった。

 そのつもり、だったのだ。


 月泉郷がっせんきょうでの暮らし。それは、僕の今までの人生において、本当に特別なものだった。荒廃したこの現実世界に、こんな穏やかな生活が存在するなんて。

 そして、そんな特別な時間が長く続くはずもなかった。来るべきものは、ちゃんとやって来た。戦いなど望まない、僕の願いも虚しく。

(第三部「犯した罪と下された罰、還るべき場所」へ続く)

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