8 奇跡のオアシス、月泉郷の女性たち

 涼しい風を感じながら池の外周を巡り、町の周りを取り囲む、やはり瓦屋根のついた建物の前にたどり着いた。見上げるばかりの高さで、城壁の役目を果たしているようだ。

 池の中央辺りに面して、観音開きの鉄扉に閉ざされた立派な門があり、ここが町の入り口らしかった。特にインターフォンらしき装置は見あたらず、仕方なしに僕は思い切って声を張り上げた。

「すみません、誰か……誰かいませんか」

 留守宅を訪問しにでも来たようで、間抜けな感じもしたが、他の言葉を思いつかない。


 突然、扉の一部が欠けたように、細長い小窓が開いた。

 そこから誰かの、人間の両目がこちらを見ている。実に数万時間ぶりの、生身の人間との接触だった。

 仮想空間での人工人格A・Pとの会話を懸命に思い出しながら、僕は彼に話しかけた。

「ポロン探査艇HSPL―01の機長、キョーゾ・ミネヤマと申します。船に異常があり、先ほどここから二千メートルの地点に降下しました。可能なら、水を補給させていただきたいのですが」

 窓の向こうの目が、驚いたように見開かる。そして彼女の姿は、窓の奥に消えた。

 彼女? そう、窓からのぞいたその目元は、若い女性のものであるように僕には見えた。緊張で両の掌が汗ばむのが、自分でも分かった。


 しばらくして、窓の向こうに二人の人物が姿を現した。と言っても、見えるのはやはり目元の部分だけだ。

「識別信号を確認しました」

 と、新たに姿を現した人物が口を開いた。流暢な国際標準語グローバラン。落ち着いた口調は、そこそこ年輩の女性のものだった。

「あなたの船、HSPL―01は最終戦争カーテン後、一度も着陸したことがないと記録されています。乗員死亡、と推定されているようですが」

「確かに、私の船はずっと周回軌道上にいました。地上への帰還は今回が初めてです」

「データには単座の船とありますが、ではこの長い期間、たった一人で?」

 彼女と、その隣の女性の目は、驚いたように見開かれた。


長期生活用仮想空間ボイジャーズ・クレードルの中で過ごしていたので、生身の人間と関わるよりむしろ楽でした」

 ……とは言わなかった。あまり妙な人物と思われては、これからの交渉に差し支える。

「微少隕石による損傷で、船体が大気圏突入に耐えられない可能性があったのです。しかし、集水装置に故障が発生したため、一か八かで降下を試さざるを得なくなりました。無事着陸できたのは幸運でした」

「それは……大変なご苦労でしたね。分かりました。今、扉を開きますので」

 二人の姿が、奥に消える。間もなく、きしみ音を立てながら、重そうな扉が向こう側へと開いた。


 石板が敷き詰められた、がらんと広い玄関ホールに、数人の人物が並んでいた。

 いずれも女性で、年齢はバラバラのようだが、みな赤やピンクが鮮やかな裾の長い服を着ている。データベースで見たことのある、旧中央アジアエリアの民族衣装という奴に似ているようだ。顔立ちもみなアジア系で、僕から見ても何の違和感もない。


 ぎょっとしたのは両端の二人が、手にした光線銃レイ・ガンをこちらに向けているのが目に入ったからだった。思わず僕は両手を上げた。

「この月泉郷がっせんきょうの副長を勤めております、フェリェと申します」

 彼女たちの中央に立った女性が、静かに言った。先ほどまで僕がやり取りをしていた、年輩の女性である。

「いきなり武器を向けるなど失礼なことで、申し訳ありません。オアシス都市同士の争いや襲撃が、世界各地で頻発しているもので……」

「当然のことです、気にしていません」

 ギブアップのポーズのまま、僕はうなずく。


 扉はすぐに閉ざされて、建物の奥へと僕は案内された。

 中庭を取り巻く開放的な回廊からは、青々とした芝生と、そこで過ごす様々な年齢の女性の姿が見えた。

 等間隔で並ぶ柱は樹脂製のようで、さすがに木造ではないようだ。それでもこの眺めが、奇跡的なものであることには間違い無かった。


「あなたがたは、一体……」

 何者なのだろうか、と僕は思った。

「私どもは元々、国家中央委員会直属の、つまり国家プロジェクトとして編成された、ポロン調査団の団員でした。かつての経済大国として、威信をかけて建造された大型探査船による調査団ですから、設備も物資も充実しておりました」

 フェリェはそう答えた。世界最大級の規模を誇った調査団に属していた隊員、それがここの住民の正体というわけだった。


 案内されたのは、客間と思われる天井の高い部屋だった。

 中央に置かれた円形のテーブルの前に座ると、不思議な香りのするお茶が入った、磁器らしい小さなコップが運ばれてきた。フェリェ副長と、他に数人の女性が、テーブルを囲む。

「さっそくなのですが」

 と僕は口を開いた。

「私の船の集水装置が自己修復セルフ・リペアを完了するまでの間、生命を維持することが可能なだけの最低限の水を、どうか補給させていただきたいのです」


「もちろん、構いません」

 フェリェが、にこやかにうなずいた。

「ただ……もし良ければ、集水装置が直るまでの間、この月泉郷がっせんきょうに滞在されてはいかがでしょう。水も、もちろん食料にも不自由な思いをしていただくことはないはずです」

「いや、それではあまりにも厚かましい」

 僕は慌てて手を横に振った。水さえもらえれば、すぐに宇宙に戻りたいところだった。

「こう考えていただければいかがでしょう。ご滞在いただくのは、水や食料の提供を受ける対価である、と。実は、こちらからもお願いしたいことがあるのです」


 なるほど、それは当然のことだった。貴重な資源の提供を受けるのだ。

 内容を聞いてみなければ何とも言えないが、こちらの立場は弱い。無茶を吹っ掛けられるのではないか、そんな緊張感に僕は思わず顔を強張らせた。

(第9話へ続く)

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