5 現実への帰還。「船」はやはり損傷していた
狭いプラットホームには朱色とクリーム色のツートーンで塗り分けられた列車が停まっていた。あの三輪トラックほどではないが、内燃機関のエンジン音がうるさく鳴り響いている。
乗り込むと列車はすぐに走り出し、トンネルの中に突入した。もはやここは仮想空間の座標外で、擦り切れた青いモケットのボックスシートが並ぶ車内風景は、時折空中を走るノイズでずれたり、崩れたりしそうになる。
僕の座るシートも、急に座面が凹んだりしたので、もう立っておくことにした。どうせ、間もなく座ってはいられなくなる。
ここまで凝った「町から離れる旅」というログオフ
前方に、明るいトンネルの出口が見えてくる。そして、列車がそこから飛び出したその瞬間、周囲のあらゆるものが全て砂のように崩れ去り、消滅した。
僕が立っているのは、上下左右を透明なプレートで囲まれたケージの中だった。
広さは、あの仮想空間内での単位で言えば、「京間の四畳半」ほど。ケージの中は、気体並みに粘性の低い「
そしてここがつまり、現実という奴なのだった。
チャイム音の後、足元の排出孔から超粉体が流れ落ち始めた。
コヒーレンス磁気ビームによって瞬時に結晶化する性質を持つこの粉体が、つまりはあの美しい世界の正体だ。
一秒間に約千回、このケージ内を満たす超粉体の結晶状態を書き換えてやることで、コンピューターの記憶装置内に存在する仮想空間が
首元と下半身に接続された、生命維持サブシステムのハーネスを僕は取り外す。途端に、あのひどい渇きが甦って来た。
超粉体の排出が完了し、砂箱を構成するプレートが開くのを待って、僕はすぐに部屋を出て船尾近くの備蓄庫へ向かった。
庫内には各種食料品と共に、飲料水のボトルが何本も保管されていた。キャップの封を切って、僕は中の水を喉へと流し込む。思わず、むせ返りそうになった。本物の水を、こうして直接飲むのは久しぶりのことだった。
生き返ったような気分になったが、ここで寛いでいる時間はなかった。すぐに船首方向へ取って返す。
人同士がすれ違うのも難しい、狭く暗い通路を僕は急ぎ足に歩いた。壁面を埋め尽くす様々な機械装置が灯す、色とりどりの通知ランプがまるで、昔見た降誕祭のイルミネーションのようだ。
頑丈なロックハンドルを半回転させて、僕は通路突き当たりのドアを、向こう側へと開いた。そして、コックピットの中へと飛び込む。
ドーム状の粒子減速ガラスに覆われた頭上に、無数の星が輝いていた。真正面に横たわるのは、赤茶けた大地が弧を描く地平線だ。
地球。そこに見えるのは間違いなく、僕が生まれ育った星のはずだった。
しかし、大陸の大部分は不毛の砂漠と化し、青かった海は蒸発しかけて、生命の住まない死の水溜りへと変貌している。
キャノピー外の眺めから目をそらすようにしながら、コックピット正面に設置されたメイン・コンソールのディスプレイに手を触れた。
途端に、操作メニューのIUI画面が立ち上がり、表意アイコン列による情報表示が表示領域を埋め尽くす。その大半が、警告メッセージの類だ。
いささか、まずい状況だった。やはり船体に損傷が生じている。
約三十時間前、微細な
あの仮想空間内の振動現象も、その影響によって生じたものらしい。
情報系では
問題は、宇宙空間から水素を収集するウインド・ファンネルという装置が、その宇宙ゴミ《デブリ》の衝突によって物理的な損傷を受けているという点にあった。機体を取り囲む漏斗状の装置の約50%ほどが、吹っ飛んでしまっている。
惑星間巡航時のエネルギー補給に用いられる補助装置なのだが、もはや地球を離れる必要などないから、そこは問題ない。
まずいのは、こいつには水を作って生命維持装置に補給する役目もあるということだった。経管栄養が正常に行われなくなったのは、そのためだ。
現実での渇き、激しく水を求める気持ちが、仮想空間内のあらゆる液体が水に変わる、という現象を引き起こしたようだった。まるで人間の深層意識が、形を変えて夢に姿を現すように。
この船の
備蓄庫スペースをケチったこの船には、精々一週間分くらいのボトル水しか用意されていない。
それまでの間、命をつなぐための水が入手できる可能性のある場所と言えば……目の前の地球以外になかった。
(第6話に続く)
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