4 三輪トラックで走る。異様なのどの渇き、生命の危機
普段の足代わりに使っている、小型の三輪式トラックが停めてある駐車場は、集落の一番外れにあった。
人間一人を載せるのがやっとの広さしかない荷台にポリタンクを置いて、僕は運転席に乗り込む。ごく狭い足元に、ブレーキやクラッチなどのペダルが並んでいた。隣には助手席もあるが、二人並んで乗れば完全に身を寄せ合う感じになってしまうだろう。
バーハンドルを握り、右足でキックスターターのペダルを思い切り踏み込むと、軽快な音を立ててエンジンが回り始めた。幸い、こいつのガソリンは無事なようだった。ハンドル右端のアクセルグリップを手前に回しながらクラッチをつなぐと、三輪式トラックはゆっくりと走り始めた。
エンジンの振動が薄緑色の車体の鉄板に伝わって、車内の至る場所でガタガタ、ブルブルと大変な音がする。簡易舗装の道から、砂埃が舞い上がった。
よくもまあ、こんな凄まじい乗り物がそこらを走り回っていたものだ。しかし実際、「彼女」が同型の三輪トラックの助手席から顔を出して微笑んでいる写真があり、その傍らには「聡美、薫のトラツクと」とのキャプションもあった。これを再現しないわけには行かない。
屋根の鉄板を日光で焼かれ続けて、車内はひどく暑くなっていた。もちろん冷房装置などはない。
運転を続けるうちに、耐え難いほどの喉の乾きを僕は感じ始めていた。しかし、これは本来おかしなことだった。水分の補給は、生命維持装置によって適切に行われることになっている。この空間内でどんなに暑さを感じようが、ここまでひどい渇きをおぼえることなどあり得ないはずなのだ。
ダッシュボードの「ラジオ」から、女性の話す声が雑音混じりに聴こえてきた。
「本日の丹後松島地方は晴れ、気温は三十五度を超えることでしょう」
「たまったもんじゃないね、この暑さは。干上がっちまう」
僕がつぶやくと、
「そうね、これはとっても危険な暑さだわ。対処を検討なさったほうが良くってよ」
と、やはりどこか浮絵さんに似た声で、ラジオの女性が答える。こいつの中身は音声コミュニケーション・アシスタント端末になっていた。ラジオの機械だけ忠実に再現しても、放送局がなければしょうがない。
対処。やはり、仮想空間からのログオフを行う必要があるのかも知れない。いずれにせよ、今は駅前を目指すしかなかった。
舗装された地方主要道を走り続けるうちに、青々とした田んぼの彼方に見えていた市街地があっという間に近づいてくる。
この町の名である「丹後松島市」というのも、やはりあのアルバムの写真から引用したものだ。実際の「丹後松島」は町ではなく、海の中にいくつもの岩が点在する景勝地の名前だったようだが。
荒物屋や履物屋、貸本屋などが並ぶ目抜き通りをそのまま走り抜け、駅のそばにある小さなガソリンスタンドを目指す。
しかし、道の突き当たりにある駅舎が見えてきたその時点で、灯油の入手は断念せざるを得ないと悟った。本来なら「ゼネラル石油」と書かれているはずの道ばたの看板には、「氷」という赤い文字と、打ち寄せる波のような模様が描かれていたからだ。
「何だ……これは」
僕は、絶句した。そこは「氷屋」という謎の店舗に変わっていた。子供の背丈ほどもある大きな氷柱が店頭に並んでいる。
その涼し気な眺めに、あの焼き付くような喉の渇きが、耐え難いほどの苦痛を伴って甦ってきた。仮想実体の氷にかぶりついたところで、この渇きが収まることはないのだが。
「対処が必要です。警告を確認してください。ログオフを推奨します。繰り返す。ログオフを推奨する」
「ラジオ」から、先ほどとは全く調子の違う、緊迫した声が聴こえた。
慌てて携帯コンソールを開くと、警告文がブリンク表示されているのが目に飛び込んできた。
白黒画面に表示されたその赤い文字は、注意報でなく警報だった。生命維持系統に異常が発生し、経管栄養が正常に供給されなくなっている。すぐにログオフしてフルチェックをかけなければ、命に関わる事態になる可能性があった。
仮想空間システムと同時に障害が生じていることを考えると、「船」そのものに何かトラブルが起きているとも考えられる。ならば、ただ事では済まない。
三輪トラックを停めて、僕は駅舎へと駆け込んだ。木製の柵で区切られた改札口の横に置かれた、薄汚れたオレンジ色の「自働券売機」にコインを投入して、一つしかない丸いボタンを押し込む。
ガチャコン、という音と共に、厚紙でできた小さな切符が取り出し口に落ちて来た。同時に、ポケットの携帯コンソールが短い通知メロディーを奏でる。ログオフプロセス起動の合図だ。これでこの空間内の状況は凍結され、全ての物理座標データがバックアップされることになる。
実は、この駅はただの飾りではなかった。仮想空間への出入り口なのだ。僕は改札口を通り抜け、プラットホームへと出て行った。
(第5話へ続く)
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