4 不思議の国

 不思議の国


 強い雨が降っている。

 ……本当に強い雨が、世界にずっと、降っている。


 巨大な雲の渦があった。


 青色の空のなかには、巨大な白い雲の渦があった。

 とても、とても大きい白い雲だ。


 本当に大きい、とても大きい白い雲の渦だ。

 巨大な白い雲の渦は、青色の空のなかに確かに存在していた。


「清。どうかしたの?」

「……ううん。なんでもない」


 あいにくの雨降りの夏の曇り空を見ていた清は、そんなことを五月に言った。


 清が五月と約束をしてお出かけをした日曜日は、あいにくの強い雨の日になった。清と五月は駅前の喫茶店『不思議の国』(二人のよく行く、人気のある、とても有名な喫茶店だった)に入って、そこで世界に朝から降り続いている雨に濡れないように、雨宿りをしながら、今日の本題である清の恋の悩みの相談をすることになった。(実際には恋の悩みの相談ではないのだけど……)


「声が聞こえる?」

「うん」

 水色のストローでアイスコーヒーを飲みながら青が言う。

 からん、と言う氷の気持ちのいい音がした。

 甘い生クリームのデコレーションがされている、三角の形をしたチョコレートケーキを食べながら、銀色の小さなフォークを口にくわえたままで、五月はなんだかすごく変な顔をして、清を見ていた。(このときの五月はなんだか、小さなうさぎのように思えた。私を不思議の国の中に案内してくれる可愛いうさぎさんだ)


「それって、どんな声なの?」

「きよって、私の名前を呼ぶの」

 清は言う。

 それから清は強い雨の降り続ける、窓の外に広がる見慣れた都会の駅前の風景に目を向けた。

 たくさんの人たちが、それぞれに色とりどりの傘をさして、足早に雨の中を歩いている。

 きっとそんな風景を空から見たら、いろんな色の花が咲いたみたいで、とても綺麗だろうな……、とそんなことを清は思った。


 それから清は自分が注文した甘い焼きたてのドーナッツを食べようとして、真っ白なお皿の上に乗っている二つのドーナッツのうち、その一つを手に取った。


 そのとき、ふと視線を感じて、自分の正面を見ると、そこにはもちろん五月がいた。

 五月はそんなあーんと口を大きく開けて、ドーナッツを食べようとしている清のことを、いつの間にか真剣な目をして、なんだかやっぱり不思議そうな目をして、……じっと見つめていた。(まるでそこにある、とても深い穴の中を覗くように)


「どうかしたの? 五月」ドーナッツを食べてから、もぐもぐと口を動かしながら、清は言った。


 五月は無言だった。

 無言のまま、五月はじっと、そこにある(清が食べたことで、不完全な形になっていたけど)ドーナッツの穴をじっと、見つめているようだった。

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