第3話 チケット

「よかったら、どーぞ」


 歌っているときとはまた違う、優しそうな彼の声がすぐ近くでした。

 ハッと我に返った私の目の前に、一枚のチケットがあった。日付は次の日。クリスマスライブ、と書かれてあった。


「俺、大学の軽音サークルにはいってるんだけどさ。そのサークルのクリスマスライブがあるんだ。俺もフライングバードっつーバンドで出る予定。一応、ボーカルなんだ。よかったら、来て」


 顔を上げると、彼がすぐそばに立っていた。ニッと自慢げに笑う顔は無邪気で、大学生とは思えなかった。ハリネズミみたいな髪がかわいく見えた。


「あ、でも……ライブはアコギじゃないんだよね。結構、ロックでがんがん鳴らす感じなんだけど、大丈夫?」


 私はこくんと頷き、そうっとチケットを彼の手から取った。


「暇だったらでいいからね。クリスマスだし」


 気遣うように、彼はそう言い添えた。

 嬉しいです、絶対行きます──そう言いたくても、声は出てこなかった。


「こうして路上で弾くのも今日でやめにするつもりだし、もう人前でやるのはそのライブで最後だと思う」


 独り言のようにつぶやいた彼の言葉に、私は目を見開いて固まった。その様子で、充分、私の気持ちは伝わったのだろう、彼は照れたように頭をかいた。


「シューカツっての? そろそろ始めねぇとだし、働き出したらギターやってる時間もなさそうだしさ。中途半端にするより、有終の美ってやつをかざったほうがいいんじゃないかな、て思って」


 そんなに年上だとは思わなかった。彼が働く姿なんて想像できなかった。私の中で幻のような存在だった彼が、徐々に生身の人間へと変わっていくようだった。

 ここに来れば、いつでも彼の歌が聞こえると思いこんでいた。彼はいつまでもここで歌ってくれるものだと思っていた。 

 自然と、チケットを握る手に力がこもる。彼の歌声を聞ける最後のチャンスだと思うと胸が張り裂けそうだった。

 その夜、私はずっとチケットを握りしめて彼の歌を聴いていた。言葉にできない気持ちが胸の中でパンクしそうなほどに膨らんでいくのを感じながら……。

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