第1話 ラブソング

「すみません」


 ちょうど、帰宅ラッシュが近づいて、人通りがはげしくなってきたころだった。そろそろ、アコギをケースから出そうかというとき、背後から声をかけられた。

 振り返ると、そこには緊張した様子で顔を強張らせた青年がいた。ライオンの鬣のように金髪を逆立て、首にはジャラジャラと重そうなチェーンのネックレス。そんな目立った格好をしているのに、顔立ちは気弱そうで、自信無げ。長い黒髪をまっすぐに伸ばし、地味なワンピースに身を包んでも、生意気そうに見えるらしい私のそれとは正反対だ。


「どうも」ぺこりとお辞儀をし、私は顔にかかった髪を耳にかけた。「今夜も来てくれたんですね」

「え」と、彼は気の良さそうな垂れた目を見開いた。「俺のこと、知ってるんスか?」


 私は微笑み、うなずいた。

 名前は知らない。でも、彼の顔はすっかり見慣れたものになっていた。ここで路上ライブをするようになってから半年、毎週、見ていた顔だもの。

 必ず現れて、人だかりのちょっと後ろのほうでじっと聞いている。決して、前に来たりはしなかった。ふらりと現れ、ふらりと消える。いつもそんな感じだった。だから、こうして話しかけられて驚いた。


「話しかけていただけるとは思ってもいませんでした」


 彼は恥ずかしそうに視線を逸らして、ぎこちなく笑った。


「ちょっと聞きたいことがあって」

「聞きたいこと、ですか?」

「いつも、最初に歌う曲、ありますよね。あれ、なんて曲なんですか? すげえ好きで……」

「ああ、あれですか。気に入ってもらえて嬉しいです」

「いえいえいえ」


 金のたてがみを揺らして、彼は首を左右に振った。そのさまが可愛らしくて、つい頬がゆるんだ。


「あれは、初めて自分でつくった曲なんです」

「初めて? すごいっスね。超いい曲じゃないっすか。ラブソング、ですよね」

「そう、ラブソングです」


 私はふいに、彼の後ろを流れていく人の波に視線を向けた。


「DEAR MY HEDGEHOGっていうんです」

「ヘッジホッグ……って、ハリネズミ、ですか?」


 肩透かしを食らったように、彼はきょとんとしてしまった。


「ハリネズミ、飼ってるんですか?」

「いいえ。ハリネズミっていうのは……」


 言いかけたときだった。


「工藤さーん!」


 彼の背後で、セーラー服を着た女の子三人組が駅のほうから駆けてきた。彼を押しのけ、私の前に並んで座り込むと、「間に合った、間に合った」と口々に言って、若々しく輝く瞳を私に向けてきた。

 もうそんな時間か、と腕時計をちらりと見やった。

 彼女たちが来るのは、ちょうど七時ごろ。私がいつもライブを始める時間だ。わざわざ、この時間に合わせて来てくれてるのか。それとも、偶然、彼女たちの帰宅時間と私のライブの時間がぴったり合っているのか。それは分からないけど、こうして毎週、一番最初に来て、最前列に座って聞いてくれる。


「始めないんですか?」


 不思議そうに見上げる茶髪の少女に、私は「そうだね……」と曖昧な返事をして、ちらりと彼に視線を向けた。

 彼は私の視線に気づいたようにハッとしてから、「どうぞどうぞ」と言いたげに手を動かして頭を下げた。

 せっかく声をかけてきてくれたのに、話が途中になってしまった。申し訳ない、と思いつつも、彼女たちを待たせるわけにもいかない。それに、ここでこの時間に歌うことが私のこだわりであって、願掛けみたいなものだった。

 私も彼に軽く頭を下げて、「じゃあ、始めようか」とギターを構えた。


 今夜もこうして、私は歌う。あの人がいたこの場所で。あの人が歌っていたこの時間に。あの人と同じアコギを鳴らして。いつか、あの人がまたここに現れる日を夢見ながら。この歌に立ち止まってくれることを祈りながら。この歌があの人に届きますように、と自分でも本気かどうか分からないはかない願いを胸に。

 今夜もこうして、あの人に歌う。私にこの声を返してくれた、あの人に。

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