第5話「フォーディルナイト・クロニクル その2」



 僕はびっくりした。そして気づいた。人は本気でびっくりすると、大きな声をあげたりせず、驚きのあまり体が動かなくなるのだ。


「い、猪しししししししし」

「伊織君、落ち着いて」


 猪は見る限り全長約五メートル程で、長い牙をちらつかせながら僕らを睨み付けてくる。その眼差しが呪いをかけてくるようで、僕は恐怖で体が強ばってしまう。


 ブルルルル……


「ハ、ハハハハルルルルさささんんんん」

「伊織君、落ち着いて」


 猪の威圧感はすさまじい。僕の脳から伝達される「早く逃げろ」という信号を、うまく機能させないようにしてくる。そして猪は勢いよく駆け出し、僕ら目掛けて突進してきた。


「うわぁ! 走ってきたぁ!」

「伊織君、落ち着いて」


 猪は暴走自動車のように落ち葉を踏み散らしながら迫ってくる。ハルさんは余裕綽々としている。超能力があるからか。


「……!」


 バンッ

 ハルさんは手の平から波動弾を放つ。ハルさんの超能力の一つだ。青白い光の玉は猪の顔面に激突する。


 ブルルルゥ!


「え!?」


 しかし、波動弾が猪の頭に見事命中するも、猪は勢いを止めずに走り続ける。ハルさんの攻撃を軽く受け流し、僕らに距離を詰めてくる。


「ひいっ!」


 流石のハルさんも心の余裕が無くなり、迫り来る化け物を前にして、呆然と立ちすくむ。






 バァーン!!!


「何?」


 突如として、猪は草むらから飛び出してきた何者かに蹴り飛ばされる。あんなに巨大な猪が、ビーチボールのように軽やかに転がっていく。誰だ……?




「どうした? こんなところまで逃げて。俺の強さに怖じ気づいたか?」

「陽真君!?」


 猪を蹴り飛ばした人は、クラスの人気者である陽真君だった。陽真君はラノベに出てくる勇者のように猪を見下し、のびている猪に語りかける。彼はいつの間にか西洋の騎士のような服装になっていた。


「陽真君……こんなところで何してるの?」

「伊織!? ハルまで……お前らなんでここに……」


 陽真君もこちらの存在に気がつく。陽真君の騎士の格好と、猪に語りかけていた厨二病臭い台詞。突っ込みたいところが満載だ。そもそもここはどこで、この猪は一体何なんだ。ていうか陽真君、さっき一緒だった凛奈ちゃんはどうしたの?


「陽真君、台詞台詞!」


 あ、いた。陽真君が飛び出してきた草むらからちょこんと顔を出し、彼の後ろから何かささやいている。相変わらず可愛いなぁ……。


「あ、そうか……ゴホンッ! 思ったより大したことなかったな。それじゃあ教えてもらおうか。奴の居場所はどこだ」


 突然陽真君が格好付けだした。倒れた猪に向かって再び語りかけている。


「えっと……クラナドス城です」


 今度は凛奈ちゃんが喋りだした。いつもの可愛い声とは違い、しわがれた感じの老人のような声を真似して。もう訳がわからないよ。さっきからあの二人は何をしてるの?


「凛奈違う! その前にまだ台詞あるだろ!」

「あ、そうだった! えっと……お、教えてたまるかぁ~。教えたところでお前じゃカノン様には敵わないぞ~」


 あ、なるほどね。凛奈ちゃんはあの猪になりきって喋ってるのね。



 何だこれ。


「言え」


 陽真君は猪の喉に剣を突きつける。あの剣……もしかして本物……?


「わ、かりました! クラナドス城です! やめてください陽真君~!」

「凛奈!」

「あ、また間違えた! や、やめてくださいハルマジロウ様~!」


 僕らは二人の状況を何となく察した。ほとんど凛奈ちゃんの棒読みの台詞からだけど。さっきから二人がやっていること、それは……。




 ザザッ


「はいカット~」


 また草むらから誰か出てきた。


「もう……保科君、青樹ちゃん、どこから来たのよ」

「花音会長!」


 僕らの学校の生徒会長の村井花音さんが、大きなビデオカメラを持って出てきた。


「念のため今のシーンは撮り直した方がいいわね」

「凛奈、台詞間違え過ぎだぞ」

「えへへ……ごめん」


 凛奈ちゃんが頬を染めながら苦笑いする。可愛い。


「そんで、二人はなんでこんなところに来てるんだ」


 陽真君が訪ねる。僕らは陽真君と凛奈ちゃんの後を付いてきたことを話し、二人にも詳しい事情を尋ねた。どうやら花音ちゃんの提案で、この世界で異世界ファンタジーものの映画を撮影していたようだ。


 更に詳しく聞いてみると、ここはフォーディルナイトと呼ばれる僕らの世界と平行して存在している異世界のようで、陽真君達は定期的に訪れているらしい。ハルさんの超能力を目の当たりにしていた僕だからすんなりと信じられたけど、異世界って本当にあるんだ(笑)。



 ザッ ザッ ザッ


「あ、ここさっきの……」


 僕らは先程の時計広場に戻ってきた。陽真君が森に向かって祈りを捧げると、どういう原理かはわからないけど霧が出てきた。その霧を潜って進むと、なぜかすんなりと戻ってこられた。


「向こうの世界にいる奴と同時に祈りを捧げることで霧が現れるんだ」

「あ、陽真、撮影お疲れ~」


 時計広場のベンチにクラスメイトの黒田哀香さんがいた。彼女はこっちの世界で祈りを捧げていたということか。


「何度聞いてもよくわからないや……」


 陽真君は慣れているようだけど、僕らの頭では理解するのに複雑過ぎる。そもそも陽真君達は偶然あの異世界を見つけたって説明してたけど、それってどういう意味!? 陽真君の語った話そのものが映画みたいだよ。


「それにしても映画の撮影だなんて、ずいぶん規模の大きい趣味をしてるんだね、花音ちゃんは」


 ハルさんは大きなビデオカメラを見せてもらいながら呟く。


「実は凛奈が」

「あぁ! 花音ちゃん言っちゃダメぇ!///」


 凛奈ちゃんが頬を染めながら花音会長の口をふさぐ。可愛い。何か彼女にとってよからぬ発言をしようとしていたようだ。可愛い。


「どういうこと?」

「実は……」




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