第2話「お人好しに迫る影」



「そんじゃあ、古典の前期中間テストを返すよ。出席番号順に呼ぶからね。青樹ハルさん」

「はい!」


 ハルさんが元気よく返事をして、席を立って教壇へ向かう。僕は後ろの方からハルさんの背中を眺める。学校生活にもだいぶ慣れ、いきいきとした表情が多く見られるようになった。これも僕の詩を読んだことがきっかけと思うと、とても誇らしく思える。


「よく頑張ったね」

「ありがとうございます」


 満面の笑みで解答用紙を受け取るハルさん。結果に大満足らしい。席に戻る時の軽い足どりが、薄く短いスカートをひらひらと翻す。早くも額に汗が流れる季節だ。クラスメイトの大半は夏服に変わっている。もちろんハルさんもだ。半袖のカッターシャツと、夏用のスカートから見える素肌がなんともまぶしい………はっ! 何を考えてるんだ僕は! また暑さで気がおかしくなってしまったらしい。


「青葉満君」

「はい…」


 でも、夏服姿のハルさんも新鮮だ…。さらけ出されたハルさんの白い肌が、今まで彼女が隠していた心の内面を表しているように思える。おいおい、自分ったら…またハルさんのこと考えてるぞ。今はテスト返却に意識を戻さないと。


「満君…調子悪いのかい? いつもより点数が大幅に下がってるよ」

「すみません…」


 解答用紙を受け取った満君が、重りを詰め込まれたように頭を垂れ下げている。余程点数が悪かったのか。珍しいな、いつもトップクラスの成績に割り込めるぐらいの点数を引き出す満君なのに。




「満、お前何点だったんだ?」

「64点…」

「俺よりいいじゃねぇか」

「前より30点も落ちてるんだ」


 昼休みになった途端、満君と仲のいい裕介君や広樹君が、彼の席の周りに集まって慰めに来ている。


「大丈夫か? 何か悩み事でもあるなら相談に乗るぞ?」


 広樹君が満君の顔を覗き込みながら尋ねる。心なしか顔色も悪いように見える。


「ううん、大丈夫。きっと勉強不足なだけだよ」


 愛想笑いでごまかす満君。でも、心の中に何か悩みを抱えていることはわかっている。僕のメガネには全てお見通しだ。なぜなら、あの愛想笑いは僕もしたことがある。心に抱えた悩みを無理やり押し込んで隠そうとする時にだ。僕は静かに席を立つ。


「ねぇ、ハルさん」

「ん?」


 僕はハルさんの席へ来た。


「協力してほしいことがあるんだけど」

「うん、伊織君のお願いなら何でも聞くよ!」

「助かる」






「…」


 満君は辺りを見渡しながら下校している。僕とハルさんは数メートル後ろから、身を隠しながら尾行する。満君は絶対何か悩みを抱えている。僕らはそれを突き止めることにした。


「なんで周りを警戒してるんだろう?」

「さぁ…」

「…」


 満君は住宅街の角を曲がった。僕らも忍び足で着いていき、角を曲がる。




「えっと…」

「うわぁ!?」


 角を曲がった先には、満君が待ち構えていた。尾行は完全にバレていた。満君のメガネは僕のよりも高性能らしい。


「二人共、僕に何か用?」

「それは…その…」


 どうしよう…ごまかすか、正直に話すか。正解はどっちだ!?


「満君、何か悩んでるんでしょ?」


 ハルさんが口を開いた。満君を尾行しようと話を持ち出したのは僕なのに、ハルさんに説明をさせてしまった。何やってるんだ僕は…。満君は重苦しい口を開いた。


「…場所を変えようか」




 やって来たのは公園だった。ここは確か、この間詩のアイデアを求めて満君の恋バナを聞いた場所だ。「オーバーロード」を完成させることができたきっかけの場所として、とても印象に残っている。


「それで、悩みっていうのは…」

「うん、実は最近誰かに付きまとわれてるような感じがするんだ」

「え?」


 付きまとわれるということは、ストーカーの類だろうか。思ったよりも深刻な悩みだ。先程軽はずみで尾行してしまったことを酷く後悔した。でも、確かに満君はストーカーされてもおかしくはなさそうだ。女子の間で噂になるほどではないにしろ、性格も優しくて顔立ちもいい。かなりの好青年だ。興味を持って近づく人がいても納得できる。


「登下校の最中に、ずっと誰かが僕のことを見てくるような気がしてね。ただそんな気がするってだけだから、友達や家族に話せなくて。もしかしたら僕の勘違いってだけかもしれないし、みんなに迷惑かけたくないから…」


 お人好しだ…。僕は思った。きっとハルさんも思っただろう。満君は自分のことをそっちのけで、他人ばかりに気を遣うことがよくある。とにかく優しすぎるのだ。その優しさが仇となって自らを苦しめてしまっている。


「うん、わかった。僕達はそのストーカーがいるかどうか確かめればいいんだね」

「え?」

「ハルさん、明日から満君の登下校に着いていってあげようよ」

「うん! わかった」

「そんな…わざわざそんなことしてくれなくても…」


 お人好しの満君は、僕らの善意を申し訳なく思って止めようとする。


「大丈夫だよ。この間詩のアイデアを考えるのに協力してくれたお礼がしたいんだ」

「私も。伊織君のクラスメイトが困ってるなら力になりたい」

「二人共…ありがとう!」


 ようやく本物の笑顔を見せてくれた。彼の得意な爽やか笑顔だ。






「どうだった?」

「うーん…特に今日は視線を感じなかったよ」

「確かに、怪しい人は見なかったよね」


 とりあえず朝から三人で登校をしてみた。満君を間に挟みながら、僕とハルさんはぐるぐると辺りを見渡しながら歩いた。しかし、ストーカーらしき人物は姿を見せなかった。満君自身も怪しい人物の視線を感じなかったらしい。


「やっぱり僕の勘違いだったのかなぁ」

「もしくは、僕達がそばにいるのを警戒して現れなかったのかも」


 いつも一人でいるのに、急にそばに友人を引き連れてきたことに警戒し、姿を現さなかったのか。だとしたら、僕らが満君に着いていくのは逆効果なのかもしれない。


「そうだ、帰りは満君から離れたところで見張るのはどうかな?」


 ハルさんがいいアイデアをくれた。それならストーカーも警戒を解いて満君に近づいてくるかもしれない。さっそく僕らは行動に出た。




「よし、このまま隠れながら進もう」

「うん」


 放課後、満君が校舎を出たのと同時に、10メートル程の間隔を開けて進んだ。僕達の姿がそばにいなければ、ストーカーも気が緩んで満君に近づいていくだろう。あわよくばそこに飛び出していき、捕まえてやる。


「ハルさん、超能力の準備はできてる?」

「うん。ジアも作者のご都合主義で眠ってるから大丈夫だよ」

「ハルさん、メタ発言はやめようか」


 ハルさんは超能力を使うとジアの人格に切り替わってしまう。一度ジアがハルさんの体を乗っ取ってしまうと、何をしでかすかわからない。しかし、作者が今だけは超能力を使っても人格の切り替わりが起こらないように設定してくれた。


「ハルさん、だいぶ性格が柔らかくなってきたよね…」

「えへへ…。あっ、伊織君!」


 ハルさんが指を差した。その先には怪しい人物がいた。電柱の影に隠れながら、ちらちらと顔を覗かせて満君を見ている。その後ろ姿は、まさに絵に描いたようなストーカーの仕草だ。本当にいたんだ。


「緑色の髪…女の人…外国人かな? もしくはハーフか?」

「でも伊織君、作者の世界ってみんな髪の色カラフルだよね。日本人とか関係無しに」

「ハルさん…」


 改めて僕達はストーカーの姿を観察した。つばの広い女優帽で顔を隠している。その帽子から伸びる長い緑色の髪と、スラッとした細身の体、ピンクのカーディガンに黄色いロングスカート姿だ。妙に大人びた雰囲気があるな。それでもストーキングをしているのだから、見逃すわけにはいかない。僕達は満君やそのストーカーに気づかれないように距離を詰めた。


「ちょっといいですか」

「!?」


 ストーカーはこちらを振り向いた。黒縁メガネと女優帽に隠れてうまく見えないが、僕達に驚いて口をぽかんと開けている。


「あなた誰ですか。満君に何する気ですか」

「いや、私は決して怪しい者では…」

「いや怪しすぎるでしょ!」


 満君は僕達に気づかずに歩いていく。不安にさせないためにも、このままストーカーと距離を置かせよう。事情は追々説明することにした。


「…!」


 ストーカーはとっさにスカートのポケットから、立方体の物体を取り出した。それを僕達目掛けて投げつけようとする。まさか爆弾か!?


「あっ…あれ…体が…動かな…い…」


 しかし、瞬時にハルさんが超能力の一つ、念力でストーカーの体を封じ込めた。ストーカーの体は彫刻になったように固まってしまった。超能力はつくづく便利だなぁと思う。


「無駄な抵抗はしないでくださいよ」

「待って! 私は本当に怪しい人じゃないの! 話を聞いて~!!!」


 ストーカーの被っていた女優帽が頭から地に落ちた。彼女の顔が日に照らされてはっきりと見える。ハルさんほどではないにしろ、ストーカーのくせにかなりの美人だ。




 あれ? そういえば彼女のかけてる黒縁メガネ…どこかで…。







「未来人!?」

「しー! 大きな声で言わないでよ」


 僕達は公園に移動し、ベンチに座って事情を聞いた。僕とハルさんの間に座り、ストーカーは自分の正体を明かした。いや、もうストーカーと呼ぶのは失礼かもしれないな。


「未来人ってほんとにいるんだ…」

「私的には超能力者がいることの方が驚きなんだけど…」


 さっきハルさんの念力で固められた腕をさすりながら呟く女の人。彼女の名前は神野真紀。なんと91年後の未来からやって来た未来人だという。タイムマシンで様々な時代を巡っていて、この時代には満君に会いについでに来たそうだ。しかし、ご丁寧に毎日通っているらしい。


「ちょっと仕事関係で過去の時代に来ててね。帰りにいつも満君のいる時代に寄ってるの」


 真紀さんは時間監理局というよくわからない場所で働いている。今回は過去の時代の調査の仕事の帰り際に、満君に会いたくて来たらしい。


「でも、なんで影でこそこそ覗いてるんですか。知り合いなら堂々と話しかければいいのに」

「無理よ、満君は時間監理局の監視下にあるもの。局員である私が関わりに行ったらクビになるわ」


 どうやら満君には複雑な事情があるらしい。そもそもの話、どうして満君に未来人の知り合いがいるのかがわからない。どうして未来人がこんな時代の、それも一般市民の満君の人生を監視しているのか。彼と未来人の間に一体何の接点があるのかを、真紀さんは話せば長くなると言って話してくれない。


「まぁ、とにかく話しかけたくても話しかけられないもどかしさに苦しんでるというわけよ」


 真紀さんがガクッとうなだれる。


「真紀さん、満君のことが好きなんですか?」

「へっ…///」


 ハルさんが口を開いた。真紀さんの頬が、筆で塗ったように赤く染まる。


「なんで…そう思うの?」

「満君のことを話してる時の真紀さん、恋する乙女って顔してて、何だか可愛いので」

「あ、ありがとう。そうね、私…満君のことは好き…///」


 手を頭の後ろに持っていき、親に褒められた子どものように照れる真紀さん。こちらまで惚れてしまいそうになる。


「満君との恋が叶うように、私達応援してます!」

「ありがとう! ハルちゃん、伊織君…」


 胸の中がスッキリしたように、真紀さんは伸びをして立ち上がる。


「スッキリした~♪ やっぱり誰かに話を聞いてもらうっていいわね。二人共ありがとう! 私、頑張るわね!」

「はい!」

「頑張ってください」


 真紀さんは公園の出口へと歩いていった。これから未来へ帰るのか。タイムマシンに乗って。満君に関してはどうするのかはわからないが、あの真紀さんの表情からして、自分で何とかする自信が湧いたみたいだ。


「あっ、一つ言っておくと…」


 真紀さんは立ち止まり、夕焼けに照らされた笑顔を見せながら僕達に言った。




「実は私の恋…もう叶ってるんだ」

「えっ、それってどういう…」


 ビュンッ

 その時、謎の黄色い光が僕とハルさんを包み込んだ。まるで真紀さんとの間に遮る壁を形成するように。黄色い光を浴びていると、なぜか意識が朦朧もうろうとしてきた。





「…あれ?」


 気がつくと、僕は公園にいた。隣にはハルさんがいる。僕らはなぜここにいるのだろう。こんなところに用なんてないはず。


「私達…何でこんなところに…」

「あっ、そうだ! 満君と一緒に下校してたんだ。満君は…先に帰っちゃったみたいだね」

「そうだったね。でも…なんで?」

「…なんでだろ?」


 僕らは公園を後にした。満君と一緒に下校をしていたという記憶だけが、がらんとした店の棚に売れ残った商品のように、なぜか僕の頭に残っていた。訳もわからないまま、とりあえず僕らは公園の前で別れ、それぞれの家に帰った。


 なぜか、とても大事な記憶が抜け落ちてしまったような気がする。




   * * * * * * *




 真紀は電柱の影に隠れていた。伊織とハルがそれぞれの家に帰り、公園から離れたところで再び公園に戻ってきた。


「ごめんね、直美。嫌な役目引き受けさせて」

「やっぱアンタ、タイムトラベル向いてないわ」


 ショートヘアーの黒髪を掻きながら、直美と呼ばれたメガネをかけた女性が木の影から姿を現す。手にはメモリーキューブが握られている。直美は真紀から二人の記憶を消すよう頼まれていた。


「ほんとにごめんね。あんな優しい子達の記憶を奪うなんて、私にはできないから…」


 真紀は過去の時代を訪れる度、毎回同僚の直美に同行してもらっている。そして、常に直美にメモリーキューブで記憶を奪う役目を押し付けている。記憶を奪われる者の立場を考えると、どうしようもなく悲しくなって腕が動かなくなる。


「真紀、一体いつからそんなにお人好しになったのよ」


 直美が呆れながら問う。“お人好し”、どこか懐かしい響きのあるその言葉を耳にして、真紀はなぜか心が満たされるような感覚に陥る。


「うーん…」


 真紀は少しの間唸った後、飛びっきりの笑顔で答える。


「84年前…かな♪」


 夕暮れの夏風が真紀の長い髪を揺らした。直美も不器用な笑顔で言う。


「正確には91年前だけどね」

「マジレスやめてよ!」

「フフッ…ほら、仕事終わったんだし、戻るわよ。私達の時代に」

「うん…」


 真紀と直美はタイムマシンを駐車させているプチクラ山へ向かう。真紀は満が通っていった道を振り返り、エールを送るように言う。




「また来るね、満君…」


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