10.攫われたユーリとガラスの蜘蛛

 森がざわめく。虫や鳥たちが慌ただしく悲鳴を上げている。空に真っ暗な影ができるほど巨大な物体が姿を現した。


「あれは――船?」


 とてつもなく大きな船だ。この森を一飲みにしてしまうのではないかと思うほど大きい。船がゆっくりと下降してくる。


「なにが起きている!?」


 誰かが下りてきた。軍服を着た数人の男女が降下してきた。


 地べたに着くと軍服の中でも最も偉い人が前に出て来た。紫色の髪に腰まで長い髪型。服装はやや金銀などの装飾が派手で、大きな鎌を背負っている。見た目は男性のようで声も女の人のようにやや高い。スラリとした体形は貴公子のようだ。

 胸ポケットに薔薇を差しているのが気がかりである。


「ジュアール!?」


 ユーリが驚いた顔をした。知り合いのようだ。


「知っているのか?」

「…なぜあなたがここに…?」

「その答えを知る必要はない」


 ジュアールは大きな鎌を振り払った。すると突風が起き、ロストは飛ばされてしまった。木々が揺れ、草が吹き飛ぶ。鳥や虫たちが慌てて姿を隠し、ロストは飛ばされまいと木の幹にしがみついていた。


「さあ、こっちへこい」

「私はまだ…やることが…」


 ジュアールは鎌を背負った。ユーリに近づきなにかヒソヒソ話をした。ユーリは固まり、ロストに振り返ろうとはしなかった。危険な香りがする。ユーリはロストを置いていくことを決めた。


「さあ、撤退だ」


 背を向け、船の甲板から長い紐が垂れ下がった。紐をぎゅっと握りジュアールを除いた軍服の連中が早々に船の上へと帰っていった。


 ジュアールもユーリと一緒に連れて行こうとしている。


「…待てよ」


 追い風に負けじと足をつけ、剣を地面に突き刺し必死でこらえている姿があった。


「ロスト!」

「ユーリ…その子を放せ!」

「へっぴり腰でなにをするというのか」


 腰に力が入らない。まるでこの場から退散させようと風が吹き続けている。この力は今のロストでは打ち勝つことはできない。


「仲間をみすみす連れて行かせるか!」


 剣を強く握り、なおかつ逃げようとも力を抜けようともしない姿にジュアールはかすかに感動した。


「美しいものですね。ユーリ…この子に大した暗示をかけたものです。しかし…武器の使い方も魔法の使い方も知らない未熟者ですね。女王陛下が船の上でお待ちです。今後の任務と共にあなたに伝えなければいけない重要な任務があると申しておりました」

「!!?」


 女王陛下が船の上に!? あの棘の城から出たことがなかったとされる車いすに座り続けたあの女王陛下が…この上に。

 ユーリは緊張のあまり身動きが取れなくなる。女王陛下はとても気分屋だ。少しでも気にならない人があれば何をされるか想像もできない厳しいお方だ。


「ジュアール…あの子は手を出すな。私の管轄内だ」

「…失礼ですが、あの子に一発与えなくては…」


 ジュアールに睨みつける。あの子に怪我を負わせないと硬直しながらもその瞳だけはしっかりとしていた。


「分かっていますよ。あの子は大切な宝物です。あの魔女も女王陛下の手のうちにいますし、あの子がどのように成長していくのかも見届けなくてはなりません」

「…殺すのか?」

「さあ、どうでしょうか」


 不敵な笑みを浮かべるジュアールにユーリは内心を揺らした。ジュアールもまた気分屋の人だ。女王陛下と同様敵に回すと何をするかわからない人だ。

 ロストを傷つけさせはしない。兄のように…おもちゃにされたくはない。


 ユーリが一歩前に出た。ロストを庇うようにして祈りをこめ、周囲に発生していた風の息吹を沈めた。


「なにをするのです?」

「ロスト…あの子を傷つけさせない!」

「まったく変わりましたね。五年前とは比べ物にならないぐらいに。あの魔女に何を吹き込まれたのかしらね。ユーリ…いやソフィ・レーノ」


 額に雫が一滴流れていった。

 ジュアールの魔法は恐ろしく強い。ユーリひとりでは勝てない。もしここにリディがいてくれたら、一泡を拭かせることぐらいはできたかもしれないが、任務のためとはいえ、騙して連れて行ったことにいまは後悔してしまっている。


 そんな自分(ユーリ)が初めてリディという偉大な存在がいてくれたことに安心感があったことに痛感する。


「私は、この子を守ります!!」

「それはできない事ですね」


 トンと後ろ首を叩いた。ガクと倒れこみ、ジュアールは優しく抱きかかえた。


「あなたと勝負するのはさすがに場が悪いです」

「ユーリ”!!!」


 ロストが「うわあああ!!」と吠えながら駆け込んできた。剣を持ったこともない素人同然の構えで迫ってくる。


「剣の使い方をちゃんと学んでから来てください」


 剣を軽々弾ぎ、刃がない鎌でロストを宙へ打ち上げた。

 宙でくるくると回転したのち、ロストが地面に倒れると同時に剣も地面に転がっていった。


「日時は明日の昼まで。もし遅れましたら、まあ想像にお任せします」


 ユーリを抱きかかえ、船の上へと上がっていった。

 ロストは手を伸ばすが届くことなく意識を失った。


――目を覚ました時、あの病室の上で寝かされていた。


 心配そうにのぞき込む医者が「このバカ! 森へ行ったんだな! こんな怪我までしてまったく…」とため息を吐きながらも懸命に治療をしてくれていた。


「まったくー窓から見てみればでっかい船が来ていたもんだから何かあったと駆けつけてみれば、君だけが倒れていた。船は去った後だったが、どういうことなんだ? なぜ、君が…いや、今はよそう。まずは君の手当てが先だ」


 医者の袖にしがみついた。


「……ぇ…ぉ……」

「なんだ?」

「…けんを……おしえて…く…れ…」


 ばたりと手が倒れた。


――夢の中、剣が語り掛けてきた。


『お前の望みはなんだ?』

「望み? それは”月の瞳の治したか”を得るためだ」

『嘘つき』

「うそじゃない! だって……だれだっけ…えっとユーリと約束したんだ。”この瞳の治したか”と”魔力を取り戻す”ために旅をしているって…」

『本当にそう思うのか?』

「ぼくは取引したんだ…大切なあの人に…」

『だれに?』

「ユー…あれ? おかしいだれだっけ。とても大切な誰かが…いたような…」

『君がほんとうに望んだとき、力を貸してやる。本当のことを思い出すまでは…』

「待って…君は一体…」


 真っ白い世界の中で手を伸ばした。

 視界が晴れ、病室のベッドの上で寝かされていた。頭には包帯が巻かれ、両腕にも大きなバンソウコウが貼られていた。


「えっ…ここは!?」


 周囲を見渡すとあの病室だった。同じベッド同じ部屋、同じ匂い。

 コンコンとノックし、医者が入ってきた。


「先生!」

「このバカたれが! あれほど森に近づくなと言ったのに!」


 デコピンを食らわせてきた。


「痛いです先生っ!」

「痛みは正常だな。まあ、ひと段落着いたところだ」

「…先生、ありがとうございます」

「例は言い、まずは船についてだ」

「船?」


 ベッドのそばにあった椅子を持ってきて、医者は座った。


「珍しい蒸気機関の船だ。この辺りじゃ見かけない船だ」

「何か知っているんですか?」

「あれは、帝国の船だ。おそらくお偉いさんが搭乗してきたんだろう。じゃなきゃ、あんなでかい船で来ることはない。それに、あの子はどうした?」


 ロストは黙った。

 ユーリが攫われたときの記憶がフラッシュバックしたからだ。


「想像は付く。君はなにか問題を抱え、追われている。どういうわけかユーリが庇い、君は助かった」


 謎解きの紐を解いていくかのようだ。


「そして、君は剣の使い方をマスターしたいといった。つまり、君はあの子を取り戻したい、助けたいと思った」

「…先生」


 剣を見ながら医者に申し訳なさそうに言った。


「ぼくに剣の使い方を教えてくれませんか」


 医者は大きく口を開けた。


「…あー断る!」

「え」

「あくまで医者なんでね。戦闘は不向きだ。ましてや剣の使い方なんて知らねえ。自分がやることは剣を相手に傷つけるのではなく治すことだ。学ぶ相手を変えてくれ」


 先生が病室から立ち去ろうとした。


「待って先生!」


 ロストはあきらめないと先生に言った。


「ぼくはあきらめたくありません! あの子を助けたい! いまから剣の使い方を知る人を探している時間はありません。基礎だけでもいいのです。ですから、お願いです!」


 ベッドの上で土下座を交わすロストの姿勢に医者は折れた。

 ベッドの上でこんなことを言われる奴なんて初めて見た。ましてや忠告を無視して怪我を二度もしてなお、食いこんでくる奴は初めだ。


「料金は三倍だ。前金だよ。払えないならこの件はなしだ」


 手持ちにはお金がない。ましてや冒険者組合からお金を借りる施設もこの村にはなさそうだ。あるのは、仕事をこなすぐらいだ。


「…いま、手持ちの分が…」


 医者はため息を吐き「ローンだ。あの子を救出後に絶対に払いに来いよ」と頭を掻きながら病室の外へ出ていく。


「あ、はい! ありがとうございます」

「ほれ、修行だ。すぐに出るんだろ。少しの間だけ剣の鑑識もしてやる」


 病室の扉をあけっぱなしにして医者はそのまま外へ出かけていった。ロストも後を続いて医者の後を追った。


――二時間後。修行を終えた。


「剣の扱い方はイマイチだ。そんなことでは魔物と戦うには危なっかしいくてみていられない。…が時間がないこともあるし、仕方がない。いいか、ロスト! 剣を持った以上、戦う意思があるということになる。もしむやみに戦う意識がないのなら武器を構えず逃げに一手だ」

「先生! ありがとうございました」

「おう! 達者でな」


 医者に何度もお礼を言い、ロストは村から出ていった。

 向かう場所は都――渓谷を抜けた先にある。


***


 渓谷の前では検問所があり、五人近くの警備員が待ち構えていた。武器を持つ者たちにはなにやら通行所が必要なようで、通行所がない人は通れないようだった。


「クソ…道を探している暇なんてないのに…」


 岩と川の隅で困っているロストの背後に突然煙が舞い上がった。


「うわっ!!」

「あんたがロストか? 弱弱しいカラダしてんなー」

「君は?」

「おいらはシャロン。この島でちと有名さ。医者に頼まれて、君を館まで連れていくよう頼まれたのさ」


 小柄な少年だった。ロストよりも背はやや低い。


「じゃあ、頼むよ」

「ちょいまち。あんた、医者からしごられたんだっけ。この先は武器なしじゃ戦えないスポットだ。ましてや魔法をも使えない田舎ものじゃ明日頃はクソと同じその辺でくたばっているだろうさ」


 ケケケッとシャロンは笑った。


「なにがいいたい」

「俺の仕事に頼まれてほしいんだよ」

「そんな時間は…」

「俺なしじゃ、館に忍び込めれないさ。検問所と都を超え、館にひとっとびするんさ。なら、俺しかできないことさ」


 頼れる人は目の前にいるシャロンしかいない。

 ロストはこらえ、仕事を引き受けることにした。


「話が早くて助かるさ。この渓谷に潜むガラス蜘蛛を探してきてほしいんさ。ガラス蜘蛛はその名の通りガラスでできた蜘蛛さ。とても臆病で弱弱しくなおかつ魔力だけは人並み以上にある奴しか現れないさ。だから、あんたが適任さ」


 つまり囮になれと。


「冗談きついよ。まるで囮になってくれっと言っているもんだよ」

「その通りさ。実戦もないまま忍び込むとは問題外さ。こっちだってそれを飯にして生きているんだよ。頼み事も生きるための第一歩さ」

「むうー…」


 シャロンに言われるまま、ガラス蜘蛛退治に渓谷の奥へと入っていった。

 検問所とは違い、舗装されていない道が何本かある。その何本かは行き止まりで主に野生動物や野生の昆虫が生殖地となっていた。


 けもの道を通り滝がある川の道を進んだところに大きな広場に出た。

 そこは、よくガラス蜘蛛が出没すると言われている出現地だった。


「ここだよ。あとは一人でできるさ」


 広場の中央には蜘蛛の巣が張り巡らされている。キラキラと輝く蜘蛛の糸は宝石のようでとても幻想的で美しい。

 その中央に目が眩むほどのまぶしい光が反射している物体が座っていた。


「まぶしいな」

「サングラスでも付けなきゃ普通は近づけないさ」

「サングラス?」

「なんだ、知らないのか。奴は太陽を味方につけている。光を遮るものがない状態で近づくなんてとんだバカがやることさ」


 目を覆うものなんて持ってきていない。

 ロストは鞘を見つめた。なにかアイデアはないのだろうかと一人で考える。


「ねえ、シャロンはどうやって倒しているの?」

「それを聞いてどうするのさ」

「いや、ひとりで倒せる相手なんかとおもってね」

「……」


 シャロンは振り返り腰に下げていた薬品をひとつ放り投げた。

 キャッチし薬品に目を配る。


「これって」

「もらい薬さ。それを奴に投げればたちまちもろくなる。そのための薬さ」


 ぎゅっと握りしめ、シャロンに礼を言った。


「それじゃ、おいらは入り口で待っているさ」


 ドロンと煙に巻かれ姿を消してしまった。まるで忍者のようだった。


「あれを…ひとりで倒すのーか」


 不安が急にのしかかってきた。

 今までユーリが代わりに戦ってくれていたからなんとかしのいできたのだが、ユーリは攫われいまは一人でやるしかない。


(こんなぼくにあんな鏡のような奴を倒せるのか?)


 シャロンがいたときと異なり急に平常心が揺らいできていた。


「――でもやるしかない。ユーリを助けるにも彼の手が必要なんだ!」


 自分に言い聞かせるように何度も「がんばれ」と応援する。少しずつだが不安が消えていったような気がする。気のせいかもしれないけど。


 草木を分け広場に出た。中央にガラス製の昆虫…タランチュラが居座っている。ロストが現れたにしても微動だにしていない。

 罠なのか? それとも単純に気づいていないだけか?


「そのまま…動いてくれるなよ…」


 手が震えながらそっとガラス蜘蛛の近くまで近づく。

 ふと足元になにか違和感を感じた。クッションのような柔らかいものが足を吸い込むようにして沈んだ。


「えっ」


 足がガラス蜘蛛の巣に引っかかっていた。

 粘りつくイメージしていたよりも柔らかく足を持ち上げようとしても沈むばかりで身動きが取れない。


「くっ……嘘だろ! 足が動かない」


 天上に広がるだけが蜘蛛の巣だけではなかったようだ。ガラス蜘蛛は地面にも罠を張り巡らす習性を持ち合わせていたようだ。


 ピクっとかすかに動き、ガラス蜘蛛がロストがもがく場所まで近づいてきた。


「やばっ! 気づかれた。クソ…どうすればいいんだ…」


 バタバタともがき足を引っ張り上げようとするがもがけばもがくほど沈んでいく。まるで底なし沼のようだ。


 距離を縮めていく。あと五メートルほどしか距離がない。今教わればひとたまりもない。


「どうする…どうすれば…」


 腰に下げた鞘に手が触れた。


(そうだ。いまは剣がある。これで戦えば…)


 鞘から剣を引き抜こうとした矢先、一瞬の間かガラス蜘蛛の奇襲が早かった。尻から放出された糸が真っ先に鞘に手をかけていた腰を巻きつけた。


(しまった…これじゃ両手が使えない)


 絶体絶命というとき、声が聞こえた。誰かが呼びかける声が頭の中に囁く。


『剣を抜け』

「いや、でも」

『つべこべ言わず抜け』

「蜘蛛の糸が絡んで動けないんだ」

『このバカ! なにも学んでいないのか』

「誰がバカだよ」

『もういい。そのまま私に続けて声を出せ〈天嵐(テンペスト)〉』

「え」

『いいから!』

「あ、はい! 〈天嵐(テンペスト)〉!!」


 ロストを中心とした周囲に竜巻が発生した。大きさはそれほどないが、縦にまっすぐのび蜘蛛の巣を巻き上げていく。四方に展開する大竜巻は蜘蛛の脅威を一気に取り払ってくれた。


「すごい。…君はいったい…」


 返事はなかった。

 頭の中に聞こえていた声もいつの間にか聞こえなくなっていた。


 風が吹き、蜘蛛が宙を舞っている。木の枝や葉っぱを巻き込み終いには地面に張り巡らされていた蜘蛛の巣や遠くに合った川の水まで引き伸びてきた。

 一言いえば、大災害だ。


「これ、どうすれば…」


 この竜巻はどうやらロストに危害を加える気はないようで、乱風は吹くが、傷つけるようなことはしない。木々や石が飛んできても謎の力で避けていくうえ、竜巻がぶつかりそうになっても勝手に避けていく。

 ロストを吹き飛ばそうにも見えないバリアがあるようで攻撃はしてこない。


 蜘蛛が散々宙を舞い、地面に落ちたころにはよろよろになっていた。


「ここでシャロンの薬だな」


 ポイっと投げ込む。瓶が割れ液体が飛び散った。

 蜘蛛はフラフラで足元がおぼつかない様子だ。

 剣を大きく振り上げた。


 パキンとガラスが割ったような音がした。真っ二つに割れたガラス蜘蛛の破片が地面に転がる。その調子で何度か切り付け、ガラス蜘蛛の足をいくつか束にした。


「ごめんよ」


 大きく振りかぶって蜘蛛の中心に振り下ろした。


 ガキンと弾けた。


「うわっ!?」


 手から剣が飛び、地面に転がっていった。

 どうやら蜘蛛の中心である本体は非常に堅いようでシャロンの薬をもってしてもヒビを付けるのは難しいようだ。


「さすが本体は強いな…」


 剣を拾い上げ、ガラス蜘蛛の足を持ってさっさとこの場から退散した。

 時間が経てば蜘蛛の糸が復活し、また襲ってくるかもしれない。


「逃げるが勝ちだ」


 医者の言葉を思い出し、さっさと逃げ出した。


 走っている最中独り言していた。


(考えてみれば…あの竜巻に助けられたもんだよな。もう一度あの竜巻で…いやダメだ。谷が被害に合うどころか、あの蜘蛛…傷一つついていなかった。シャロン曰く堅いのは自慢らしいな)


 先ほどの川まで戻ってくると検問上にいたはずの警備員が二人に減っていた。

 渓谷の入り口まで戻ってくるとシャロンが待っていた。


「シャロン!」

「なにをしたのか知らないが、検問上のやつらがすっとんでいったさ。まあ、あんだけ大きな音と巨大な竜巻を見れば一目瞭然だろうさ」


 両手に抱えたガラス蜘蛛の残骸を見せた。


「……いいさ。おいらについてきな。館まで案内してやるさ」

「いいのか」

「いっただろ。約束は約束だ。一度村に戻るさ。あの村には秘密の隠し通路があってさ、館まで続いている秘密の抜け穴があるさ。この秘密はおいらと医者しか知らないさ」

「そんなことぼくに話してもいいのか?」


 唇に人差し指を持ってシーと合図をした。


「…わかった約束する」


 村に戻り、シャロンが医者にあいさつするなり古びた井戸まで連れて行ってくれた。その井戸はちょうど医者の家の裏にあった。


「ここさ。薄暗いけど、一本道さ。歩けば二時間で着くはずさ」

「ありがとう。感謝するよ。それじゃ行ってくる」

「気を付けていくさ」


 シャロンと医者は手を振ってくれた。

 ロストが井戸の奥へと姿を消したところ、医者がシャロンに向かって気になることを尋ねた。


「いいのか。それで」

「ん? なにが」

「おまえ、ガラス蜘蛛の本当の価値は本体であって、足の部分は一切価値がないっていう話だよ」

「わかっているさ」

「なら、どうしてだ? いつものお前なら無茶なことを請求すると思っていたんだけどな」


 シャロンは薄笑いを浮かべこういった。


「あいつが助けたいとかいう人に興味を湧いただけさ。それにアイツは今後、おいらの助けになるはずさ。そのときにいろいろと条件を付けるつもりさ」

「…お前らしくないな。まあ、俺もお前も同じムジナの生き残りだからな…こんなこともいうのもあれだけど。”人は選べよ。いつなんどき本性が現れるのかわからんからな”」


 シャロンの肩を叩いて医者は去っていった。


「……わかっているさ。おいらも昔、アイツと同じときがあったさ。だから、諦めてほしくないさ」


 夕焼けの空がにじむ。空を見上げるたびにあの日の後悔と屈辱の記憶が思い浮かべる。忘れられないあの日のことを永遠と焼き付けるあの日の夕焼けの空が一層シャロンの憎しみの記憶を刻みつけていた。

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