09.帰らず泉の秘密

 窓から柔らかい光が差し込んでいる。ほんのりとした温もりは凍えていた体を十分なほど癒してくれる。

 瞼が重く開かない。辛うじて動かせるのは頭ぐらいだ。薄めで開かせるとまぶしい光で目が焼けそうになった。ちょうど窓から差し込む光が顔に注いでいるようで瞼を閉じていてもまぶしい事には変わらないほどだった。


「う…うっ~ん」


 身体に力を入れるようにして腕、手、足へと体重をかける。ズキズキと痛みはするが動かすことはできようだ。


「ツッッッ!!」


 思ったほど傷は深いようだ。かすかに動かすだけで鋭い痛みが全身に駆け巡ってくる。おそらくここに来る前に全身に相当なダメージを受けてしまったようだ。


 ギィと扉が開く音が奥の方から聞こえ、ギシギシと板を踏む足音が近寄ってきた。


「気づいたようだね」


 やさしそうな声だった。男の声のようで年配だ。まぶしくて目を空けられない。頭をうまく持ち上げようとするが首に力が入り切らない。


「まぶしいだろ。少々待て」


 男は窓辺にひかれたカーテンを引き、閉じてくれた。

 ようやく目を開けられ、その男を見た。白衣を着た医者のような恰好をした男だ。中年で体は細く腕毛がやや濃い。日に焼いたような肌色をしている。


「これでいいだろう。さて、傷の具合はどうだ? 君が来てもう三日は立っているが…」

「三日!?」


 ロストは驚いた。ここに来るまでの記憶はなく、どうしてここで寝ているのかも覚えていなかった。しかも三日も経っていると…医者は言うのだ、この間に何があったのか心中察する。


「この子が運んできてくれたんだ。礼をいいなさい」

「ロスト」


 小柄な女の子が心配そうに声をかけた。青と銀色を混ぜたような髪をしている。青い花柄のリボンを首に巻いている。


「君は…ゆーり…?」

「よかった!!」


 バフっと抱き付くようにしてユーリはロストの胸もとへ飛び乗った。


「ユーリ…ありがとう」

「どういたしまして」


 泣きじゃくるのを堪えるかのようにユーリはしばしばロストの胸の上で顔を沈めていた。この間に何があったのかロストはあえて口にせずユーリが静かになるまでそっと時間だけを待つことにした。


 ユーリが顔を上げ、なくじゃくった跡が顔に残っていた。ユーリは「顔を洗ってきます」と言い残し外へ出ていった。


「よっぽど嬉しかったんだろう」

「……先生、ぼくは一体…なにがあったんでしょうか」


 先生はしばし考えた後、こう答えた。


「それはあの子が語ってくれるだろう。私が答えられるのはこれだけだ”二度と森に近づいてはいけない”ということだ」

「…それはどういうことなんですか?」


 先生は首を左右に振った。

 これ以上は話せないと先生は話題を変えた。


「ケガの具合はどうかね?」

「え…あ、痛みはあります。まだ手足もままならないんです」

「先ほど、痛みを堪えていたみたいだね。あの子を心配させたくなかったのかな」

「…かもしれません。先生、この怪我はいつ頃治りますか?」

「私が治癒魔法をかければすぐに治る。けど、君はもう一度あの森に行こうとしているんじゃないのか?」

「……」


 森の中にいた記憶が少しずつだが思い出してきていた。ぼんやりとまだ視界が霧にかかったみたいで人物も影でしかなく思い出せないけど、なにか大切だった人を置いてきてしまった気がしてならないのだ。


「君がどんな理由があれ、どんな気持ちなのか私は君を止めることはできない。もし、君がこの先何が起きようとも私は治すことしかできない」

「…ありがとうございます」


 先生がやや柔らかく微笑んだように見えた。


「それじゃ、すぐに治療を開始する。終わり次第、あの子に合うと言い。私よりもあの子の方がよりよく知っているはずだよ」

「わかりました。先生、お願いします」

「少しの辛抱だ」


 激しい痛みが全身を響く。それは終わりがないような痛みが太陽が傾くまで永遠と続いた。骨や神経肉体まで損傷を与えていた体は酷く苦痛の悲鳴を上げ、そのたびにロストは大きな声で喚き散らした。


「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!!」


 喉から声がかすれ、肺の中から酸素が抜けると、次第に声はかすれ、喉の奥から血のような熱く赤い液体のものが昇ってくるような気がした。


「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!!」


 扉の外でユーリは耳をふさぎこみながら、ロストの帰りを待ちわびていた。


 太陽が真っすぐ…昼頃に来る頃、先生は手を止め「完璧だ。今日中に退院はできる。治療代はあとで請求しておくから、少しは休んでいけ」と先生はよろよろと足取りで部屋から出ていった。


 医者と入れ替わる形でユーリが駆け寄ってきた。


「ロスト!!」


 やつれたロストの姿は二時間前とは比べ物にならないほど衰弱していた。目は虚ろで唇はカサカサ、声は涸れ言葉も交わせない。

 肉体はきれいに治ってはいるが、まだ動くまでには時間がかかりそうだった。


「ほれっ!」


 先生がなにかを投げてくれた。差し入れだ。


「回復薬だ。この村でしかとれない一級品だ。私の仕事は以上だ。退院おめでとう」


 先生はそう言い、部屋から出ていった。

 ユーリがキャッチしてくれた薬品の中身は白い液体でぎっしりと埋まっている。何の液体なのかはさっぱりだが、仄かな光りが白い液体の中で走っているのが見えた。


「これ…エーテルマナ」

「うぇへ…ふぃひ?」

「魔法使いならだれでも知っている液体だよ。白い液体はなにかの野生生物から取り出したもので味は最悪。人生で二度と味わいたくないと不快な気分にさせる。しかし、傷ついた肉体や精神を癒し、十年も動けなかった体を動かせれるようになったという伝説が残っているほど究極の薬品。それがエーテルマナと言われる薬名だよ」


 ユーリは蓋を外し、消耗したロストに直接口の中から注いだ。


(たしかに…ひどい味だ。舌や喉笛を噛み切りたくなるほど最悪だ)


 五分後、ロストは外へ出た。さわやかな風と日差しがまるで歓迎してくれているようでウキウキとさせてくれる不思議な快感を味わっていた。


「先生! ありがとうございました」

「フン。ひとつ忠告しておく。”森の中へは二度と近寄るな”。守れなかったら次からの治療はなしだ」


 先生は手を振りながら去っていった。

 先生にお礼を言うようにユーリとロストは目いっぱいに手を振りながらお礼を言っていた。


 医者の家から階段を下り、リンゴ園を通り過ぎると小さな農園に出た。

 周りは鶏や牛などを飼育する小屋や小さなお店、村々が隣につながる形で続いていた。すれ違う人々は種族は同じだが、身長も体系も異なるなど見ていて飽きない。


「いろんな人がいるんだね」


 素直な感想にユーリは一言。


「心配したんだから…」

「ん」

「二度と目が覚めないと本気で心配したんだから!」

「あ、えっと…ごめん」

「ロスト! 次は無茶しないで! あなたが怪我したら私、わたし…!」


 悲しそうな目でロストを見つめた。

 ユーリはこらえようと涙を止めているが、眼からは雫が一滴流れたのをロストは見逃さなかった。


「ごめん。次からは無茶しないよ。それに、悲しむユーリをこれ以上見たくないし…だから、心配かけないように努力するよ。だから泣かないで」

「…うん、わたしこそごめんね」


 ユーリを抱きかかえ、涙を胸もとに収めた。

 ロストはもう一人大切だった人のことを思い出せないまま、ユーリを守ろうと誓うのであった。


 村の外に出ると右道に大きな森と左道に渓谷がある。

 渓谷は都へ通じる唯一の道で、道中には警備員やらが待機しており警戒が厳重らしく、ユーリ曰く「都はいま、お偉い人が来ているの。そのせいで、都に近づけない。いまは、依頼通り仕事をしなくちゃ」と医者が止められていた森へ行こうとしていた。


「森…ねえユーリ、ぼくはだれかと一緒に来ていた気がするんだ。三人でこの大陸へ目指してきたような…だけど、もう一人の記憶がぼんやりとしていて思い出せないんだ。まるで幻だったかのようにはっきりと思い出せないんだ! なあ、覚えていないか?」


 ユーリは唇を噛みながらリディのことを思い浮かべていた。

 リディのことが思い出せないロストを独り占めにすることができる。そんな悪魔なささやきをユーリは頷いてしまっていた。


「それは…夢ね」

「夢? でも…」

「わたしは魔女よ。世界で恨まれ嫌われている。もし、だれかに魔女だとバレたら、私は処刑されるでしょうね」

「なんの…話をしているんだ!?」

「ロストは覚えていないかな。私とロストは不思議な遺跡で出会った。それもお互い利益を得るために契約をした。”失われた魔力を探す旅”と”月の瞳をどうにかする旅”。どちらもまだ果たされていない」

「……わからない。ぼくは……だれかを…」

「ロスト…約束してくれたよね。私が”守ってあげる”ってそしたら、”ぼくが守ってあげる”って約束してくれた」

「…ちがう……ぼくは…ぼくは…!」

「違わない。約束したのに、裏切るの?」


 頭の中に雷が落ちた。記憶の底で隠されてしまっていただれかを思い出すころに容赦なく突き邪魔をするユーリにロストは心底思い出すのを止めてしまった。

 思い出そうとすればするほど頭がぼんやりする。無理に思い出せれば、ふたたび意識が遠のく。その繰り返し。


「ちがう。そうじゃないんだ」

「ロスト…約束したよね」

「ぼくは…ぼくは…」

「”取引は絶対”。ここで破るのなら、あなたは――」

「ぼくの話を聞けェェェ! ユーリ!!」


 大きな声を上げ、ユーリを黙らせた。

 鳥たちがびっくりして何羽も空に向かって飛び交っていった。


「ぼくは、思い出せない誰かがいる。でもそれはユーリじゃない。ユーリみたいに子供じゃない。ましてや大人でも老人でもない。ぼくは、その人といることで生きているようでうれしかった。隣に彼女がいる。そう思うだけで、ぼくは心が温かくなった。だから――」

「――そうね。ごめんなさい。私間違っていた。心から支配したんじゃ、ロストは折れてくれないもんね」


 ユーリはぼそぼそと自分で反省するかのように頭を下げていた。


「記憶そのものを改善したところで、どこかでほつれが出る。それならいっそうのこと思い出さなければいい」


 ユーリは両手を組み、祈りをささげた。


「忘却の塔(リクト・エーヌ)、彼方の想いを封じる。これはあなたのためでも私の為でもある。彼方のことを思い出せば、あなたは再び呪縛の沼にはまる。私は、師匠の師匠と約束を交わした。厄災の魔女と称された彼女から放すために私は、あなたのそばにいることを誓ったの」


 猛烈な息吹がロストを襲う。ユーリの背後に現れた塔は本を重ねたかのような異常な姿をしていた。


「本当は残酷で悲しい事。でも、私にはこれしかできない。師匠の師匠に合えれば、きっといい解決策を見つけてくれる。ロスト…しばらくの間辛抱して。彼女にずっと付き添っていれば、あなたはいずれこの世界を崩壊へと導いてしまう。”月の瞳”は百年に一度一人しか生まれない。亡きエレオノールもそのことに案じていた。リディはもはや、昔の人でも今の人でもない。やつは人の皮を被った化け物そのもの。人のように振舞っているが奥底は化け物でしかない! だから、あなたをこれ以上不幸にはさせないためにも記憶を封じます。千年の時導(ロスト・ユーティリフト・エバーヌ)!!」


 カッと塔からまぶしい光を発した。ロストを含む森一体に白い光に覆いつくした。


 その光景を船の上から見ていた黒いローブを着た者たちも眺めていた。

 


**


 ロストを連れ、森の奥…泉のところまで来ていた。

 ユーリは泉に手を沈め、観察していた。


「どうやら、ここで数えきれないほどの人が殺されているようね」


 泉の底には数えきれないほどの人骨が沈んでいる。医者が止めようとしていたのはこの泉から行方不明者が後を絶たないことを案じていたのだろう。


「ねえ、ロスト…調子はどう?」


 倒れたのをもう一度運んできた。ロストはまだ回復には時間がかかる様子で頭に手を当てながらブツブツと呟いていた。


「…やっぱり彼女のことが忘れられないのね。強い暗示…さすが千年前の魔女と言われたことだけあるわね。厄災を背負って世界から消えた魔女。その魔女がどういうわけか現代に帰還し、彼と共に旅をしている。黒いマネキンを差し向け、彼を捕らえようという任務だったが、どういうわけか術者も帰ってこない…二人を一緒にしてはいけない。これは、私に与えられた任務(仕事)。決して失敗はできない。たとえ、命を失ったとしても……」


 一人で決心し、振り返った矢先、ゴボゴボと泉から泡が浮かぶ。バシャーと音を立て、水しぶきが飛び散り、中からは首が長い龍のような姿をした怪物が宙を飛び出していた。


「えっ!?」


 全長二十メートルほどある。人なんて飲み込んでしまうほどその口は鋭く、喉の奥は暗く、口の中はまるで滑らかだ。ヘビのような姿だ。でも水龍かもしれない。昔、本で読んだことがある。泉に潜む水龍の話を。


 泉の宝を隠すように水龍は大昔から守っていた。あるとき、泉の宝を知った人々が泉の宝を手に入れようとしたところ水龍は怒り、人々を泉へ引きずりこみ、丸々飲み込んだという。


 化け物が出たと口々に噂され、泉の宝のことは誰にも告げず、ただ化け物退治として何百年もかけて水龍を殺そうと腕のたつ者たちが水龍を退治しようとしたが、水龍はお宝を守る…見届けるまで破れることはないという。


 その言い伝えが本当なら、この泉の調査そのものが冒険者組合が仕掛けた罠であり、彼らの狙いは泉の底に沈む宝そのもの。これまで数えきれない犠牲者を生み出してなお、追い求めるその宝の正体は…。


 水龍の長い尾が地面を叩きだした。石飛ばし。軽く身を避けるが、水龍の圧倒的な破壊力と尾の力強さは子供の体系では避けられてもダメージを押さえることはできない。


「ぐぅっ!!」


 脇腹に一撃。たったそれだけで脇腹の骨が何本もいったようだ。


「はぁはぁ…はぁはぁ…」


 息が乱れる。恐ろしいほど強い。

 子供の姿のままではコイツを倒すのは不可能かもしれない。だけど、いま正体を見せてしまえば、ロストの記憶は崩壊してしまう。


「ちくしょう」


 せめて、リディがいればーと思ってしまう自分が情けなく思う。リディの力は到底ユーリたちの魔力を何十体も並べたとしても勝つことはできなし、経験の差も圧倒的にリディの方が倍だ。


 身体を子供の姿に維持するために魔力の半分を注いでいるために戦闘では半分しか行かせていない。


「ギィ!!」


 両手で塞ぐも尾の突きはすさまじいほど痛い。まるで鉄球を腹にぶちこまれたみたいだ。両手で覆っていても障壁でガードしていても貫通してくる。さすがに数えきれないほどの人や魔法使いたちを倒してきたことがある。


「ゆー…り?」

「ロスト! 逃げて! ここは、私が食い止めるから!!」


 元のサイズで戦えば、倒せなくても泉の宝だけでも取ることができる。ロストさえいなくなれば、思う増分に戦うことができる。そう思った矢先のことだった――!


「!!?」


 口の中から何かが這い上がってきた。ぬるぬるとした触手のようなものだ。宙を上り、触手に突き刺されたまま上空へ釣り上げられる。


(なんで…うそでしょ)


 尻から口に向かって触手が伸び切っていたのだ。鋭い痛みが全身へと突き刺さると同時に「勝てない」と悟ると同時に、いままで考えて着ていた作戦がすべて無駄だったと絶望差が半端なく襲った。


 瞳が虚ろになり、もがくことも詠唱することもできない。このまま食われるのだと死を悟った。

 触手に貫いたまま、水龍の口へ運ばれる。


 もうダメだと…思った矢先、ロストは左目の封印を解いていた。

 左目は空に浮かぶ月のように丸々とした満月だった。


「その子を放せ!」


 水龍に話しかけるようにロストは呼びかけた。


『だまれ…!』


 水龍から声が聞こえた。これが月の瞳の力。普段聞こえない、見えないものと対話することができる。その力加減はできず、瞼を閉じたところで見えなくすることはできないため、普段は特製の布で目を覆うことでその声も視界も入らないようにしていた。


 それが、今解いたのはユーリを助けたい一心だったからだ。


「黙らない! その子を見逃してくれたら、ぼくたちは大人しく引き下がる。それに、ぼくたちはお宝に興味はない。ただ、真実を知るためにここへ来ただけなんだ」

『それが信用できるのか?』

「信用できないかもしれに。ぼくらはうそつきだからね。でもこれだけは保証はする。この子の代わりに”この瞳”と交換ならどうだ」

『!? 正気か』

「正気だよ」

『この娘のために、百年に一度の宝石を差し出すのか? バカげたことだ…』

「その子を助けるためだ」

『……いいだろう。取引成立だ』

「いま、ナイフで取り出――す!!」


 考えもなしにロストは左目にナイフを突き立てた。目をえぐる仕草。そんなことをしたら目は使い物にならなくなる。それ以前に出血がひどくなる。

 そんなことをしたら、この旅自体の意味がなくなってしまう。


「ぉ…ぅぉ…」


 辛うじて声を出そうとするが声を出せない。気管を潰されてしまっているからだ。


『やめろ』


 ペシっとナイフを尾で弾いた。

 触手をユーリから放し、そのまま泉の中へ沈んでいった。


『お前の根性はたいしたものだ。ここにあの方がいたら、殺されてしまう』

「ユーリ! 無事か!」


 慌てて駆け寄り、泉の中へ飛び込んだ。水龍は襲ってこない。ユーリを抱え、水面へ泳いでいく。水面から顔を飛び出し、陸地へ這い上がった。


『……竜の話を聞け!』

「!? でも、ユーリを助けないと」

『その子は大丈夫だ。泉につけておけば治る』

「治る?」

『この泉は、伝説の通り”月の瞳”からあふれ出た”月の涙”で泉となった。”月の瞳”の所有者は四百年前にすでに亡くなっている。その子は、私を育て、そして”月の瞳”を悪用されないようにと、この泉で守護するように頼まれた』


 泉の中にユーリを半身浴にする。首だけを地上にあげ、首から下を水中へ沈ませる。ユーリの身体が少しずつだが、癒えていくのが分かる。出血していた傷はきれいになっていた。


「ユーリ…それで、四百年物の間守ってきたんだよね」

『…”月の瞳”を持つ者よ、私はこの泉から離れることはできない。この命が枯れるまでは…其方に頼みたいことがある』

「もしかして代わりに守護者になれと? そんなことできない!」

『ちがう』

「なら、なにをしようと…」

『泉の底に沈んでいる武器が見えるだろう』


 泉に近寄り、足がつく場所まで歩いていく。

 深く深く足が届かないほどまで暗い水の底へ行くと、仄かに光っているものがあるのが見えた。剣だ。しかも見たことがない形状をしている。


『四百年前、私の主が託したものだ。この泉のお宝そのものだ。人は”魔精器(ませいき)”と呼ぶがな』


 潜水し、息を止め、剣に向かって泳いだ。

 決して苦しくなかった。まるで水龍か月の瞳が守ってくれているみたいだ。


 水面に顔を出すと、水龍は続けていった。


『その武器は主を失っている。主となるものがいれば、再びその武器は真価を発揮する。その武器は”月の瞳”の所有者しか反応しない。私の主の遺品だ。使ってくれないか?』

「ありがとう。すごく感謝しているよ」

『私もうれしい。これでようやく眠れる』

「えっ…!?」

『もう疲れた。私の主が言い残した言葉ある”私のように不幸が無いようお守りを託す”と。主は最後まで自身と同じ身にならないことを安否していた』


 水龍が崩れ落ちるかのように鱗が散っていく。

 ボトボトと泉へ落ちるたびに龍がまるで水だったみたいに姿が保てなくなっていた。


「水龍! あなたの名前は?」

『……』


 帰ってくる言葉はなかった。

 水龍が消えた泉は圧倒間に干からびていった。命を持つもの、守るものがいなくなった泉はもはやここにいる必要が亡くなったと言わんばかりに浄化していってしまった。


 左目を隠すように布を左目に覆った。再び封印した。

 ユーリが目を覚ますのを待ち、最後に残した水龍の思い出を拾い上げた。


 月の瞳の一滴が水龍の過去の思い出を吹き返したかのようだった。


――遠い昔、黒髪の女性がいた。彼女はみんなから魔女だと言われ続けていた。

 彼女が唯一許すことができたのは龍だった。地下水牢にできた洞窟を通った先に水辺のそばで横たわる母親と思わしき龍の片隅で怯えている子供の龍を見つけた。


「ひとりぼっち? 私も同じ」


 黒髪の女性の右目には青々とした月が写っていた。その月を見た龍はひそかに恋をしたのか黒髪の女性に抱き付いた。弱弱しい体をよそに龍はこの子を見守りたいと密かに思った。


 それから十年後、女性の命が尽きようとしていた。

 長年の過酷な生活と”月の瞳”からくる長生きできない病が襲っていた。女性は最後まで己の未熟さや悔いを残さないように龍に託していた。


「その武器を使ってくれそうな人を探して。ここに宝石を隠したって噂を流したから」

『また無茶なことを…あなたが守ればいい話じゃないですか』

「まあ…わたしもそうしたいんだけどね、君みたいに長生きできないからなー」

『皮肉ですか? まあ、私もあなたみたいに短い人生であれば、あなたの苦しみも理解できたかもしれません』


 ニィとお互い笑った。


『後悔していませんよね?』

「もちろん。最後のお願いにして最後の友達だから頼めること”次の後継者が現れるまではこの子たちを守って!”」

『フン…あなたはいつでもどんなときでも勝手な人ですね』


 それから十何年後には黒髪の魔女だった家は風化し、崩れた。月の瞳からあふれ出る涙は、永遠と流れ出て、泉となった。泉の底には彼女が生前残した”剣”が静められている。


『さて、待ちますか。”彼女の願いが果たされる”日まで』


 ――現在、包帯を巻き終えたロストは空を眺めていた。

 鬱蒼としていた森はまるで幻だったかのように今は静かで優しい風が吹いている。怖く近寄れなかった小鳥たちがこうしてそばまでやってきているところを見ると、ここに封印されていた邪悪な者たちはすでに浄化されたようだった。


「う…うん」


 ユーリが目を覚ました。よかった、どうやら水龍が言った通りだったようだ。


「はっ! 水龍は!? お宝は!?」


 慌てふためくユーリに空に向かって指さし、片手には剣を握り見せた。


「ひとりでやったの?」


 驚くユーリにロストは静かに頷くのであった。


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