第2章 理由

【城塞都市ミドルフォート 市街地】

 真昼の路地裏を少年が駆ける。髪を振り乱し、時折躓きながらも網目のような街路をただひたすらに。 

 幾つかの角を曲がり、やがて塀で塞がれた袋小路に行き着いた少年は息を切らせながら後ろを振り返った。 

「ハァ……ハァ……、僕が、僕が何をしたっていうんだ」

 日の光に照らされた石畳の先に一人の男が姿を現した。覆面を被ったその男こそ先刻から少年を追い回し、この路地裏へと追い込んだ張本人である。 

 男は静かに歩を進め、少年に迫る。右手には抜き身の短剣が握られていた。 

「何を、だと?ふざけやがって」

 少年は驚愕した。男の声に心当たりがあったのだ。 

「そ、その声はリッグさん?どうしてここに!」

「やっと気付いたか、魔王の手先め」

 男が覆面を投げ捨てた。覆面の下の素顔は紛れも無くセナの村一番の農夫『リッグ・タウンゼン』であった。その表情は圧倒的な憎悪に満たされている。 

「村のみんなの……妻と娘の仇、地獄に落ちろ!」

 リッグが短剣を振り上げて突進する。少年は咄嗟に身を縮こまらせた。

 ヒュンという風を切る音が少年の頭上で鳴った。リッグの攻撃は空振りに終わったらしい。少年が恐る恐る前を向くと、短剣を構え直したリッグの殺意篭った瞳と目が合った。

 「殺される!」そう思った瞬間、リッグの猛烈な蹴り脚が少年の脇腹に喰い込む。痛いなどという物ではない、内臓が捩れたような感覚。 

「ッ!」

 言葉にならない声を上げて少年は地面に倒れ臥した。続いて襲い来る吐き気、鈍痛と闘いながら仁王立ちするリッグを見上げる。 

「すぐには殺さん。生きたままバラバラにしてやる。皆の痛みを知るがいい」

 少年は呻いた。出来るだけ離れなければ、頭ではそう思うのだが脚に力が入らない。かろうじで蛆虫のように石畳を転がるが、すぐに角に行き当たった。 

「観念しろノエル。もう逃げ場はないぞ」

 最早完全に追い詰められていた。少年『ノエル』の頭から血の気が引いた。気が遠くなっていくようだ。何故こんなことになってしまったのか。 

 リッグが短剣を振りかざす。ノエルは壁際で縮こまり、固く目を瞑った。 


【北グランガルドの奥地 魔王城】

 黒き不吉な風が眼下の谷底から猛烈に吹き上げる魔王城。 

 魔王軍特別会議室では今日も十三支族長達が円卓を囲み、邪悪なたくらみを膨らませていた。 

「つまり、魔王様の新しい御鎧は設計図通りの寸法がよいと?」

「まあ、正確には鎧ではないのだが。その通りだ」

 幻魔メンフィスが魔王ゾディアスに念を押して確かめている。前回、魔王から直々に没とされた鎧は彼の自信作であった。サイズも良かれと思って魔王の身長に合わせて修正したのだ。納得いかないのも無理はない。 

 そんな魔王とメンフィスの様子を見て獅子神王ライオネルが発言する。 

「しかし、魔王よ。老婆心ながら申し上げるが、武具は身の丈に合わせて拵える物ぞ」

 魔王がライオネルをギラリと睨む。 

「だから、着るものではないと言っている!……いや、着るというのもあながち間違いではないというか、我が中に入るのはその通りなのだが、なんというか」

「あ。俺わかったかも」

 三人の話をなんとなく聞いていた竜人リカルロが口を挟んだ。

「魔王様、実は『魔王の巨大化術!』とか言って身体を大きくできるんだろ。そのサイズに合わせて鎧を作ってくれっていう事なんじゃないか?」

「余にそんな能力はない!」

 メンフィスが閃いたように言った。 

「もしかすると、魔王様の御威光を全世界に示すために巨大魔王像の建立をお考えでしょうか?私としてはグランガルド征服のあかつきにはそのような施策も必要と存じますが、今は戦時中ゆえ時期尚早かと」

「誰もそんな事言っておらぬわ!」

「ん゛~!魔王様が何言いたいのか全然わかんないよっ!ちゃんと説明して!」

 要領を得ない会議にうんざりした淫魔リリィが足をパタパタさせた。 

 支族長達の視線が魔王に注がれた。魔王は僅かに思案した後、口を開いた。 

「言葉で説明するのは難しいが、強いて言うならば動く石像……いや動く巨大な人形とでも言うべきか」

「動く巨大な人形?」

 支族長達が一斉に復唱した。皆首を傾げている。 

「その通り。山のように大きく、鋼鉄の体を持つ、我の意のままに動く人形だ」

「わからぬな」

 ライオネルが腕を組んだ。

「そのような巨大な人形があったとして、何の役に立つのですかな」

「それさえあれば人間の戦士など一捻りなのだぞ」

「我々や魔王の力なら大抵の人間は一捻りではないか」    

 ライオネルの言う事は正論であった。この会議室にいる最強クラスの魔物達が人間相手に遅れを取るなど、ほとんどあり得ない。   

「一対一の戦いならばそうであろうが、大勢の敵に囲まれて矢を射掛けられたなら、いくら百戦錬磨の貴様らであっても」

「我々魔王軍とエルレシア全軍の兵数を比べても圧倒的に我が軍が勝っているではないか。囲まれるとは考えにくいが。それに並みの射手ではこの俺を射抜くことなどできまい」

 ライオネルがニヤリとした。ライオネルは飛矢とほぼ同等の速度で地上を駆け回る事ができる。他の支族長達も遠距離からの攻撃に対抗する術をそれぞれ持っているだろう。  

「大きければ障害物や壁の向こうも攻撃できるぞ」

「ジャンプして飛び越せばよいのではないでしょうか。飛び越せないのであれば我々のような有翼の魔族に任せていただければ……」

 メンフィスが背中の翼を広げてみせた。ついでにリリィも羽をはばたかせた。彼らのような魔族を始め、翼竜やハーピィなど、飛行能力を持った魔物は珍しくない。ちなみに魔王ゾディアス当人も空中を浮遊する事くらいはできる。  

「ロボットの超パワーで敵の要塞を粉砕!後続の道を切り開く!」 

「魔王様の魔力であれば幾らでも破壊できるでしょう。直接手を下すのがご面倒であれば、そのような仕事は巨人族の戦士が受け持っておりますので」

「ウガガガガアアアア」

 ゴンゾールが巨人の力を誇示するかの如くドラミングした。巨人族は岩のように屈強な肉体を持つ。その肉体を生かし戦場では最前線に立ち、敵の攻撃を受け止め、あらゆる障害を叩いて潰すのが巨人の役割だ。 

 誇らしげなゴンゾールとは裏腹に魔王はため息を吐いて俯いた。 

「……貴様らには、余の意図が解らぬか」 

「申し訳ございません。私共の浅薄な見識では……」

 メンフィスが敬虔に頭を下げた。 

「ゴンゾールの体をよく見るのだ!刻まれた無数の古傷!人間共の刃による物であろう!巨人族が砦の突破を役割とするならば、その分激しい攻撃に晒されるのも道理!」

「ウガガ……」

 ゴンゾールは胸に手を当てて戦場の記憶に思いを馳せた。自らの身体に突き立てられる剣、降り注ぐ矢の雨、隣では戦友が志半ばで崩れ落ちる……そんな戦場の光景がゴンゾールの眼前に甦る。 

「巨人族は忠実な魔族である。巨人族が軍の先駆けを担っているのは肉体の特性以上にその崇高なる精神が敵陣突入に不可欠であるためだ!しかし、その強靭な肉体と精神をもってしても、追い込まれた鼠が時に猫を噛むように、敵の抵抗は強力であり、数多の戦士達が行軍の礎となり散っていった。時には犠牲が必要な場面もあるだろう。それでも、より多くの同朋導くのが魔王たる我が使命である!」

 魔王は拳を握って天高く掲げた。 

「此度のロボット開発の真意はそこにある!巨人族の勇士に代わり、敵の白刃を受け止める攻城決戦兵器だ!完成のあかつきには、より多くの友軍を守護し!我らをより確かな勝利へと導くであろう!」

 魔王軍特別会議の面々は言葉もなく聞き入っていた。魔王の語る言葉の一つ一つが彼らの心に染み渡る。  

 メンフィスは感動に打ち震えていた。両目からは涙が溢れる。 

「魔王様、御立派でございます……!兵士達をここまで気遣っておられるとは」

「ウガァァァ……」

 メンフィスはハンカチで涙を拭い、立ち上がった。 

「察しの悪い私をお許しください!このメンフィス、魔王様にお仕えできて幸せにございます!お任せください!ただちに人間の職人共に命じ、ロボット兵器を開発してご覧にいれます!」

「ウガアアアアアアアアアアァァァァ……!!!!」

 ゴンゾールが吼えた。それは歓喜と武者震いが入り混じる、魔王軍の誇りの滾りであった。円卓を囲む他の支族長達も魔王の演説に大いに心打たれたようで、感心することしきりである。

 その影で魔王はしてやったりとニヤニヤほくそ笑んでいたのだが、それに目を留めた者は誰もいなかった。     


 魔王ゾディアスが『魔王軍特別会議』の閉会を宣言した。 

 次回の会議は未定で、メンフィスの仕事の進捗に応じて魔王が召集をかけるという運びとなった。 


 二週間後。


【暗黒魔神殿(現魔王城) 魔王軍特別会議室】

 ガシーーーーン!

 メンフィスから知らせを受け、支族長達は再び会議室に集められていた。皆、目を丸くして完成した試作品を見上げている。  

「こりゃぁすげえや……」

「なんという迫力……」 

「フフフ、見事だ!」

「かっこいい!」

 支族長達が驚嘆しながら見上げているのは魔王の設計図通りに形作られた全身鎧を装着したゴンゾールであった。 

「ウガアアアアアアアアアアアアアアァァアァ!!!!」

 ゴンゾールは喜びのあまり、鎧を纏った巨体を踏み鳴らす。その度に魔王城内に地響きが巻き起こる。   

 ガシーーーーン!

「巨人族専用プレートアーマー。強固な金属板で全身を隙間なく覆い、敵の攻撃を一切通しません。なにせ巨体なので必要素材数が多く、更に巨人族は素の防御力が高いので、誰も今まで防具なんてロクに考えていなかったのですが」

 メンフィスがキラキラした眼差しで魔王を見た。

「あえてそこに着目するとは、さすが魔王様。慧眼です」

 一方の当の魔王は頭を抱えている。 

「ど、どうしてこうなったのだ……!」 

「ウガガガガガガガガガァァァ」

 ゴンゾールは新品の鎧が余程嬉しいのか、屈んで両手を差し伸ばすと、魔王を掴んで高々と胴上げする。     


「うおーーーーッ!いつになったらロボットが完成するんだーーーー!!」


 歓喜するゴンゾールに差し上げられ、魔王ゾディアスが宙を舞う。魔王の思惑とはかけ離れた結果となったが、巨人族専用プレートアーマーは間違いなく魔王軍の戦力アップに繋がるだろう。新たな脅威にエルレシアの騎士はどう立ち向かうのか。



 時は遡って二週間前。 


【城塞都市ミドルフォート 宮殿前】

「ノエル殿ーーーー!ご無事でしたかーーーー!」

 宮殿の門前広場で若い騎士が手を振っていた。 

「マクシミリアンさん!」 

 ノエルがマクシミリアンと呼んだ騎士に駆け寄った。明るい赤色の長い髪をツインテールに結んだ美少女がノエルの後ろに続く。 

「いやぁ、探しましたよー。気付いたらいなくなってるんですもん」

「ごめんなさい。どこを見ても高い建物ばかりで目が回っちゃって」

「マクシミリアン!」

 ツインテールの少女が腰に手を当てて怒気を含んだ声で言った。 

「貴方という人は一体何をしているの!護衛対象から目を離すなんて、それでもエルレシアの騎士!?」

 少女を認めたマクシミリアンはピッと姿勢を正した。 

「ア、アイネスフィア様!?な、何故ここに!」

 ノエルが困ったように言った。 

「え、えーっと。マクシミリアンさんとはぐれてから、暴漢に襲われてた所をアイネが助けてくれたんです」

「若輩とはいえ騎士が付いていながら要人を死なすなんて事になったら、騎士団の名誉に関わるのよ!」

 マクシミリアンが青くなった。 

「申し訳ありません!どんな処罰でも受ける所存であります」

「ま、まあまあ。何事もなかったんだし、元はといえば僕がフラフラしてたのが悪いんだから」

 ノエルが必死にフォローする。それを見てアイネスフィアがため息を吐いた。 

「仕方ないわね……ランドルフには黙っています。次は気をつけなさい」

「はっ!胆に銘じます!」

 マクシミリアンが深々と頭を下げた。が、姿勢を戻すと同時にノエルの方を見てニヤリと笑った。アイネスフィアに気付かれないようにウィンクする。  

「それにしても、アイネスフィア様と合流するとは幸運でしたね。僅かな間だというのに随分と仲良くなったようで」

 それを聞いたアイネスフィアの顔がみるみる紅潮していく。彼女の脳裏にノエルを助けた時の記憶が甦る。 

「あれ、アイネスフィア様どうしましたか?お顔が赤いですが」 

「な、な、な、なんでもないわよッ!」

 実は先刻、アイネスフィアが剣の柄による一撃でリッグを制圧した後、腰を抜かしているノエルに手を貸そうとした際に不意に転倒してしまい、ノエルに思いっきり覆いかぶさってしまうという一幕があったのだ。

 思い出しただけでドキドキと高鳴る心臓の鼓動を必死に押し止めてアイネスフィアが歩き出す。  

「ほら、お父様が宮殿で待ってる!早く行きましょう!」

 足早に宮殿へ向かうアイネスフィアの後ろ姿をノエルとマクシミリアンが不思議そうに眺めていた。  

「変なアイネ」

 少年達の頭上には久しぶりに抜けるような青空が広がっていた。 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る