第1章 スケール 

【城塞都市ミドルフォート 城壁】

 エルレシア王国の中心地、城塞都市ミドルフォート。 

 この都市は遥か先史時代、交易の保護と支配の為に近隣の豪族達が南北グランガルドの中間点に建造した野営地を起源としている。 

 その後、勃発した中央グランガルドの覇権を巡る戦乱を治めたのが当時のミドルフォートを拠点としたエルレシア王家の始祖達である。 

 常に魔物と戦火に虐げられ続けてきたエルレシアの民にとって、ミドルフォートの城壁は民族の誇りと国家の威信を体現する存在だった。 

 彼らは戦時中だけでなく、平時にあっても延々と城壁を改造増築し続けた。 

 南のシエナ人はその様を「エルレシアの商人はその妻を差し置いて、稼いだ金を壁に貢ぐ」と揶揄したが、過剰なまでに強化された城壁を思うと、それも全く的外れな嘲笑とは言い難かった。 

 今回の魔王軍の侵攻ではこの風習がエルレシアの命運を繋いだ。都市を丸ごと覆う魔法障壁とアークジャイアントの一撃にも耐えうるオリハルコン合金の大門。どちらもミドルフォートを象徴する逸品だが、攻撃の第一波を凌げたのはこの二つに因る所が大きい。エルレシア王国民は巨大城壁への信仰を一層深めて後世にまで伝えるだろう。もっとも、その後世があればの話ではあるが……。   


 エルレシア王国騎士団長ランドルフ・ノーマンは城壁の上にいた。

 眼下の城壁外では大勢の人々がたむろしている。幾つかの人の輪の中心では薪が燃え、細い煙が立ち上っていた。 

 彼らは魔物の襲撃に遭い住処を追われて、ほうぼうの体で落ち延びて来た難民達だ。見るも痛ましい姿だが、大門を開いて市内に招き入れるわけにはいかない。魔物の中には人間に化けるモノもいるのだ。それを警戒して、難民達の傍では常に騎士が目を光らせている。 

 難民の群れを眺めるランドルフの後ろを数人の兵士が列になって通り掛った。兵士達の最後尾に付いていた一人の騎士が立ち止まった。 

「騎士団長殿、先日は命拾い致しました」  

 馴染みのある声だ。先だって宮殿の廊下でランドルフと会話したポールという初老の騎士だ。宮殿では包帯が巻かれていた彼の左目には、王から賜った銀のアイパッチが嵌められている。ランドルフは自嘲気味に言った。 

「お互いに、ですな」

 魔王軍がミドルフォートの包囲を解いていなければ、二人とも今頃は死んでいただろう。予期せず命拾いをした二人の騎士は、妙な居心地の悪さと底知れぬ胸騒ぎを覚えていた。 

「まだ負傷の具合も万全ではないだろうに、今朝は新兵の訓練か」

 ポールの連れていた兵士達は数歩進んだ先で整列し、二人が話しているのを遠巻きに見ている。鉄兜の下の彼らの表情は強張っている。全員、まだ少年と言っていい年齢だ。緊張するのも無理はない。 

「ええ。魔王軍の再襲来までに奴らを使えるようにしなくては」

 その言葉を聴いた兵士達の鎧がガチャリと音を立てた。魔王軍の脅威は彼らの脳裏に焼き付いていた。 

「騎士団長殿は難民の視察ですか。何かお考えで」

 ポールは経験豊かな騎士だ。騎士団の統率者としてはまだ歳若いランドルフの相談相手であり良き補佐役であった。 

「……魔王軍が引揚げてから今日で三日目。私はまだ、その理由を考えあぐねているのだ」

「大臣の中には魔王が急死したからだ、と言っている者もいますが」

 ランドルフは難民達の方を一瞥すると首を振った。

「それにしては退軍が速やかすぎる。撤退は明らかに魔王の命令によるものだ」

「……」

「報告によると現在、丘向こうの街道には更に大勢の難民達が集っているらしい。つまり魔王軍は一兵も残さずに北方へ引揚げたようだ。あまりに不可解だと思わないか」

 ポールはどんよりとした空を眺めた。少し思案して口を開く。 

「私もずっと考えておりました……こういうのは如何か。確かにこの戦では不可解な事が多い。しかし、思えば魔物共が軍隊を組織して挙兵したという事、自体が前代未聞なのです。何もかも想定内とはいきますまい」

 ランドルフは苦笑した。考える事を放棄しろと言うのか。だが、いくら考えても結論が出ないのもまた事実だった。  

「手がかり……になるか分かりませんがあれをご覧あれ」

 そう言ってポールは平原を指し示した。遥か遠くの丘の上を三人の難民達が肩を寄せ合うように歩いている。ポールの指先はその上空を指していた。 

「見えませんか。あの難民の頭上を魔物が飛んでいます。凶暴なタチの奴です」

 ランドルフの眼にはただ、曇り空が映るだけだった。かつて鷹の目と称えられたポールの眼力は片目を喪失した今でも健在のようだ。 

「難民は魔物に気付いていないようです。この距離では騎士の救助も間に合いません。魔物にとっては絶好の獲物でしょう。ですが、魔物は空を旋回するばかりで一向に襲い掛かる様子がありません」

「どういう事だ。手を出せない理由があるというのか、まさか魔王の命令か」

「唐突に陣を引き払った事と何か関係があると思いませんか」

 二人の間に沈黙が流れた。「では、私は訓練がありますので」と立ち去ろうとするポールをランドルフが呼び止めた。 

「待て。今日の軍議で言うつもりだったが貴殿の耳には入れておく。ミドルフォート以北で魔物の軍勢を撃退したという報告が二件届いている。二件とも別の地域だ」

 ポールは目を丸くして驚いた。

「何と!騎士団の手も借りずに!一体どのような勇士が……」

「一件は街道沿いのセナという村。強力な破壊魔法を使った者がいたらしい。そして、もう一件は……」

 ランドルフは顔をしかめ、ため息混じりに言った。 

「領土の北端、名前も無い宿場町。ちょうどローワン率いる傭兵部隊が滞在していたそうだ」

「なるほど……それならば納得もいく」

「ミドルフォートでの総力戦に備えて、私はこの二名の勇士を招く事にした。既に騎士団の精鋭を使者として派遣した」

「しかし、よろしいのですか」

 ポールはランドルフの顔色を伺っている。 

「無論、騎士団の規則に則れば許されない。だが背に腹は代えられないだろう」

「……あれから、もう十七年になりますか」

「そうだ」

 ミドルフォート平原の空に立ち込めた雲は一層厚く、見上げたランドルフの頬にぽつぽつと小雨が落ち始めた。それはまるで不穏なグランガルドの行く末を暗示しているようだった。 


【北グランガルドの奥地 魔神を祀る暗黒魔神殿(現魔王城)】

 永遠の暗闇に閉ざされた魔王ゾディアスの居城『暗黒魔神殿』。魔物達の狂乱の宴が日夜続き、虜囚となった人間達の絶望の悲鳴がこだまする邪悪な回廊。 

 その最奥に荘厳な調度品で飾られた大広間『魔王軍特別会議室』があった。魔王と魔の十三支族長達が忌憚なく邪な意見を交し合う、まさに魔王軍の中枢部である。閉ざされた鉄扉からは禍々しい闇のオーラが溢れ出していた。  

 広間の中央に据えられた重厚な円卓の席に着いているのは七体の強力な魔物達である。先日のミドルフォート包囲に参陣していた十三支族の長達だ。

「あれ、レーゴンの爺さんとメドロニア姐さんは来てないのか?」

 爬虫類族の王子、竜人リカルロは円卓を囲む面子を見回して言った。首には黄金色に輝く襟巻きが巻かれている。今回のエルレシア侵攻の武功によって、爬虫類族の正統な次期族長として認められたのだ。襟巻きはその証である。   

「メドロニアは蟲毒壷の仕込みとやらで忙しいそうだ。レーゴンはミドルフォート目前で引き返した落胆のあまり萎んでしまった」

「フン!所詮は死にぞこないというわけだ」

 腕組みをした獅子神王ライオネルが不機嫌そうに鼻で笑った。  

「しかし、奴の気持ちもわからなくもない。あと一息で奴らを皆殺しにしてやったものを」

「やめろ、魔王様の御前だぞ」

 幻魔メンフィスがライオネルの発言を制止した。侵攻中止は魔王直々の命令である。それに対し不服を唱えるのは、反抗の意思があると見なされてもおかしくはなかった。  

「よい……」

 特別会議室の正面、円卓の席に於いても他者とは一線を画して座っていた邪悪なる王者が口を開いた。魔物達に緊張が走る。 

「諸君らの活躍はしかと見届けている。此度のエルレシア征伐、まことに大儀である」

 『魔王ゾディアス』は一語一語、噛み締めるように言った。極北の雪原のような白い皮膚、そこにスッと裂かれたクレバスのような口元が歪む。その真っ赤な口からは気焔が垣間見えた。 

「だが、皆の協力が必要になったのだ。急を要するのである」

 意外な発言だった。最も全知全能に近い存在である魔王ゾディアスが他者に助力を頼むなど初めてのことだ。どんな難題を持ち掛けられるのか、メンフィスとライオネルは顔を見合わせた。 

「それで、用件ってなーに?」

 淫魔リリィが尋ねる。 

「うむ、これを見よ」

 魔王ゾディアスがローブをバサリとはためかせて懐から取り出したのは一枚の大きな羊皮紙だった。卓上に広げられたその羊皮紙を魔物達が覗き込む。  

「魔王様……これは」

 そこには妙に角張った人型の『何か』が描かれていた。魔王ゾディアスがプラモデルを参考にデザインした直筆のロボット設計図である。 

 魔王ゾディアスが不敵に笑った。『全魔物の叡智を結集させ、巨大人型決戦兵器を作る』。それが今回、魔王軍特別会議を招集した目的だ。    

「皆にはここに描いた通りの機体を作ってもらいたい」

「き、きたい?」 

 設計図をさっと見た竜人リカルロが早々に根を上げた。  

「あー、ダメだ。俺こういうのよくわからないんですよ」 

 お前どう?とリカルロは隣に座る巨人ゴンゾールを見上げた。「ガウゥ……」と困ったような唸り声を上げてゴンゾールは頭を掻いている。

 リカルロは魔王に尋ねた。 

「でも、こういう頭を使う仕事なら魔王様が直々にやった方がいいんじゃないですか?ほら魔王様、魔王の特有の『闇の超悟力』があるって前言ってたじゃないですか、それ使ったら俺らがやるより上手くやれるんじゃ」

 『闇の超悟力』とは魔王ゾディアスが保持する数多の固有スキルの中の一つである。ある物体を一目見ただけでその物体の本質を直感的に『看破』するというS+級スキルである。魔王ゾディアスはこの能力を自分自身に発揮することでこの世界に降り立った自らの使命を悟り、挙兵するに至ったのだ。 

「良い質問だ。我が悟りの力は目の前の事物の『意味する所』を知る能力。我が『眼前にない事物』や『存在を知らない事物』、『因果』などには無効なのである」 

 リカルロは首を傾げた。彼の頭上には大きな「?」が浮かんでいる。

 つまり、プラモデルやそのパッケージを見た魔王は、この超悟力を用いて『これは巨大な戦闘用ロボットの模型である』と理解したのだが、そのロボットが『どのような原理のものか』、『どうやって作られているものか』、『なぜ作られたのか』等は超悟力の守備範囲外であり、そこまでは魔王の力をもってしても理解することができなかったのだ。

 そして、プラモデルが本当は架空の兵器を模した玩具だという事実も魔王には知り得ないのだった。 

「ま、まぁ魔王様がお困りだという事はわかりましたぜ」

「うむ。つまり、まだ諸君の知恵が必要な場面は多いという事である……それで、誰か我こそはという者はおらぬか」

「魔王様!」

 さっきまで設計図を熟読していたメンフィスが声を上げた。なにやらワナワナと震えている。  

「魔王様がそこまで我々を信頼してくださっているとは、このメンフィス、恐悦至極にございます!」 

 メンフィスは立ち上がり、円卓の上に身を乗り出した。感激のあまり目にはうっすらと涙まで浮かべている。片手に握り拳を作って自らの胸にかざす。  

「是非この大役、私にお任せください!私、こういう事もあろうかと人間の職人を何匹か飼っております」

「おお、流石だメンフィスよ。ではこの件は貴様に一任する」

 有り難き幸せ、とメンフィスは頭を下げた。 

 凶戦士ベルザークが甲冑をガチャガチャと怪しく震わせた。その隣に座るライオネルがタテガミを撫でながら不敵に言う。   

「いや、それにしてもまったく気付きませんで魔王には失礼をいたした。我々は元来無骨な性分でしてそこまで気が回らんのだ」 

 魔王ゾディアスが『魔王軍特別会議』の閉会を宣言した。 

 次回の会議は未定で、メンフィスの仕事の進捗に応じて魔王が召集を掛けるという運びとなった。 

 会議の閉会に際して魔王ゾディアスは邪悪な笑みを浮かべて宣言した。 

「フハハハハハ!巨大ロボット完成のあかつきには、我が直々に乗り込み、矮小な人間共を一人残らずこのグランガルドから駆逐してくれるわ!」


 一週間後。


【暗黒魔神殿(現魔王城) 魔王軍特別会議室】

 会議の間に支族長達が再度集められた。メンフィスが遂に件の品物を完成させたのだ。  

「魔王様、お待たせ致しました。こちらが御所望の品でございます」

 それはまさしく魔王ゾディアスの描いた設計図通りの代物であった。 

 真っ赤なツインアイがギラリと輝き三本角が天を衝く頭部。曲線をベースにして鏡のように磨きぬかれたボディ。 

 上半身部分の前面は胸部と腹部に分かれており、特に胸部には分厚い装甲が施されている。 

 腕部は取り回しを重視したのかスマートでシャープな印象であるが、それを補う為に両肩部から背面にかけて可動性の追加装甲が取り付けられている。 

 追加装甲の先端は剣のように鋭利で、折りたたんだ飛龍の翼や高位魔術師のマントを思わせるシルエットだ。 

 下半身部分を見ると、腰部にも脚全体をカバーする前掛け状の装甲が取り付けられている。腰部の装甲はゆとりを持って設計されており、内部に様々な武装を搭載できるようになっている。   

 色はブラックを基調とし、ゴールドとレッドを随所に効かせた、力強さと気品を併せ持った配色になっている。 

 なお、魔王が描いた設計図は線画であった為に色については完全にメンフィスのセンスである。 

「すげえ!流石メンフィスだぜ!」

「うむ、天晴れだメンフィス。魔王軍の副軍団長の座は伊達ではないな」

「フフフ……見事!」

「カッコイイイイイ!」

「ウガーーーーー!」

 一週間で仕上げたとは思えぬ、まさに注文どおり、パーフェクトな出来栄えである。円卓の面々が次々に感嘆の声と惜しみない賛辞を贈る。だが一人、魔王ゾディアスの表情は暗かった。 

「メンフィスよ。確かに素晴らしい……素晴らしい、が」

 魔王の眼光がギラリと光った。

「何故、巨大でないのだ!」

「はい?巨大、とは」

 メンフィスはキョトンとしている。見ると他の魔物達もぽかんとしている。 

「この大きさだと我が乗り込めないではないか!」

「ええ。設計図通りのサイズだと魔王様の背丈には明らかに合いませんでしたから、僭越ながら手を加えさせていただきました」

 リカルロが人差し指を立てて言う。 

「そういえば先週の会議の時も魔王様、『乗り込む』とか言ってたけど……」

 魔王ゾディアスが眉間に皺を寄せて魔物達を見た。 

「おぬしら、我がスーパーロボットを何だと思っているのだ」

「何って……」

 魔物達が互いに顔を見合わせ、声を揃えて一斉に言った。 

「「「鎧」」」

 ハァ~。魔王ゾディアスが大きなため息をついた。 

 ライオネルが首を傾げる。   

「この鎧、『すーぱーろぼっと』と名付けたのですか。こう言っては何ですが魔王様の鎧にしては珍妙な響きというか……もっと相応しい銘があるのでは」

「ええい、黙れぃ!」

 魔王ゾディアスは頭を抱えた。 

(しまった……こやつらは『闇の超悟力』を持っていない!あの絵図だけでは巨大ロボットという概念を理解できないのだ!)

 頭を抱える魔王を余所にリカルロを筆頭に十三支族長達はお気楽である。 

「ま、名前はともかく、こんなに立派な鎧ができたんだ。これで魔王様も戦に参加できるな!」

「確かに魔王様のその服(ローブ)は戦場には合わないもんねー」

「ウガアアアアアアアア!」

 ゴンゾールが雄叫びを上げた。誰もが魔王ゾディアスが新品の鎧を纏って戦場を闊歩する姿を思い描いていた。その中で当の魔王本人だけが魔物達にロボットの概念をなんと説明したものかと悩み、煩悶していた。 


 北グランガルドの大地に雷鳴が轟く。 

 ミドルフォートと魔王城。

 それぞれの舞台で戦士達の宿命が重々しく動き始めるのであった。 

 

 同日 深夜。


【城塞都市ミドルフォート 宮殿(西の離れ)】

 人々がとうに寝静まった深夜。 

 エルレシア王族が政治と生活を営む本棟とは別に建てられた四階層の建物。 

 螺旋階段を上った先、ある一室からオレンジ色の光が暗い廊下に漏れている。

 その一室では一人の少年王族が安楽椅子に座って暖炉の炎を見つめていた。彼の片手には火掻き棒が握られている。金髪金眼の端整なその顔は怒りと悲しみに歪んでいた。 

 暖炉の中には二冊の本が投げ込まれ、今にも炎が燃え移り始めていた。本のタイトルは『統治術』と『エルレシア王家史』。 

「父上……どうして……」

 少年王族はそう呟くと火掻き棒を暖炉に突っ込み、その先端で二冊の本を更に炎の只中へと追いやった。  


 

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