第20話
この日の昼休み、学園の屋上で私と不死子が昼飯を食べていた時、私のポケットからひょこっとそんな天然痘ウイルスが顔を出した。現在の天然痘ウイルスは私の能力で、かなり小さくしている。
「こら、顔を出すなさー」
私が手で天然痘ウイルスの頭を押して、ポケットに押し込もうとしていたところ、不死子が天然痘ウイルスに気づいたようだ。
「あらあら。もしかしてですが、法子さんが作られた異世界の住人の方ですか? かわいいですわ。現実世界に連れてくることもできるのですね。へえー」
「隠し通そうと思ってたけど、バレたら仕方がないさー。よし、出てきてもいいさー」
「わーいわーい。ありがとう神様。そして姐さん、こんにちわーい」
天然痘ウイルスは片手を挙げて、不死子に向かって手を振った。
「はい、こんにちわ。おほほほ。それにしても、どういう気の変化ですか。あの世界の住人を連れ出すだなんて」
「私だってママの体の中の住人を、外の世界に連れ出せるだなんて知らなかったさー。こいつ、外の世界が見たいと言って、私に強引についてきたのさー」
「へー。それは好奇心旺盛なのですね。歓迎いたしますわ。ようこそ、地球へ!」
「姐さん、ありがとう。僕すっごく嬉しいよぉー」
「よかったさーな。歓迎してもらえて」
天然痘ウイルスはポケットからジャンプして、屋上のアスファルトに降りた。そして、不死子に言った。
「ねーねー登ってもいい? 姐さんを登ってもいい」
「いいですわ。おほほほ。わたくし、かわいい客人のために、きょうは特別にジャングルジムになってあげましょう」
ミニマム化させた私よりもひとまわり小さな天然痘ウイルスは、ぴょんぴょんと飛び跳ねて、不死子の体を登り始める。
「おほほほ。わたくしを一生懸命に登ろうとしてますわね。可愛いですわ。ちなみに法子さん、この子は何の細胞さんなのでしょう? 免疫細胞の一種でしょうか? わたくし、癌細胞のモンスターハンターとして、おばさまの体の中の全てのエリアを網羅しましたが、見かけない顔ですわね」
「あぁ、こいつ、天然痘ウイルスさー」
「おほほ。そうでしたか。……え? 今、なんと?」
不死子はにっこり顔で聞き返してきた。私は再び言った。
「だから、こいつは天然痘ウイルスさー」
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
不死子は叫んだ。不死子の腕を登っていた天然痘ウイルスはそれに驚いて、落下する。
「ひ、ひぇぇぇえええええぇぇぇえ」
不死子が怯えた目で後退りながら天然痘ウイルスを見つめていたところ、天然痘ウイルスは自分の安全性を主張した。
「姐さん。僕にはね、害はないんだよー」
「嘘ですわ。天然痘が無害なわけないでしょーーーー」
「本当だよー」
「本当じゃありませぇええええええええん」
不死子は完全にご乱心である。私は隣から、口を挟んだ。
「ちなみに、こいつはワクチンでもあるのさー」
「え? ワクチンなのですか? なーんだ」
乱心中の不死子は、熱が一気に冷めたかのように素に戻った。私はその変わり身の早さが、不思議に思った。
「あれれ? 思ったよりも簡単に冷静になったさー。ちっとも受け入れなさそーだったのに」
「おほほほ。数日前に予防接種を受けたことを思い出したのですわ」
「じゃあここで一つ、問題を出すさー」
「どうぞ」
「こいつは病気を引き起こす『天然痘ウイルス』であると同時に病気を治す『ワクチン』でもあるさー。さて、それは、一体どういうことでしょう。見事に答えられたら、拍手をプレゼントしてあげるさー」
「おほほほ。拍手よりも、もっとこれまで以上におばさまの中でバトらせてくださいよ。ちなみに解答ですが、ワクチンというものは、ウイルスを攻撃するなどの免疫細胞のような働きはありません。『弱毒性のウイルス』のことを『ワクチン』と呼ぶのです。つまり、ウイルスとワクチンは同じ存在なのです」
「おー、よく知っているさーね。知識をひけらかして優越感に浸ろうと思ってたのに、ちょっとがっかりしたさー」
私は天然痘ウイルスに何度も説明されて、ようやく理解したというのに不死子はすでに知っていたようだ。
「わたくしは医者志望ですからね、それくらいは知っていて当然ですわ。あぁ、なるほど、予防接種で打たれたワクチンが、法子さんを介しておばさまに感染したということでえすね。ビックリさせられましたが、そういうことでしたら全てが納得ですわ」
「約束通り、拍手を贈るさー。ぱちぱちぱち」
私と天然痘ウイルスは、不死子に拍手を贈った。不死子は照れていた。
「姐さんはよくワクチンとウイルスが同じだってことを知っていたね。神様はそれを理解するのに何時間もかかって、説明するのに骨が折れたんだよぉー」
「それは秘密さー」
あの日、天然痘ウイルスに馬乗りになった状態で説明を聞き、害がないことを理解するまで、時間がかかった。まぁ、本人曰く、完全に害はない、とは言い切れないらしいが。
「おほほほ。知識のあるウイルスさんですわ」
「でも、僕はそれしか知らないんだよー。今、一番知りたいことは知らないの」
「それは、なにさー」
「僕が生きている意味。生まれてきた理由なの」
「そんなの誰も知らないさー。ちなみに私はママを癌細胞モンスターを倒すため、そしてがんの脅威から護るために生まれてきたのさー」
「おほほほ。わたくしも同じですわ。おばさまの中の癌細胞モンスターを倒して、そしてレベルアップをするために、生まれてきたのです。法子さんと一緒で、生まれてきた理由を知っています」
「不死子のは理由が軽いさー。私と一緒にしないでほしいさー」
「いいなーいいなー。僕は何で自分が生まれてきたのかさっぱり分からないのに、もうお二人は生まれてきた理由を知ってるんだ。すごーい」
「あらあら。天然痘ウイルスさん、わたくしは、あなたが生まれた理由を知っておりますわ」
「ほ、本当に? 教えて!」
不死子は改めて天然痘ウイルスを見つめた。
「ワクチンというのは危険性をほぼ除外したウイルスのことです。つまりそういう弱毒性のウイルスがわざわざ生み出された目的は、免疫細胞に耐性を付けさせるためなのです。ゆえに、天然痘ウイルスさんも、そのために生まれてきたと思っていいでしょう」
「免疫細胞に耐性を付けさせるため? 僕が生まれてきたのは、それが理由だったの?」
天然痘ウイルスは若干、顔を青ざめさせているようだ。
「ほら、漫画とかでも主人公が勝てない強敵が登場した時、稽古や修行して倒せるようになるではありませんか。その時の稽古相手がワクチンなのですよ。つまり、単なる踏み台です」
「ひ、ひどいさー。不死子、ひどい言い方さー。天然痘ウイルスくん、ショックを受けてるさー」
天然痘ウイルスは体をプルプルと振るわせていた。反論するかと思ったら、思い当たる節でもあるのだろうか。神妙な面持ちで頷いた。
「ど、通りで、神様の創ったあの世界から無性に抜け出したかったわけだよぉ。いつも得体の知れない危機感に捉われていたんだ。きっと僕の本能が、危険を感知していたんだ。あのまま、あの世界にいたら、免疫細胞に見つかってフルボッコにされるって。だから森の中に隠れてもいたんだ。それにずるいぞぉずるいぞぉぉ」
「何がずるいのですか?」
「だって僕は絶滅危惧種だそうじゃないか。なのに保護してもらっていないんだ。絶滅の危惧があるものは大事に敬われるべきなのに、全然敬っていないよぉ」
「そんな風に思っているのさーか?」
「卑怯だ。差別だ。天然痘ウイルスを虐待するの、はんたーい。はんたーい。僕たちは免疫細胞たちにフルボッコにされて、免疫細胞の底力をあげるために生まれたいと思ってたわけじゃないんだー」
顔を真っ青にしながら、ピョンピョンと飛び跳ねている。不死子は私に言った。
「おほほほ。でも法子さん、実際には、そのために生まれてきたわけなのですけど、さすがに、はっきりと言うのは気が引けますわねぇ。どのように説明して、うやむやにさせましょうーか」
「姐さん、姐さん、本人の前で、それ言っちゃうのダメぇぇ。全部聴こえてたからっ。僕は、何のために生まれてきたの? やっぱり免疫細胞の踏み台になるためだけに、生まれてきたの? わざわざ弱体化させられて? そんな人生、無情すぎる」
「……ちなみに人生じゃなく、ウイルスだけにウイルス生さー」
「神様~」
「なにさー」
「僕の別の存在意義について教えてよー。神様が僕に魂を込めたんだよ。僕が生まれてきた理由を教えてよー。ないなら、踏み台になる以外で、生まれてきた理由を神様が考えて決めてよー」
「な、なんで私が決めるさー」
「神様が僕を産んだんだもんー。ひどいひどい。責任を取ってよー。僕はこの世界に絶望したぞー」
「突然、どうしたさー」
「僕の生まれた理由は、免疫細胞の踏み台になって、人を天然痘から護ることだよね。悲しいけれど、それならそれで、まだ生まれてきた意味はあるよ。でもさ、その天然痘自体もほぼ絶滅してるじゃないか。これじゃあまるで敵のいない世界に誕生したヒーローじゃないかぁ。敵のいないヒーローは、ただのニートと一緒だぁー」
天然痘ウイルスは涙を流しながら、訴えた。
「たしかに、ヒーローものは私も好きだから、よく見ているさー。仮にあのフィクションの世界に敵役がいなかったら、くっそつまらないさー。ヒーローたちは退屈だろうさーね」
「おほほほ。天然痘ウイルスさん、勘違いをしていますわ。わたくしがこれまで話した、天然痘ウイルスが生まれてきた意味は、魂の『ない』天然痘ウイルスについてですわ」
「どういうこと?」
「あなたは魂の『ある』天然痘ウイルスではありませんか。生まれてきた理由なんてものは、誰もが分かっておりません。それは、自分自身で探して見つけるものなのです。いわば一生をかけた命題でもあるのです。わたくしたちのように早期に見つけるのは、単にラッキーなだけです。生まれてきた理由なんてものは、決まっているものでも、決めてもらうものでもなく、自分で探すものなのです」
意外にカッコいいことを言っていると思った。不死子を少しだけ見直した。
ただし……。
「ちなみに不死子、あんたもまだ見つけてないさーよ。でも、なかなかいい事を言ったさ―」
「おほほほ。まあ、そんな生まれてきた理由なんてものは、見つけなくても、なーんにも困ることはありませんが、一つ、アドバイスをするならば、暫定的な目的を作りまして、自分探しの旅に出たらどうでしょうか」
「え?」
「地球は広いのです。旅をするのです」
「あほなこと言うなー。そんなことしたら、駄目さー」
体が私より小さいのに、そんな旅なんてできるわけがない。
「目的……暫定的な目的……」
「どうしたさー。真に受けるなさー」
「たしかに姐さんの言っていることは、間違ってないよ。目的を暫定的に作ったよ。僕たちを絶滅に追い込んだ敵、それは人間! 人間こそが敵さ。僕達を追い込んだせいで、生態系が狂って人間が異常繁殖してしまったんだ。そして、現在では地球上の他の生物が危険にさらされている! 僕が生まれてきた理由は人間たちを倒すためだ」
「人間と敵対するのですか?」
「僕の敵は人間にすることに今、決めたんだー」
「今決めたのさーか?」
「地球の人間たちに追いやられている種族を救うため、僕は人間と戦う、守る! というのが当面の存在意義にしようかと思っているんだけど、どうかなぁ?」
「どうかなぁって言われても、私も人間のママから生まれてるから、一応は人間でもあるさーよ……」
立場的には妖怪ではあるが、境界線はない。人権もあるし、人間と同じように育っているので、大抵の妖怪は自身のことを人間であるとも思っている。
「おほほほ。まぁ、いいではありませんか法子さん。面白そうなので」
「面白そうって……」
「よーし、燃えてきたぞぉ。僕は燃えてきたぁ」
「どこまでできるのか分かりませんが、自分探しの旅、頑張ってくださいね。そして、行く先々で武者修行アンド人にあなた自身を感染させちゃってください」
「いいのさーか?」
「面白そうだからいいのです! どーせ、おばさまの体の中に戻っても、免疫細胞さんたちに殺されるだけですので、旅に出すのが一番です。おほほほ。どうせワクチンですので、人間を滅ぼそうとして旅してまわっても、逆に人々の免疫力を高めてくれるだけでしょうからね」
「なんだそれー」
私と天然痘ウイルスの声がハモった。
こうして、天然痘ウイルスは地球を救い、生態系を正常に戻すという新たな目的が出来て、武者修行アンド人間に感染させまくるという旅にでることになった。私達にとって、この時は面白半分だったが、将来、彼がラスボス的な存在になるとはこの時、まだ微塵も思っていなかった。人類存続をかけて行う熾烈な戦いは、まだまだずっーと未来のお話である。彼は海外の旅先で、違法な核実験の被害者となる一方、DNAが組み替えられることで、単なるワクチンから病原菌の王『ウイルス・ロード』に覚醒するのだ。
私は旅発つ天然痘ウイルスワクチンに聞いてみた。
「餞別をおくるさー。何がいいさー?」
「そうですわ」
「僕、牛が見てみたい。連れて行ってほしい」
「牛?」
「僕たちのご先祖様は牛から生まれたそうだから」
「な、なるほどさー」
よく分からないが了解した。あとで知った話では、天然痘ウイルスのワクチンは牛を媒介にして作られたのだということだ。
その日のうちに電車に乗って、私達は牧場を訪れた。モーモーと鳴き声がする。
「へぇー。これが牛なんだ。世の中、僕の知らない見たこともない生物がたくさんいるんだなあ」
天然痘ウイルスは感慨深そうに牛を見つめていた。
数日後、私たちが部活動を行っている最中、ふと不死子が話しかけてきた。
「そういえば、天然痘ウイルスのワクチンさん、今頃どうしているのでしょうか?」
「私の能力で魂を持てたことが嬉しいようで、旅先からたくさん手紙を送ってくるさー」
「手紙? そんなの、どうやって調達しているのでしょう?」
「さあ?」
天然痘ワクチンは現在、世界の状況をこの目で見てまわっている最中である。人間を倒したいという点については共感はできないが、地球の生物達を救いたい、という気持ちに関しては、十分に共感できた。世の中、矛盾とエゴに満ち溢れている。主張と主張、正義と正義が対立し合っている。それらについての簡単な答えなど、どこにもない。私は、彼の旅に幸あることを祈った。
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