第16話

 その後、私達はオペが始まるまで、山の上で静かに待った。不死子が持ってきた懐中時計の針は着実に時間を刻んでいく。そしてまもなくオペが開始される時間となった。懐中時計の秒針が12を指したところで、変化が起きる。曇りだった空が裂けると、光線のようなものが、ギュルンギュルンと沼地に降り注ぐ。そして沼地を断絶していく。まるで、天界から降り注ぐ光の柱のようだ。


「おおおお、始まりましたわ。このようなビジュアルになるのですね」


「迫力ある光景さー。RPGの終盤に出てくるような超強力な広範囲魔法を使ったかのような光景さーね」


 光線が沼地に降り注いだ後、5本の巨大なフックが新たに空から降りてきて、どす黒い沼地をひっかけ、沼地それ自体を持ち上げていった。同時に、野原帯と思われる大地が、同じようなフックに吊るされて下りてくる。広大な大地の交換である。下りてくる野原帯の上には、地上にいる免疫細胞たちとは異なる体色をした免疫細胞たちがいた。彼らは段ボールと銀紙で作ったような短剣を構え、雄叫びを上げていた。一方、地上いた免疫細胞たちは、その雄叫びを聞いて、戦闘態勢になり始めたようだ。降りてくる野原の大地に向かって、雄叫びを返していた。先程までの無気力感は、今はもうない。


 しばらくして野原の大地が、先程まで沼地だった場所にすっぽりと収まる。それを合図に、免疫細胞同士の合戦が開始された。患者の免疫細胞と、移植された細胞にいた免疫細胞の合戦だ。免疫細胞は『異物』を敵と見なす性質がある。不死子からこのような状況になるとは聞いてはいたが、ついつい私は山の上から叫んでいた。


「みんなやめるさー。仲間同士さー」


 しかし、誰も聞く耳は持たない。そんな時、私の背後で何かが光った。不死子が薬を創造したようだ。そして、私に驚くべきことを告げた。


「法子さん、今ですわ。今こそ、この『免疫抑制剤』を使用してください」


「え、ええええー? なんで私たちが使用するのさー? 今、オペをしてる最中の医者が使うものじゃないのさーか?」


「おほほほ。すり替えておいたのですわ。リアルな世界で医師がこのタイミングで使うのは、生理食塩水的な偽物の液ですわ」


「アホかああああー。それ犯罪さー。すり替えるの、犯罪さー」


「いいではありませんか。どうせ使うのなら、外で使っても異世界の中で使っても同じですもの。それにこちらで使った方が、効果が高いことは、これまでの検証で実証されてますわ」


「色々と問題があるさーよ。でも、今は口論してる場合じゃないさー。わかったさー。とりあえず、使えばいいさーね。えい」


 私は不死子が持っている免疫抑制剤を『使いたい』と念じながら指で突いた。すると、煙がポワンと立つ。地面に不思議な生物のシルエットが出てきた。そして、煙が消えると……。


「初めましてぇー。免疫抑制剤くんでーす。妖怪さんたちがぼくに、何かヨウカーイ。なんちってー。だはだはだはは」


 免疫抑制剤が現われた。落語家のような服装をした中年のおっさんのような人型だ。身長は私よりやや小さいといったところだろう。


「な、なんだか、変なのが出てきたさー」


「これが、免疫抑制剤さんなのですか! 想像していたのとは、かなり違っていましたわっ。もっとカワイイものを想像してました。こんなむさい中年男性が現われるとはっ!」


「ひどいです。ひどいです。この、ひとでなしぃぃいー。ひとでなしぃぃぃーー。あっ、あなたは人ではなくヨウカイでしたね。こりゃ失礼、おあとがよろしーよーで。だはだはだははは」


 免疫抑制剤は一人で喋って、一人で大笑いしている。私と不死子は目を細めてじっと見つめた。


「め、免疫抑制剤くん、君の力で、あそこで行われている、免疫細胞同士の戦いをやめさせるさー」


「それは出来ないよう。だって、ぼくにそんな力うどんはないんだもん。もっちもーーち。だはだはだははは」


 ………………。


 私は不死子を睨んだ。


「不死子、どういうことさー。こいつ、全く役に立たないさー。妙に苛立つダジャレもさりげなく言って、自分でウケてるだけさー」


「あれれ? おかしいですわね。免疫抑制剤は、その名の通り、異物を敵とみなして攻撃する免疫細胞の働きを抑制する薬なのですが」


「お役に立てずに、すみましぇーーーん」


 免疫抑制剤は両手を開いて、不思議なポーズでそう言った。不死子は撮影しながらもカタカタと体を振るわせている。


「ど、どどど、どうしましょう、法子さん? 免疫抑制剤さんが、役に立たないだなんて、全くの想定外でしたわ。こちらから、局所的に使う前提だったので、偽物にすり替えていましたがこのままでは、わたくし、本当に犯罪者になってしまいますわ」


「今更おじけつくなら、最初からすり替えなんてするなさー。そもそも、そんな大事なことは、事前に私に言っておくさー」


「ど、どどどど、どどどどどど、どーしましょう。か、患者さんがし、ししし、死んじゃいまぁーす。あわわわわわ」


 不死子は明らかにパニくっている。額から汗を流しながら、ガクガクブルブルと震えてる。


「でも……多分大丈夫さーよ。私の能力は、その薬の持つ本来の力を発現させるさー。それには例外がないさー。免疫抑制剤くん、本当は真の能力があるはずなのさー。頼むさー。おふざけはここで止めてほしいさー。役立たずのマネは終わりにして、仕事をしてほしいさー。友達の不死子を犯罪者にしたくないのさー」


 私は免疫抑制剤に懇願した。しかし、免疫抑制剤は飄々とした顔のままだ。


「残念無念。ぼくに仕事をするだなんて、そんな大層な能力なんてないよ。あるのは、持って生まれた類稀なギャグセンスのみ。ぼかぁー怖いよ。自分の芸人としての才能について、恐怖を覚えずにはいられない。笑わせ過ぎて腹をよじりきり、全世界の住民を全滅させちゃうリーサルウエポン! 魔王を越える存在だぁー」


「力うどん、もっちもちーって言ってるレベルで、それはないさー」


「だはだはだはは。笑いさ。健康の一番の秘訣は笑いなんだよ。よーし、ぼくが、彼らの争いを止めてきてあげよう! 笑いの力で。ぼくのダジャレで敵も味方も笑い合えば、争いも丸く収まるんだよーう。豆からできるものってなんだー。それは、とーーーう、ふ」


 そう言いながら、免疫抑制剤は山の崖からジャンプして、免疫細胞たちが争い合う戦場へ突っこんでいく。驚くべき変化が起きたのはしばらくしてからだ。なんと、免疫細胞たちが、攻撃し合うのやめて、その場で寝そべりだしたのだ。これは一体、何が起きたのだろう?

 私達も山をおりて免疫細胞たちのいる草原に向かった。そして、寝そべっている免疫細胞に聞いてみた。免疫細胞はやる気を失せたニートのような顔をしている。


「どうしたさー。どうして、戦いをやめたさー」


「かみぃーではありませんか。いえですねぇ。僕たちが一生懸命に『仕事』をしていたところにですね、妙にサムいダジャレを叫んでまわる者が現われましてね、あまりのサムさにやる気が失せてしまったのですよ。あー、ダリーダリー」


「な、なるほど。免疫抑制剤くんは、こうやって、つまらないダジャレを言って、免疫細胞のやる気を抑制させる働きがあったのですね。盲点でしたわ」


「本人は、笑いの魔王と自称してたさーよ?」


「リーサルウェポンとも自称してましたわね?」


 あははは、と笑い合う。なんと、それが唯一面白かったことだった。


 周囲をみると、ほとんどの免疫細胞たちが、やる気を失った顔で寝そべっていた。遠くでは、免疫抑制剤と思われるものが、しっかりと『仕事』をこなしているのが見えた。


「おほほほほ。わたくしの犯罪者&逮捕の未来がこれで消えましたわ。免疫抑制剤さん、絶好調ではありませんか」


「とはいえ、ギャグのほうは絶不調で猛吹雪さー」


 どうにか一難は去った。しかし、まだオペは終わっていない。気を抜いてはいけないのだ。


「不死子、次は何が起きるさー?」


「免疫細胞が免疫抑制剤の働きにより抑制された結果、カビやウイルス、ばい菌の攻撃を受けるようになるのです。そう言っている間にも、始まったようですわね」


「うわああ。なにさー。こりゃー」


 黒いホールのようなものが、あちこちの空間に現われ、そこから悪魔のような外見のモンスターたちが出現した。これまでに見たことがない外見で、癌細胞モンスターよりも強そうだ。黒いホールから完全に身を出して地面におりると、穴を掘ったり、大地にパンチを始めた。すると、大地から血が噴き出す。被害が出ているのが明らかである。そんな悪魔たちの周囲では、免疫細胞が未だにグテーっとしながら見て見ぬふりをしている。


「おーい、免疫細胞くんたち、起きるさー。敵が攻めてきたさー。あいつらは悪い奴らだからやっつけるさー」


 しかし、免疫細胞たちは、無反応である。一番近くにいた免疫細胞を立たせようとするも、文句を言ってくる。


「えー、ダリーから嫌ですよ。ダジャレがまだ耳に残っていて、何もやる気が起きないんですもーん」


「や、やる気を起こすさー」


「やーですー」


「ふ、不死子、どーなるさー。このあと、どーなるさーよ? 放っておいてもいいのさーか??」


 私は不死子を見た。不死子はハンカチを出して、額を拭いていた。再び、滝のように汗を流している。


「いやはや……免疫抑制剤さんの力をあなどっていましたわ。外で使えば、まだばい菌たちと戦えるだけの免疫細胞もやる気を残した状態で残っていますが、こちらの世界で使ったばあい、あまりにも効果が出過ぎてしまい、全員のやる気が失せているようです。このままでは、ばい菌たちによって、この世界は破壊されてしまいます」


「えええええええええー。まずいさあああああーーーーー」


「の、法子さん。こうなればわたくしたちで、免疫たちがやる気を出すまでの間、ばい菌たちの相手をせざる得ません。じゃないと、患者さんが死んじゃいます。いいですか!」


「や、やったるさー!」


 異世界で薬を使った場合、リアルの世界で使った場合よりも効果が出る傾向にある。今回、効果が出すぎて、免疫細胞たちを無力化し過ぎたようである。『生体肝移植』を高難度の手術としている理由の一つに、この免疫抑制剤の『さじ加減』というものがある。効き過ぎてもいけないし、効き目が少なすぎてもいけない。その絶妙な加減を見極めない限り、オペは失敗するのだ。そして現在『薬が効き過ぎた』状況になっており、目の前でばい菌ら悪魔型モンスターたちが傍若無人に破壊活動をしているという、ヤバい状況になっていた。戦闘不能状態になっている免疫細胞の代わりに、私達はばい菌たちを倒そうと大地を駆けた。私は鞘から針を抜いて、そして不死子はこん棒を持って。


 この後、私たちは、感染症予防のために毎日のように、患者の体の中に入り込んで、ばい菌退治や血液の通りをよくしたりと、思いもよらない大変な労働をするはめになった。タダ働きではあるが、乗りかかった船なので、途中下船はし辛いのだ。更にしばらくして、患者の体内の世界では元の細胞と移植された細胞に由来する双方の免疫細胞同士が和解したとかで、互いに攻撃し合うことはなくなった。この日を境に、私たちの仕事量がガクンと軽くなる。それから更に月日が経ち、患者は元気になって退院した。この日まで、ママの体の中での日課をこなしつつも、この患者の体のメンテナンスもしていたので、めっちゃくっちゃ疲れた。もう、こりごりだと思った。ただし毎日、やる気を失った免疫細胞たちの代わりに、ばい菌などの悪魔型モンスターと戦闘を繰り返していたおかげもあって、私も不死子もレベルはかなり上がったのだった。

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