第13話

 この日、私は不死子と一緒に帰宅して、いつものように対戦格闘ゲームをして時間を過ごした。なお、不死子は容易にうちに泊まりにきているが、彼女の両親は比較的オープンな教育方針で、不死子の好きなようにさせているためという。


 21時頃になると、いつものようにママは寝室に向かった。大きく欠伸をしていた。


「ふわぁー。法子ちゃんも不死子ちゃんも、早く寝るのよ。明日は休日だからって、夜更かししちゃだめだからねー」


「はいさー」


「おばさま。おやすみなさいませ~」


 ママは寝室のドアを閉めた。私たちは寝室のドアの隙間から光が消えたのを見てから、寝息が聞こえるかどうかを確認する。どうやら寝たようだ。


「おばさま、いつもながらに、すごい特技ですね。あの早寝は凄すぎます。もう寝息が聞こえてますわ」


「よし不死子。いつものように準備して、行くさー」


「合点承知の助ですわー」


 私と不死子はゲーム機を片付けて、消灯した。不死子の体を小さくした後、ママの寝室に侵入し、今回はベッドの足側からスーツをつたって登り始めた。不死子もゼーハーゼーハーと息切れしながらついてくる。


「あ、あれれ? 法子さん、今日はどうしてベッドの足元側から登るのですか? 縄ばしごを使わないのですか?」


「移動時間の短縮のためさー」


「移動時間の短縮?」


「詳しいことは、後で教えるさー」


 実はここ数日で新しい事実が判明した。私はベッドの上にくると、ママのかけ布団の中に潜った。持ってきた懐中電灯をつけながら四つん這いの姿勢で、ずんずんと進んでいく。不死子も私の後から続いた。そしてママの腰に到着した。


「法子さん、ど、どどど、どーして、こんなところに? わたくし、それとなく察してしまいましたが、本気なのですか?」


「本気さー。あと、前と後ろがあるけど、後ろの方さーよ。そこは間違えたらだめさーよ」


「えええええー」


「行くさー」


「えええええええええええー」


 私は『ファンタジーワールド』と詠唱する。その後、私達はママのズボンをよじ登り始めた。その数分後、ママの体の中の異世界に出た。


 丘のような場所で、空は夕焼け色に染まっている。入り口は違うもカラフルな通路は健在で、お互い甲冑とナース服に着替え済みである。カラフルな通路はお馴染みだったが、先にある扉は別のエリアに繋がっており、眼下には地平線まで続く大腸工業都市が広がっていた。


「な、なるほど。入る場所によって、異世界でのスタート地点が違うのですね。口から入ったら草原のような場所で、今回のような場所から入ったら大腸工業都市を一望できる丘の上の扉から出られるということですか」


「行くさー。不死子、ついてくるさー。このショートカットは私もこないだ二人でここに来た日以降に知ったのさー。もしかしてと思って入り口の『穴』を『口』から変えて試してみたら、思った通りの結果になったさー」


「よくもまあ、『試して』みましたねー。法子さんはとてもチャレンジャーですわ。ほら、キノコには毒があるものと毒のないものがあるじゃありませんか。あれって、どうやって見分けれるようになったか知ってます? 『試して』ですわ。法子さんが死ななくて、本当に良かったですわー」


「そんなウンチクどーでもいいさー。それより、ついてくるさー」


 私は不死子の手を取って、大腸工業都市に駆けた。


 大腸工業都市では今、異変が起きていた。不死子はその異変を見て目を丸くした。


「あ、あれれれれ? みなさん、一体何をしているのですか?」


「何もしていないさー。何もしなくなったのさー」


「何もしなくなった? おばさまの体の中の細胞なのに、おばさまのために働かなくなったのですか?」


「そうさー。働くように言っても、聞く耳もたないさー」


 細胞たちは働くことをやめて、座り込んだり、他の仲間達と談笑している。これまでに稼いだお金を駆けて、花札などのカードゲームに興じている個体もいるのだ。


「どれどれ、話を聞いてみようではありませんか。どうして働かなくなったのかと」


 不死子は近くで漫画本を読んで、ゴロゴロしているマッチョな細胞に話しかけに行く。彼もいつもなら、巨大なパイプを押したり戻したりしている勤勉な細胞だ。


「細胞さん、細胞さん、教えていただきたいのですが……」


「おうっ! なんでーい」


「どうしてみなさん、働いていないのですか? いつもなら、あのパイプをみんなで押したり戻したりしていますのに?」


「おうっ! それはな、待ってるんでい!」


「それは何を待っているのですか?」


「おうっ! 時々、オイラたちに、すごい力が湧き上がってくる時があんだ。その力が出てくるまでは、働かねーよ。がははは」


「働いてほしいさー。頼むさー」


 私はマッチョな細胞に懇願する。しかし……。


「やなこった。がはははは」


 細胞は大笑いした後、再び漫画を読み始めた。


「不死子ぉぉぉ、どうしたらいいさー。みんなに働いてほしいってお願いしてるのに、誰も聞く耳をもってくれなくなったさー。このままじゃ、ママが便秘で苦しむさー」


 私の目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれた。そんな私に対して、不死子は口をへの字に曲げながら言った。


「法子さん、これは、あきらかに法子さんが悪いですわ」


「え、ええええ? 私?」


「その通りです」


「ど、どどど、どうしてさー」


 どういうことだ? どうして私が悪いのだ?


「みなさん、味をしめてるのです。おそらくですが、あれからも毎日のように便秘薬をこちらで使われていたのではないでしょうか? いえ、ずばり、そうですね!」


「たしかに使ってたさー。だって、その方がみんなやる気がでるさー。ママも便秘が改善されたと喜んでいたさー。私はママの笑顔が見たくて、あの日から毎日のように便秘薬をここで使ってたさー」


「ほーらね。それが間違いなのですわ。確かに便秘薬を使うと、腸から便を送り出します細胞が活性化します。しかし薬というものは使い過ぎに注意が必要なのです。薬の種類によっては、細胞たちが薬の助けを待ってしまう場合もあるのですから。今回はまさにそれです」


「ふむふむ。あー、喉の骨がとれた気分さー。だから、みんな働かなかくなったのさーか?」


 私は頷いた。なるほど、なるほど、と。そんな私に不死子はツッコみを入れてくる。


「感心してる場合ですかー。このままでは、おばさまがずっと便秘であり続けるかもしれないのですよ」


「はっ。そうだったさー。不死子~、助けてほしいさー。なにか方法はあるさーか」


「方法は、ありますね」


「だったら頼むさー。助けてほしいさー」


「……助けても構いませんが、条件がありますわ」


 不死子はニタリと満面の笑みを見せる。


「うわわ。すごく悪代官のような顔をしているさー。でも、いいさー、その条件をのむさー」


「まだ条件、言ってませんよ……? まぁ、条件といいますか、お願いですが、週末には必ずわたくしもこの世界に連れてきてほしいのですよ。とても興味深いのですもの。あと、癌細胞モンスターをこん棒でやっつけてレベル上げもしたいですわー。もうちょっとでレベル4になるような気がするのです」


「ママの体の中は、見世物じゃないさー! 遊園地でもないさー。でも、いいさー。条件をのむさー」


「やったー。では、むむむむ」


 不死子は両手の平を組むようにしながら念じ始めた。すると、ポンという音がした後、手を開くと、そこには錠剤があった。不死子の裏能力で創造した薬だ。一体なんだろう。


「なにさー、その薬?」


「この薬を使ってみてください。これも便秘薬ですが、従来の便秘薬の弱点をなくすために作られた新しい便秘薬なのです」


「わかったさー」


 私はその薬を『使いたい』と念じながら、指でちょんと突いた。すると、モクモクと白い煙が立ち上り、何かが現われた。お腹のあたりに『ネオ』と書かれた、ふわふわな白いゆるキャラのような生物が地面に立っていた。これまでの2頭身な天使のような格好をしている便秘薬とは全く異なる外見だ。


「君は何者さー?」


「もくはネオ便秘薬だもく。もくもく。わーい。もくもく。誕生できたもくー。もくは嬉しいもくー」


「君はママの便秘を治すことができるさーか? できるのなら治してもらいたいさー」


「もくもく。大丈夫もくよー。もくにかかれば、簡単に便秘を治せるもくー。それー、もくもく、もくもく、もくもく」


 ネオ便秘薬は、そのまま綿菓子のようにポコポコと体の一部を取っていった。それらは空にのぼっていく。一体何が起きるのか、見当もつかない。


「ど、どうなってるさー。不死子?」


「まあ、見ていてください」


 目の前にいたネオ便秘薬がポコポコと取れながら、空にのぼっていき、姿が完全に無くなった、それからしばらくして変化が訪れた。なんと空は曇り始め、雨まで降ってきたのだ。この世界で雨が降ったことは、これまでに一度も無い。私は驚いた。


「おほほほ。このようなビジュアルになるのですね。興味深いですわー」


「どういうことさー。雨が降ってるけど、大丈夫なのさーか?」


「このネオ便秘薬は、これまで法子さんが使いまくっていた、腸の便を押し出す細胞を活性化させて便秘を解消しようという考え方で作られた薬ではありません。おそらく、わたくしの考えが正しければ、面白いものが見れるはずですわ」


 不死子はそういって巨大パイプのところまで歩いていく。そして……。


「法子さん、わたくしとパイプを一緒に押しましょう。いいですか?」


「いいけど、マッチョな細胞が一生懸命に押して、やっと動くパイプなのに私達が押してもビクともしないと思うさーよ」


「ものは試しですわ。では、いっせいのせい! でいきますよ。準備はいいですか?」


「わかったさー。やってみるさー」


 私がパイプに手を付けると、不死子は声を出した。


「いきまーす、いっせいのせいっ!」


 掛け声に合わせてパイプを押し出す。次の瞬間、信じられないことが起きた。なんと、パイプがプルルルーンと、まるでゼリーのようにへこんだのだ。


「な、なにさー。あの堅そうな巨大パイプが、まるでゼリーのようにプルプルしているさー」


「この便秘薬はですね、便を強引に押し出すのをやめて、腸から水分を出し、便に水を与えることで、便をゆる~くして、排便しやすくする薬なのです」


「なるほどさー」


 私達がプニョンプニョンと巨大パイプを押していたところ、サボっていた細胞たちも、楽にパイプが押せることに気付いたからか、巨大パイプに集まってきた。そして、仕事を再開する。パイプはグニョングニョンと押されていった。


「おうっ! こりゃあ、楽だー。がはははは。押して押して押しまくったるでー。今日は稼ぎ時だぁ。がはははは。ご馳走だぁー」


「お、おおお! みんな、仕事に戻ってくれてるさー」


「おほほほ。うまくいったようですわね」


 私達がママの体内の世界から出て、『ファンタジーワールド』の能力が消えると同時に、ぐるるるると音がした。ママは起き上がると、部屋を駆けて出ていった。おそらくはトイレ向っているのだろう。私達はベッドの上からそんなママの後ろ姿を見つめていた。


「ゲリになるのさーか?」


「まぁ……場合によっては、そうですね」


「ネオ便秘薬は下剤のようなものなのさーか? だったら、まだまだ、私達が体の中で直接、扱うのには熟練度が必要になりそうさー。ちなみに、薬以外で便秘を解消する方法はないさーか? 薬はいろいろとリスクがあることが、今回のことでよーくわかったさー。できれば薬はもう使いたくないさー」


「でしたら、やはり食事ですね。白米を食べているのなら、それを玄米食に変えるだけでも絶大な効果がでますわ。ネットで30キロほどをまとめ買いすれば安く購入できますわよ。あとは芸術の話をして副交感神経を高める、という方法もありだそうですね」


「芸術の話に限定さーか?」


「はい。スポーツや賭け事の話題では、逆に興奮するので、駄目だそうですわ」



『与那覇静子』


 最近、娘が妙に芸術の話をしてくるようになった。芸術には興味がない子だったのに、一体どうしたのだろうか?


「ママー、今日もゴッホについて、語ろうさー」


「う、うん。言いわよ……」


「ゴッホのひまわりは、いい絵さー」


「そうね……」


 芸術にはまったく興味がない娘が芸術に目覚めた。何が切っ掛けだったのだろう。私は娘を通わせてみようかと、パレットスクールのパンフレットを取り寄せることにした。

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