第11話

 その後、いつものように私達は格闘ゲームをしながらママが寝るのを待った。そして21時を過ぎた頃、ママがついに就寝する。欠伸をしながら、寝室のドアを開けた。


「ふぁ~。じゃあ、私はもう寝るから、法子ちゃんも不死子ちゃんもゲーム、いい加減にして眠なさいね。明日も学校があるんだから」


「はーい、わかったさー」


「おばさま。おやすみなさいませ~」


 バタン、と扉が閉まる音がした後、すぐにドアの隙間からの光が消えた。就寝したことを確認する。いつものようにゲームの片付けてから照明を消した後、不死子の体を小さくして、ママの寝室に侵入した。ママは寝息を立てていた。


 ベッドに縄ばしごをかけてあがると、いつものように、『ファンタジーワールド』の能力を使って、口の中にダイブし、ママの体の中の異世界に入った。


 カラフルな廊下で私は鎧と兜、不死子はナース服とこん棒を身に着けて、草原に出た。するといつものように私達をみつけた免疫細胞たちがやってきた。


「かみぃーとふーちゃんだ~。わーい。わーい。お久しぶりぃ~」


「久しぶりさー。といってもたったの2日ぶりさー。調子はどうさーか?」


「ぼくたち順調に仕事してるよ。今はダンジョン内の癌細胞モンスターの占有率をどんどん下げていってるの。すごい?」


「すごいさー。めちゃくちゃハイパーすごいさー。もうちょっとしたら、『ダンジョン落とし』もできるさー」


 『ダンジョン落とし』というのは、ダンジョン内の深層部に潜む迷宮主も含めた癌細胞モンスター全て殲滅して、ダンジョン自体を破壊することだ。これは患部の完全破壊を意味する。リアル世界でいうところの患部の除去手術にあたる結果になる。私はこれまで幾つものダンジョン落としを成功させてきたが、いつも激しい戦闘となっていた。ママの体の全エリアの免疫細胞を一点に集めての総力戦で、かつ、万や億の免疫細胞たちが犠牲となることが見込まれているため、『ダンジョン落とし』を行った場合、失敗しようが成功しようが、一時的にママの体の中の免疫細胞の総数が極端に激減する。なので、タイミングを十分に見計らい行わなくてはならないものだ。免疫細胞の犠牲の数が、ママの体を維持するために必要最低限となる数を割り込んだ場合、ママの死に繋がるのだ。


「ぼくたち、がんばってるのー。だからお願いがあるの~」


「おねがい? それは一体なにさー」


「かみぃーの世界にある『マイナンバー』をぼくたちにもつけてほしいのぉ~。おねがいしまーす」


 近くにいた免疫細胞は、そう言って手を上げてきた。それを見た不死子が目を輝かせて、免疫細胞に訊いた。


「マイナンバーがほしいのですか? 変わったものに興味がありますわね。というか、どうして、外の世界の情報を知ってるのでしょう?」


「どういう理由か分からないけれど、彼らはママの記憶の一部を共有してるさー。こないだも欲しがってたさー」


「マイナンバーほしいよー。ほしいよー」


 免疫細胞たちはぴょんぴょんと飛び跳ねて、懇願を始めた。


「わたくし、たしかこのような話を聞いたことがありますわ。移植手術で、ある内臓を移植された患者さんがいたのですが、その患者さん、内臓を提供した方と同じ記憶を持ったのだとか。それが本当ならば、おそらくは、おばさまの個々の細胞も、おばさまの記憶の影響を受けているのかもしれないですね。人体の神秘はまだまだ解き明されてはいませんから。謎が多いのです」


「僕たちもマイナンバーが欲しいよー。つけてつけてー。わたし以外わたしじゃないの~♪ 当たり前だけどね♪ だ~か~ら♪ マイナンバーカード♪」


「また、それさーか」


「おほほほ。有名な替え歌も御存知なのですね。法子さん、つけて差し上げればいいではありませんか?」


 不死子は無茶なことを言ってくる。どれだけいると思っているのだ。そばに集まった免疫細胞たちは、期待でキラキラした目で見つめてきた。


「無理さー。数がいるすぎるのさー。全員にマイナンバーつけるだけで、私の寿命が尽きるさー。諦めろさー」


「がーん」


 周囲にいた免疫細胞たちは全員、顔を青ざめさせた。どうしてそんなに欲しいのだろう?

 私は野原を見渡した。すると、あるものを見つけた。PD-1阻害薬たちだ。PD-1阻害薬たちはダラダラと漫画本を読みながら、寝転んでいる。しかしその体からは、不思議なフェロモンのようなものを発していて、リンパ街で『癌細胞モンスターへの暴力はんたーい。会話でかいけつをー』とデモを起こす免疫細胞たちを、全て『癌細胞を殲滅せよ!』との意識に変えさせる不思議な能力を持っている。


「PD-1阻害薬くんは寝ているようで、今日も仕事をしているさーね。本人に仕事をしている意志があるかどうかは不明だけどさー。せっかくだから不死子、もっとたくさん出してほしいさー」


「法子さん、お断りします」


「え? なんでさー」


「ふーちゃーん、どうしてなのぉー?」「どーしてどーして?」「ぼくたち、PD-1阻害薬くんたちが寝転んでいるのを見て、こんな大人になっちゃダメだなと、不思議なやる気が出てくるの~」「反面教師なのー」


 免疫細胞たちも続いた。


「法子さん、そして免疫細胞さんたち。彼らを信頼するのは止めたほうがいいですわ。というか、わたくしが創造した薬ではありますが、十分に警戒してもらいたいのです。いずれ、敵になるかもしれませんから」


 いずれは敵だって?


「えぇぇぇぇ? ふーちゃーん、それは一体、どーしてなのぉー? おしえておしえてー」


「そうさー。どうしてさー。教えてほしいさー。敵ってどういうことさー」


「わたくしオリジナルのPD-1阻害薬については、副作用はほぼ除外したと思っています。しかしながら『治験』をしてはおりません」


「チケン? それはなにさー」


「治験とは、医学品を販売するにあたり、法律上の承認を得るための臨床試験のことです。『治療の臨床試験』の略で『治験』。そのバイトがまた儲かるらしいのですよー。薬を投入して寝てるだけ大金がもらえちゃうのです。まぁ、わたくしはやりませんけどね」


「そりゃそうさー。未承認の薬の人体実験さー。でも、貧乏が極まっていたら、考えちゃうかもしれないさーね」


 寝てるだけで大金がもらえるだなんて、理想の仕事である。調べたら色々と出てくるかもしれないが、治験がらみのトラブルをニュースで聞いたことがないので、選択肢の一つに入れておきたい。私のような小人でも、バイトに雇ってもらえたら、の話であるが。


「なので、治験もしておらず、絶対に副作用はないとは言い切れませんの。そもそも薬には敵味方の概念がありません。PD-1阻害薬は免疫細胞さんのように完全におばさまサイドの存在ではないのですから当然、敵にもなりえます」


「どういうことさー。て、敵ってことは、ママにとって害をもたらすのさーか?」


 とても心配になってきた。免疫細胞たちも、不死子に質問を始めた。


「ふーちゃーん、それは一体どーしてなの? おしえーてー、おしえーてー。どーして、警戒しなくちゃならないの? 信頼しちゃだめなの?」


「PD-1阻害薬さんはみんな本能的に、ある野望を心のうちに秘めているのですわ。彼らは、おばさまを『肺炎』にしようという企みを持っているのです。だからある意味、味方であって敵でもあると、言えるでしょう」


「不死子、それは本当さーか?」


「やる気のないポーズに騙されてはいけません。その姿は、いつか大義を成し遂げるためのブラフである可能性もあるのですっ! 能ある鷹は爪を見せず、です!」


 私は驚いた。免疫細胞たちも驚いている、が……。


「ぎょええええ。ふーちゃーん、それって本当なのぉ? って聞いておきながら、実は知ってたよーん。彼らが味方じゃないことを」


「え? そうなのさーか?」


 周囲の免疫細胞たちが、一斉に胸を張った。


「何となく、肺炎を起こすことを狙っているのかなーっと思っていたの。さすがはかみぃーのお友達のふーちゃんだ。全てはお見通しだね。くっくっく」


「おほほほほ。つまりはあなたたちは、PD-1阻害薬さんを利用するだけ利用して価値がなくなったら、やっちまおうと、思っていたのですわね。ワルですわー。あなたたち、ワルですわー」


「それほどでもないよー。くっくっく」


 免疫細胞と不死子は互いに顔を近づけながら、不気味に笑い合っている。


「顔が怖いさー、あんたたち!」


 可愛らしいと思っていた免疫細胞にも裏の顔があるようだ。免疫細胞はふと真顔に戻って私に聞いてきた。


「かみぃーは本日は、どこのダンジョンから見回るのぉー? ボクたちもついてくー」


「ごめんさー。今日は癌細胞モンスターの退治にきたわけじゃないさー。今は君たちだけで見回りは大丈夫そうだから、鼓舞のスキルを使った後は、自由にやってほしいさー」


 今日の私はママの悩みである便秘の解消に訪れたのだ。私は鼓舞のスキルを使った。


「燃えてきたど~。うぉぉぉぉおおおおおぉぉぉぉおおおおおおおお」


 周囲の免疫細胞たちもやる気を見せて、銀紙と段ボールで作ったような短剣をかかげると、それぞれがダンジョンに駆けていった。私は周囲の免疫細胞たちがいなくなったところで不死子に声をかける。


「私達も、そろそろ行くさー」


 私は手をあげて「へーい、タクシー」と叫んだ。すると、草原の果てから真っ赤な楕円型の乗り物がやってきた。私はこの乗り物を『赤血球タクシー』と呼んでいる。主なお客は酸素たちではあるが、この異世界の『神』である私を乗せることもできるのだ。


「不死子、出発さー。赤血球タクシーくん、大腸都市までお願いさー」


 『リョウカイしました』と機械音で応えてくれる。


「おほほほ。このようなナウいタクシーは初めてです。とても興味深い乗り物ですわね」


 赤血球タクシーは草原を進んで行く。なお、ママの体の中の地理についてだが、おそらくは地球のような球型になっていると思っている。『思っている』というのは、地平線があるからだ。しかし実際のところは球型ではない。本格RPGの終盤で『飛空艇』などの乗り物がでてきた場合、マップの一番上を通り過ぎたら、マップの下から現われたり、マップの左側を越えたら、マップの右側から現われたりする。ママの体の中は、それに似ていた。

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