第9話

 休み時間、不死子が私に迫ってきた。


「そろそろ、わたくしをおばさまの体内に入れてくださいませんか?」


「え? え? え? なんでさー。突然、どうしたさー」


「逆にどうして入れてくれないのですか? 最近、色々な理由をつけて、はぐらかすようになってますわ」


「だって前回の薬での治療が成功して、ママの容態は随分と落ち着いたさー。入る必要がないのさー」


 すでに分子標的薬の投与は終えている。医師はママの回復ぶりに『ありえな~い!』と驚いていたそうな。まあ、そこには私の隠れた活躍もあるのだが、それは内緒である。つるっはげになったママだったが、新しく髪も生えてきて、今は短髪のようなボーイッシュな髪型になっている。


「こないだは季節の変わり目だったからママも体調を崩して大変だったけど、今はそんなに大変でもないのさー。ママには体調の悪い時期と良い時期が交互にあるみたいで、今は癌細胞モンスターのポップ率も少ないから、私も休息がてら、日課を3日に1回程度に減らしてるのさー」


「そんなの知りませんわ! 約束じゃないですか! わたくしをせっかく仲間にしてくれたのに! わたくし、せっかくレベルを3にあげたというのにっ」


「不死子の場合、こっちがヒヤヒヤするさー」


 私は戦闘時、免疫細胞たちに後方から指示を送るだけで、直接的な意味での戦闘はほとんどしない。同じく私の近くにいた不死子も戦闘はしなかったのだが、ついに直接戦闘をしてみたいと言い始めた。免疫細胞たちが戦う様子を見て、ウズウズしていたのだという。当然、危ないという理由で断ったが、ギャーギャーうるさいので、以前メールで届いたステータス値が書かれた文章を見せることにした。弱いから戦闘は無理だと納得してもらうためである。

【雀王院不死子 種族:妖怪/レベル:1/HP:3/MP:2/称号:おしかけザコサモナー】

 不死子はこのメールを見て、さらに好奇心を刺激されたと言って、私の制止も聞かずに前線に突入して、こん棒での戦闘を行い出した。意外なことではあったが、不死子は戦闘狂なところがあり、嬉々としながら癌細胞モンスターを倒していった。ステータス値には現われてはいないが、素早さが高いようで、集中すると相手の攻撃が止まって見えるとかで、無傷のまま癌細胞モンスターたちをこん棒でボコボコにしていく。そして『てれってれーてれってれー』と頭の中で響く私の声を聞いて、レベルをあげたとか。現在のステータスはこうだ。

【雀王院不死子 種族:妖怪/レベル:3/HP:9/MP:8/称号:おしかけザコサモナー・バトルマニア】

 称号に『バトルマニア』が追加され、HPもあがったようだ。本人によると、リアルの世界での基礎体力も上がったような気がする、と言っている。彼女も私が覚えたように『サンダーボルト』なるものを修得したようで、色々と試したところ、手からビリビリと電気を出せるようになったとか。学園からの帰宅時、私も電気を手から出せるのかどうかを確認させてほしい言われ、心の中でサンダーボルトと念じてみたところ、手の平から、電気がバチバチと放出した。つまりは私の創った異世界で、癌細胞モンスターを倒してレベルをあげたところ、リアル世界での体質も変化するという新たな事実が判明したのである。


 スポーツ関係者がレベルを上げれば、ドーピング以上の効果を期待できるだろう。つまり、私の裏能力は妖怪を……おそらくは人もだろうが『進化』させる能力でもあったわけだ。不死子は、すごいすごい、と言っていたが、私はひいていた。私はビビリな方なので、術者である私自身にも把握できないこの能力の底の見えなさを怖いと思った。


 不死子はレベルをこのまま上げ続けたらどうなるのか、と『好奇心』でいっぱいのようだが、私は知っている。出る杭は打たれる、と。大きな力を持った場合、それは不幸しか生みださないことが多いだろう。まぁ、それは私の考え過ぎかもしれない。ちなみに、直接戦闘をしない私は、まだレベル2のままである。


「不死子ー。遊びでママの体内に入ってるわけじゃないのさー。私達のような『異物』がママの体の中に入ることは、もしかしたらママにとっての負担になってるかもしれないさー。ナチュラルキラー細胞を活性化させる方法を不死子に教えてもらってからは、彼らが大活躍してるから、私達が無理に頑張らなくても大丈夫さー」


「うぐぐぐぐ。こんなことなら免疫細胞を活性化させる方法を教えなければよかったですわ。ヒーローは悪役がいて初めてスポットライトが当たります。悪役がいなければ、ただの人。やはり、悪役がいなければ面白くありません。わたくしたちにスポットライトが再び当たるために、おばさまの体の中で、悪役よ、現われろ!」


「不謹慎さー」


 ナチュラルキラー細胞というのは免疫細胞の一種であり、日々、人々の体の中で発生する癌細胞を倒し続けているいわば、癌細胞の天敵である。しかし、このナチュラルキラー細胞は人の年齢と共に力が弱まる傾向にあるという。そういう理屈で、子供より老人の方ががんを発症する確率は高い。そして、ママの中のナチュラルキラー細胞のビジュアルの、どれもが初老の老兵となっていた。ここ最近まで、私の免疫細胞の軍勢が、癌細胞の勢力に圧されがちだったのは、ナチュラルキラー細胞の高齢化にも原因があったらしい。


 しかし私は不死子にナチュラルキラー細胞などの免疫細胞を活性化させる方法を教えてもらい、ママに実践してもらった。教えてもらったのは、食後20分程したところで横たわり、腹式呼吸をするというたったそれだけのことだ。しかし、それをすることで私がリンパ街と呼んでいる『リンパ』に免疫細胞が長居せず、すぐに体を駆け巡るようになるらしい。そして実際に効果があり、こちらの戦況はかなり改善された。


「とにかく、がんでなくても構いませんので、おばさまの体の中の悪いところを見つけて、それを2人で治しにいく、という活動をしませんか?」


「えー。不死子はうまいこと言って私をまるめこんで、単にママの体の中の異世界に入りたいだけじゃないのさーか?」


「副作用を除外した、わたくしオリジナルのPD-1阻害薬をあげたではありませんか。免疫細胞を活性化させる方法も教えて、役に立ったのではありませんか。恩がありますわよねー。法子さんは、私に大きな恩があるのですわよねー」


 ずいっと顔を出してきた。怖い……。


「どーして、そんなに入りたがるさー?」


「それは勿論、おばさまの永久の健康のためです。そして近代医学の発展のためですわ。あの世界には未来が詰まっているのです。とても素晴らしいですわ!」


「大層なこと言って、結局は自分のためだろさー。個人的好奇心を満足させたいだけさー」


「そ、そんなことはありませんわ」


 そう言いつつも、目を泳がせた。分かりやすい反応だ、不死子。とはいえ、私がママの生存を願って能力を発現させたように、彼女は『好奇心』によって新しい能力を発現させた。つまり、彼女にとっては『好奇心』というのは、無下にできないものである。


「分かったさー。でも戦闘は禁止さーよ。それでもいいなら、連れていくさー」


「ええええ。モンスターをこん棒でボコして、レベルを4まで早く上げたいのに……」


「だったら連れていかないさー」


「わ、分かりました。戦闘をしないことで、手を打ちますわ」


「別に手を打っても打ってもらわなくても、私はどっちでもいいけど、仕方がないさーね。また今週末あたりに連れていくさー」


 あ~あ、面倒な約束をしたものである。それにしても、不死子に言われて気付いたが、これまでは癌細胞モンスターばかりに意識を向けてきていた。奴らは悪い意味で目立っているからだ。しかし、たしかに他にも悪いところがあれば治してあげたい。


 この日の夕食時、私はママにそれとなく聞いてみた。


「ねーねー、ママー」


「なぁに? 法子ちゃん?」


 ママはにっこりとほほ笑んだ。


「ママは最近、どこか調子が悪いところはないさーか?」


「調子の悪いところ?」


「どんな些細なところでも構わないさー。あったら教えてほしいさー」


「そうね。最近、ちょっと便の出が悪いって、ところかしら」


「ふむふむ。なるほど」


「どうしてそんなことを聞いてくるの?」


「なんでもないさー」


 私は夕食のゴーヤチャップルーが盛られた皿の上に飛び乗ると、ゴーヤを両手で持ち上げて、頬張っていく。

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