第5話
普段の私は昼間の時間帯は学園にいる。学園では、一般生徒が使う普通の机の上に、さらにミニチュア化させた机と椅子を置き、そこで勉学を授業に出席する。本来ならとても目立つが、私の通っている学園は普通の学園ではなく、妖怪たちが通うという珍しい学び舎だった。周りには、私と同じように不思議な固有能力を備えた学生ばかりがいる。
生徒だけではなく教師も妖怪で、担任教師なんて毎日、巨大な亀に乗りながら授業を行っているくらいだ。なので、目立つかどうかでいうならば、私はそれほど目立っているわけでもない……と思う。
休み時間、クラスメイトの一人が声をかけてきた。
「あらあら、法子さん、何を悩んでおりますの?」
「どうして、悩んでいることが分かるのさー」
「それは分かりますわ。だって、頭を抱え込んで一心不乱にブツブツと何かを呟いていらっしゃいましたもの」
「あちゃー。声に出てたのかさー。ところで不死子。また、ママが死んだ時、頼めたりするかさー」
声をかけてきたのは『不死子』という名前の妖怪の少女で、フェニックスの妖怪である。幼い頃は、全身が燃えたぎる火の羽を生やした鳥の姿だったらしい。しかし現在の外見は、いたって普通の人間の少女だ。
妖怪として彼女は、自分が死んだ時に、どこかの安全地帯で生き返るという固有な特殊能力だけでなく、自分以外の死者を蘇らせるというミラクルな力もある。かつてママは二度、死んだ。その度に、不死子の力でママを三途の川から生還させてもらっていた。
そんな不死子の里親は巨大病院を経営している一族で、彼女は将来病院の跡取りとして期待されている。
「それは無理ですね。だって法子さんのお母様は、すでにわたくしが二度も生き返らせています。わたくし、同じ人を三度も生き返らせることができないのですわ」
「そ、そうなのさーか」
正直、衝撃を受けた。私には、ママが死んでも不死子に頼めば、また生き返らせてくれると思っているところがあったのだ。
「三度目の能力行使について、試したことはありませんが、わたくしの本能がヤメておけ、と言っていますね。完全に生き返らずに半分だけ生き返る的な、ゾンビのような形で蘇生するのかもしれませんねえ。おばさまのご容態、そんなに悪いのですか?」
「よくないさー。癌細胞モンスターが大量にポップしてるさー」
「癌細胞モンスター? ポップ? なんの話ですの?」
分子標的薬のことで頭が一杯だったので、つい口を滑らせた。『異世界を創る』という新たな特殊能力については、これまでずっと秘密にしてきた。
「こっちの悩みのことさー」
「でしたら、わたくしが相談に乗ってあげましょう」
不死子はニコリと微笑んだ。
「どのような悩みなのでしょう。悩み事は一人で考えていても、雪だるまのように大きくなるだけですわ」
たしかに、私の頭一つだけではなく、誰かの頭も使えば、解決する可能性がある。私は腕を組んで唸った。
「う~ん。不死子になら話してもいいかさー。今日は部活に出るさーか?」
「今日の放課後は部活動を行う予定ですわ」
ちなみに、私と不死子は同じ部に所属する部員同士だ。部活動への出席は基本的に自由参加である。
「だったら私も部活動に顔を出すさー。部活が終わったら私の裏能力について話すさー。他言無用さーよ」
「裏能力という、新しい能力が発現したのでしょうか」
「シー」
私は人差し指を口元の前で立たせた。
私達は妖怪は人間社会で暮らすにあたり、個々の能力を国の研究機関に報告する義務がある。ただ、発現した能力が火を吹いたり、空を飛んだりする程度のものであれば隠す必要はないのだが、概してミラクルの度合が高い能力が新たに発現した場合は、隠そうとする傾向がある。それは余計なトラブルに巻き込まれないようにする処方術なのである。
私の『ファンタジーワールド』のように物理学の原理原則を覆すようなものであれば、マッドサイエンティストの類いに目を付けられて、拉致られる危機があり、前例があるゆえに警戒している。
この能力は『異世界を創造する』というもので、ママの体だけでなく指定した対象であれば、どのようなものでも、指定した対象をベースにした異世界を創り出すことができる。例えば、本に能力をかけた場合、その本の中の世界に入り込めるようになる。
例えば『ウサギとカメ』の童話の本の場合、寝ようとしたウサギを針で突っついて無理やり走らせたらどうなるかを実験したことがある。その本の中ではウサギが勝者となった。そして本の外に出たところ、書かれていた文章の内容も変わっていて、世界に一つだけのウサギが勝者となった『ウサギとカメ』の本の誕生となった。
部活動が終わった後、二人でファーストフード店を訪れた。ハンバーガーとシェイクを飲みながら、私は新しく発現した能力について不死子に打ち明けた。不死子は私の話を聞いて興奮していた。
「そんな能力を発現させていただなんて、面白いですわ。興味深いですわ。いつから発現されてましたの?」
「ママの三度目の死に際にさー」
一度目、二度目は不死子に生き返らせてもらった。どちらも死因は癌だった。三度目の余命宣告を受けた時、自分でなんとかできないかと強く願ったことが、能力を発現させた切っ掛けになったのだと考えている。
「おばさまは癌細胞を体中で発生させやすい体質なのでしたね。わたくしの能力で生き返った場合、全ての病気や怪我が完全に治癒された状態になるのですもの」
不死子の能力で生き返った場合、事故で腕を失っていたとしても、生えてくるレベルだ。なのに、何度も癌の症状になるということは、ママが癌になりやすい体質だからだろう。
「私は癌細胞が憎いのさー。ママが三度目の余命宣告を受けた時、私は癌細胞を絶滅させたいと心の奥底から願ったのさー。すると、この新しい能力が芽生えたのさー」
「ほうほう。もっと詳しく教えてください。おばさまの体をベースにして異世界を創れるのですわよね。その異世界はどうなっているのでしょう」
不死子はハンバーガーを咀嚼しながら、テーブルの上であぐらをかいている私に、顔を近づけてくる。目がきらきらと輝いていた。
「ママの体の中の免疫細胞や癌細胞が生き物のようになっているのさー。癌細胞は地下迷宮とかのダンジョンでポップするさーよ。そして、ダンジョンから出てきた癌細胞は、あちこちに散らばり、新しいダンジョンを作ろうとするのさー。ちなみに、分かりやすくいえば、ダンジョンは『患部』で、癌細胞モンスターの目的は『転移』なのさー」
「なるほど。癌細胞が生まれる患部が、そのままダンジョンという形となっているのですね」
「癌細胞モンスターはダンジョンが飽和状態になった時に溢れ出てくるのさー。それをスタンピートと呼んでいるさー。私はダンジョンがスタンピートの状態にならないように、モンスターの数を減らそうと毎晩、免疫細胞たちを指揮して戦わせてるんだけど、最近は倒す数より新たに生まれる癌細胞モンスターの数の方が多くて、あちこちでスタンピートが起きているさー」
そのおかげで、寝不足になっている。とはいえ、睡眠を優先して毎晩の活動を止めようとは思っていない。もし止めたら、ママの容態がすぐに悪化する。そうなると、別の意味で眠れなくなってしまう。
「つまり、おばさまは現在、宜しくない状態にいるのですね。ふむふむ」
不死子は納得した表情で、頷いた。
ふと思い出したことがあったので、そのことについても何気なく口にした。
「異世界はまだ創造主である私にも分からないことがあるのさ。こないだなんて、初めて自分の手で癌細胞モンスターを倒した時、レベルが上がったのさー」
「なんですかそれ?」
首を傾げて聞いてきた。
「よく分からないさー。私の声色で『てってれーてってれー。レベルがあがりました』って頭の中にアナウンスされたさー。『サンダーボルトが使えるようになった』とか言ってたけど、何のことかよく分からないのさー」
私は戦いに挑んではいるが、実際に手を下していないので、試してみたことはない。
「でも、握力とかちょっと強くなったような気もするさー。まだまだ謎だらけさー」
「法子さんが創生した世界で、神様でもあるのでしょー。知りたいことは知り放題、したいことはしたい放題、できないのですか?」
「そんな都合よくはいかないものなのさー」
「しかし、とても興味が惹かれますわ。わたくしも行ってみたいですわ」
「それで、核心について話したいさー」
「スルーですか……まあ、いいですけど。それで、核心とは?」
「抗がん剤をこないだ病院で投与してもらったんだけど、その抗がん剤が、癌細胞だけじゃなくて、正常な細胞も攻撃するのさー」
私がそういうと、不死子は即座に答えた。
「もしかして、それって『分子標的薬』のことです?」
「よく知ってるさー。さすがは病院の娘さー」
「おほほほ。それくらい知ってますわ。分子標的薬は確かに正常細胞も攻撃しますわ。癌細胞だけを攻撃する便利で万能な薬ではありませんもの。そもそも、薬というものは、そのほとんどが、有効な作用があると同時に副作用というものを持っているのです」
「そうなのさーか?」
「そうですわ。医学が進んだ将来には、副作用がなく、癌細胞だけを攻撃できる画期的な薬が開発されるかもしれませんが、現状ではまだまだそのような薬は存在しません」
なるほど。たしかに彼女の言っている通りだ。風邪薬を飲むと風邪が治る一方、眠気に襲われるという副作用がある。私もその副作用は体験済みだ。
「それで、毛髪細胞たちに、分子標的薬に子供を殺された。どうにかしろ、と言われてるさー。分子標的薬に注意しても、ヤーダねと聞く耳持たないさー。板挟みなのさー」
不死子はますます頬を真っ赤にする。興奮している様子だ。
「ふむふむ。その世界では細胞たちが意志を持っているのですね。ますます興味深いですわ。一般的には、分子標的薬を投与した場合、髪の毛が抜け落ちるので、多くの患者さんは事前に髪を切って坊主になるのが主流ですね。ちなみに今回のように、現実世界でもどちらかを選ばないといけないといった選択肢というのは、様々な場面で出会いますでしょう」
「悩むさー」
「毛髪細胞の意見を聞いて分子標的薬の投与を止めれば、癌細胞によっておばさまの体が蝕まれていく。一方、分子標的薬の好きにさせれば、毛髪細胞が分子標的薬の攻撃を受けて殺されていく。さぁ、どっちを選択しますか、ということで悩んでいるのですよね?」
「そうさー」
「法子さんは、どちらを選択されるのです?」
「うぅぅぅ……そんな、わかりきったことを聞くなんて意地が悪いさー。そんなの決まってるさー」
当然、ママの健康を第一に考える。
髪の毛が無くなるのは嫌だが、健康が第一だ。
「どの選択肢が正しいのか分かった上で、悩んでいるのですよね? でしたら、わたくしが法子さんの心の内を代弁しますわ。毛髪細胞たちを見捨てなさい、と」
「分子標的薬たちに虐殺されてても、見て見ぬふりをするさーか?」
「はい、そうです」
不死子は当たり前といったように頷いた。
たしかに理屈としては不死子の言う通りだ。しかし、感情的には納得できない部分もある。
「不死子、あんたはヒドイ女さー。きっぱりしすぎさー」
「でしたらもう一つの選択肢を選びなさいな。毛髪細胞側を優先させて、おばさまに分子標的薬の投与をストップしてもらいましょう。そして、癌細胞によって体が蝕まれていく様子を、ただ眺めているとよいでしょう。その選択肢を選べば十中八九、おばさまは病死することでしょう。そちらを選びますか?」
「う、うぐぐぐぐ。それだけは絶対に駄目さー」
「ほらほら。だから、答えは1つしかないのですわ。フィクションの世界では、全てが丸く収まる結末が多いですが、現実の医療の現場では取捨選択の世界です。命を優先して、凍傷した足を切り取る場合だってあるのです。全てがハッピーエンドとなることが理想ですが、現実を甘く見てはいけませんよ。現実とは非情なのですから」
「……確かに、その通りさーね」
現実は非常だ。
フィクションのようなハッピーエンドにならない場合の方が、むしろ多いかもしれない。
「とはいえ、こういう考え方もあります。法子さんは、毛髪細胞たちが殺されることで、お母様の毛が抜けていくのを見るのが嫌なのですわよね」
「うん」
「だったら、毛髪細胞に隠れるように言っておやりなさいな。冬眠でもしてろ、と。がんの治療中は髪の毛が抜けるのは常なのです。仕方がないのです」
「そうさーね……」
分かっている。
しかし、私の力を使った場合、その毛髪細胞に人格ができるのだ。悲鳴をあげるのだ。
「毛髪細胞には申し訳ないのですが、がん治療が終わるまでの間、身を潜めてもらい、治療が終わった後、再び失った勢力を回復してもらいましょう。なあに、毛髪細胞は強いのですよ。むしろ分子標的薬よりもストレスの方が彼らにとっては天敵です。完全に死滅させられますから。そして永久的なハゲになります。一方、がん治療で髪の毛が抜けたとしても、治療が終われば、再び生えてきますからね」
「その方法しかないのなら、それしかないさね。なんとか言っておくさー」
心なしか、気が重くなって、ため息が漏れた。
「悩みはこれで解決ですか?」
「いや、もう一つあるさーよ」
悩みは『毛髪細胞が分子標的薬に攻撃されること』だけではない。
「もう一つ? それは一体なんですの?」
「その相談にも乗ってもらいたいのささー」
「もちろん構いませんわ。とても面白そ……いえ、困っている友人の悩みの相談に乗るのは当たり前のことです。ただし、その悩み相談の前に一つ、わたくしからもお願いがございますの。それは……」
不死子は私に、ものすごい気迫で顔を近づけてきた。そのお願いとは……。
家に戻ると、不死子がさっそくママに挨拶した。
先程ママに電話して、友人を泊らせると伝えていた。不死子も実家に連絡して私の家に宿泊する許可を得た。お泊り会である。
普段の私は家の玄関のポストの隙間から出入りするが、今回は不死子の肩の上に乗って玄関ドアから入った。
「ただいまさー」
「お邪魔しますわ、おばさま。おほほほ」
ママがニコニコ顔で玄関にやってきた。
「あら、不死子ちゃんじゃない。久し振りね。いらっしゃい。法子ちゃんは、おかえりなさい」
不死子とママは面識がある。彼女は他人を蘇生させる能力を持っているが、その能力を行使するためには、互いに顔見知りの関係であること、能力の使用時に自身の体重が5キロ減少するなどの条件がある。
好き勝手に使える能力ではないということだ。
ただし一般人には個々の妖怪の固有能力はシークレットとなっていて、一般人であるママは不死子の能力は知らないし、彼女によって2回も蘇生させられていることも知らない。
私と不死子はリビングで対戦格闘ゲームをして過ごした。夕食を食べると、再び対戦格闘ゲームを行う。風呂に入った後も対戦格闘ゲームに興じた。
対戦格闘ゲームは時間を潰すのにもってこいだろう。これをメインにお泊り会を開いてもいいくらいだ。女子にしては珍しいが、私も不死子も家にいる時間のほとんどをテレビゲームをして過ごすという共通点があり、楽しく時間を過ごせた。
そして、いよいよ待っていた時間帯になった。
「ふぁー。それじゃあ、ママは寝るわね。法子ちゃんも不死子ちゃんも、ゲームはほどほどにして眠りなさいね」
「はーい。おやすみ、ママ」
「おやすみなさいませ、おばさま」
ママは寝室に入っていった。ドアの隙間から覗きに行くと、電気が消えいる。
「じゃあ、行くさー」
「の、法子さん……たった今、おばさまは寝室に入ったばかりではありませんか。いくらなんでも、早過ぎますっ!」
「大丈夫さー。うちのママはベッドに入った瞬間に寝るのさ」
「うっそおおおー!」
「不死子はゲームの片付けを頼むさー。私にはゲーム機は重たすぎるさー」
「わかりましたわ」
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