第4話

 数日後、いつもの日課でママの体内に潜り込んでいた時、あるエリアで一悶着が起きた。二つの集団が揉めているようだ。私は止めに向った。


「こらああ。何やってるさー」


「ああん? 誰だこらっ!」


「神~。お助けください。こいつ、僕たちを殺してくるんです」


 そこにはポマードヘアーでサングラスをした、いかにも不良っぽい生き物がいた。身長は私と同じぐらいだろう。


 見たことのない個体だ。彼らとは、黒い体色をした『筆』のような生き物が相対していた。地面から生えるように立っている『毛髪細胞』たちである。植物のように基本的には動けない。


「あんたらは、何者さー。見ない顔さー。私は一寸法子さー」


 謎個体に向かって話しかける。


「おうおう。あんたが、この世界の創造主かい。それで、俺らが何者かって? 泣く子も黙る、分子標的薬くんとは、俺らのことでぇーーい」


「分子標的薬くん、さーね」


 分子標的薬は啖呵を切った。そういえば今日はママの通院日だった。きっと新しい薬を投与されたのだろう。そして、目の前の不良っぽい細胞たちが、その薬なのだ。


『分子標的薬』とは聞いた事のない薬だ。どんな力があるのかは知らないが、病院で投与されたということは、私達の敵ではないはずだ。


「分子標的薬くん、一体、あんたらはここで何をやってるさー。どういった事情で揉めているのかは知らないけれど、ママの体内にいるってことは、癌細胞モンスターたちと一緒に戦う同士のはずさー」


「おうおうおうよーう。俺たちは、癌細胞モンスターをぶっ殺すために、この世界に送り込まれた、いわばデストロイヤーよ。腕がなるぜい」


「神~、でもこいつ、僕たちも殺してくるんです」


 すでに仲間をたくさん殺されたらしい毛髪細胞たちが、私に泣きついてきた。確かに何体もの遺体が転がっており、ゆっくりと地面に沈んでいた。胴体が切られた跡の、切り株のようなものも残っている。


「分子標的薬くん、あんたの敵は癌細胞モンスターのはずさー。あんたらがイジメテいるのは毛髪細胞くんたちさー。彼らは私達の仲間さー。攻撃する相手が違うさーよ」


 しかし、分子標的薬たちは、私を睨みつけてくるだけだ。


「うっせーうっせー。こいつら体色は黒色じゃねえか。俺らは、確かに癌細胞モンスターを倒す為にここに送りこまれたが、体が黒色だと違いがわからねーんじゃ、ぼけえ」


「誰が敵で、誰が味方なのか、覚えればいいさー」


「ふん。俺たちを3歩も歩けば記憶を忘れるニワトリなんかとは一緒にするな。俺たちはな、2歩も歩かないうちに覚えた記憶を忘れちまうんだぜーい。脳のない薬だけにな。だははは」


 分子標的薬はそう言って胸を張った。


 全然自慢じゃないと思うが……。おそらく、分子標的薬たちは馬鹿なのだろう。


「そんなの、胸を張って自慢げに言えることじゃないさー」


「おうおうおうよーう。仕事はしっかりとやらせてもらう。そもそも、俺たちがここに送られてきたのは、創造主よ、あんたが敵の数を減らすことができず、防戦一方になっている現在の状況ゆえにだろう。ふがいなぁあああーーーーし!」


 唾を撒き散らしながら、そう叫ぶ。


 痛いところを突かれた私は、眉を八の字に歪めた。


「うぅぅ。言い返すことができないさー」


 毎晩のように癌細胞モンスターを退治してはいるものの、私達が倒す癌細胞モンスターの数を、ポップする癌細胞モンスターの数が上回っている状況となっていた。


 おそらくは病院で行われた検査で、現在の私達側の劣勢を把握され、がん細胞を撃退するために『分子標的薬』なる薬を投与されたのだと思われる。彼らがどのような力を持つのかは不明だが。


「分子標的薬くん、確かに現在のこの状態は私の力不足が招いた結果さー。不甲斐ない思いで一杯さー。でも、ママの体の敵じゃない細胞たちまで傷つけないでもらいたいのさー」


「おうおうおうよーう。敵じゃない細胞ってこれのことか? えいや」


「ぎゃあああ」


 分子標的薬は、持っていた斧で毛髪細胞を攻撃した。毛髪細胞はその場で伐採されて、切り株と上半身である遺体が残った。


 私は焦って、次のターゲットと睨んでいた毛髪細胞と分子標的薬の間に割って入る。


「こらああ。やめるさー。仲間同士なのに何で殺すのさー」


「おうおうおうよーう。うっせーうっせー。俺はいつ仲間だと言ったんじゃーい。無理やり創造主のかーちゃんの体内に投与された俺たちを、仲間だと思ったら大間違いだぞ。薬に仲間とか、そんな概念なんてもんはないんじゃーーーい。部外者の俺たちがすべきことは一つ、本能の赴くままに好き勝手行動することだ。だはははは」


 周囲の分子標的薬たちも笑い出した。


「うぐぐぐ。敵か味方か、あんたらはどっちなのさー」


 分子標的薬に問うと、隣の毛髪細胞が代わりに答えた。


「敵です。こいつら、敵です。だって僕達を殺しにかかってくるのですもん。神~、倒してください~」


 毛髪細胞がそう懇願してくる。私は逡巡した。弱き者の味方になって戦うというのは、私の信念でもある。


 しかし……。


「でも、そうすると、これから溢れてくるだろう、癌細胞モンスターたちを倒すことができないさー」


 私は分子標的薬たちを振り向いて、頭を下げた。


「分子標的薬くん、どうか、がん細胞だけを狙って倒してほしいさー。おねがいさー」


「嫌なこったー。俺たちは、本能に従って行動してるんじゃい。癌細胞モンスターであろうと、そこの黒っぽい細胞であろうと、どっちも同じ色だから、ぶっ殺したくなる気持ちは同じなんじゃーーーい」


 全く聞く耳がないようである。


 私は頭を抱えた。分子標的薬が無能であったり害があるのであれば退治するが、病院で医師が必要だと判断して、ママの体に投与したものであるのだとしたら、私の判断で除去するのは、ママの体を危険に曝すことになる場合もある。


「困ったさー。どっちの存在も大事さー。分子標的薬くんの言い分を聞けば、がん細胞を倒せないし、毛髪細胞くんの言い分を聞けば、ママがつるっハゲになってしまうさー。困ったさー」


「おりゃおりゃおりゃああああああ」


「ぎゃあああああ」


 私が困っている間にも、分子標的薬が再び毛髪細胞を攻撃し、毛髪細胞の遺体ができる。


「やめるさー。だから、やめるさー」


 止めようとして、分子標的薬の腕を掴むが、振り払われた。


「うっせーうっせー、創造主。俺たちの本能がこいつらを殺せと命じてるんだ。邪魔する気か、それなら職場放棄すっぞ」


「なら邪魔しないさー!」


 私がそう答えたところ、毛髪細胞たちがざわめき出す。


 ごめんよ、毛髪細胞……。


「ええええええー。神は正義の味方じゃないのですか。そんなーそんなー」


 私は正義の味方ではなくママの味方である。私の発言に対して、毛髪細胞たちが一斉に抗議してきた。


「ひどいひどーい。僕たちがいないとどうなるのか分かってるのですかー。神のママがつるっぱげになるんですよ! それでもいいのですかー」


 ママが禿げた姿を想像した。


 髪は女の命。私はママに禿げてほしくない。


「それは困るさー。でも、今は病院で投与された助っ人の薬の力を借りないと癌細胞モンスターの数を減らせない現状にもなっているのさー。いずれはさらに最悪な状況になりそうな予感もしてたのさー。許してほしいさー」


「神~助けてくださいよー。僕たちを助けてくださいよー」


「うぅぅぅ……。板挟みさー。困ったさー」


 そうこうしているうちに、遠くに見える通称『ゴブリンの巣』のダンジョンから、ゴブリン型の癌細胞モンスターたちが溢れるように出てきた。突発的なスタンピートだ。私の背筋に冷たいものが走り、顔がこわばる。


 一方、スタンピートを見た分子標的薬たちは「ひゃっはぁぁああ」と奇声をあげながら、癌細胞モンスターたちの大群に駆けていった。


 そして、ダンジョン近くまで到着すると、手斧で癌細胞モンスターたちに斬りかかり、縦横無尽に血祭りにあげていく。分子標的薬……めちゃくちゃ強い……。今回の突発的スタンピートで出現した癌細胞モンスターを一掃するのに、さほど時間はかからなかった。


 翌朝、ママがいつものように起こしにきてくれた時、ママの髪の毛がごっそりと抜け落ちていることに気づいた。私はそれに衝撃を受ける。


「マ、ママ……髪の毛が……ママの髪の毛が……少なくなってるさ……」


「ええ、抜けちゃったの。昨日投与してもらった薬の副作用みたいね」


「え、ええええー」


 副作用って……。


「今日にでも美容院に行って、丸坊主にしてこようかしら」


 私はそう言うママに向かって、涙目を向けた。


 ポロポロと滴が頬を伝って、落ちていく。


「ママの綺麗な毛が抜けるなんて嫌さー。どうにかならないかさー」


 綺麗な髪は、ママの自慢であると同時に、私の自慢でもあった。だから、ママの髪の毛が抜けるのはとても辛い。私が泣きながらママを見つめていたところ、ママは優しく微笑んだ。


「うふふ。心配してくれてありがとう。でも、仕方がないの。だって、そういうお薬なんだもの。今回の薬はね、正常な細胞とがん細胞の区別がつかないんだって。だから、髪の毛の細胞も攻撃しちゃうらしいから、髪の毛が抜けるの」


「話せば……分かってくれると思うさー」


「話せばって……うふふ。薬を説得するってこと? そんなの無理よ。だって薬は薬なんだもの」


「たしかに、そうさ……」


 この日から私は、毛髪細胞に横暴を働く分子標的薬を見てみぬふりをするようになった。ママの体調が悪いままなので、癌細胞モンスターがダンジョン内でポップしまくっているのだ。そうしたダンジョンでは次々と飽和状態となり、たくさんの癌細胞モンスターが溢れ出る、突発的スタンピートが続いたのだ。一か所のダンジョンによるスタンピートであれば、前回のように陣取って合戦を仕掛けるが、二か所三か所と同時多発的に起きると、私の能力では力不足となり対応できない。癌細胞モンスターは好き勝手な場所に新しいダンジョンを築く『癌転移』を始める。


 私にそれを抑える力がない。一方、そんな状況で活躍を見せているのは分子標的薬だった。


 分子標的薬はダンジョンからスタンピートで溢れてくる癌細胞モンスターたちを嬉々としながら次から次へと撃退していた。終ってみれば、彼らの戦いは常に圧勝となる。


 分子標的薬の基礎ステータス値がチート過ぎるのだ。


 私がどんだけ強いんだろうかと疑問に思ったところ、携帯に新着メールが届いた。

【分子標的薬 種族:薬/レベル:32/HP:16509/MP:0/称号:単細胞バーサーカー】

 とある。


 癌細胞モンスターを大量に撃退している分子標的薬たちは、まもなくママの体内の細胞たちから英雄視され、喝采されるようになった。しかし、そんな英雄を遠くから恨めし気に睨んでいる細胞もいた。


 地中から植物のように生えている毛髪細胞たちだ。私は彼らの傍に行って、苦笑いをしながら話しかけた。


「ど、どーしたさー? 戦いに勝ったのに浮かない顔してるさー」


「どうしたもこうしたもありませんよ。あいつらです。あいつら分子標的薬たちが、この戦いのどさくさに紛れて、私の子供たちも殺害していったんです」


「そう……なのかさー」


 たしかに、切り株のようなものが、あちこちにある。


「神、なんとかしてください。あの横暴者たちを、なんとかしてください! 私達、毛髪細胞はこのままでは絶滅してしまいますっ! いいのですか? 神っ!」


 毛髪細胞は、くわっと目を見開いた。すごい迫力だ。私だって、分子標的薬の横暴は目に余るものがあるから、なんとかしたいとは思っている。だけど、今は分子標的薬たちの戦力がママの体には必要なのだ。


「なんとかしたい気持ちはあるけど、今はあいつらがいないと、癌細胞モンスターたちを倒せないさー。倒せなかったママが死んじゃうさー。すると、この世界自体が壊滅するさーよ」


 そう説得するが、毛髪細胞はかぶりを振るだけだ。


「そんなの知りませんよ。つまりは神は私達を見捨てるのですね。子供たちを殺された私たち毛髪細胞に泣き寝入りをしろというのですか。私達、毛髪細胞は、分子標的薬の犠牲になれと、そう仰るのですね! うぅぅぅ。うぅぅぅ。そんなのあんまりですぅぅぅぅ」


 毛細細胞たちは、目からポロポロと大粒の涙を流した。


 私はオロオロと戸惑う。


「いや、そこまでは言わないさーよ」


 毛髪細胞は仲間だから手を出さないように、とこれまでに何度も分子標的薬たちに注意した。だけど、何度言っても分子標的薬は、聞く耳を持たないのである。彼らは私の手にはおえない問題児なのだ。


「卑怯者です。神は私達の味方ではなかったのですか? あんな外部由来の者の味方をなさるのですか? うぅぅぅ。うぅぅぅ……」


「そ、そんなわけじゃないさー。味方なんてしてないさー」


「だったら、どういうわけなのですか! 私達が全滅したら、神のお母様はつるっぱげになっちゃうのですよ! いいのですか? それでもいいのですか?」


「よ、よくないさー。髪は女の命さ……つるっぱげだなんて、絶対にダメさー」


 ママは投与した薬の副作用だから仕方がないと言って諦めているが、私は諦めてはいない。ただ、良案があるのかといえば、正直なところ、ない。


「だったら、分子標的薬たちをやっつけてくださいよぉ」


「うぅぅ……ごめんさー。それも……できないさ……」


 私は申し訳なくて、毛髪細胞の顔が見れなくなった。力なく俯いた。


「ふん……分かってましたよ。そう仰られると思ってましたよ。私達、毛髪細胞族にできることは、我らが子供を殺した分子標的薬に呪いをかけるのみです。ウゥーダミ~。マァーダヌ~。ウゥーダミ~。マァーダヌ~」


 毛髪細胞たちは白目になって、不思議な呪文を唱え始めた。これが、呪いか? なんだか怖い。


「たんまさー。たんまさー。呪いなんてかけるのやめるさー。ちょっと私に考える時間を与えてほしいのさー」


 私は板挟みとなっている。両方からの圧力……というか、片方からの圧力がすこぶる重い。


 この日、ママの体内から出る時に、分子標的薬に毛髪細胞を殺さないようにもう一度お願いした。しかし、その返事は「パンナコッタ、やなこった。あ~肩こった~」である。うぬぬぬ。完全に舐められている。

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