雨
「――クソっ、クソっ!」
東条は雨に濡れ垂れてくる前髪を振り払い、ぬかるんだ地面を蹴って走る。
戦闘音はかなり先、住居がある広場の方だ。
道中に転がる子供達……だったものを見るたびに、彼らとの記憶が蘇り東条の胸が刺す様に痛む。
死体はどれも損傷が激しく、藜をむりやり連れてきても意味がない可能性が高い。
人間の様な複雑なものを復元し蘇生までする場合、全身の六割のパーツが揃っていてようやく復元できるのだ。そうでない場合、そもそも能力が人間として認識してくれない。
「っ、」
怒りを向ける対象としてスカアハの顔が浮かぶが、東条とて分かっている。
この光景は、いつか来た未来だ。もしこの怒りが誰かのせいであるのならば、それはどっちつかずだった自分のせいに他ならない。
後悔は後でしろっ。今はただ、救える命を救うッ。
東条が更に加速した、――その時視界に過ぎる見知った手。
「っぶね」
東条は転びそうになりながら急ブレーキをかけ、その手に駆け寄る。
こちらから見えるのは地面に投げ出された手だけだが、彼女は木の裏に背中を預ける様にして休んでいた。そう、休んでいるだけだ。だけだ。
「っミェル‼︎ 遅れてごめんっ、ミェ」
東条は手を拾い上げ、…………拾い上げ?
東条の脳は混乱し、一瞬遅れて理解する。
……その手には、手首から先が丸ごとついていなかった。
「っ、っ、」
何度も握り合った、フワフワとした可愛らしい手。間違える筈がない。泥で汚れてしまっているが、間違える筈がない。
「ふぅっふぅっ、落ち着け、決めつけるなっ、落ち着け‼︎」
まだ死んだと決まったわけじゃない。
そう自分を納得させ、一応木の裏に回り込んだ東条が固まる。
……木の根元にベッタリとついた、黒い染み。黒い、人型の染み。
きっと、何もない方がまだ良かった。
まだ自分に嘘をつけた。
こんなの、勘違いすらできないじゃないか。
――雨が降っている。
東条の頭の中を、ミェルの笑顔が駆け巡る。無邪気で、優しく、可愛らしい笑顔が駆け巡る。
――雨が降っている。
『マサ一緒に遊ぼ!』『ねぇマサ、これなんて読むの?』『マサつよー‼︎』『ねぇねぇマサ起きて!』『マサこれおいしーよ!』『マサ探検いこー?』『マサ一緒にお風呂入ろ? ダメ? なんで!』『ぷくくっ、これ先生にないしょだよ?』『ねぇマサ、地上って楽しい?』
――雨が、降っている。
「ふぅッふぅッふぅッ」
頭の中で、雨音がうるさい程に響いている。
「ふぅッ! ふぅッ! ふぅッ!」
響いて、響いて、それ以外に何も聞こえなくなって、響いて、――そして消えた。
――雨が、降っていた。……………………………あの時も。
東条の記憶にノイズが走り、閉じ込めた筈の記憶と目の前の光景がダブる。
……ヒビ割れた菊のブローチが足元に転がっている。
……親友の片腕が木の根元に転がっている。
……楽しく語りあった子供達の死体が、屋上の至る所に転がっている。
……うるさいくらいに、雨が降っている。
「――い! っおい、おい! お前はキリマサトージョーだな‼︎」
「……」
本隊に合流しようと走っていた騎士が、ボーっと突っ立っている東条を見つけ駆け寄ってくる。
「緊急事態だ‼︎ お前も手を貸せ‼︎ 向こうで総隊長達が戦っ――」
バシャッ‼︎
と隣の木に真っ赤な染みができる。
ひしゃげた騎士の兜が地面に落ち、首から上がなくなった騎士が崩れ落ちた。
「……――」
曇天の下、一筋の雷鳴が轟いた。
「クゥゥッ‼︎」
「っオルグ! もういい! 逃げて‼︎」
天高く昇る業火の竜巻の中、ボロボロのリンに覆い被さったオルグが肌を炭化させながらも必死に耐える。
そんな彼らに、影の杖を持った老爺は心底軽蔑した目を向けた。
「逃げてじゃと? 吐かせ化物が。貴様らの様な者が、この世に存在していい筈がない。灰すら残さず消し去っぺ――」
瞬間老爺の頭部が破裂し、周りで戦っていた騎士や魔術師が唖然とする。
業火が霧散し驚くオルグとリンの前に、一本の落雷が落ちた。
「っおま⁉︎」「っマサ」
「……」
バチバチと明滅する『雷装』のプレッシャーを前に、二人が息を呑む。
東条は懐からそっとミェルの手を取り出し、リンに手渡した。
「……弔ってやってくれ」
「っ……うん。ありがと」「ッんのバカ、あれだけ気をつけろってっ」
頷いた東条が、――刹那振り向くと同時に拳を殴り上げた。
「ガッハァッ⁉︎」
剣を振り抜こうとしていた女騎士の腹に突き刺さった腕が、漆黒に変わる。
「まっ――」
直後女騎士の体が体内から爆散し、そこら中に肉片が飛び散った。
東条に向けられる、懐疑と敵意の視線。最早言い逃れできない状況。
「……」
うるさい雨は、まだ降り続けている。
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