楽園
アヴァロンに立ち込める、安寧と思い出が焼ける臭い。
鳴り止まぬ怒号と剣戟が小川のせせらぎを消し、魔法の衝突が小鳥の囀りを消す。
青々とした大地は業火に呑まれ、透き通っていた湖は赤く濁っている。
死体、死体、死体、見渡す限りを埋め尽くす、龍と人の死体。
その中には当然、子供達の姿も散見される。
……冷たく、動かなくなった小さな手に、ポツリ、と黒雲が涙を零した。
「……何だい、これは」
降り出した雨を三角帽子で防ぎながら、スカアハはまだ一〇にも満たない少女の死体に沈鬱な瞳を向ける。
人でもモンスターでもない存在。人に似た姿をしておきながら、本能に従って人を狩りにくる異形。
……スカアハは見ていた。
彼らを保護しようとした騎士が噛み殺された。
殺せずに躊躇った魔術師が八つ裂きにされた。
常軌を逸した人間への嫌悪、見た目が子供でも、一人一人が命など簡単に捨てる戦士なのだ。
殺さなければ、殺される。
「……こんな可哀想な物を生み出して、流石モンスターだね」
「……」
影に拘束されたまま運ばれるエキドナの目は、最早暗く濁り現実を見ようとしていない。
子供達の絶叫に、怒りに吠える怒号に、彼女は耳を抑えうずくまってしまう。
美しい白い長髪が雨に打たれ、グシャグシャに濡れていく。
「……違うのね」
スカアハは彼女の頭上に影の傘をさし、再び歩き始めた。
この世において、確かに龍は最強種であり、子供達も一人で騎士数人を相手にできるだけの力がある。
しかし、たかだか三〇〇かそこらの雑多軍が、一五〇〇を超える、それも大陸有数の精鋭軍相手に勝てる筈がないのだ。
これは戦争である。
戦争において、数はそのまま勝敗に直結する。
「っ……酷いね」
「ッ、」
木の枝にズラリと並べられた人間の頭部を見て、スカアハは顔を顰め、エキドナは絶句する。
「こんな、こんなっ」
「……その反応を見るに、お互いこの状況は望んだものではなかったみたいだね」
「っおた、がい? ッふざけるな、お前が、お前が人間さえ呼ばなければっ‼︎」
涙を流し叫ぶエキドナを、スカアハはただ見つめる。
「それは言い訳ね。最近ずっと、地上には魔力を伴った風が吹いていたもの。見ていたのでしょう? 私達を。
ダンジョンに何かがあることは、最初から想定済みだったのよ。
遅かれ早かれこうするつもりだったのでしょう? この光景が地上で広がるか、地下で広がるか、それだけよ」
「っ違う! 私は、私はっ」
「あなたがどう思うかじゃないのよ。……こんなもの、私でも分かるわよ。
人を滅ぼすための兵器じゃない」
「ッ、……」
言い返せない自分への不甲斐なさに、エキドナは唇を噛み血を垂らす。
何がダメだったのか、どこで間違えたのか、今までやってきたことは、何もかもが無駄だったのか。もうそんなことすら分からずに、エキドナは自分を責め続ける。
このまま黙って子供達が殺されていくのを見ていることしかできないのか?
命を捨てて子供達を救えるなら、こんな命いくらでも捨ててやりたいッ。
でも、この女はそれすら許してくれない。
私にできることはないのか?
もう何も……。
自問自答を繰り返すエキドナの頭の中に、閉じ込めていた選択肢が浮かび上がる。
……ダメだ。
呼んだところで、どうにかなる状況じゃない。
ただ彼に迷惑をかけるだけだ。
ただ彼を悲しませるだけだ。
…………それでも、
「――っ、あんたねぇ、大人しくしていなさいっ、て⁉︎」
発動した転移術式から、影の城に閉じ込めていなかった三人と一匹が呼び出される。
驚くノエルとプニル、そこに寄りかかる気絶したアーサー。そして同じく驚く東条――
「――ッぐ⁉︎」
瞬間蹴り飛ばされたスカアハが、フワリと宙に浮く。
「っエキドナ!」
東条は解放されたエキドナに駆け寄り、倒れそうになる彼女を抱き止めた。
「どうした⁉︎ 何があっ」
「っお願い、お願いキリマサぁ‼︎」
「っ⁉︎」
ボロボロと涙を流す彼女に腕を強く掴まれ、東条は狼狽する。
「っおい、本当に何が」
「っあの子達だけでも、助けてあげてっ。お願い、お願いっ」
「助ける? っガキどもに何か」
「……マサ」
その時、ようやく気づく。
……雨の音に混ざり、周囲から鳴り響いている音に。
……目が眩む程の、充満した鉄臭さに。
ノエルが見ている方向に、ゆっくりと東条も目を向ける。
一瞬、彼は理解ができなかった。
これは現実ではないと、脳が目の前に広がる光景を拒否した。
しかし現実である。
紛れもない、現実なのである。
「……は?」
そこは楽園とは名ばかりの、地獄であった。
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