影に包まれて



 満点の星空の下、湖のほとりでエキドナが不安に立ち上がる。


「ヒュドラ? 返事をして(パスが切れた? どうしていきなりっ)返事をしてっ、ヒュド」


「あら! こんにちは! へぇ〜〜これがぁ……すっごい、夜なんて概念もあるのねぇ。空間が歪んでいるのかしら? 空もたっかいし、これは湖? うわっ、養殖までしているじゃない! すごぉ〜!」



「…………は?」



 最下層アヴァロンへと転移したスカアハが、神秘的な光景にはしゃぎ回る。


 ……何で、どうして、どうやってこここに?

 驚愕と焦燥に一瞬固まったエキドナは、しかし反射的に長杖を地面に叩きつけヒュドラ達を強制的に呼び戻した。


「ッ……え、」


「……あらあら、ウフフっ」


 ……夜風が吹き抜け、静かな湖面を揺らす。


 何も起きない、誰も戻ってこない状況に、エキドナの額に玉の汗が浮かんだ。

 魔術は発動している。これは、違う、こちら側の問題じゃない。転移させる対象が観測できないのだ。


「不思議?」


 パシャパシャと水に足をつけながら微笑む魔女に、エキドナの蛇眼が細まる。


「……何をした」


「呼ばれたら面倒だもの。それにしても頑丈ねぇあのドラゴン達。あれでちょっと弱る程度とか。ショックだわ」


 スカアハに襲いかかったうねる激流が一瞬で凍りつく。


「……彼らは無事なの? 連絡を妨害しているのはあなた?」


「ええ無事よ。殺すなんてもったいないもの。今は私の城で休んでもらっているの。外界と隔絶しているから、魔術での干渉はできないわよ?」


 スカアハに直撃した落雷が、美しい蝶の群れに変わる。


「……城、ですって?」


「ウフフっ、私はスカアハよ? ……どうせあなたも知っているんでしょう?」


「――ッ⁉︎」


 耳元をくすぐった吐息に、エキドナは逃げる様に飛び退く。

 いつの間に近づいた⁉︎ 見えなかった⁉︎ 魔術の気配もないっ。……これがエルザの言っていた、秘匿された彼女のcell?

 エキドナは垂れる汗を拭い、激しく鳴る動悸を必死に抑える。


「というかあなた、エキドナよね?」


「っ……」


「やっぱり! なーんか見たことあったのよねぇ。バカが考えた趣味の悪い実験には興味なかったけれど、逃げていたのね。それでどうなの? 何人産んだの?」


「一人も産んでいないわ。その前に逃げたから」


「あら、良かったじゃない!」


「……どうも」


「いいえ〜♪」


 爆撃の如く降り注ぐ魔術の嵐を、スカアハは散歩するかの様にフワフワと対処する。


「あなたの魔術よかったわあ。綺麗で賢い式だった。そのせいで逆探知にも時間かかっちゃったし、ジャミングするのも手間取っちゃった。見よう見まねでここまでの高みに来たんでしょう? 誇っていいわよ、あなたは天才」


「……お世辞は結構です。早く出ていってください」


「それはできないわよぉ」


「っ、」


 飛び退いたエキドナは蛇の様に迫る地割れを強引に閉じ、光線を鏡で反射して林の一部を焼き払った。


「あなたと魔術で語り合いたいのもやまやまなのだけれど、私にも立場があるし。

 ほら、ちょっと遊んでいる間に三人も死んじゃったじゃない? まったく使えないったらありゃしないんだから。

 アーサーは気絶しているし、ジークフリートのバカは何かゲームしているし、【怠惰】とノエルを呼ぶのもねぇ、あの子達部外者だから巻き込んだら可哀想よね。

 やっぱり私がやるしかないのかしら? 面倒だわあ」


 山脈の向こうから続々と飛んでくるドラゴン達を見て、スカアハはどうしたものかと溜息を吐く。


「……ふぅぅ」


 ……ベラベラと喋ってくれて助かった。

 待機していたドラゴン二〇〇匹を召集したエキドナは、チラリと後方を見て汗を垂らす。

 現状マズすぎることに変わりはない。加えて絶対にこの女を子供達に近づけてはならない。私が何とかしなければ、私がっ。


「うん、そうね」


 ポン、と手を叩いたスカアハが地面に手をつく。


 途端周囲の闇が一層濃くなり、スカアハの後方約一〇数㎞の大地が真っ黒に染まった。




「…………ぇ」


 あり得ない光景に、エキドナが放心してしまう。





「「「「「「「「「「「「「「「「「……え?」」」」」」」」」」」」」」」」」


 いきなりの光景に、彼らが放心してしまう。





「あなた達、この場所を制圧なさい」




 Scáthachスカアハ Cell:支配系『Dún Scáith影の女王



 影を通して地上から強制的に落とされた、宮廷魔術師団、円卓麾下ブリテン精鋭騎士団、ブリテン騎士・魔術師団、総勢一五〇〇名の大軍勢。




 絶対に起きてほしくないことは、得てして、絶対に起きてほしくないタイミングで起きるものである。









「……」


 濃密な、鼻が曲がる程の天敵の臭い。


 ベッドから体を起こした彼ら、彼女らは、本能のままに牙を剥き外へと飛び出した。


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