第36話




 数刻前、メキシコ。


 時計の針は深夜2時を回り、街全体から熱気が引いてゆく。

 余韻が溶けて漂う街路を歩く、小さな影が1つ。


「……」


 寝巻きのまま外に出たノエルは、目的地もなく暗がりをトボトボと歩く。


 彼女は足元の影を見つめながら、無意味な自問自答を繰り返していた。


「……」


 ……今ここでノエルが日本に帰らなかったら、きっとマサにも、灰音にも、紗命にも心配かけちゃう。


 なら、なぜすぐに後を追わなかった?


 ……ノエルが、それを望んでいるから。ノエルがついていかなかったら、マサは向こうでもずっとノエルのことを考える。もしかしたら心配して帰ってくるかもしれない。


 マサが今回はお前の傍にいると言った時、お前は断り一緒に帰ると言った。


 ……言った。でも無理だった。あの時はいけると思ったけど、身体が動かなかった。


 自分の心には気づいた筈だ。受け入れた筈だ。


 ……受け入れたら、余計辛くなった。……気持ち悪い。


 なら殺せばいい。お前なら――


 嫌だ。


 ワガママだな。


 ……ノエルはワガママ。


 マサが付き合ってくれた観光も、最後に全部吐き出して台無しにした。


 ……。


 分かっているだろ。マサは歴史や文化に大した興味はない。お前のルーツに興味があるのは、お前だけだ。


 ……。


 全部吐き出してマサにいらぬ心配をかけた後、お前は昨日の祭りで笑っていたな?どうだ、祭りは楽しかったか?


 ……つまらなかった。


 笑っていたじゃないか?


 ……作り笑いなんて初めてした。吐きそうだった。……どんな問題も、大体は時間が解決してくれる。この感情もそうだと思った。でも、耐えられない。気持ち悪い。


 灰音と紗命はお前のために我慢してくれているのに、お前は1日耐えることすら出来ないのか?


 ……。


 お前はそんな手で2人にプレゼントを選んだのか。気色悪い。2人が知ったらどう思うだろうな?


 ……。


 そんなにキツいならマサに言えばいい。ノエルは寂しいです。灰音も紗命も捨てて、ずっと一緒にいてくださいって。


 ダメ。マサに迷惑かけたくない。


 お前は現在進行形でマサに迷惑をかけている。


 ……。


 灰音も紗命も大事。

 でもマサを取られるのは嫌だ。

 でもマサに迷惑をかけたくないから想いは言わない。

 でもそんな自分を察してもらいたいと、マサに心配して欲しいと思っている。


 ……。



 浅ましいよ、お前。



「……」


 遠くに聞こえる明るい音楽を耳に、ノエルは寂れたベンチに腰掛けた。


 死にかけの街灯が頭上で仄暗く明滅し、足元に伸びる影が出たり消えたり。


 ……これからもずっと、思春期とやらが終わるまで、この感情を抱えていかなければならないのだろうか?

 人間は、どうやってこんな物を乗り越えてきたのだろうか?

 次マサと会った時、どういう顔をすればいいのだろうか?

 また、笑って逃げるのだろうか?


 ……その時のノエルは、うまく笑えるのだろうか?


「…………はぁ、」


 悪い方悪い方に考えてしまっている自分に溜息を吐いたノエルは、顔を手の平で覆い、一旦影から目を逸らした。


 そして、


「……ノエルは今機嫌が悪い。言葉を選べ」


 目を開けた先、ノエルの影が伸びる先に、数人の白装束が跪いていた。

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