第35話
「おかえり♡」
ゲートの前で待っていた藜が不敵な笑みを浮かべ、ボトルとグラスを掲げる。
しかし、
「すまねぇ、ノエル心配だからすぐ帰るわ」
「うっそだろ⁉︎」
背を向ける東条に絶望する彼は、危うく落としそうになったグラスを抱え何とか踏ん張る。
「それだけ言いに来たんだ。じゃな」
「ちょ、ちょい待ってくれってぇ。一杯、一杯だけでいいから!」
「あぁ?」
「俺マサのために色々やってあげたじゃぁん。大変だったな〜あぁとても大変だった」
「……」
「ね?お願い」
クネクネと気色悪い動きで擦り寄ってくる中年に、東条は溜息を吐きグラスを受け取る。
「一杯だけで頼む」
「やった♡」
東条を連れ自室に移動した藜は、ブラインドを閉め扉に鍵を掛け、間接照明の電源を入れる。
ムードの漂う部屋に2人きり。東条は露骨に嫌な顔をする。
「……おい、俺にそっちの気はねぇぞ」
「クハハっ、生憎俺にもないさ。心配しないでちょーだい」
コトン、と置かれたボトルを挟み、ソファに腰掛けた東条と藜が向かい合う。
「……こうして座ると、あの時を思い出すねぇ」
「懐かしいな」
カラン、とグラスの中で氷が回り、トクトクとブランデーが注がれる。
「あの時はビックリしたぜ?扉を挟んでたのにチビりそうだった」
「こっちのセリフだよ威嚇しやがって」
「「……乾杯」」
緩慢な灯りの中で金色の波紋が揺れ、小気味いい音を立てた。
2人はグラスを一気に呷り、カタン、とテーブルに置く。
「……」
東条が立ちあがろうとしたその時には、既に2杯目がトクトクと音を立てていた。笑顔で酒を注ぐ藜に(……ケッ)と内心で抗議し、上げかけた尻を下ろす。
藜はそんな彼を見てクツクツと楽しそうに笑う。
「……やっぱり愛はいいね。美しい」
「茶化すなや、これでも結構悩んでんだぜ?」
「茶化してなんかないさ。俺は確信してるよ、お前達なら何の問題もないってね」
「つってもな。……このままじゃノエル1人に負担を押し付けちまってるようで」
「それは彼女が選んだ道だろう?人を愛するということはそういうことだ」
「それを一緒に考えてやるのがあいつを選んだ俺の役目だろ」
「分かってるじゃないか」
「……チっ」
東条はニヤニヤとウザい藜から目を逸らし、酒で思考を焼く。
こいつと話していると、絶えず手の平の上で転がされている様な感じがして嫌なのだ。
「ま、俺はお前達の行く末を楽しみに見守っているから、安心してくれ」
「1番安心出来ねぇんだよ」
「ところでマサ、ちょっと聞きたいんだけど」
「何だよ」
「生でアルバ見て、どんな風に感じた?」
「……」
藜の持つグラスの中で、氷が乾いた音を立てる。
「同じ『王』と言っても、やっぱり別格だった?1番ノエルの近くにいる、マサの意見を聞きたいんだ」
「……お前、……いや、お前だから、か」
なぜそれを知っているのか。東条は一瞬迷ったが、その答えはだいたい『藜だから』で片付いてしまうと気づき、面倒なので思考を放棄した。
「ありゃ人の枠で考えちゃいけねぇ存在だな。新しい世界のアンタッチャブル、そんなところだ。勿論戦おうなんて考えた日にゃ、大陸諸共塵だろうよ」
「今のところ相互不可侵と見て間違いないかな?」
「そう言ってたぜ?何考えてるか分からねぇ爺さんだったよ」
「……ありがとう。いいことを聞けた」
嬉しそうに微笑む藜を、東条も鼻で笑う。
「お返しといっちゃ何だが、この前仕入れた情報で面白いのがあってね。聞きたい?」
「そりゃな」
「マサはさ、アステカの神話を依代にしたノエルが、何で日本で生まれたと思う?」
「そーいやそーだな」
「確定ではないから、あくまで面白い仮定として聞いて欲しいんだけどね」
「おう」
「俺はね、『王』と『選帝者』はセットで生まれていると思うんだ」
……『選帝者』の存在まで。
「前提として、モンスターの誕生とエネルギーには密接な関係がある。世界に初めて球体が出現した時も、人口の多い地域に優先的に出現していたろ?この世で最もエネルギーを生み、消費するのは大都市であり、人間だ。あれは人間の生体エネルギーに球体が引き寄せられたから起きた現象だな」
「ニュースでもやってたな」
「そう、ここまでは一般常識だ。で、テラフォーミングされた地球で、最もエネルギーを宿す存在は何だと思う?」
「それが『選帝者』ってことか」
藜は正解、とグラスを持ったまま東条を指差し氷を鳴らす。
「果たして『選帝者』が先か『王』が先か。そこはまだ分からねぇが、少なくとも俺は、モンスター側が『選帝者』に覚醒した人間に引き寄せられたと見ている。
メキシコには『選帝者』が生まれなかったから、イラクには『選帝者』が生まれなかったから、ノエルはマサに引き寄せられたし、アルバはステラに引き寄せられた。
どうだ、面白くないか?」
「ああ、面白ぇ。よく調べたな」
「趣味さ」と笑う藜。
グラスに口を付け、「だけどよ」と東条。
「お前のことだから、どうせ選帝の力が大罪に由来してるのも知ってんだろ?」
「まぁね」
「大罪は七つ。てことは、ノエルがアメリカとかイタリアに顕現する可能性もあったってことか」
「大いにあったろうなぁ。寧ろ地理的にはそっちの方が有り得た。
ただ、マサ知ってるか?日本の神道は、蛇信仰と言っても過言ではない程蛇を重要視しているんだぜ?何なら日本の最高神、天照大御神が蛇神だったなんて伝承もあるくらいだ。繋がりはある」
「へ〜。なら日本神話で顕現すりゃ良くね」
「クハハっ、それは俺じゃなくてノエルに聞けよ。
……ただまぁ、日本神話ってのは世界中の神話と比べても異質でな、人と神の境界が曖昧なんだよ。他の国の宗教や神話の中では、人は神の模造物であることが多い。でも日本では徳川家康も菅原道真も人の身で神として祀られているだろ?創世神話はあれど、領域にはっきりとした断絶線がないのが日本神話の特徴なんだ。
それは神の依代として設定するには些か面倒、これが日本神話から『王』が生まれない理由だと思うのよ、俺は」
「……なるほど。いやぁ、詳しいな藜。社会の先生にでもなれば?」
「クフフっ、目指してみるか?」
想像でしかないのだろうが、想像すること程楽しいこともまぁない。
東条のグラスに3杯目が注がれる。
「しかしだ、この国には『王』に加え『調停者』まで顕現している!」
……もうツッコまねぇぞ。
「これは偏に、マサの内包するエネルギーが異常だからだと思うのさ!マサのcellが万物の根源であるエネルギーに由来しているってのもあるだろうが、神の如き存在を同時に2体も!やっぱりマサは凄いんだ!」
「え、何?この一連の会話俺を褒めるためにあったの?」
「当然だろ!」
「否定しろよ。怖ぇよ」
グラスを置き、立ち上がる。
「ありがとよ、楽しかったわ」
「んだよもう行くのかよ〜?」
「心配なんでな」
「クフフっ、……まさに運命の2人、お熱いねぇ〜」
ソファに両腕を回しダラリと天井を仰ぐ藜が、そのままの体勢で「あそうだ!」と指を立てる。
「んだよ」
「これは予想ですらない、ただの勘でしかないんだが」
藜は首を起こし、
「『選帝者』には気をつけるんだよ」
不気味な笑みを浮かべる。
「何だかここ最近、世界中が騒がしくなってきてる気がするんだ」
「んなのずっと前からだろ」
「違う違う。俺が見ているのは『裏』だ。表じゃない、裏のお話さ」
「……」
要領を得ない彼に背を向け、東条はメキシコにワンコール入れリングを起動する。
……要領を得ないが、無駄な忠告だとは思わない。
なぜなら、それが藜だから。
「片隅に留めとくよ」
「うんうん、またね〜」
……リングの光が消え、静寂に包まれた室内。
藜は1人、楽しそうに唇を濡らした。
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