第16話



 京都は首相官邸。



 総理執務室にて、1人の女性が書類に目を通す。


 切り揃えた髪。

 知的なメガネから覗く鋭い瞳。

 薄く塗られたリップ。

 キッチリとアイロンの掛けられたスーツ。


 コンコン


「彦根です」


 扉の奥からの声に、彼女は書類を置き、顔を上げた。


「はい。構いません」


「お疲れ〜見美くん」


「ここでは総理と呼んでください。彦根提督」


 彼女、我道見美はこの予測不可能な時代、日本初の女性総理としてその背に覚悟を背負った。


 父英次郎の後を継ぎ、崩壊寸前の日本を復興させた立役者。裏で暗躍する藜を牽制し、利用し、表から支えたのは紛れもない彼女率いる新政府。


 いくらハイネのcellが国民の思考を誘導出来るとしても、それは東条とノエルに対する思考のみ。そも灰音はそれ以外興味もなければ協力する気もない。


 だからあれ程の事件が起きていながら今の日本があるのは、偏に見美自身の卓越した手腕によるものである。


 軍帽を脱いだ彦根がうやうやしくお辞儀する。


「これはすみません、見美総理大臣閣下」


「……はぁ、もう良いです。それで何の用でしょう?」


「彼が心を決めたようですので、お連れしました」


「……失礼します」


 うやうやしく指された扉から、バツが悪そうに出てくる千軸。


「千軸さん、来てくださったということは、軍に戻っていただけると考えてもよろしいのでしょうか?」


 千軸は頬を掻きそっぽを向く。


「……見美さ、総理に加えて前総理と岩国さんにまで直接頭下げられたんすよ?……あんなの脅しでしょ」


「今の日本には貴方が必要です。我々程度の頭で貴方を呼び戻せるのであれば、いくらでも下げましょう」


「……マジでやめて下さい」


「それで答えは、」


「……はぁ、分かりましたよ。千軸楓、本日付で復帰させてもらいます」


 諦めたように敬礼する千軸に、……見美は静かに、心底ホッとしたように息を吐いた。


「……感謝します」


「へぃ」


 顔を上げた見美は柔らかさを仕舞い、元の表情を貼り付ける。


「それでは千軸隊長、改め千軸提督、貴方には亜門提督、彦根提督と同様に我が国の選抜部隊を率いていただきます」


「……へ?」


「準備は整っています。今から部隊に合流し、コンビネーションを確認、修正点の確認、改善、沖縄駐屯場から新大陸に入り、新種のモンスター相手に実地訓練をして下さい」


「……今から?」


「今からです」


「……彦根さん、俺やっぱ戻るのやめ」

「おっかえり楓くん!それじゃあ行ってらっしゃい頑張ってね!」


 彦根が手を叩くと、千軸隊の隊員が千軸の両脇を掴みそのまま引きずって行ってしまった。


「あははっ、やっぱり彼がいないとね」


「……」


 元の空気を取り戻した執務室の中、見美が席に着く。


「お疲れ様です彦根提督。任務に戻って構いませんよ」


「相変わらず冷たいですねぇ」


 彦根は壁に掛かる歴代総理の写真を見ながら苦笑する。


「……英次郎さんも岩国さんも責任とってやめちゃった現状、上層部も大きく入れ替わりました。

 中には利権のことしか頭にないザ・政治家も多数。いつの時代もそこは変わりませんね」


「……何が言いたいのでしょう?」


「いえ、単純に、……キツくなったらちゃんと頼って下さい、と」


「……」


「英二郎さんは半ば暴走してあの惨状を引き起こした。我々軍部も、盲目的に英次郎さんというカリスマを信じすぎた。

 ……見美くんも、なまじ卓越した能力があるからこそ、全てを自分1人で背負おうとする節がある。この新政府の中でも、僕達はあの惨状への過程と結果を知る組だ。

 もうあんな悲劇を起こさないよう、ちゃんと話し合って、協力しよう」


「……意外と優しいのね。あなた」


「知らなかったかい?僕は優しいんだ」


 彦根は軍帽を被り直し、彼女に背を向ける。


「……頑張ろうね、見美総理」


「……ええ、頑張りましょう。日本のために」



 わざとらしくお辞儀する彦根は、久しぶりに彼女の笑顔を見た。

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