耳を澄ませ、死の足音に

 


「――コ、コココ、コココココッッッッッ……?……」


 カロンはその美しさに見惚れ、讃え、


 ……そして絶句する。


 ようやく気づいたのだ。



 ……雨が、止んでいる。



 島に落ちる筈の雨は途中から雪に変わり、島に近づくごとに増すその埒外の冷気のせいで形を保てなくなり、サラサラと崩壊する。


 地面を浸していた全ての雨水が凍結し、同じくサラサラと宙を舞っている。

 ……いや、違う。瓦礫や木片、地面に至るまで、物質と名の付く物全てが凍り、分子崩壊を始めていた。



 ――初めてカロンの顔に、焦りが浮かんだ。



 カロンの能力は、魂の分裂ともう1つ、『ステュクス』の神話になぞらえた力を顕現させること。


 分裂時は、膂力、敏捷、魔法に自身の核を分け、高い再生能力を有する独立個体を3つ出現させる。


 これら個体は全てが本体であり、分体。故に魔法個体が本体であるというノエルの読みは外れている。

 魔法を使う以上、高い演算能力が必要となる。魔法個体に脳のリソースを割いているだけであり、やろうと思えばどれで喋ることも可能。


 加え同時に破壊されない限り、いくらでも蘇る。


 ただ合体時より大幅に性能が落ちるのが難点。


 合体時は、本体性能が乗算され、自身の骨を際限なく操ることが出来るようになる代わりに、魔法の使用が不可となる。


 そして『ステュクス』。

 神話の『川』を現実の『水』に転換させ、その神話の力を引き出す能力。



 具体的には、『水』を媒介とした、『不死性』と『超人性』の獲得。



 とある有名な伝説ではこうある。

 かの英雄アキレウスは、赤子の頃、母によってステュクスの川に浸けられたことで超人的な力を授かり、不死となった。

 その時母に掴まれていたアキレス腱だけが川に浸かることなく、弱点となった、と。


 水を川と同義としたカロンには、これと同じ現象が起こる。


 故に、自身が『水』に触れている限り、

 ただでさえ高くなったカロンの身体能力は生物の限界を超え、

 本来なら身体に負担の掛かる体外からの魔力供給を無限に扱え、

 死すら超越するのだ。

 勿論アキレス腱なんて弱点も無い。


 まさに理不尽。負ける要素がない。



 ……当の本人も、今の今までそう思っていた。



「――ッッ」


 カロンは全力で周りを見渡す。水はっ、水はッ!


 辺り一面白銀の世界。その先に広がるのは海。


 海は、海だけはダメなのだ。海は他の『神』の領域、……カロンの物ではない。


「ッコココッッッ」


 カロンは頭が良かった。故に、退却を選んだ。

 万全を期すため、退却を――




 パキッ




「ッ……?」


 走り出そうとしたカロンの目に映るのは、地面についた自分の手。


 一瞬何が起きたのか理解できなかった。


 後ろを振り向き、気づく。


 ……直立する、凍った自分の腰から下。



 下半身がもげていた。



「ッッッッ」


 氷霧の中、ゆっくりと現れる闇に目を剥き、カロンは全力で這う。


 再生が効かない⁉︎身体が治らない⁉︎マズいマズいマズいッ⁉︎


「ッ」



 ――地面についた左腕が取れた。



「ッッ」



 ――地面についた右腕が取れた。



「ッッッォオオオ‼︎‼︎――っ、っ」



 ――絶叫に喉が崩れ、声が出せなくなった。




 ――近づく闇。



 ――声無き悲鳴を上げるカロン。






 ――無音の中、




「ッ、ッっ、っ‼︎‼︎」





『天女ノ羽衣』





 ――柔らかく、慈悲深い『死』が、驕れる魔神を優しく包んだ。

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