東条桐将という男

 



 ――東条桐将は、どこにでもいる『普通』の人間だった。



 幼い頃は、とりあえず目に付く物を手当たり次第口に入れて親を焦らせた。


 歩けるように、走れるようになり、世界の広さに興奮した。


 毎日泥だらけで家に帰っては叱られ、その度に裸で逃げ出した。


 小学校では自然と友達ができ、毎朝起きるのが楽しかった。


 中学では人並みに恋をして、初めて女子の手を握った。


 高校に入り、ひねくれた。自分と他人を俯瞰ふかんして見るようになり、周りに合わせるのも億劫になった。


 気づいた時には、ボッチになっていた。


 そしてアニメにハマり、ラノベにハマり、ブイチューバーにハマり、オタクとなった。


 いつ異世界に転生してもいいように、筋トレも始めた。


 働こうとも思ったが、親に言われ、何となく大学生になった。


 それからは何も変わらない日々。起きて、大学行って、ラノベ読んで、アニメ見て、シコって、寝る。これの繰り返し。


 ……だけど彼は、そんな自分が嫌いではなかった。


 毎日毎日何も考えず、ただ目先の幸福を求めて生きる。それの何がいけないのか?


 他人との交流に幸せに感じる奴、

 1人の時間に幸せを感じる奴、

 身体を売って金を稼いで幸せを感じる奴、

 SNSで承認欲求を満たして幸せを感じる奴、

 労働に幸せを感じる奴、

 勉学に幸せを感じる奴、


 全部同じ幸せだ。


 この幸せが飽和したクソうるさい世界の中、誰がどう生きようが個人の勝手。


 そんな一定数の人間が感じているような言い訳がましい思想を、東条桐将という男も常々抱いていた。



 ……普通、とは何か?



『選帝の力』は『人』由来の力。


 時空を超えた『選帝の力』も、依代よりしろを『人』に選んだ。


 この世界の『人』、それ即ち『大罪』の権化。


 傲慢で、強欲で、嫉妬深く、憤怒し、怠惰で、暴食にかまけ、色欲で身を滅ぼす。


 神すら嘆く業の塊、それが『人』である。


『人』の宿す業は、『普通』でなければならない。


 通常のCellの覚醒は、己の『核』に気づくことから始まる。


 しかし『選帝の力』だけは違った。

 依代とした『大罪』の性質からか、周りからどう見られようと、己の中では常にそれが『普通』でなければならない。



 東条桐将は『普通』の人間だった。


 東条桐将は『普通』のオタクだった。


 東条桐将は、ずっと自分を『普通』だと思って過ごしていた。


 平和な日本の中、その『普通』は息をひそめ、溶け込むことが出来た。



 ……しかし、12月24日のあの日、命の危機をトリガーに、彼の中の『普通』が首をもたげた。



 普通の人間は、恐怖の中思考を回せない。


 普通の人間は、己以外の全てを無視して行動出来ない。


 普通の人間は、目の前で人が死んでも笑えない。


 それら全てを普通に出来てしまう程に確立された、『普通異常』。



 他人のすることに興味がない。


 世界のなすことに興味がない。


 ただ己がために、己だけを見て行動する。



 世界で最も自由で、世界で最も自己中心的な『人』。



 ……世界は、彼を選んだ。





 東条桐将――Kaiser大罪系sloth怠惰】 『χάος καρδカオスの心臓ιά』 ――





 初めて漆黒カオスを生み出し、ゴブリンを殺したあの日から、東条は加速度的に己の性質に呑まれていった。


 大切なモノはもっと大切に、そうでないモノはそれ以外に。


 理解出来る善性と脳があるにも関わらず、他者の意見に価値を見出さず、あくまで己の価値を基準として考える。



『怠惰』とは、日々を無気力に過ごし、そんな自分を肯定すること。


 否。






『怠惰』とは、他者への理解を放棄し、己が欲のために堕落を貪ることである。







 ――爆発するカオスが一瞬で収束、東条を包み込み、大きな外套のように揺らめく。


 その表面は極低温の冷気に凍り付き、しかしすぐに砕けを繰り返す。


 淡い銀色と漆黒のコントラスト。空気中にキラキラと舞う氷の残滓。


 その姿はさながら、雪明りの中翼を広げる龍の様で、幻想の中に出てくる妖精の様で……。




 ――壊装えそう闇龗クラヲカミ』――




 美しく、されど絶対に触れてはならない混沌の神が



 ……目を覚ました。


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