有栖の憂鬱
有栖ライムの1日は堕落から始まる。
優雅な5度寝から目覚めた彼女は、寝ぼけ眼を擦りフラフラと洗面所へ、向かう途中に足の小指をぶつけ悶絶する。
「っっっ(私が何したってんだよぉぉ)」
顔を洗い涙を流した後、ボサボサに乱れた髪のままリビングへ。
するとそこではエプロン姿のコンシェルジュ、繭野ゆまが料理を並べている最中だった。
「あら、有栖様、おはようございます」
「おぁよ」
「本日はいつもよりお早いですね。まだ14時ですよ?」
「ぅん。私早起きになったから」
「ふふっ。では朝食にしちゃいましょうか」
「うぃ」
席に着き、綺麗に盛り付けられたプレートに手を合わせる。昨日は和食だったが、今日は洋食風らしい。
ふわふわのオムレツにソーセージとベーコン。焼きたてのパンが3種にバターと苺ジャム。アサイーボウルとかいう意識高い女が好きそうな奴。カボチャのポタージュ。サラダ。フレンチトースト。オレンジジュース。
そのどれもが金にものを言わせた1級の材料から作られ、見た目も配色も美しいプレートの上は、まるでホテルのブレックファーストだ。
「いつもいつもありがとねゆまさん」
「いえいえ、私も好きでやっていますから」
「めんどくさい時は休んでいいからね?」
「面倒だなんてそんな、有栖様はいつも美味しそうに食べてくれますから、私も嬉しいんです」
「結婚しよ?」
「ごめんなさい」
「フラれたぁ」
ポロポロと泣きながらも、有栖は美味い美味いと料理を頬張るのだった。
――「食後に紅茶はいかがですか?」
「あーうん欲しい。ハチミツ入れてね」
「分かっていますよ」
メガネを掛けた有栖はノートパソコンを開き、今週分のスケジュールを確認する。
「どうぞ」
「ありがと」
紅茶を置いたゆまはソファに座る有栖の後ろに立ち、ボサボサの髪をミストで濡らして広がりを抑え、洗い流さないトリートメントで滑らかに仕上げてからドライヤーで乾かす。
髪に無頓着すぎる有栖に、彼女が痺れを切らした結果こうなった。
「本日のご予定は?」
「別にないかなー。動画編集も終わってるし、溜まってた他所からの依頼も終わらせたから」
「ではお買い物にでも行きませんか?」
「えー、外出たくない」
「少しは人間らしい生活してください。それに有栖様、服2種類くらいしか持ってないじゃないですか?いい加減買いましょうよ?」
「中も外もジャージがあれば済むじゃん」
「時々有栖様が男ではないかと疑う時があります」
「心外だ⁉︎」
パタン!とのとパソコンを閉じた有栖が口をへの字に曲げる。
「年頃の女性なら、勝負服くらい持っておいた方が良いと思いますよ?」
「べ、別に勝負とかする気ないし」
「勝負服にも色々あります。男女間は勿論、人前や公の場に出たりする礼装も勝負服です。ついこの前国の会議にスウェットで行ってドン引きかれたの、忘れたとは言わせませんよ?」
「やめてぇ、ほじくり返さないでぇ」
「ならほら、行きますよ?明日は東条様の知り合いの方がいらっしゃいますし、丁度いいじゃないですか」
「ネット注文でいいじゃん〜」
「ダメです。肉眼で見てこそ分かることもあるんです」
「あ〜〜」
ウキウキのゆまになす術なく、有栖はズルズルと引き摺られて行くのだった。
「……人がいっぱいいる。吐きそう」
「よく今まで生きてこれましたね」
クールに着飾ったゆまの隣で、案の定上下スウェットサンダルベースボールキャップ姿で歩く有栖。
目を引く程の陽と、目に止まることもない隠のミスマッチ感が半端ない。
デパートのブランドエリアに躊躇なく入ってゆくゆまに、有栖はオドオドとついて行く。
「まずはここに入りましょうか」
「まず?……え、ここ」
入口に飾られるロゴは、世界的有名ブランドの1つ。というかこのエリアそんなのしかない。勿論有栖が入ったこともないビッグネームばかり。
くるりと踵を返した彼女の腕をゆまが掴む。
「何引き返そうとしてるんですか?」
「いやだって、こんな格好で来る場所じゃないでしょっ?恥ず過ぎるってっ」
「その感性があるならまだ大丈夫ですね。ほら行きますよ」
「ちょっまっ!っ、っいや力強っ⁉︎」
入口から引き摺られてくる不審者を、店員はギョッとした顔で迎え入れた。
――有栖が試着室にぶち込まれ、身包みを剥がされ数分後。
「っ……こ、こんな可愛いの私に似合わないってっ!(ボソ)」
黄色いベレー帽と黄色いセーターに、グリーンのチェックスカートとブラウンのブーツを合わせた秋らしく柔らかいコーデを纏った有栖が、顔を真っ赤にしカーテンを開いた。
「凄い似合っていますよ?ねぇ店員さん?」
「はい!凄い可愛いです!」
「やめてぇ……(ボソ)」
「次はこれね」
「へ?」
そこからは言わずもがな。服を変え店を変え、着せ替え人形と化した有栖。
彼女はスパルタコーディネーターによって、陽が落ちるまでファッションの何たるかを叩き込まれ続けたのだった。
――スキニーパンツにダボついたパーカー、厚底サンダル、イケてるベースボールキャップ。全身を一新した有栖が、デパートのベンチに座りぐったりと項垂れる。
あの薄汚れたスウェットはどうしたかって?そんなもの初っ端で捨てられた。
有栖はゆまからアイスを受け取り、チビチビとスプーンを運ぶ。
「……づがれだ」
「お疲れ様です有栖様」
「……うん、マジで疲れた。明日絶対筋肉痛」
死んだ目をする有栖に、少しだけゆまの表情が曇る。
「あの、……楽しくありませんでしたでしょうか?」
暗い部屋の中、ずっと引き篭もっていては気も滅入る。多少強引だったとは言え、ゆまは彼女なりに有栖を楽しませようと頑張っていた。
有栖は不安げな美女に溜息を吐き、口を尖らせそっぽを向く。
「……別に?楽しくないなんて?言ってないし?」
疲労と楽しさは別物だ。有栖とて、今日の買い物はとても新鮮で楽しかった。
「……ふふっ、良かったです」
「まぁ多少強引過ぎだけどね!次はもっとゆっくり頼むよ!」
「承知しました」
「まったく。……あーそれで、合計幾らくらいになったの?私値段見てなかったし、全部ゆまさんに任せちゃってたけど」
「そうですね。アクセサリーや靴を入れると……、しめて2500万円ですね」
「…………ん?」
有栖の眼鏡にピシッ、と亀裂が入る。
「……え?2500円?」
「2500万円です」
「家でも買った?」
「服飾のみです。後日邸宅に配送されます」
有栖の眼鏡がパァンッ、と弾け飛んだ。
「な、え?、な、は?」
「ちなみに有栖様が今着ているお召し物だけで50万します」
「⁉︎……(あ、パーカーにアイスついてる。終わった)」
1000円以内の服しか着たことの無かった有栖は、感じたことのない重圧に固まってしまう。
「有栖様は少々質素が過ぎます。クーポンが無ければ欲しい物でも我慢しますし、前に同じティーバッグを3回使ってた時は流石に引きました。今回はその貧乏性の矯正でもあります。勿論私の奢りです」
「いや奢りて⁉︎嘘でしょ⁉︎てかどんだけ買ったの⁉︎」
「試着して私が似合うと思った物全てです」
「それどんくらいよ⁉︎」
「全てです」
「全てじゃん⁉︎」
有栖は眼鏡の破片を拾いながら絶叫する。
「それにブランド物ばっかっ、1000円もありゃ全身揃うでしょ⁉︎」
「確かに安い物の中にも良い物は沢山あります。ですが高い物は総じて高い理由があるんです。東条様やノエル様が高級品を選ぶのも、歴とした強みがあるからです。その世界を楽しむのもまた一興ですよ?」
「でもさぁ、私なんかがさぁ」
「それです、その卑屈さがいけません。有栖様は2人に実力を認められた唯一のお人で、既に果てしない額を稼いでいるトップシステムエンジニアじゃないですか。少しくらい調子に乗ってもバチは当たりませんよ」
「……ほんと?」
「本当です」
「調子に乗ってもいい?」
「ガンガン乗っちゃいましょう!」
有栖の眼鏡が再生する。
「うん乗る!夕食東条君の名前使ってバカ高い寿司食べ行こ!」
「その意気です!」
――その後、今や時の人であるチームメイトの名前を使い本来なら3年待ちの寿司を堪能した2人は、酔った勢いでクルーズ船を貸切り、カラオケで盛り上がり、高級シャンパンを開け騒がしい夜を満喫したのだった。
――次の日。
有栖は昨日買ったパーティドレスに身を包み、邸宅のソファでニコニコと微笑んでいた。
今日は東条くんの知り合いが2人来るという日。
そして今現在彼女の目の前には、早めについてしまったというその客人達が座っている。
方や黄色と黒の着物を着た絶世の美女。
方や黒と白のドレスを着た絶世の美女。
「…………(え、何これ?どういう状況?てか二日酔いで気持ち悪い。吐きそう)」
そしてそんな2人の間に見えるのは、剥き出しの敵意と散る火花。何で笑顔でお茶出せるのゆまさん?私部屋に帰っていいかな?
着物の女性、紗命が美しい所作でお茶を飲み、一息吐く。
「……まさかあんたも来とったとはなぁ。空気が澱んどったのはそのせいやったんやなぁ」
ドレスを着た女性、灰音が軽く笑う。
「僕の台詞だよ。桐将君が家を紹介してくれるって言うから来たのに、まさか君も呼ばれてるなんて。最悪だ」
「ふふふ、この家ではペットにゴリラを飼うてるん?」
「ねぇ君、そこに毒虫湧いてるけど、殺虫剤とかない?」
「へ⁉︎あ、ぅ(私に振らないでくださいお願いします⁉︎ゆまさん助けて!っ何ニコニコしとんねん⁉︎)」
さっきよりも険悪になったムードの中、紗命がチラリと有栖を見る。
「……あんたが有栖はんやな?動画見たでぇ?なんや桐将と夫婦なんて言われてるみたいやねぇ?」
「はぇ⁉︎」
「あー僕も見たよそれ。ノエルと君と桐将君と、随分と楽しそうだったじゃん?」
「ぬん⁉︎」
矛先が自分に向いたのを察知した有栖は、二日酔いで鈍る頭をフル回転させる。てかあれと夫婦とか溜まったもんじゃない⁉︎
「いやいやいや⁉︎何言ってるんですか⁉︎あんなのネットの隠キャ共が騒いでいるただの戯言ですよ!それより東条くんから聞いていた通り、お2人とも凄い美人でビックリしました!」
「「……彼が?」」
「はい!いつもお2人のことを話しています!綺麗だな〜可愛いな〜って!(知らんけど!)」
「「……ふ〜ん」」
満更でもない2人に、有栖の頭の中で?が踊る。
(何でこの人達嬉しそうなの?まさか東条くんとそういう関係の人なのかな?え、いやでもこの人ハイネさんだよね?アイドル宣言してた人だよね?え?どういうこと?何やってんの東条くん⁉︎)
とそこで東条とノエルが買い出しから帰還する。
「にく〜にく〜」
「わりぃ遅くなった。早めに来るなら言ってくれよ。……って紗命お前その格好、今日バーベキューって言ったろ。汚れても知らねぇぞ?」
「恋人の家に行くのに、気合い入れへん女がおる?」
「気合い入れすぎだろ」
「で、感想は?」
「勿論綺麗でございます」
「ふふ、宜しい」
(あ、やっぱそういう関係なのね。……じゃあハイネさんは?)
1人納得する有栖が灰音に目を向けると、
「ヒッ」
そこには静かにブチギレ微笑む般若が座っていた。
「……桐将君、何で最初がその女なんだい?僕には何もなしかい?」
「落ち着けヤンデレ。お前だって凄ぇ綺麗だよ」
「そんなついでみたいに……」
口を尖らせる灰音を紗命が嘲笑う。
「ふふっ、ついで」
「……あ?」
「なんや?図星つかれて怒ったんか?」
「ははっ、バーベキューに着物で来るバカが何か言ってるよ」
「「……あ?」」
「……お前ら本当は仲良いだろ?」
笑う東条に心外だと抗議する2人を見ながら、有栖はげっそりとソファに寄りかかり天を仰ぐ。
「……ねぇゆまさん、私この人達に混ざれる自信ない……」
「大丈夫です有栖様。私もです」
有栖は恐ろしい3人に背を向け、
「にく〜にく〜。わ」
1人勝手に肉を焼き始めているノエルを抱きしめるのだった。
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