29話
――葉は枯れ、幹は溶け落ち、項垂れたまま佇むトレント。
捲れた岩盤、巻き込まれた大量の骸、雑に
水は死に、空気は爛れ、汚染された大地からは、赤紫色の気泡が浮かんでは弾ける。
ここはどこか?
そう人に問えば、余さず万人がこう答えるだろう。
地獄、と。
ならばそこに立つ2つの影は、果たして人と呼べるのか。
鬼の狂気か、悪魔の狂喜か。
落花流水、不倶戴天、惚れた病に薬なし。
「――ヒュぅ……ヒュぅ……ッカハっ、ヒュぅ……チッ……」
灰音はほぼ機能を停止している呼吸器系を必死に動かしながら、遂に光を奪われた視界に舌打ちする。
その全身はグズグズに焼け爛れ、所々骨が露出しているほど。
アイドル生命は完全に断たれた、とかもうそういう次元じゃなく、この状態で毅然と立っている彼女はどこかおかしい。
「――ふふ、……限界、みたいやなぁ?ッごぷっ、ゲホっゲホっ!……」
そんな灰音を見下し笑う紗命は、残る折れた右手を脇腹に当て、抉り飛ばされた肉の間から臓腑が溢れないように押さえつける。
残り少ない魔力で血中水分を操り、絶えず流れ出る血液の速度を何とか遅らせている現状。
左腕を飛ばされ、馬鹿げた威力の武術でほぼ全身の骨をへし折られた挙句、ウエストを半分にされた彼女は、既に血液を失いすぎている。
こんな状態でも笑みを崩さない紗命もまた、どこかおかしい。
灰音は暗闇の中感知で紗命の輪郭を捉え、再び強化を纏う。
「っハッ、痩せ我慢も、ここまで来ると尊敬に値するよ。ゲホっ、……君、強いね」
「……ふふふ、どうもぉ。あんたのその魔力量、反則やろ?ゴホっ、うちもそれなりにある筈なんやけどなぁっェホっェホッ……ずっと、壁殴ってるみたいやわぁ」
「ヒュぅ、まだ、全然使い熟せてないけどね。ヒュゥ……ング、繊細なコントロールで言ったら、君、桐将君以上でしょ」
「ふふふ、何やぁ、えらい褒めてくれるやん?死に際に悟ったん?」
「あははっ、なわけ。最後くらい良い思いさせてあげようと思ってさ。どう?気持ちよかった?」
「これであんたが死んでくれたら、気持ち良うなれるんやけどなぁ」
「奇遇だね、僕もずっと焦らされてる気分だよ」
「……ふふふ、堪忍なぁ、すぐに逝かしたげるわぁ」
「文字通り昇天した感想、聞かせてくれよ」
「「――ッ」」
灰音が血を靡かせ接近、拳を振り上げる。
紗命が毒を収束させ、捻り、回転を加え、鋭利なドリルを生み出す。
互いの渾身の魔法が衝突する。
――その寸前、
「――ッッ止まれ馬鹿野ッドガバフ⁉︎アギャギャギャギャギャギャッッ⁉︎」
「⁉︎ッ桐将君⁉︎」「⁉︎桐将⁉︎」
間に飛び込んだ東条の顔面に拳が直撃、漆黒が吹き飛び歯が全失。顔面崩壊、頭蓋骨陥没。
ドリルが背中に直撃、漆黒が吹き飛び押し出されるまま顔面スライディング、そのまま暴走したドリルに引き摺り回される。
灰音も紗命も血相を変えて走り出す。
「っ蜘蛛女!あれ止めろ‼︎」
「黙れゴリラ‼︎今やっとる‼︎」
2人はシャチホコみたいな形で止まった東条に駆け寄り、慌てて抱き起こす。
……その姿は、ちょっとモザイク必須だった。
「――ッボスさんッ‼︎」「――ッ藜はんッ‼︎」
「はいはい、うわお前らグロ。え、ゾンビ?」
2人の身体から、使い果たした筈の魔力が立ち昇る。
それもドス黒い、到底いたいけな女の子から出ちゃいけないようなオーラが。
「……早く彼を治せ」
「……殺すでほんま」
「おーこわ、リザレクリザレク」
藜が杖で地面を突いた瞬間、白い光が3人を包み、その致命傷を瞬く間に治癒した。
「……っ、お前ら、ちょっとは限度考えろ。ほぼ死んでんじゃねぇか」
しかし光が収まると同時に藜は白杖に寄りかかり、ポタポタと冷や汗を垂らす。
彼はこの力を使い、暇つぶしで有権者達を治癒しては、莫大な金を取り恩を売って回っていた。
その中には既に死んでいる人間もいたわけだが、白杖の能力なら死後24時間程なら蘇生可能。
ただしその場合、対価として膨大な魔力を引き抜かれてしまう。
魔力で命と恩を買えるなら安いものだが……
「クフフ、イカれてんな」
藜は気絶する東条をゆすっている2人の執念を軽く笑う。
今この2人、とついでにマサを治癒した時、ほぼ死者蘇生と同等の魔力を持っていかれた。
要するにこの女達は、惚れた腫れたを競うために死にながら殺し合いをしていたということ。
完全に人としての何かが欠けている。
正直言っちゃうと、今の俺は戦闘が困難な程に魔力を消耗してる。こいつらの前にいたくない。ぶっちゃけ怖い。
グワングワンと首をゆすられる東条に背を向け、藜はそそくさとその場から離脱した。
数秒後、
「――っハ‼︎紗命が川の向こうで手を振ってっ」
「生きとるわっ」
ベシっ、と引っぱたかれた東条は、
目の前で口をへの字に曲げる彼女を見つめ、手を伸ばす。
「……」
「……ん、」
掌に自分から頬を寄せてくる彼女の肌は、ほんのりと温かかった。
ここにいる。目の前に、今、目の前にいるのだ。
触れられる。脈動が伝わってくる。呼吸が聞こえる。
……気付けば、自然と涙が溢れていた。
「あらあら、」
苦笑しながら涙を拭ってくれる紗命の身体をペタペタと触り、それが現実なのかを確かめる。
「……生きてる」
「ふふ、そう言うてるやろ?」
「紗命?」
「はぁい」
「本当に、紗命なのか?」
「何や?桐将はうちの顔も忘れてもうた――っ……ふふ、」
東条は彼女の小さな身体を力いっぱい抱きしめ、嗚咽を漏らす。
温かく、柔らかく、折れてしまいそうなのに、どこまでも優しく包み込んでくれる、あの感覚。
もう2度と触れることさえ、思い出すことさえ出来ないと思っていた、あの温もりが、今、腕の中で鼓動を刻んでいる。
「っグぅ、ぅぅうっ」
「よしよし、」
嬉しくて、悲しくて、懐かしくて、腹立たしくて、そんなことどうでも良くなる程、
ただ、……愛しくて。
「……ッ、もう、絶対に離さないっ」
「ちゃんと手ぇ握っといてな?」
「もう2度とッ」
「うん、分かっとる。……そやけど、御前様も覚悟しとくれやっしゃ?」
紗命はニッコリと笑った後、東条の首元に抱きつき、
……耳元で囁いた。
「……私も、一生離さないから」
東条の背筋に寒気が走る。
それが何とも心地良くて、恐ろしくて、
「――っ」
「っン、ん……」
本能のまま紗命を押し倒し、その蠱惑的な唇を奪った。
たった数秒が、とても長く、なのにとても短く感じる、時間がバグった感覚。
「……」
「……」
お互い肌を紅潮させ、しっとりと見つめあう。
今にもおっ始めてしまいそうな、そんな空気を壊したのは、
「……ねぇ、もういいかな?」
同じ空間にいながら今の今まで蚊帳の外だった存在。
灰音はあぐらに肘をつき、ニコニコと尋ねる。
しかしその表情筋はピクピクと痙攣し、額には青筋が走っている。
東条は彼女からそっと目を逸らした。
「あ!何で目逸らすのさ⁉︎」
「ふふふ、あんたはもういらへんってさ。何処へでもお行き、しっしっ」
紗命が東条の頭を胸に抱き寄せ、勝ち誇ったように笑みを浮かべる。……ふわふわだ〜。
「はは、桐将君から求めたからしょうがなく待ってあげたけど、見るに耐えなかったよ。今まで生きてきた中で、最悪の光景だった」
「あら、嫉妬?やめてぇや煩わしい」
灰音の血管がビキビキと音を立てる。破裂するんじゃねこれ?
紗命がとてもいい笑顔で笑いかけてくる。……え、こわ。
「桐将も迷惑やんなぁ?ほら、言うてあげーな、あんたなんてもういらへんって」
「え、それはやだ。いる」
「……は?」「桐将君っ!」
抱きついてきた灰音を押し戻し、ヘッドロック気味になってきた紗命の抱擁に抗う。
「ってか、そもそも人の頭勝手に弄っといて何吐かしてんだお前ら⁉︎」
「「ぐっ」」
どうだこのド正論、手も足も出なかろう?東条は頭を掻き、まったくもう、と溜息を吐く。
「もうこうなったら腹括るから、お前らも折り合いつけろ!」
「「無理」」
「ガキか⁉︎」
「てか桐将君の心が弱いからこんな女に騙されるんだよ」
「せや桐将、うちが記憶消す毒作ったるさかい、ぐいっと」
「もうやだこいつら⁉︎」
追いかけてくる2人から這って逃げ回る東条は、
「お、」
「ふげっ」「あうっ」
遠方から歩いてくるノエル達を目に立ち上がる。
「ん?そーいやお前らめっちゃ怪我してなかった?血だらけだった気すんだけど」
「いや?怪我なんてしてないよ?」
「お互いの今後を話し合うてただけやよぉ?」
「そう?……何か思い出せねぇんだよな、」
「「(ニコニコ)」」
葵さんと別れてからの記憶が若干飛んでる気がするが、まあいい。
ノエルと一緒に歩いて来る懐かしい顔に頬をお緩め、東条は1歩を踏み出した。
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