愛はお互いを見つめ合うことではなく、共に同じ方向を見つめることである。

 


 ――夕焼けが沈む、既に封鎖されたお台場。


 彼と初めてデートした、思い出の場所。


 風代と猫目は、呼び出された場所に早足で向かっていた。


 風代は鏡を取り出し、自分の顔を写す。

 今日何度と見たその光景に、隣の猫目は最早呆れていた。


 胸を打つ心臓は1歩ごとに早くなる。


 メイクは変じゃないか、顔は火照っていないか、服は大丈夫か、これからされることを考えれば、幾ら準備してもし足りない。


 果たして、OKは貰えるのだろうか?不安は尽きないが、沖縄の前の旅行では手応えはあった。


 きっと、大丈夫。きっと大丈



「やぁ」



「っ?」「っへ?」


 いきなり知らない女性に話しかけられ、2人はそちらに視線を向ける。


 一目見ただけで、足が止まってしまった。


 夕焼けに揺れる、淡く照らされた灰色の髪。


 薄い小麦色の肌は、どこか魅惑的に艶やかで。


 柔らかく微笑むその口元に、


 気づいた時には見惚れてしまっていた。


「な、何でしょう?」


 向き直り問う風代に、彼女は優しく微笑む。


「君が風代 涼音ちゃんかな?」


「え?あ、はい」


「……ふ〜ん」



 何故かこちらに歩み寄ってくるその女性。


 その間に、猫目が1歩を踏み出した。


「……どこの誰か知らないっすけど、それ以上近付かないでもらえるっすか?」


「ね、猫目ちゃん?」


「……涼音、こいつ知り合い?(ボソ)」


「え、いや知らないけど」


「ならすぐに離れた方が良いっす。なんかよく分からないけど……ヤバい気がする、ニャ(ボソ)」


「っ⁉︎ちょっ(ボソ)」


 cellのスイッチを入れた猫目に、風代は驚き焦る。一般人相手に何を。


 しかしそう思ったのも束の間、止まっていた女性が手をヒラヒラと振り笑った。


「あはは、いやごめんごめん、脅かすつもりはなかったんだけどね。謝るよ」


「「……」」


「僕は桐将君の知り合いでね。君にも会っておきたくてさ」


「え、桐将って、マサさんの名前」


 風代は思い出す。昨日SNSを駆け巡った、カオナシの正体。フルネームを。


「貴女は、」


「うん。僕は黒百合 灰音。彼の友達、……うん、友達。だからそんな怖い顔をしないでさ。僕達は『敵じゃない』『仲良く出来る』だろう?」


「あ、はぃっす」


 灰音は猫目の肩をポンポン、と叩き。通り過ぎる。


「……」


「、?」


 凄い美人にジッと見つめられ、風代は緊張に頬を染める。


「……うん、君、可愛いね。……僕なんかよりよっぽどだ(ボソ)」


「へ?あ、有難うございます?」


「……ふふっ。それじゃあね」


「あ、はい」


 マイペースに去ってゆく女性を、目をパチクリしながら見送る2人。


 とそこで、


「あ、忘れてた」


 振り向いた彼女。




「…………ごめんね」




 オレンジ色に染まる、咲き誇る黒い百合。その笑顔の意味を、2人が知ることはない。





 ――「……」


 東条は2人が来たのを見て、笑顔を張り付け歩み寄る。


 猫目に背中を押され、風代も進み出る。


「よ、久しぶり」


「はい。元気そうで何よりです」


「そっちもな」


 互いに笑い合い、ベンチに座る。


「マサさん、そんな顔だったんですね。ビックリです」


「何だ?ガッカリしたか?」


「いえいえ、カッコいいです。その首から頬に走る火傷痕とか。キュンと来ます」


「ハハハっ、お前変な男に引っかかりそうで怖いな」


「現に引っかかってますからね」


「間違いねぇ」


「ふふふっ」「クックック」



 海風が頬を撫で、都会の喧騒が混じった静寂が2人の時間を緩慢にする。



「……」


「……」


 東条は一つ息を吐き、風代に目を合わせた。


「風代、返事だけど」


「はい」


「……俺はお前と付き合うことは出来ない。すまん」


「……はい」


 風代は今までの思い出を逃すように大きく息を吐き、


 しかし笑顔で天を仰いだ。


「……案外、涙は出ないものですね」


「……そうか」


「自分でも、分かっていたのかもしれません。私では、マサさんを振り向かすことは出来ない」


「っ、そんなことは」


「あるんですよ」


 風代は吹っ切れたように笑う。


「フった相手慰めないでくださいよ。余計惨めじゃないですか!」


「……フフ、すまん」


「私は後悔していません。デートは楽しかったし、恋も楽しかったです。だからマサさんも後悔しないでください」


「相変わらず強かだな」


 立ち上がり、お互い苦笑する。


「……これで関係が壊れるなんて嫌ですから、これからもよろしくお願いしますね」


「ああ、……友達として、な」


「はい、友達として」


 握手する彼女の手が、すごく小さく、痛々しく見えて、東条は笑顔を保つのに必死だった。


「では、また今度皆で集まりましょうっ」


「おう。どうする?送ってくか?」


「だから〜、そういうとこですよ?デリカシーがないんです。フった女送る男がどこにいるんですか?」


「ああすまん」


「大丈夫です。猫目ちゃんに慰めてもらいますから」


「ははっ、分かった。……じゃな」


「はい。さようなら」


 風代の背中から目を逸らし、背を向け、……東条は歯を食い縛った。



「涼音どうだったっすか?」


「ん〜フられちゃった」


「そっすか。……大丈夫?」


「うん。自分でも不思議なんだけど、思ったより全然平気なの」


「それなら良いっすけど。……結構良い線いってたと思ったんすけどね〜」


「ね〜」


「……あの人がマサさんの彼女だったりして」


「え、さっきの⁉︎……あり得る」


「あの人なら、しょうがないかもっす」


「ね」


「……はぁ。良いもん見れたし。今日はあたしが奢るっすよ」


「やった!最高級フレンチね」


「そこら辺の泥でも食ってろっす」


「流石に酷くない⁉︎」







「……」


 東条が空を見ながらぶらぶらと歩いていると、


「っ」


 いきなり物陰に引っ張り込まれ、


「ぅッ⁉︎」


 建物に背に、強引に唇を重ねられた。


 その狂気的な快楽と蠱惑的な甘さに、脳が痺れそうになり、



 パンッ



 彼女の、灰音の頬を反射的にはたいてしまった。


「っすま」


 湧き上がる罪悪感に、咄嗟に謝ろうとするも、






「…………ふふっ」






 口の端から血を垂らし、恍惚の笑みを浮かべる灰音に戦慄する。


「っ、チッ」


 東条は謝罪をやめ、身体を押し退け歩き出す。


 ……これに優しくしろって?ノエル、無茶にも程があるぞ。



「…………行くぞ」


「!うんっ。ふふっ」


 それでも彼女のことを考えられずにはいられない自分を、東条は心底嫌悪した。

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