月下の白百合

 


 ――深夜、月明かりが差すバルコニーで、東条は読み終わった本を閉じる。


 ここ2日、3日は酒盛りをしていない。


 灰音はやりたそうにしていたが、疲労が勝ってしまうようだ。

 今もノエルと一緒にぐっすりだろう。


「……〜」


 東条は立ち上がり、伸びを1つ。

 眠気が来るまで散歩に出ることにした。


 本をゴミ箱に捨て、冷凍庫からウイスキーを取り出し、サンダルを履いて玄関から出る。


 すると、


「や、」


 先に待っていた軽装の灰音が、ピョコ、と手を上げた。



「わりぃ、起こしたか?」


「うぅん、目さめちゃって」


「そか」


「うん」


 歩き出す東条に、灰音は手を後ろに組んでついてゆく。


 昼間はうるさいと感じる虫の音が、夜だと涼しげに感じるのは何故なのか。


 東条はボトルを煽り、灰音に渡す。


「飲むか?」


「……ふ〜ん?」


「んだよ」


「ふふっ、何でもない。貰うよ」


 彼女は両手でボトルを受け取り、口をつけてアルコールを流し込んだ。


 テラついた唇をちろりと舐め、ボトルを東条に返す。


「どうだ」


「プはっ、どうだって何だよ?ひひひ」


「えー、思ってた反応と違う」


「ナメるなよ?もうこの程度じゃ興奮出来ねぇ身体になっちまったんだよ」


「欲張りさんめ」


「お前のせいな?」


「くふっ」「ハハっ」


 2人はボトルをシェアしながら、くだらない雑談に花を咲かせる。



 ……星の輝きに見下ろされながら、灰音は熱くなった吐息を夜空に逃した。


「……そういえばマサ君さ、」


「ん?」


「空手の指南書読んでるでしょ?」


「あーうん」


 東条は空手に関する本を探す為に、毎夜散歩ついでにドンキへと足を運んでいた。


 だからどうという訳でもないが、バレていたとは。


「……僕のため、だよね?」


「そりゃな。……昔仲間だったプロの格闘家に、お前には格闘センスが無いって言われてよ。ありゃショックだった」


「ふふっ、」


「……俺はモンスターの殺し方は分かるけど、型の正誤はわかんねぇから。少し勉強しよーってな」


 灰音は空から彼に目を下ろす。


「……感謝してる。とてもしてる」


「そか、」


「……僕さ、我儘でしょ?」


 東条はその疑問に一瞬驚き、次いで笑う。


「どこがよ?生活の全てで、俺らの方が灰音に我儘言ってるだろ」


「そういうことじゃないんだ。なんて言うか、日常も、特訓も、ぜーんぶ、……心がね、君達2人に寄りかかっちゃってる。

 自分でも分かってるつもりなんだけどねー、」


「……心がねー」


「うん、……心がねー」


「それ、何がダメなんだ?」


「え?」


 驚き足を止める灰音を、東条は鼻で笑う。


「何をずっと考えてんのかと思ったら、んなことかよ?くだらねぇ」


「ひ、酷いなぁ」


「お前がどんな経験してきたのかは知らねぇし、何か言いたくないことがあるのも分かる」


「っ……」


「普段国のトップ相手してんだぞ?素人の機微が分からない俺達じゃねぇよ」


「……」


「それと同時に灰音がいい奴で、いい女だってことも分かる」


「……そっか、」


「……俺らの背中は、寄りかかるのが不安になる程小さいか?」


「……そんなわけない。大きすぎるくらいだよ」


「ハハっ、ならドンと寄りかかって来い。前向きでな」


「……ふふっ、エッチだなぁ」


 バッ、とカラフルなアロハシャツをはためかせ背を向ける東条を、灰音はクスクスと笑う。



 灰音は1つ息を吐き、東条を真っ直ぐ見つめた。


「……君がここまで手を尽くしてくれる理由が、僕には分からないんだ」


「は?」


「僕はそれが不安なんだよ。何で僕に、こんな優しく……」


「……お前、この9日間楽しくなかったのか?」


「楽しかったよ。間違いなく、今までで1番、……楽しかった」


「だからだよ」


「?」


 東条は何のことはない、と彼女を促し歩き始める。


「俺らも楽しかった。だから灰音と一緒にいる。別に尽くしてるつもりなんてねぇよ」


「……そっか、」


 東条はチラリと後ろを見て、小さく溜息を吐く。


「……それでも、もし、お前が俺達の中に善意を感じてるって言うなら、

 ……その正体はきっとこうだな」


「?こう、っ」


 灰音は投げ渡されたボトルを受け止める。



「ダチ心配すんのに、理由なんているのかよ?」



「――――……」



「…………え?何?俺らダチじゃなかったの?それなら早く言ってくれ泣くから」


「……ダチ……そうか、僕達、友達なのか」


 影に隠され、彼女の表情を窺うことは出来ない。


「……どうだ?少しは晴れたか?」


「……うん。ありがと」


「カッコよかったろ?」


「ふふっ、自分で言うんだ。……そうだね、……少し、危なかったかな」


「気ぃつけな。俺は魔性だぜ?」


「……間違いないよ」


 東条は前を向いて歩きながら、背中に届く少しだけ震える声に、軽く微笑んだ。




 ――ドンキにつき、適当な格闘技本とエロ本を手に取った後、2人は月明かりしかない暗い店内の中をぶらぶら散策した。


 ――「これつけてみてよ?」


「……。っ馬フォフォフォフォッ」


「あッはははっ」


 馬のマスクをつけ、灰音を追いかけ回したり、


 ――「おらっ、おらっ」


「おりゃっ、っわ」


 棚を盾にパイ投げをしたり、


 ――「痛くないね」


「な、健康優良児だ」


 足ツボの上でジャンプしたり、


 ――「コスメとか持って帰らなくていいのか?」


「前は持って帰ってたけど、やっぱりノエルが作るのが1番」


「あれに慣れたら市販品使えなくなるぞ?」


「うわ〜、怖いこと言わないでよ」


 化粧品や香水売り場を物色してみたり、


 目的もなくその時間を、2人の時間を楽しんだ。



 帰り際、服売り場で灰音が振り返る。


「……マサ君、ちょっと外で待ってて?」


「外で?」


「うん」


「……オッケ」


 東条は何も言わず、ただ幾許かの期待を胸に、その場を後にした。



「……」


 明かりの消えた電灯の下、東条はボー、と彼女を待つ。


 何をするのか?そんな野暮なことは聞かない。


 女性が服を前に待てと言ったのだ。なら男に出来ることは1つだろう。


「……」


 背後から靴音が近づいて来る。


 どこか躊躇いがちだと思いきや、途端に速くなる。


 そんな彼女の心模様が分かってしまう音。


 ……すぐ後ろで、音が止んだ。


「……見て良いか?」


「……うん」




 ――……月光に照らされ、白いワンピースが淡く輝く。




 ――両手で押さえた麦わら帽子の下で、恥ずかしそうに目を伏せ、頬を染める彼女。




 履き慣れていない赤いパンプスが、1歩後ろに下がろうとしたのを、


「っ……」


 東条は彼女を手を掴んで引き止めた。


「綺麗だ」


「――っ…………ありがと」


 俯むこうとする灰音。


「顔上げてみ」


「っ⁉︎……」


 その顎を持ち上げ、上を向かせる。



 ――彼女の唇には、瑞々みずみずしいプラムレッドの紅が引かれていた。



 黒い仮面を被っているというのに、真っ直ぐと目が合う。



「……」


「……」



 数秒見つめ合った後、東条は自嘲した。


「……灰音、俺には、っ……」


 その時、彼女の人差し指が彼の唇部分に当てられる。


「……言わなくていいよ。分かってるから」


「……そうか、」


「それとも何かい?僕が君に惚れてしまったと?……それはちょっと、自意識過剰じゃない?」


 人差し指を自分の唇に移し、いたずらっぽく微笑んだ灰音は、吹っ切れたように手を広げ、銀色の光の中を踊る。


「確かに君はいい奴で、いい男だ。それは認めるよ。癪だけどね!」


「……ハっ、そうかい」


「そうだとも。強すぎて、女たらしで、エッチで、見境ない、……」


「はははっ、誰だそのクズ男?」


「……僕にはもったいない男の子。そう思うことにするよ(ボソ)」


 東条は先を進む彼女についてゆく。


「最近どう?頭痛、」


「え、あれ!?そういえばしない!痛くない!!」


「ふふっ、良かったね……」


 この状況も、今までなら確実に激痛が襲ってきていた。治ったのか?克服出来たのか?


 灰音はどこか悲しげな笑みを浮かべ、自分の頭を殴る東条を見る。


「マサ君、僕強くなれてる?」


「んあ?たりめえよ。もう2級は超えてんじゃねぇかな?」


「やった」


「基礎はもう充分。後は実戦経験だけなんだけど、ここモンスターいねぇし、クーラー効いてるあの家から出るのもやだし、う〜〜ん」


「……2人との生活、邪魔されるのやだなー」


「嬉しいこと言ってくれるじゃん」


 灰音は夜空を見上げ、遠く、届かない所で輝き続ける星を目に映す。


「……モンスターと戦わないと、君達には近づけない?」


「まぁ、そだな。無理に俺達の価値観に合わせる必要はないけどな。お前の人生だし、これからどう生きるかはお前自身が決めるんだぞ?」


「……うん、分かってる」


 灰音は星から目を逸らし、息を吐いた。


「……僕、夢だったんだー。こういう女の子らしい格好するの」


「?ああ、メチャクチャ可愛いよ」


「可愛いはやめて。照れるっ」


 大袈裟に照れ仕草をする灰音を、東条はバカにしたように笑う。


「どの口が言うのやら、初っ端から照れ死にそうだったくせに」


「乙女心のわからない奴め!そういうのは心の内に留めとくんだよ!」


「わりぃわりぃ、乙女心なんて考えたこともねぇからよ。何それ美味いの?」


「結構美味いらしいよ」


「何味?」


「いちごとかレモンとか」


「あー、俺嫌いだわ」


「……僕も嫌い」


 夜に咲いた一輪の白百合は、皓々たる月の下、満開の笑みを浮かべた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る