4日目

 


 〜Day4〜



 焚き火でコーヒーを作っていた東条は、隣のテントが開く音に顔を上げた。


「おはよう」


「あよー」


「……おはよぅ」


 艶々のノエルが顔を出し、その後ろから両手で顔を覆う灰音が出てくる。


 まったく何をされたのやら、燻んだ灰色の髪が所々跳ねてしまっている。眼福眼福。


「2人ともコーヒーいるか?」


「ん。貰う」


「……じゃあ、僕も貰おうかな」


 東条は出来立てのコーヒーをステンレスのカップに注ぎ、2人に渡す。

 甘ったるい後には良い苦味になるだろうさ。


 一口飲んだ灰音は、幾分か落ち着いたのか、羞恥混じりの溜息を大きく吐いた。


 ジー、と観察していた東条は灰音と目が合い、そっぽを向く。


「……何?」


「別に」


「……」


「……」


「ふー、ふー、……あちぅっ」


 気まずい空気が流れる。


 そんな空気を察したのか、ノエルはコーヒーを置き、灰音に向かってサムズアップした。


「心配ない。膜はぶ「――っッ」じべっ」


 綺麗なコーヒーの軌跡を描きながら、ぶん投げられたノエルが川に墜落する。


 荒い息を吐く灰音を見て、東条は額を抑える。

 あんのバカ、デリカシーってもんが無いのか?これだからモンスターは。


「……(グっ)」


 小さな英雄に向かって、東条もサムズアップを返す。


 朝の森の中、静かに流れる小川に、もう1つ水飛沫が上がった。



 ――「ノエルよぉー、ほどほどにしてやれよー」


「ちゃんと手加減した」


「手加減て」


「灰音気持ちくなかった?」


「マジでっ、もうっ、ほんとにっ、ノエル!」


 風を切るトラックの中、荷台で交わされる会話に羞恥し、灰音はバンバンとクラクションを叩く。


 彼女はゴっ、とハンドルにもたれかかり、諦めの溜息を盛大に吐いた。


「もう分かったよ。僕の負け。……だからノエル、この話は2人だけの秘密にしよ?」


「秘密?」


「そ。マサ君の前ではお口ミッフィー。それが乙女の約束」


「ん。ミッフィー」


「んな殺生な⁉︎」


「うるさい」


 駄々をこねる東条を振り落とすべく、トラックは右へ左へ急カーブを繰り返すのだった。




 ――光る水面を、水上バイクが駆け抜ける。


 爆走するバナナボートに掴まるノエルと灰音の笑い声が、エンジン音にかき消される。


「ギア上げるぜぇ⁉︎」


「「うわぁああはははっ」」


 漆黒も展開し、衝撃波で加速するバナナボート。


 牽引するロープが千切れ飛び、3人同時に吹っ飛んだ。


 ――「もっと上げてくれー」


 カラフルなパラセールを背負い、空を散歩する東条。


 限界まで伸ばし、相当な高さまで上がったのを確認したノエルは、


「よし」


「え、ノエル⁉︎」


 驚く灰音を横に、ロープを手刀で切断。


 灰音は切れたロープとグングン上昇してゆく東条を交互に見つめ、


「……あちゃー」


 彼の無事を祈った。



 東条は手を振り合図を送る。


「おーい、そろそろ降ろしてくれー、……おーい!」


 ……返事なし。そこで気づく。


「……何か上昇してね?」


 東条は急いでロープを手繰り寄せ、……


「……え、……え?」


 切断面を見つめながら、フワフワと風に揺られ消えていった。


 ――「いくぞー。ッラァ‼︎」


 東条が武装した黒腕で水面をぶっ叩きまくる。瞬間爆発し、大量発生する大波。


「きた!灰音!」


「あははっ、デッカ!」


 それぞれサーフボードに腹這いになり、波に乗る2人。立ち上がり、加速に身を任せる。


「灰音!灰音!」


「ハハっ、上手い上手い。もう少し重心落としてっ」


「んっ、おっ、わっ」


 バランスを崩したノエルを、


「よっ」


 灰音がキャッチし自分の前に立たせる。


「行くよノエル」


「ん!」


 大きなボード操り、波間を縫う人魚。


 ボトムターン、カットバック、リッピング、エアリアル――数々の技を繰り出す灰音の真似をし、ノエルは重心を合わせる。


 2人の前に、今までで1番の大波。


 灰音はニヤリと笑い、躊躇いなく突っ込んだ。


「見てごらん、ノエル」


 その技の名はチューブライディング。

 カールする波の中をくぐり抜ける、全てのサーファーが憧れる到達点。


「……わぁ」


「……綺麗」


 顔を上げるノエルは、自分達を覆う波のカーテンに目を煌かせ、手で水を切る。


 本来大波など起こる筈もない、東洋1の海が作る透明度の高すぎるグリーンルームは、2人を魅了するには充分の美しさを誇っていた。


 波を触ろうと手を伸ばした灰音は、


「(よっ)」


「――っ⁉︎わっ」「ぬぁっ」


 しかし波の中で並走する東条を見て、笑いながら波に呑まれた。




 ――深夜、バルコニーに座る東条の前に現れる灰音。

 その両手に、様々な種類の酒を抱えて。


「ハハっ、どんだけ飲む気だよ?」


「酒パ酒パ、マサ君も好きなの取って」


「好きなのって言われてもなぁ、おすすめは?」


「んー、沖縄来たんだし、まずは泡盛飲んどけば?」


「だな」


 互いに好きな酒を注いだグラスを持ち、カチン、と打ち合わせた。


「……へー、おもしれー味、まろやかだな」


「ね。こっちも美味しいよ。オリオンビール」


 口をつけたグラスを渡された東条は一瞬躊躇うも、気にしたら負けだな、と受け取る。


「おーいいなこれ。爽やかで、沖縄の湿っ気によく合う」


「流石、分かってる」


 ニヤニヤと笑う灰音を、東条は訝しむ。


「……何だよ?」


「いや、僕の口付けた所避けたなーと思って」


「……謀ったな?」


「まさか?ほら、おつまみ作ってきたんだ、食べる?」


「……ああ」


 話を逸らされ、東条は仕方なく言葉を呑み込む。

 しかしテーブルに出された皿を見て、そんな反論もすぐに消えた。


「え、すご」


「簡単な物だけどね。こっちがゴーヤと鯖缶炒めたので、こっちが適当に作ったなめろう。足りない具材は他ので補ったから、口に合わないかも」


「……いや、バカ美味ぇ」


「……ふふっ、ありがと」


 パクパクと食べる東条に、灰音は嬉しそうに微笑む。


「ゴーヤってあれ?育てたやつ?」


「まぁ育てたって言うか、伸び放題になってたのを収穫してきた。ちょうど今旬だし」


「へー。この苦味、癖になるな」


「分かるー。今度皆で一緒に行く?」


「いいね」


 植物系はノエルのお箱だしな。あいつなら食卓のバリエーションを増やしてくれそうだ。


 東条はチビチビとつまみながら酒を飲む。


「この前は俺の恋バナ話したからな、今日は灰音の番だぜ?」


「えー?無いよそんなの」


「嘘つけ。恋人はいなくても、恋したことくらいあんだろ?」


「えー、それより、マサ君が小学校の頃女子更衣室覗いて全校集会開かれた話しようよ」


「何で知ってだお前⁉︎」


「この前自分で言ってたよ」


「え、じゃあ先生の自転車に補助輪つけて、サドルをブロッコリーに入れ替えた話も?」


「それは初耳だね」


「バレンタインで、友達の机の中にそいつの好きな女子の名前書いたチョコ入れて、喜んだ後にネタバラシした話は?」


「鬼畜の所業だね」


「学校の屋上で打ち上げ花火したら警報鳴って消防車来た話は⁉︎」


「うん、僕君のことが怖くなってきたよ」



 酒の入った2人の笑い声は、明け方まで続いたとか。


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