四国旅

 

 ――「ついたー」


「こら走るな」


 船旅も終わり、2人は港に足をつける。


 東条は防波堤に集まる生き物を覗き込もうとするノエルを追いながら、ガチガチに固められたギプスを砕いて壊し、近くのゴミ箱に捨てた。



 ――「……え、あれって」「嘘、本物?」「何でここにいるの?」「昨日死にかけてなかった?」


 騒つく港の観光案内所の中で、2人はパンフレットを広げうむうむと唸る。


「どこ行くよ?」


「春は苺が旬」


「苺狩りか、良いじゃん」


「鳴門鯛が有名らしい」


「んじゃ次いでに鳴門の渦潮でも見るか」


「徳島ラーメン、すだち、祖谷そば、阿波尾鶏、でこまわし、阿波牛」


「落ち着け。そこら辺は適当に歩いてりゃ食えんだろ」


 東条は立ち上がり、ビビりまくるカウンターの受付にパンフレットを差し出す。


「あのーすみません」


「ひゃいっ」


「ここと、ここと、えー、ここ、予約したいんですけど」


「必ずっ、必ず取ります!」


「あ、はい。おねしゃす」


 とその時、


「――見ぃつぅけぇたぁああ‼︎」


「カハっ⁉︎」


 彼の脇腹に何かが途轍もない速度で衝突した。腰がくの字に曲がり、地面を数㎝スライドする。


「……え、何やってんのお前?」


 自分の腰に突き刺さった彼女を見て、東条は唖然と口を開けた。


「痛っってぇぇぇッっす!」


 助走をつけ頭突きした猫目が、頭を抱え蹲る。

 ……何でこいつがここにいるんだ?夢か?


「もう猫目ちゃんっ、公共の場で走っちゃダメでしょ!」


「ごめんっす、痛いっす」


「よしよし」


「……風代?」


「あ、お久しぶりです。マサさん」


 恥ずかしそうに目を逸らす彼女。もう何が何だか分からない。


「ノエル?」


 近づいて来るノエルを見て尋ねるも、


「知らない。びっくり」


 マジかよ。


 そんな驚く自分を見て、風代が申し訳なさそうに頭を下げた。


「すみません。その、怪我したって聞いて、お見舞いに」


「あ、ありがと」


「涼音、ボロボロになってるマサさん見て泣いて心配してたんだ「――ッ」びょす⁉︎」


 喋っている猫目の口が強引に閉じられる。八重歯が舌に刺さり、綺麗な赤い噴水が噴き上がった。……え、怖い。


 鬼の形相で猫目を見る風代を、恐る恐る見る。


「……俺を心配して、ここまで?」


「あ、当たり前です」


 途端頬を染め俯く風代に、心の奥がトゥンクと鳴る。


 なんと清純で優しい心の持ち主なのか。こんな良い子なかなかいないぞ。


「あ、人数2人から4人に変更で」


「へ、あ、はい」


 東条は唖然とする受付に人数の変更を伝え、3人を連れて外に出た。



「てか学校どうしたんだよ?」


「有給使ったっす」


「高校に有給ねぇだろ」


「先生には休むって伝えたんで、多分大丈夫です。……多分」


「(モグモグ)」


 顔を青くして笑う風代に、何となくの状況を察する。


 まぁ、お叱りは先生から受けるだろうし、自分の為に来てくれたんだ。ここは盛大に楽しませてやろうじゃないか。


「いつまで居れるの?」


「ずっとっす!」


「四国にはどれくらいいるんですか?」


「4日間だな」


「(モグモグ)」


「じゃあ、もし邪魔じゃなければ、私達も4日後に帰ろうと思います。……良いですか?」


「俺は構わんけど、良いのか?」


 不安そうだった風代の顔に笑顔が溢れる。


「はい!」


「えー短いっす」


「(モグモグ)」


 ぶーたれる猫目に苦笑しながら、ハイヤーに乗り目的地を目指す。


「おいノエル飯こぼすな。てかお前さっきから何食ってんだ?」


「ング。これはでこまわし。じゃがいも、豆腐、こんにゃくなどを串にブッ刺して味噌ぶっかけて焼いた物。これは徳島バーガー。特性スダチ塩だれと阿波牛100%のコンビネーション。

 共に美味」


「そ、そうか」


「あたしにもくれっす!」


「ん。食え」


「ありがとっす!」


「美味しそう、私も貰って良い?」


「ん。食え」


 頬を膨らませ食べ物を分け与えるその姿は、蛇というよりもハムスター。


 東条と運転手は、そんなてぇてぇ空間を微笑ましく見守るのだった。



 ――鳴門の渦潮


 料亭で飯を食べながら、海に出来た巨大な渦を見つめる。


「……うーん」


「そうっすねー」


「何だろう……」


「(モグモグ)」


 壮大で神秘的な光景、なのだろうが、正直魔法がありふれた今、何だか感動が薄い。


 加藤さんの水魔法を見た後だからだろうか、あの人ならこれくらいの現象笑顔でこなすだろうし……。


 てかこの鯛うま。


 激しい潮流の中育つせいで、身が引き締まりコリコリとした食感になるらしい。


 やはり刺身と寿司は日本が誇る最強の文化だな。



 ――苺狩りにて


「美味い、美味い、美味い、美味い、美味い、美味い――」


「おい!誰かあの女の子を止めろ‼︎畑が食い荒らされるぞ⁉︎」


「無理ですオーナー‼︎動きが早すぎます‼︎」


「美味い、美味い、美味い、美味い」


「頼むッ、もうやめてくれーー‼︎」


 慌てふためくスタッフと、アクロバティックに苺を摘みまくるノエル。


 そんな茶番を見ながら、3人はジューシーな苺に舌鼓を打つのだった。



 ――祖谷のかずら橋


 清流にその影を落とす吊り橋が、そよ風にゆらゆらと揺れる。

 橋を覆うように群生する藤の花が、山の中の濃い緑を淡い紫で彩っていた。


「こ、これを渡るんですか?」


 風代が足下を見てゾッとした表情を浮かべる。


 高さは約14m。自分はこのくらいの高さならよくジャンプするが、確かに慣れてないなら怖いだろう。


 先に行ったノエルと猫目が、そんな風代を見てニヤニヤと笑う。


「何すか涼音?こんなのが怖いんすか?ザーコザーコ」


「ぷぷぷぷぷ。ざーこざーこ」


「――っ」


 涙目で此方を見る風代。


「……もしかして高所恐怖症?」


「(コク)」


「あちゃー、そりゃしゃあねぇ。一緒に待ってようぜ」


 しかし風代は首を横に振る。


「私はお2人の旅に首を突っ込んでる身です。こんなとこで迷惑はかけられません!」


「……いや、俺も別にこの橋渡りたい訳では」


「行きます!」


 彼女は大きな掛け声と共に1歩踏み出し、一枚目の板の上で、ピシッ、と固まった。言わんこっちゃない。


 東条は呆れて笑った後、揺れる橋の上で微動だにしない彼女を、


「ほい」


 ヒョイ、と持ち上げる。


「へ?――っ⁉︎」


 お姫様抱っこで運ばれる風代は、顔を真っ赤にしてまた固まる。


「ちょ、ま、マサさんっ」


「あ、さては風代、俺がこうするの狙ってたのか?何て策士だ!」


「そんな訳ないでしょ⁉︎」


 東条は横を通って行く一般客に微笑みの目を向けられ、何だか恥ずかしくなりそっぽを向く。


「……何か照れるな」


「当たり前ですっ」


 反対の岸でニヤニヤと此方を見る猫目とノエルに向けて、彼は足を早めるのだった。


 ――「ハァっハァっフゥゥ」


 地面に下ろされた風代は、大きく息を吸い汗を拭う。


「流石涼音っす、策士っす」


「だから、違うってっ」


「吊り橋効果ってやつっすね!」


 頭を掻いて先に行く東条の背中を見ながら、風代は唇を引き結ぶ。


「……私はもう好きなんだから、意味ないでしょ」


 悔しそうに、嬉しそうに。



 ――­到着した高級旅館を目に、猫目と風代は驚く。


「うひゃー。っす」


「……こんな良い旅館に」


「早く行く」


 スタスタと入ってしまうノエルに、3人もついて行く。


「マサさん、流石に私も出します」


「え?いいって」


「色んな所に連れて行って貰ったのに、こんな旅館まで」


「涼音〜こういうのは甘えてれば良いんすよ」


「……猫目ちゃんはもう少し気にした方がいいよ」


 東条はそんな2人を見て笑う。


「そうだぞー。金ならいくらでもある。甘えろ甘えろ」


「パパ活っす!」


「おいやめろそんな年齢いってねぇよ」


「……もう、クスっ」



 ――2日目。香川県突入。


「……マサさんもノエルちゃんも、その和服似合ってますよね」


「あたしも着たいっす!」


 という事でまずはレンタル和服屋へGo。皆で和に身を包んだ後、


「ノエルについて来い」


「「「おー」」」


「うどん」


「「「美味い!」」」


「骨付き鳥」


「「「美味い!」」」


「オリーブ牛」


「「「美味い!」」」


「もっかいうどん」


「美味……ちょっと待ってノエルちゃん、お腹いっぱい」


「ん、分かった。次の場所風代が決めていいよ」


「そう?……じゃあ」



 ――エンジェルロード


 天使の散歩道と呼ばれるその場所は、1日2回、干潮時にのみ海の中から現れる砂の道だ。


 東条は辺りを見回し、カップルの多さに首を傾げる。


「へー。何か若い男女多いな」


「き、気の所為じゃないですか?」


「ふふふふふ」


「猫目ちゃんは黙って」


 周りの人達に合わせ、4人も砂の道を渡って行く。


 ……その中で1人、険しい顔をする風代。心の中で自分にエールを送り、隣を歩く男をチラ見する。


(……よしっ。頑張れ私!)


 その表情に映るのは、意を決した覚悟の色だ。


「き、きゃぁ〜」


「おっと、どした?」


 とんでもなくわざとらしいズッコケを披露した風代は、倒れそうになった自分の手を握る彼の手を見て、心の中でガッツポーズする。


(よしっ、第一関門クリアっ)


 その光景に、猫目は笑いを堪えるのに必死である。


「大丈夫か?」


「はい、石に躓いてしまいました。ありがとうございます」


「石?……無くね?」


「あったんです」


「そ、そうか」


 東条は掴んでいた手を離そうとする。


 が、何故か離れない。試しに振ってみるも、


「……(ブンブン)」


「(ニコニコ)」


「……(ブンブンブン)」


「(ニッコニコ)」


「え、何、怖い⁉︎」


 風代の笑顔が増すばかり。


「すみません。足を捻ってしまったみたいで」


「あ、そなの?戻るか?」


「いえ、治ったんで大丈夫です」


「んぇ?」


「でも少しだけ痛むので、よろければ体重を預けさせて貰えないでしょうか?」


「別にいいけど、肩貸すか?」


「いえ、手で大丈夫です。私普段手に全体重かけてるので」


「(ドユコト?)」


 そのまま歩いて行く2人を、猫目は後ろからニヤニヤと見つめる。

 友人の恋路を見守るというのは、何とももどかしく面白いものだ。


「ノエルちゃん、あたし達も手繋ぐっす」


「ん。いいよ」


 エンジェルロード。


 そこはカップルが1度は訪れたいと願う、『恋人の聖地』。


 大切な人と手を繋いで渡ると、砂洲の真ん中で天使が舞い降り、願いを叶えてくれるというロマンティックな場所。


 彼女の恋が実るか否か、それはまだ誰にも分からない。



 ――3日目。愛媛県突入。


「みかん、みかん」


「みかんっす!」


「みかんですね」


「みかんだな」



 ――青島


 島の人口は僅か6名。コンビニや宿泊施設などは一切無いにも関わらず、この島はある事で有名になった。


 それは島に暮らす120匹の猫達。島の至る所に猫がいる、正に猫好きには堪らない場所なのだ。


「猫がいっぱいっす‼︎にゃーーー!」


「「「「「「「「ニャー」」」」」」」」


「可愛い。……よしよし、こっちおいで」


 この島の猫は人に慣れているらしい。東条は楽しむ2人から離れ、ノエルに寄る。


「どうだ?猫の島、は……」


「……」


「「「「「「「「「「「「「「「「「「シャーーッ‼︎」」」」」」」」」」」」」」」」」」


「……楽しくない」


「そのようだ」


 視界に収まる全ての猫達が、ノエル1人に向かって威嚇している。それはもうすごい剣幕で。


「お前めっちゃ嫌われてんじゃん」


「……下等生物が」


 猫目と風代も気付き、その光景に驚く。


「凄いノエルちゃん、こんなに猫に嫌われる人初めて見た」


「ナハハハハっ、めっちゃ嫌われてるっす⁉︎」


「「「「「「「「「「「「「「「「「「シャーーッ‼︎」」」」」」」」」」」」」」」」」」



 ……ピキ。ノエルの額に青筋が走った。



「シャー」



「「「「「「「「「「「「「「「「「「っ⁉︎」」」」」」」」」」」」」」」」」」


 ……その日4人が猫に出会えたのは、最初の数分だけであった。



 ――最終日。高知県突入。


 ――仁淀川


「マサさん釣れました?」


「いや釣れん」


 鮎釣りが人気のアクティビティであるこの場所で、彼等は絶賛釣りの途中。


 しかし東条の竿には未だ1つの当たりも来ない。


 ……それもこれも全て、目の前で跳ねまくっているバカ2人の所為だ。


「ニャアッ」


「いた」


「こっちニャッ」


「もう1匹」


 川の中で魚相手に物理戦を挑む猫目とノエル。


 こいつらだけ別の競技をやってやがる。

 一帯貸切だから良かったものの、見ろ、スタッフの顔も引き攣ってしまっている。


 それでいて岸には、2人の捕った鮎が串に刺され香ばしい香りを上げている。


 こっちは1匹も捕れていないというのに。


「……やってられるか」


「マサさん?」


「行くぞ風代、まずはあの外来種を狩る」


「了解です」


 靴を放り投げた東条と風代は、川で暴虐の限りを尽くす2人に向かって飛び蹴りを食らわした。



 ――「カツオのたたき」


「「「美味い!」」」


「土佐ジロー」


「「「美味い!」」」


「ウツボ」


「「「美味い!……ウツボ⁉︎」」」




 ――月明かりが自然を照らし、静寂を虫の鳴き声が美しく飾る。


 ホテルのデッキに出て涼んでいた東条は、左足を持ち上げ怪我の具合を確認する。


「……」


 全力で振ってみるも、怪我前と異なる感覚は見つからない。良かった。後遺症は無いようだ。


 とそこへ、


「失礼します」


「ん?どうした?」


「いえ、外に座っているのが見えたので」


 扉を閉め、風代が向かいの椅子に座った。


 身体が少し上気している所を見るに、温泉にから上がった直後なのだろう。


「怪我はもう大丈夫なんですか?」


「ああ、完治した」


「本当に凄いですね。トップの人は皆そんな身体なんでしょうか?」


「分からんけど、骨折くらいなら1日で治るんじゃないの?風代も怪我の治りは早いでしょ?」


「まぁはい。でも比べ物にならないです」


 彼女は興味深そうに東条の傷痕を眺める。


「ノエルと猫目は?」


「私達の部屋で色んなゲームしてますよ。ノエルちゃんが強すぎて相手になってませんでしたけど」


「ハハハ、頭使うゲームでアイツに勝てる未来が見えねぇよ」


「本当ノエルちゃん頭いいですよね。何者なんですか?」


「……さぁなー、俺も拾っただけだから、よく分かんね」


「そうなんですか……」


「……飲むか?」


 東条はグラスに氷を入れ、リキュールを掲げる。


 そんな彼を見て、風代は悪戯っぽく微笑んだ。


「……私未成年ですよ?」


「おっとそうだった」


 東条は笑ってグラスに口を付ける。


「……ふふ、酔わせて何するつもりだったんですか?」


「何だ、何かして欲しいのか?」


「まさか。今は部屋に2人だけですし、何かされても私は何も出来ないなー、って思っただけです」


「そりゃ危ない。そんな奴からはすぐに離れな」


「……ただ、その人には何をされても良いかな〜、なんて思ったりもするんです」


「っぇほっ、けほっ、……そうかい」


「……はい」


 グラスの中の氷が、乾いた音を立てる。


「……それで、何か俺に話があったんじゃないの?」


「え?別に無いですけど」


「何だよ」


「……何も無かったら、来ちゃダメでした?」


「っ……今日は随分と、その、……来るな?」


 東条は彼女の積極性に驚き、火照る顔を自覚する。うん、これは酒の所為だな。うん。



「……マサさんは、私の気持ち知ってますよね?」


「まぁ、うん」


「こんな機会滅多に無いので、私も少し構って貰おうかな、と」


「はは、随分と謙虚な願いだな」


「好きな人の時間を貰うんです。とても欲張りな願いですよ」


「……そうかい」


 風代は垂れる髪を耳に掛け、東条の瞳を真っ直ぐと見つめた。


 彼女の朱色に染まった頬が、湯上りの所為ではない事くらい、東条にも分かる。


「気持ちは決まりましたか?」


「……決めたいんだけどな」


 正直な所、自分も切り替える努力はしているつもりなのだ。


 風代の気持ちに応えてあげたい。その気持ちは本物だ。


 しかし、変えようとすればするほど、心の底で『彼女』が囁くのだ。


『捨てるの?』『許さない』『永遠に私の物』と。


 もうここまで来ると呪いの類だと自分では思っている。


 死すら受け入れ乗り越える事が出来たのに、恋だけがあと1歩踏み出せないでいるのだ。


「……もし断る事に躊躇しているのなら、それこそ気にせずに言ってください」


「いや、そういう訳じゃないんだ。……これは、うん、……俺ってそんな未練がましい男だったのかな。何かショック」


「……マサさんは前、想っている女性はいないって言っていましたけど、それが嘘な事くらい私には分かります」


「んぇ?マジで?なんで?」


「女は聡いんです。別の女の影には尚更」


「怖いよ?」


「その人とマサさんが今どういう関係か分からないですけど、マサさんが拒まない以上、私は譲る気はありませんよ」


「……それは、俺に遊ばれてるって線も出てくるけど?」


「その時は自分の見る目が無かったという事で諦めます。最強の男に遊ばれたんです。何かしらの経験にはなる筈です」


「強かな子や」


「それに、もしマサさんがそういう人なら、私は今頃お酒を飲まされてベッドの上です」


「確かに」


 ふんすと鼻を鳴らす彼女を、東条はケラケラと笑った。


「……」


「?……っ」


 風代は椅子から立ち上がり、東条の足の上に腰を下ろす。


 その妖艶さたるや、高校生が持っていていいものでは無い。


 いや、普段気丈だからこそ、こう言う時に抜群の破壊力を見せるのか。これぞギャップ萌え。


「……何度か諦めそうになった時もありました。価値観が、生き方が違う。多分これは、どんなに努力しても埋まる溝ではありません」


「……」


「でも、諦めたくないし、諦めきれない」


「……」



「……それが、惚れるという事なんだと思います」



 彼女の潤んだ瞳が、漆黒を貫き東条の瞳を震わせる。


 これ程純粋で熱い気持ちをぶつけられたのは、それこそあの時以来かもしれない。


 波打つ心臓の音が、自分を通して彼女にまで伝わっていないか心配になる。


「……今のは、やばかったな」


「本当ですか?勇気を出した甲斐があります」


 微笑む風代に、ドキッ、としてしまう。


「……私は待ちますよ、ずっと。……それに、マサさんが出した答えなら、どんな結果でも受け入れます」


「……ずっと、か」


「……今でも良いんですよ?」


「っ」


 顔を近づける彼女に、息を呑む。


 え、こんな美人だったか?


「……俺だって男だ。それ以上は、安全を保証できないぞ?」



「…………ここで既成事実を作ってしまうのも、良いかもしれませんね」



「――ッ⁉︎」


 目を瞑った風代に、理性が飛びそうになる。


 頭の中でガンガンと『警鐘』が鳴るが、それを一時の欲が上回る。


 東条は膝に置かれた彼女の腕を掴んだ。


 掌から伝わる緊張と、非力な女性の強張り。


 襲いたい。貪りたい。


 今ここで唇を重ねたら、自分はきっと歯止めが効かなくなる。


 けど、



 ――もう良いのではないだろうか?



 東条が漆黒を外――そうとしたその瞬間ッ、


 ――ガラガラガラ


「「――ッ」」


 デッキの扉が開いた。


「マサ、卓球あった。行こ」


「涼音〜、行……こ……わひゃ〜」


「……」

「……」


 2人のキス直前の体勢に猫目が目を覆い、ノエルを引っ張って行こうとする。


「生殖?」


「ぶっ飛ばすぞお前」


 ノエルの不躾な質問に東条は大きく溜息を吐き、真っ赤になっている風代を膝から下ろす。


「……はぁ。そう言う空気じゃなくなっちまったな」


「……はい」


「……卓球行く?」


「……はい」


「勇気出してくれたのに、悪いな。あのバカ、夕飯抜いてやる」


「猫目ちゃんの夕食は猫缶にしましょう」


「良い考えだ」


 東条と風代はデッキから部屋に戻り、先に行った2人を歩いて追う。


「……さっきの、正直ヤバかった。理性飛び掛けた」


「ちょっと今は、その話は、……心臓が持ちません」


 大分頑張ってくれたのだろう、彼女の尋常でない照れ具合がそれを如実に著している。


「……沖縄から帰って来たら時間できると思うから、……待っててくれ」


「っ……じゃあ」


「ああ、それまでにケジメつけてくる。返事はそれからでもいいか?」


「はいっ」


 満開の笑顔を向ける風代に苦笑してしまう。


 正直を言うと、今自分の頭には割れそうな程の痛みが走っている。

 キスをしようとしただけでこれだ。こんな状態で付き合おうものなら死ぬ。間違いなく死ぬ。


 少しだけ、あと少しだけ時間を貰おう。

 答えはもう、出ているのだから。



 その後の卓球で、本気を出した東条風代ペアの気迫に、ノエル猫目ペアがボコボコにされたのは言うまでもない。

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