3話
「……は?」
写真を仕舞っていた紫苑の動きが止まり、怪訝な表情を持ち上げる。
「……え、いや、……は?」
「もういないんだ。モンスターに殺されたんだよ」
後頭部に手を運ぶ彼女は、状況を飲み込めないのか目を彷徨わせる。
黙ったまま口を噤んだ東条に対し、紫苑の瞳が徐々に懐疑から怒りへとシフトしていった。
「……いくらアンタでも、その冗談はおもんない」
「冗談でこんな事言うか。俺は一時期、紗命のいた生存者グループで生活してた。彼女の事はよく知っている」
「っ……」
衝撃の事実に、紫苑の目が見開かれる。連絡を取っていた時、確かに彼女は言っていた。自分は今、生存者達が集まる屋上で暮らしていると。
そもそも、カオナシは写真を見ただけで名前を言い当てた。本当に彼女の事を知っていたのだろう。
となると……、
紫苑の回り始めた脳が、唐突に先の言葉の意味を理解した。
……この男は、何と言っていた?
「……紗命が、死んだ?」
そんな事あるわけ、
「ああ」
「……」
紫苑は驚いた。
……気づいた時には、腰から銃を引き抜いていたのだ。
感じたことの無い感情が、胸の内から膨れ上がってくるのが分かる。虐められていた頃などとは比にならない、吐きそうな程の激情。
何故か、持ち上げた銃を下ろす気にはなれなかった。
「……どうする気?」
東条は銃口を見つめ、紫苑に問いかける。
「……分からへん。分からへん、けど、今はどないしょうもなく、この引き金を引きたい」
「……そうか、」
短い呼吸を繰り返す紫苑を見て、東条は一つ、溜息を吐いた。
――銃声。
鈍く、重い音が轟――いた瞬間、割り込んだノエルの腕によって弾が弾き飛ばされた。
東条は頭を掻き、呆れる。
「……おい、」
「今、受けようとした」
「……。そんなんじゃ傷つかねえよ」
「魔力張ってなかった」
……お見通しですか。東条は目に見えて不機嫌になったノエルに苦笑し、「でもよ、」と続ける。
「こいつの怒りは正当なものだ。弾の一発や二発、受けてやっても良いと思ってよ」
「その場にいなかった奴が何を言おうと、不当な言い掛かり」
「ま、そうだけど」
二人の会話を遮るように、もう一度銃声が轟く。
ノエルによって蹴り返された銃弾を、紫苑は引き抜いたナイフで弾いた。
「ハァ、ハァ、ハァ」
嫌な汗をダラダラと垂らし、瞳孔が開いたまま荒い呼吸を繰り返す紫苑。
そんな彼女を、ノエルは面倒臭そうに、東条は憐れむように見つめた。
「殺す?」
「いいや殺さない。すまんが少し時間くれ」
「……」
ジトォ、と睨んでくるノエルの頭を、東条はクシャっと撫でる。
「俺にはお前がいたけど、あいつには誰もいなかったんだよ」
「……んー」
「ここで出会ったのも何かの縁、針を進めるくらいはしてやるさ」
「ん」
引き下がるノエルに礼を言い、改めて彼女と対峙する。
構えた銃に添えられた逆手のナイフ。その型を見ただけで、彼女がどれだけ戦闘の中に身を置いて来たのかが伺える。
「銃は組合も売ってない筈だけど、拾いもんか?」
「……何で、」
「ん?」
「……何で紗命が死ぬような状況で、アンタが、アンタだけが生きとんのや?」
「俺だけが敵より強かったからだろ」
「ちゃう」
紫苑の目が完全に怒りに染まる。
「あの子がその場の誰かより、はよ死ぬわけがないっ。自分以外のみなを利用しぃ、生き延びようとした筈や!」
(……驚いた。この子、本当に紗命の事分かってる)
紗命が裏の顔を明かしたという事は、彼女は紗命にとって本当に大切な存在だったのだろう。
「……やのに、彼女が死んで、お前が生きとる」
「……ん?」
この流れは、少しまずい気がする。
――瞬間、紫苑の姿が消えた。
「っこりゃ、転移か?」
「――ッ、⁉︎」
東条は迫るナイフを首筋の直前で掴む。
その馬鹿げた反応速度に紫苑は驚愕。顎下から発砲し、再び転移で離脱した。
「……」
「えげつないな。対人戦も経験済みか」
顎下に直撃した銃弾が、漆黒に威力を吸収されポロリと落ちる。東条は手の中から消えたナイフに驚きながらも、更に警戒を強める紫苑に呆れた。
「あのなっ、俺が紗命を騙して生き延びたと思ってるな、らっ、間違いだぞ?」
銃弾を鞘で弾き、ナイフをはたき、守りに努める。
「グッ、なら、何でっ、紗命が死んでんだよ⁉︎お前がいたなら、彼女一人くらい守れただろ⁉︎――っ……、」
「そうだよ。俺がその場にいなかったから、俺以外全員死ぬ事になっちまったんだ」
東条は紫苑の胸ぐらを掴み、その目を覗き込む。
「俺が逃げるモンスターを追わなければ、隠れて近づいていたあのクソゴミに気付けていれば。そうさ、全部俺の所為だ。そこに関しては間違っていない」
紫苑を突き飛ばし、納刀したままの刀を肩に担ぐ。
「……結局お前の所為やないか」
「そうだな。俺の所為だ」
「ほな死ね」
放たれた銃弾を首を傾けるだけで躱す。
「それは断る。お前の為にそこまでする義理は無い」
「死んでいったあの子達の為にっ、死ねって言ってるんやッ‼︎」
紫苑のナイフを囮にした渾身の回し蹴りを片手で受け止める。
「それも出来ない。俺は今を楽しんでいるんだ。死ねない理由がある」
「――っ何なんだよお前、」
飛び退いた紫苑が、泣きそうな顔で叫ぶ。
「何、勝手に乗り越えてんだよっ⁉︎」
彼女の言葉に、東条は心の中で全くその通りだ、と同意する。友人の死をいきなり突きつけた人間が、今が楽しいなどと抜かせば俺でもキレる。
しかしそれが事実なのだから仕方ない。
向けられた銃口を握り潰し、服を掴んでぶん投げる。
「っ開き直ってんじゃねぇよ‼︎もっと悲しめよ!絶望しろよ!引きずれよ!」
「もう充分した」
「ちゃんと家族に会いに行ったのかよ⁉︎謝れよ‼︎」
「……確かに、後悔も、謝りたい気持ちもある。でも、それは紗命達へのものであって、君達に対してじゃない」
当然の如く言い切った東条に、その背中を見ていたノエルは驚いた。
マサは、というか人間は、自分の所為で被害を被った者に加え、近しい者にまで罪悪感を感じる節がある。今回もその罪悪感から来る行動だと思っていたが、どうやら違ったらしい。
マサは以前からその線の感情が希薄なところがあったが、それでも自分から見れば、赤の他人の為に行動する事が多い人間らしい人間だった。
しかし今の言葉は、完全に対象とそれ以外とを分けて考えている。実に独善的で合理的な、人間らしくない価値基準だ。
加えてマサには、大切なものに対しては人一倍敏感という性格もある。今回はその紗命という女の為に、面倒を引き受けたと見るのが妥当だろう。
「……やっぱり」
ノエルは確信する。
出会った頃から薄々感じてはいたが、マサのcellは自分と出会うずっと前から、既に侵食を始めていた。恐らく感情に起因する何か。
他人などどうでも良くなり、大切なものはもっと大切にする、そんな、モンスターである自分にとって、都合の良すぎる罰を背負った能力。
このまま放置しても一向に問題はないが、これ程強力な力、暴走すれば人格ごと消し飛ぶ可能性すらある。
そこだけ忘れないでおこう。
ノエルは喉につっかえていた小骨が取れた事に喜び、紫苑が泣きながら殴りかかる光景を笑顔で観戦するのだった。
「っなんで、なんでぇっ」
「……もう充分か?」
東条は自身のはだけた胸部に向かって、涙を流し、力ない腕で、何度も何度もナイフを振り下ろしてくる紫苑に優しく声をかける。
「ひぐっ、置いてくなよっ、紗命ぁ。……うちはっ、これからどうすれば良いんだよぉっ」
普段強く見せている奴程、支えが無くなった時に弱いものだ。
彼女がこれからどうやってこの事実と向き合っていくのかは知らないが、何事もきっかけが必要だ。恥も捨てて号泣すれば、多少は前を向ける筈。
少なくとも、自分はそのやり方しか知らない。
東条は胸に顔を埋め泣き叫ぶ紫苑の頭を、懐かしいものを見るように優しく叩いた。
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