17話 有栖の休日
有栖ライムは緊張していた。
車窓から流れる景色になど目もくれず、手元の携帯ゲーム機を操作する。そして流れる様に現れる『YOU WIN』の文字。
「ふひひっ、パンピーが引き篭もりに勝てる訳ねえっての。ふひひ(ボソ)」
画面の中の対戦相手を親の仇のようにぶちのめした後、彼女は傍のエナジードリンクをグビ、と飲んだ。
「……」
有栖ライムは緊張していた。
どういう訳か、いつの間にか、美見さんと二人で旅行に行く事になっていたのだ。そりゃ緊張もするってもんだ。こちとら修学旅行もサボった所為で、他人と旅行なんて初だぞ全く。
聞けば、東条くんが自分の為に考えたサプライズだというではないか。何だ何だ粋な事してくれちゃって。普通に嬉しいじゃねえかこんちくしょう。
……でも、だ。一つ苦言があるとすれば、
「……何で勝手に人誘ってんだよぉぉ。嫌じゃないけどぉ、心の準備がぁぁ(ボソボソ)」
美見さんとは仕事で何度もやりとりしている。食事に誘われて行った事もある。緊張しすぎてその時の記憶はないが、もし粗相をしていたらと思うと朝しか眠れない。
有栖はネットで『旅行 二人 知り合い』で検索をかけ予習を図る。
友達、と打とうとして知り合いに打ち直したのは、まぁご愛嬌というものだ。
幸いこのバスが向かっているのは京都であり、旅行までにはあと一日の猶予がある。
美見さんからは新しい拠点に直接迎えに行く、と連絡があったため、それまでに心共々準備を済ませれば大丈夫だ。
彼女は再びゲームに視線を落とし、先の問題から目を逸らすのであった。
――そうしてバスに揺られ数時間後。
現在、彼女は京都の繁華街を歩いていた。
それはもう青い顔をしながら、気分悪そうに。
せっかくだから、と観光を提案した数分前の自分をボコボコにしてやりたい。
何故いこうと思ったのか、何故いけると思ったのか、どうやら自分は自分を買い被りすぎていたようだ。
「……ふへ、所詮私は日の下を歩けない人間ですよ。何で太陽ってあるんだろう。もう一生夜でいいのに(ボソボソ)」
人混みに酔い薄ら笑いを浮かべる彼女を、町行く人は奇妙な生物を見る目で通り過ぎて行く。
「ママー、あの人変―」
「こらっ、見ちゃいけません」
そうだ、私には変態か変人の称号がお似合いだ。どうぞ好きなように罵ってくれ。小さき者よ、私の様になるでないぞ。
とほほ、と涙を流す有栖は、力ない手でタクシーを呼ぶのだった。
――鴨川沿いを少し走り、bgmが雑踏から穏やかな流水の音に切り替わる頃。指定した住所に到着したタクシーが静かに停車した。
「……」
そしてタクシーが走り去る音を耳に、今目の前にある建物と住所が一致しているかを、三度見くらいして確かめる。
太陽に照らされ贅沢な輝きを纏う、巨大な石造りの門。デカすぎて奥の住居が見えていない。
有栖は恐る恐るインターホンを鳴らそうとするが、押す直前でやはり止まってしまう。こんな豪邸に住む人、只者ではない。もし間違えていたら洒落にならない。
どうしたものか、と門の前でウロウロしていた。その時、
複数の監視カメラが、有栖の方を向いた。
『有栖ライム様でお間違いないでしょうか?』
「ひぃ⁉︎」
突如聞こえた機械的な声に、有栖が飛び跳ねる。
『有栖ライム様でお間違い無いでしょうか?』
「は、はいっ。ごめんなさい(ボソ)」
『情報と統合致しますので、扉までお近づき下さい』
「は、はい(ボソ)」
『ピピ、ピー、ピー。網膜認証、クリア。声帯認証、クリア。骨格認証、クリア。バストAカップ。「ぁあ⁉︎」有栖ライム様を確認しました。「ちょい待て!何だ今の!」おかえりなさいませ』「おいこら⁉︎」
何だか失礼な認証プログラムを施され、監視カメラに向かって吠える有栖。
そんな彼女を他所に、石造の扉が音もなく開いた。
「プログラムした奴は誰だ⁉︎東条くんか⁉︎東条くんなの……なんじゃこりゃ」
有栖は怒りも忘れ、門の奥に広がる光景に息を呑む。
石畳の両脇に広がる、日本庭園を模した広い庭。
丁寧に整えられた草木が彼女を出迎え、小さな池には錦鯉が泳ぐ。
ヒラヒラと舞う桜が水面に座り、小さな波紋を立てた。
そしてその奥に静かに、荘厳に佇む、黒と白のマーブル柄の大理石を基調にした超高級低層マンション。
「……やべえって、ぱねえって、やべえって(ボソ)」
有栖は暖かな光を放つ、モダンデザインな照明に百八十度囲まれたエントランス抜け、ラウンジへと足を踏み入れる。
「くふっ」
瞬間、大理石の床と木目調の壁にクソ程もマッチしていない、三人で撮ったバカでかい写真が目に入った。
崩壊した都市をバックに、真ん中でいー、と笑いダブルピースするノエルちゃんと、何を血迷ったか全身武装でモンスターの死骸を掲げる東条くん、とその横でぎこちない笑顔を向ける、私。
何だその笑顔は、もっと普通に笑え私。に襲い掛かろうとするモンスターの群れ。
「……」
誰が見てもカオスな一枚。しかし、こうして彼等と共に、一枚の写真の中にいる自分を見ると、やっぱりどうしてか、ちょっと、嬉しくなってしまう。
そんなニマニマと笑う彼女を微笑ましく見ていた一人の女性が、カウンターから出て有栖の横に立った。
「良い写真ですね。私も好きです」
「ぇあ、はい、その、(ボソ)」
彼女はとても綺麗な人だった。緩く巻かれたブラウンヘア、抜群のプロポーション。愛らしい垂れ目と、絶やされる事のない柔和な笑顔は、見た者全てを虜にし、穏やかな気持ちにさせる。
「申し遅れました。私、当家の専属コンシェルジュを任されました、
「あ、あ、こちらこそ。有栖ライムです(ボソ)」
頭を下げるゆまに、有栖も慌てて頭を下げる。
「ふふ、存じております。改めて有栖様、お帰りなさいませ」
「あ、ただいまです(ボソ)」
「早速ですが、家の中を案内したいのですが、宜しいでしょうか?」
「あ、はい(ボソ)」
「では、お荷物お預かりしますね」
「あだ、大丈夫でしゅっ(グァアアア)」
「そうですか?分りました」
盛大に噛んだ自分を、表情一つ変えずスルーするゆまさん。その徹底ぶりに感嘆してしまう。
「ではまず、エントランスホールとラウンジには、ミーティングルームと、此方ですね、コンシェルジュカウンターがございます。私はここに常駐しておりますので、何かあった際はご連絡下さい」
「あ、はい(ボソ)」
「次に此方の扉を抜けますと、」
『繭野ゆま、有栖ライム、確認』
先程の機械音が鳴り、扉が開く。有栖はカメラを睨み、口を尖らせる。
「……私はまだ許してないぞ(ボソ)」
『……A』
「ああ⁉︎やっぱ生きてんだろお前!顔出せやぁ!」
「うふふ。ほら、行きますよ有栖様」
有栖の怒声を無視する様に扉が閉まる。
「此方がエレベーター兼階段ホールです。四つあった内の二つを取り壊し、中央を突き抜ける螺旋階段を造ったとの事ですので、日頃の登り降りもスムーズです」
「はぁ、はぁ、取り壊し、……はい」
「それでもう少し奥に進みますと、ジムですね」
「んジム!」
「もう少し奥に進みますと、室内プールですね」
「んプール⁉︎」
もう何でもありだ、驚き疲れてきた。
「続きまして二階です。どうぞ」
「あ、ありがとうございます(ボソ)」
エレベーターを降りる。
「此方は大幅にリフォームした、御三方の住居スペースと、個室の階でございます。順に紹介致しますね」
「はい(ボソ)」
「此方左手の大部屋には、有栖様が移された、スーパーコンピューター十数台を置かせて頂きました。冷却、その他諸々の設備から、配線チェックまで全て万全です」
「……おぉ。有難うございます(ボソ)」
扉を開ければ、稼働音を轟かす愛しのCP達がズラリと並んでいた。扉を閉めれば全くの無音の為、防音設備も凄いのだろう。
「此方右手に共用トイレ。左手がゲストルームです」
「ふむ」
「右手に空き部屋。左手に空き部屋です」
「ふむ」
「右手に空き部屋。左手がマサ様のお部屋でございます」
「……少し見ても?(ボソ)」
「ふふ、はい。どうぞ」
まず最初に出てきた感想、それは。
「……ひろ」
「リビングが二十畳の、1LDKのお部屋でございますね」
白い大理石の床に、黒い壁紙。それ以外の照明やソファ、カーペットなどの調度品も、全て白と黒に合わせ美しく配置されている。
それにしてもカッコいい部屋だ。
「こ、この部屋は彼がデザインを?テレビでか(ボソ)」
「いえ、マサ様の要望に合わせ、私がデザインさせて頂きました。……喜んで頂けるでしょうか?」
「ええそりゃ勿論。とてもカッコいいですし、何ならあの人、美人が用意したって言ったら犬小屋でも喜びますよ(ボソ)」
「クスっふふっ、それは良かったです。
因みにテレビは8K対応の八十インチです。部屋を揃えるに当たって『最高の物を。値段は問わない』というのが御二方の条件でしたので、家電製品から家具に至るまで、全てを最高級品質の物で揃えております。
勿論有栖様のお部屋も」
「私も⁉︎」
「はい。勿論でございます」
「何も聞いてないんだけど……(ボソ)」
「……ふふ」
含み笑いを零すまゆに促され、有栖は部屋を出る。
「階段を挟んで、右手に会議室です。この部屋は、音は勿論、電波なども完全に遮断する為、重要な話をする時にお使い下さい」
「こわ……(ボソ)」
「それで左手が有栖様のお部屋ですが、「ぉお」せっかくですので最後にしましょう」
「ぇえ……。まぁ、分りました(ボソ)」
「ふふ。それから右手に共用トイレがありまして、左最後がノエル様のお部屋です」
「どれどれ」
黒い大理石の床に、白い壁紙。全てが東条くんとは逆の配色となっていた。何とも洒落ているではないか。
「ん?あれは?(ボソ)」
有栖はリビングに聳える、馬鹿デカい棚を指差す。
「あれはノエル様専用、特大おやつ棚でございます。ノエル様の好みを独自に分析し、日本中から集めたお菓子を並べてあります」
「お、おぉ」
「ノエル様ったら可愛いんです。ゆまお菓子買っといてー、いっぱい買っといてー、って、ふふ、ふふふっ、ああもう可愛いっ、ゆまはノエル様の為なら何だって致しますっ!何だって!はぁはぁ」
(え、何これ怖いとても怖い)
いきなり頬を紅潮させ、自身をかき抱くゆまに、有栖は絶句する。
成程二人がこの人を信用した理由が、少しだけ分かった気がする。悍ましい表情をしている事に変わりはないが。
そして何事も無かったかのように笑顔に戻ったゆまに連れられ、最後の扉を開ける。
「此方が二階最後のお部屋、大浴場ですね」
「大浴場⁉︎」
脱衣所を抜けた先の扉を開くと、熱気が勢いよく顔を叩く。
そこは、紛れもない大浴場であった。
「勿論露天風呂もございます」
「勿論とは……」
あの二人の前に、最早不可能な事はないのかもしれない。
「では次に三階ですね。折角ですので階段で行きましょう」
「はあ」
そうして目の前に現れる、共用リビング。一体何畳あるんだこれ。
「御三方が集まり、団欒出来る場所でございます。六十畳ございます」
「馬鹿なの?何すんの?サッカーすんの?」
「サッカーすると仰っていました」
「サッカーするんだ」
サッカーするらしい。
高い天井、二つのファン、バーカウンター、大テーブル、特大コの字型ソファ、全面ガラス張りの開放感。
そしてなによりその奥、このリビングよりも更に広いバルコニー。持て余すぞこんなもん。
「何か現実感なさすぎて頭痛くなってきました」
「ふふ。それでは最後に、有栖様のお部屋に行きましょう」
そうして戻って来た扉の前。
まゆが笑顔を浮かべながら、側にはける。
「どうぞ」
「私が?(ボソ)」
「はい」
有栖は一度深呼吸をし、ノブに手を掛けた。これからこの場所が自分の家となるのだ。
彼女は少しだけ緊張しながら、一思いに扉を押し開けた。
瞬間、
――パドァンッ‼︎
「――ッヒェアッ痛った⁉︎」
盛大な破裂音と共に、カラフルなテープと紙吹雪が勢いよく有栖の顔を叩いた。
彼女は驚きと衝撃にその場でずっこける。
「「サプラーイズ」」
そして何とそこには、クラッカーを構える東条とノエルの姿があった。有栖は目を白黒させ、強打された鼻をさする。
「な、何で二人がここに?ってノエルちゃん!それ人に向けていいサイズじゃない!」
「(ふんすっ)」
バズーカ型のクラッカーを肩にかけるノエルが、得意気に鼻を鳴らす。
「我が社は頑張った仲間は、全力で労う方針を取っているからな。それにお前、特区にいる間に誕生日終わってたろ。いい機会だから、全部一緒に祝っちまおうと思ってな」
「ん。資格試験が都合よく終わったから駆けつけた」
「ノエル社長、それは言わぬが花というものですぞ」
「うむ。くるしゅうない」
「あぁノエル様てぇてぇ」
絶妙に噛み合っていない会話を耳に、有栖は段々と冷静になってきた頭で考える。
予定では合格発表は昨日。合流はそれから一週間後くらいの筈だ。
ノエルちゃんはその間に、色んな県を巡りたいと言っていた。
あのノエルちゃんが、冒険をすっ飛ばしてここに来たというのか?いや、そんなまさか、何の、誰の為に?
「……え、あ、」
有栖が口をパクパクと動かす。
「ふ、二人が、私の為に、わざわざ?」
「だからそう言ってんだろ」
有栖の目がどんどん見開かれて行く。
「ああそうだ、ジャーン!」
「あっ、ノエルがやりたかった!ジャーン!誕生日プレゼント、受け取れ」
「てぇてぇ」
二人が左右に身体をずらすと、その後ろから大小様々な、ラッピングに包まれた箱の山が姿を表した。
「どうだ、すげーだろ」
「固まってる」
「あまりの嬉しさに死んだか」
二人の会話は、最早有栖には聞こえていなかった。
生まれてこのかた、両親以外から何かを貰った事がなかった。
周りの同年代が普通にやっている事が、私には出来なかった。
いつか私にも、出来るものだと思っていた。
学校にこっそり持ってきたお菓子を交換したり、
お弁当のおかずをあげたり、
友達同士で交換日記を回したり、
終わっていない宿題を見せあったり、
ラブレターを貰ったり、
バレンタインチョコをあげたり、
カフェでスイーツを一口貰ったり、
クリスマスや誕生日に、
友達とプレゼントを渡し合ったり、
……楽しそうだった。
何度も何度もフィクションで見て、何度も何度も憧れた。
しかし時が経つにつれ、期待は卑下に変わり、憧れは嫉妬に変わった。
いつからか、私には無理だと諦めていた。
……そんな光景が、目の前にある。
ついこの前会ったばかりの二人が、私に向けて笑っている。
――限界だった。
「ぅええええェェンっ」
「「「っ⁉︎」」」
突如膝をつき号泣し出した有栖に、三人は固まる。
「お、おい、どうした?」
「泣―かせた。泣―かせた」
「「泣―かせた」」
「ひぐっ、ぅうう、ぅああンっ」
「ご、ごめんて。クラッカー痛かったのか?見して「――っ」みぉっ⁉︎」
焦りしゃがんだ東条はしかし、次の瞬間、有栖に抱きつかれよろける。
「っな、何して「ぅっ、ぅう、まざぐんっ、わだじはっ、友達でずがっ?」……」
「……」
「ぅうっ、わだじはっ、あなだだぢをっ、どもだちと呼んでもいいでずがッ?」
その言葉を聞いた東条は苦笑し、やり場の無くなっていた腕を、そっと彼女の背中に回した。
「……ああ。俺達は友達だよ」
「うぐぅッ、」
「……ん。ノエルも友達」
彼女の背中から、ノエルが精一杯腕を広げ抱きしめる。
「――ウぇええええンっ」
有栖は溢れる感情を吐き出しながらも、同時に、心が満たされていく暖かさを感じていた。
――カコンっ。
シャワーが止まり、プラスチックのオケがタイルを叩く。
水を蹴る素足。
熱気が天井に水滴を作り、その水滴が水面に落ちる。
「っふぅうぅぅ。極楽極楽」
「ふふふっ、ノエル様、私のお膝の上に」
「ん」
「あぁあっ」
腰をくねらせる、ゆまの横。項垂れる一人の女が、落武者の如く両手で顔を覆っていた。
「……死にたいっ(ボソ)」
落武者、もとい有栖は、羞恥に顔を赤くし、心の底から吐き捨てた。
「何でですか、とても感動的でしたよ?私なんて泣いてしまいましたもの」
「一生の恥です。あと私の部屋のデザイン有難うございました。めちゃ好みでした」
「ふふ、それは良かったです」
有栖は感謝する。
あの時は動転していて部屋まで気が回らなかったが、ゆまさんは自分の好みを最大限汲み取り、部屋をデザインしてくれていた。
白いタイルに、水色と白の水玉模様の壁紙。黄緑色のカーペット。
爽やかで統一感のある色が部屋を包み、家具や調度品は全体的にふわふわした可愛らしい物が配置されていた。
とても好みではあるが、正直可愛い物大好き趣味を見抜かれたのは恥ずい。とても。恥ずい。
「有栖あの後、プレゼント開けてまた号泣してた。うるさかった」
「ちょっとノエルちゃん酷くない⁉︎」
だってしょうがないだろう。
最新のノートパソコンに、周辺機器一式、高級ゲーミングチェア、カップ麺一年分、エナジードリンク一年分。
自分が今正に欲しかった物が、生きていく為の必需品が、全て揃っていたのだから。あんなもん泣く。
ノエルは水面をピチャピチャしながら、大きく息を吐く。
「有栖がどれだけボッチでインキャかは、見れば分かるけど」
「え、何?罵倒?」
「羨ましいです」
「え?」
「(ニコ)」
「……有栖はもっと、自信持っていい」
「……」
「ノエルも、マサも、とっくに有栖を認めてる。一歩引かなくたっていい。ノエル達はもう並んでる。……分かった?」
「……涙腺が、やばい」
「分かった?」
「グアっ⁉︎目がァア」
ノエルの水鉄砲が有栖の眼球に直撃する。
「このっ、やったな!」
「スライムじゃノエルには勝てない」
「スライム言うな!」
「こらこら、お風呂で暴れてはいけませんよ」
「ゆまお座り」
「はい喜んで」
「私のゆまさんへの尊敬がどんどん薄れてくんですけど⁉︎」
キャッキャと女子が騒ぐ、鮮やかな花色の浴場。
とその時、そんなサンクチュアリに、
「よ〜う俺も混ぜてくれよー」
異物、否、汚物が混じり込んだ。それもごく自然に、そこに在るのが当然とでもいう顔で。
「ん」
「あら、いい身体」
「……………………は?」
有栖は一時停止を押されたかの如く、その動きを止める。
その間、僅かコンマ一秒。
「――ッッッ⁉︎⁉︎‼︎」
爆発。タオルで咄嗟に胸を隠し、近くの風呂桶をぶん投げる。ぶん投げる。ぶん投げる。
「バカなの⁉︎死ぬの⁉︎」
「くそっ、自然に混浴作戦はやはり無理だったか!」
「バカだ‼︎死ね‼︎」
「やめろ有栖!俺達友達だろ⁉︎」
「私の涙を返せ‼︎」
「グォあ⁉︎」
東条が桶に乗りすっ転んだ瞬間、有栖は風呂から飛び出し、胸を隠していたタオルを振り被り武器へと変化させる。
水分が染み込んだしなるタオルは、凶悪な鞭へとその姿を変える。
彼女が狙うのは、ただ一点のみ。
「――ッ天、誅ッッ‼︎‼︎」
「――ッァビャンギャルドゥッッ⁉︎」
途轍もない破裂音を轟かせ、東条の東条が宇宙へと還る。
倒れ行く東条をバックに、有栖は達人の如く水滴を振り払った。
それから三人は新居を探検したり、ゲームをしたり、また喧嘩したり、騒がしい夕食を終えたり、濃い一日を終え、それぞれの部屋へと戻って行った。
その日の有栖の寝顔が、とても幸せそうだったというのは、ここだけの内緒である。
――二人乗りの赤いオープンカーが、颯爽と風を切って行く。
「そしたらですよ、いきなりあのバカ浴室に入って来たんですよ!信じられます⁉︎」
「フフっ、女の敵ね」
「全くです。だから天誅食らわせてやりましたよ。天誅」
ハンドルを握る美見は、助手席でタオルを振る真似をする有栖を、サングラスの隙間からちらり、と見る。
「有栖、少し雰囲気変わったかしら?」
「え?そうですか?」
「ええ。……何だか、声に自信を感じるわ」
美見にそう言われた有栖は、何となく納得する。
「……まぁ、バカなだけじゃないって事ですかね」
彼女は空を見上げ、流れる雲に手を伸ばした
――日本最古の温泉地であり、日本三名泉にも数えられる場所。有馬温泉。
六甲山の緑は日々の雑踏を振り払い、小川のせせらぎは日々の喧騒を洗い流す。
外界と隔絶されたその空間に、あなたは思わず深呼吸をしてしまいたくなるだろう。
全室がスイートルームの離れ客室は、光と影が溶け合い調和し、まるでまどろみの中揺り籠に揺られている様な、心地良い世界作り出している。
――木漏れ日のウッドデッキに腰を落ち着け、穏やかなひと時を。
――源泉掛け流しの金泉に浸かり、心の内から澄み渡るひと時を。
――最上のアロマテラピーで疲労を除去し、とろける様なひと時を。
――日本中から食材を厳選した特選会席では、食という文化の継承を感じる事の出来る、極上のひと時を。
――¬彼女達は未だ嘗てない休暇を堪能し、心からの安らぎを知ってしまった。
そして現在、
「……ふぅ」
「プハー」
浴衣を着崩した二人は、お互い日本酒とビールで食後酒を楽しんでいた。
「あとここに二日も居れるなんて、夢みたいですぅ」
「ええ。ほんと、……マサさんには感謝しないと」
「いいですいいです。どうせ美見さんが美人だから、とかそんな理由ですよ。気を付けて下さいね?」
酒精で頬を染めた美見がクス、と笑う。
「それはそれで嬉しいわね。……ところで、有栖は気になってる人とかいないの?」
「いきなり何ですか⁉︎」
「何って、恋バナよ。女子が二人集まってする事なんて、恋バナ以外にないでしょ?」
ニヤニヤと近寄ってくる美見に、有栖は驚愕する。
「……あの美見さんが、恋バナ?」
「なに〜?私だって女の子なのよ?こういう話好きなんだから!」
「え、かわよ」
ぷくー、と頬を膨らませる美見に、有栖はまたも驚愕する。その圧倒的破壊力に。
「ほら、答えなさいよ。ほらほら」
「ちょ、つっつかないで、美見さん、あぁ、今すぐ押し倒したいっ」
「マサさん?やっぱりマサさんでしょ。ずっと一緒にいるんだもん、絶対そうだ!」
「バカ言わないでください。あの人はと、友達ですっ。男としては微塵もこれっぽっちも唆られません」
「酷い言いようね」
「私は朧くんみたいなタイプが好きです。寡黙で孤高でイケメンで、金蔓にされて振り回されたいです」
「苦労しそうね」
美見が可哀想なものを見る目で有栖を見る。
「そう言う美見さんは誰が好きなんですか?」
「え〜私?」
(何この可愛い生き物、捕獲して鑑賞したい)
「それで言ったら、私マサさん結構好きよ?」
「は⁉︎何であんな変態ゴリラ!」
「……んー、彼、とても自分勝手だけど、何だかんだちゃんと周りも見ているし、フラフラしているように見えて一本筋が通っているじゃない」
「……まぁ、確かに」
有栖は渋々納得する。
アレの目的は、誰にも邪魔されず冒険を楽しむ事、ただ一つだ。
全ての行動がそこを出発点とし、ゴールとしている。故に類い稀な変態性が露呈しているとも言える。
「私、真っ直ぐな人って好きよ。それに彼、無邪気な少年っぽくて可愛いじゃない。お世話してあげたくなっちゃう。フフっ」
「っもうやめて‼︎」
言っちゃった、と恥ずかしそうに笑う美見に、有栖は泣きながら飛びつく。
こんなの美見さんじゃない。きっと美見さんは東条くんに幻覚魔法かなんか掛けられてるんだ!私が解いてあげなきゃっ。解く為だもん、多少揉み合いになっても仕方ないよね!
「きゃ⁉︎」
「目を覚ましてむぃむぃふぁん。はすはす」
「ちょっと有栖っ、くすぐったいわっ。胸から入ってこないでっ」
「桃源郷!ここは桃源郷ぞ!」
「あははっ、くすぐったいってばっ。ぁんっ、そこは、ちょっと、」
「ここか⁉︎ここがええのか⁉︎」
「いい加減やめなさい!お返しよ!」
「いやぁ〜〜〜ん」
――夜空に響く二つの嬌声。
彼女達の夜は、まだ長い。
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