14話



 ――(……何だ?)


 朧は後続に静止の合図を送り、周囲の変化に意識を向ける。段々と近づいて来る喧騒、よりも速く地を駆ける足音、草木を踏み潰す音、荒い鼻息、……向けられる、敵意。


「――ッマサっ!」

「ブモォアッ‼︎」


 瞬間、茂みを薙ぎ払い飛び出した牛の怪物が、勢いそのまま東条に向かって拳を振り抜いた。


「「「――っ」」」


 甲高い金属音を残し、彼等の視界から東条の姿が消える。遅れて、延長線上のトレントがへし折れ倒れた。


 突如現れた市区町村壊滅級。想定の範囲外の事態に、救助者の三人も戦闘態勢に入る。


 しかし、


『此方本部、引き続き救助者を演じろ。手は出さなくていい』


「しかし、」


『予期せぬ襲撃への対応も、この試験の評価対象だ』


「……了解」


「ブルモォォオッ‼︎」


 東条を吹っ飛ばしたミノタウロスが、唾を飛ばし天に向けて雄叫びを上げる。その血走った目が写すのは、己を閉じ込めた人間への、純然たる怒りのみ。


「朧さん、我々はどうすれば?」


「俺が引きつけるんで、遠距離で攻撃して下さい」


「我々は戦闘技術を持たない一般市民です。その場合の指示を、」


「あ⁉︎――っ」


 ミノタウロスが地を蹴り接近、振り下ろした拳を、朧は後方に跳んで躱す。


「っじゃあ巻き込まれない場所で、蹲って隠れてて下さいっ」「ブモッ、ブルモッ」


「了解です。蹲りに行くぞ」


「「了解」」


(早く行け!)


「ブルモォオッ‼︎」


 ミノタウロスの両拳が、河川敷の一角を吹き飛ばす。砂煙が立ち上り、パラパラと石片が降る。荒い鼻息が周囲を探ろうと動いた。その時、


「っブ、ガッ⁉︎」


 ミノタウロスの脇腹を、強烈な衝撃が貫いた。払うように腕を振るうも、今度は鳩尾に衝撃が走る。腰がくの字に折れ曲がった瞬間、ミノタウロスは危機感から全力で首を下に向けた。眼前を通過して行く刃の軌跡。


 ミノタウロスは己の片角が切り落とされる光景を知覚しながら、大きく後ろに跳躍した。


「あれ躱すのかよ」


 砂煙を切り裂き、マチェットを引き抜いた朧が現れる。


「……ブルルゥ」


 首筋まで迫った凶刃に、ミノタウロスも幾分か冷静さを取り戻す。男の一挙手一投足を見逃さぬよう、身体を前傾に倒し様子を伺う。


(……やっぱ部分発動じゃ、体重が乗らないな)


 朧は腕の『輪廻』を脚に移し、軽くステップを踏む。流石に一日でマスターする事は出来なかったが、部分的に覆う技術は習得した。


 目の前にいる敵は、本来ならこんな舐めプで戦うべき相手ではない、紛れもない強者だ。しかしやはり、身につけた技は試したくなってしまうもの。


 それに今は、


「……危ないぞ?」


「ブォ?」


 彼がいる。


「――ッ‼︎」

「ヴァハァっ⁉︎」


 こっそり近付いていた東条が、ミノタウロスの横っ面に両手持ちフライパンをフルスイングした。ゴインッ‼︎、という鈍い音を立て、ミノタウロスの顔面が水面に叩きつけられる。


「痛ってぇなぁオイ!」


「ごボッボボッボっ⁉︎」


 東条は角を引っ掴み、川底に顔面を連打する。初撃は完全にガードしたが、朧の言いつけに乗り、武器以外に強化をかけなかった。その所為で、踏ん張りが効かずに吹っ飛ばされてしまった。


 久しぶりだ、全身がビリビリと痺れている。所詮人間の生身など、モンスター相手にはこの程度なのだ。どれだけ強くなったつもりでいても、側を剥がされればこの程度。それがモンスターと人間の違いであり、格差だ。


 ああ何とも、


「理不尽ッ‼︎」

「グェフッ⁉︎」


 ミノタウロスの視界がブレる。息を吸うために上げた顔が、横から鉄塊で殴り飛ばされた。


 東条は唸り威嚇するミノタウロスに、ビシ、とフライパンを向ける。


「久しぶりに、興奮してきた!」


「足引っ張んないで下さいね」


「バカ言え引っ張んならお前だろっ」


「バカ言えっ」


「ブルァアアアッ‼︎」


 地面を叩き突進するミノタウロス。二人は左右に展開し、同時に挟撃した。


 東条の包丁が左脇腹を切り裂き、ミノが拳を振り下ろす瞬間、朧が右膝裏を蹴り抜き膝を着かせる。すかさず東条が三段蹴りを膝、肘、側頭部に叩き込むも、強化を纏っていない蹴りなど児戯。


「ブモアッ‼︎」


「っ――ッんぶっ⁉︎」


 ミノのアッパーが、東条の腹をガードの上から貫いた。突き抜ける衝撃、揺れる内臓、競り上がる胃液、懐かしきそれ等を飲み込み、


「――イヒぃッ」


 男は笑った。


「ブルァッ」「ウルァッ」


 ミノは浮いた彼に右ストレートを放ち、同時に東条はフライパンを振るう――インパクト。東条が吹っ飛び、ミノは左目を潰され仰け反った。


 瞬間、


「――ッ⁉︎」


 東条を囮に潜り込んだ朧が、ミノの伸び切った右腕を切り飛ばした。朧は後退するミノに合わせ接敵。血飛沫が地面に落ちる間に、三つ斬撃をミノの胸部に刻む。


 振り下ろされる拳を躱し、手首を斬り付け、蹴りを躱し、腿を切り裂き、ナイフを縦に振り下ろす。脳天をかち割らんとする一撃はしかし、


「っ」


 強化されたミノの角によって防がれた。


 ミノは首を捻り、朧のナイフを捻り飛ばす。右足を軸にその場で半回転し、体勢の崩れた朧を後ろ蹴りで吹っ飛ばした。


 朧は前方から突進してくるミノを見ながら、空中で身体を横に倒す。右脚を大きく引き、輪廻を収束させる。瞬間、


「朧ォ‼︎」

「――ッ」


 フライパンを投げ捨て突っ込んできた東条に合わせ、全力で右脚を振り抜いた。


 威力を両足で受け止めた東条は、急加速し地面と平行に打ち出される。その様、正に人間弾頭。


「っブル⁉︎」

「アハハハハッ」


 突拍子もない力技に驚き、ミノも急ブレーキをかけるが、全力疾走はそう簡単には止められない。牛刀の切先が、高笑いと共に己の眉間に吸い込まれて行く。

 このままでは、死ぬ!


「――ッブルモ!」

「んな⁉︎」


 しかしそこは流石上位モンスター。咄嗟の機転と意地で、上体を限界まで逸らし、笑う弾頭を見送った。追うべきは刃物を持った人間。ミノが再度上体を起こそうと力む。


 がしかし、


「躱してんじゃねぇ‼︎」

「ブモォ⁉︎」


 弾頭も只の弾頭ではなかった。東条は角を引っ掴み、強引にブレーキをかけたのだ。

 後ろに引っ張る力と前に進む力がぶつかり、ミノの喉元が、お天道様の下にこれでもかと晒される。


 そしてそれを見逃す、朧ではなかった。


「――」

 無慈悲に振るわれたまチェットの一閃が、その太い首を切り飛ばす。


 倒れ伏す獣の巨体。美しき真紅の噴水。反動で首と共に川に飛んで行く東条をバックに、朧は刃の血を払った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る