9話
――「ただまー」
「おかえりなさいませ、ノエル様、マサ様」
二人は中居さんに挨拶し、自室への回廊を歩いて行く。
「草津の観光は、お楽しみ頂けましたでしょうか?」
「はい。こいつは食ってばっかでしたけど」
「ふふ。それでは、お夕食はいつ頃に致しましょうか?」
「今から風呂入って、ゴロゴロして、十九時位でいいか?」
「ん」
「て事で、お願いします」
「畏まりました。それでは十九時に、お部屋へお伺い致します。当旅館の温泉を、どうぞお楽しみ下さいませ」
中居さんは二人に会釈し、部屋の扉を閉めた。
「部屋にまで露天風呂ついてるとか、最高だな」
「まずは大浴場」
「それな」
ノエルは薄桃色の花柄の、東条は紺色の和柄の浴衣に着替え、湯浴みセットを持つ。柔らかな草履を履き、大浴場へと向かうのだった。
そして現在、男湯の暖簾の前。東条は自分の後ろに立つ、彼女を見下ろす。
「……おい、こっちは男湯だぞ?」
「それが?」
「お前の性別は?」
「メス」
「ならこっちじゃない。あっちだ」
東条は赤い暖簾を指さす。
「ノエルは気にしない」
「周りの人が気にするんです」
「いつも一緒に入ってた」
「その事はあまり大きい声で言ってはダメです。誤解を招き社会的に死にます。俺が」
頬を膨らませぶすくれるノエル。
「むー、マサの変態」
「沈めるぞ小娘が」
互いに罵り合いながら、二人はそれぞれの暖簾を潜るのだった。
「はぁ、……ん?先客いるのか」
東条は衣服を脱ぎ、浴場へと足を踏み入れる。全身を洗い、真っ先に露天風呂へと直行した。
「お!お前だったか」
「……何で隣に来るんですか」
先に湯船に浸かっていた朧が、目の上のタオルをどけ、東条を睨む。その視線が次に映すのは、東条の身体に張り巡らされた、夥しい数の戦闘痕。
「……相変わらず、とんでもない身体してますね」
「やん、エッチ」
「……はぁ」
「溜息は酷くね?」
二人は空を仰ぎ、流れる源泉の音に耳を澄ます。
「……『輪廻』、どうしても習得出来ないんですけど、何かアドバイスありません?」
「今どんな感じ?」
朧の周囲に魔素が集まり、体内に取り込まれ、排出される。それを何度か繰り返すうちに、段々と魔素の動きが乱れ、最後には霧散してしまった。
「……成程なー。ん〜」
東条は岩に腰掛け、腕を組む。
「朧さ、普段練習する時、どんな感じでやってる?」
「どんな感じ、……まず身体強化をして、魔力を全身に行き渡らせる。それから一気に解いて、また身体強化、また解いて。って感じですかね。……間違ってます?」
「いや、間違ってはないよ。その間隔を無くしていけば、出来るようになると思うし」
「……そうですか」
「ただ、考え方に縛られすぎだな。『輪廻』は身体強化ではあるけど、全く別の魔法と言っても過言じゃない。身体強化は全身への魔力の流動だけど、『輪廻』は体内と体外の魔力の交換だ」
朧の瞳に真剣さが増す。
「難しい事しすぎなんだよ。ちょっと人差し指立ててみ。簡単に違いを教えてやるから」
「はい」
「今はこの人差し指の、第一関節だけに集中しろ。いいな?」
「はい」
「魔力を入れて、留めて、そう。それでいらなくなったら、出す。これが身体強化だ。いいな?」
「はい」
「『輪廻』の場合、まず身体強化で魔力を留める。そう。その第一関節に入っている魔力を、一つの電池だと思え」
「電池?」
「ああ。その電池は体外に排出すれば、秒で充電出来る優れものだ。でもその充電中に攻撃されたら、簡単に死んじまう。電池が切れると分かっていて、最も早く取り替えたい場合、お前ならどうする?」
「…………ストックを用意する」
「そうだ。一回やってみろ。指の隣に魔素を集めて、第一関節に流し込む。その時に出て行った魔力は、ちゃんと指の隣に止めておけよ。そしたらまた、外の魔素を流し込むと同時に、中の魔力を出す。この動きが、超簡単『輪廻』の仕組みだ」
「……すげぇ」
魔素と魔力を高速で入れ替える朧が、驚きと興奮に口角を上げる。普段クールな分、その嬉しさが一際伝わってくる。
東条の教えにも熱が入る。
「だがしかし、その速度で入れ替えていると、やはり両方の電池が切れちまう。ならどうすればいいのか?」
「ストックの数を増やせばいいっ」
「そう!『輪廻』の際、俺達の周りには数千、数万、数億の電池がある。それが絶えず高速で、順番に入れ替わってんだ。
だが魔素を必要とするのは、身体強化だけじゃない。属性魔法然り、cell然り、集めた魔素は次々に転化されてゆく。
『輪廻』の際、周りから強引に魔素が集まるのは、そのストックを絶えず切らさない為に起こる現象なんだよ」
言い切った東条に、尊敬の眼差しが向けられる。
「アンタの事、師匠と呼んでいいのか疑問に感じてたけど、やっぱりスゲェ人だ。有難うございます」
「うん、ちょっと引っかかるとこはあるけど、まぁいいや。これからも励みたまえ」
二人は再度肩まで浸かり、冷えた身体を温める。
「ふぅ。……いきなり全身じゃなくて、最初はそれこそ指先だけでいいんだよ。焦らなくていいのさ。まだ日本で何人出来るかってレベルなんだから」
「……俺が目指してんのはアンタだ。こんな所で躓いてなんて、いられないんですよ」
「……ノエルといいお前といい、今日は俺にデレる日なんか?」
「は?デレてないが」
朧が真顔で抗議する。
「……ここだけの話、『輪廻』の更に上の身体強化を、藜が創り出したらしいんよ。俺もうかうかしてらんねぇよ。ホント」
「……せっかく取っ掛かり掴んだ人間に、断崖絶壁見せますか普通?……どんな技なんですか?」
「聞いた感じ、さっき説明した電池を、まず数百個圧縮して、一個の電池にするだろ?その激ヤバ電池を、ストックとして数千、数万個用意する感じだな」
「何ですかその強引の極みみたいな技」
「だから前提として、Lv7相当の魔力量が必要になる。そんでそんなもんが、絶えず体内を循環すんだ。戦闘後は体細胞がボロボロになるらしい。
敵倒しても、そいつが回復に見合うだけの敵じゃなけりゃ、まともに動くことすら出来なくなる技よ」
「こっわ」
「でもさ、強引に圧縮された魔素が衝突して、バチバチってなるらしいんだよ。めっちゃカッコよくない?」
「……それは、カッコいいですね」
「だろぉ?」
カッコイイは全男が求めるロマンなのだ。朧が立ち上がり、風呂から出る。
「何だ、もう上がんの?」
「さっきのコツ、忘れない内に特訓したいんで」
「勤勉だね〜。……あ、そうだ。明日の試験、『輪廻』以外の身体強化禁止ね」
「っはぁ⁉︎」
ニヤニヤと笑う東条を睨みつける朧はしかし、引き攣る顔で笑顔を作り、露天風呂のドアを開けた。
「ふっ、……やってやるよ」
東条はドアの閉まる音を耳に、弄り甲斐のある負けず嫌いを笑うのだった。
「マサ〜、出る〜?」
隣の露天風呂から、彼女の声が響いてくる。
「そっちは貸切か?」
「ん〜。極楽〜」
「そりゃ良かった。んじゃ肩まで十秒浸かったら出るか」
「せーの」
「「いーち、にーい、さーん、しーい――」」
¬立ち昇る湯煙と共に、間延びした声が空へと吸い込まれていった。
――それから二人は、
「「あ〜気もちぃ〜」」
スパに行き、
「死に晒せッ」
「朽ち果てろッ」
卓球を楽しみ、
「「あ〜、美味しぃ〜」」
豪華会席料理に舌鼓を打ち、
そして星空の下、
「あ〜、極楽〜」「シュルルル〜」
漆黒で覆い隠した部屋の露天風呂にて、羽を伸ばしていた。
東条は自分に緩く巻きつく大蛇を退け、カップアイスに手を伸ばす。風呂で食うアイスは、何とも言えぬ贅沢感に酔いしれるのだ。
「食うか?」
「(チロチロ)」
「自分で持てや」
「シャァア」
「分ぁったよ、ったく。……ん?」
とそこで、携帯のバイブレーションが鳴る。相手は美見さんだ。
「はい」
『私です。今お時間宜しいでしょうか?』
「風呂入ってるだけなんで、構いませんよ」
『……。では、要件を伝えさせて頂きます』
「ええ」
『明日から五日に分けて開かれる試験ですが、第一日目には、危険区域から帰還した者のみを集めました』
「成程」
『やはり現段階、経験者と安全区域出身者では、力に大きな差があります。中には自分の力を過信して、尊大な態度をとる者も少なくないです。彼等を同じ場で競わせるのは、少々危険だと判断しました』
「まぁそうでしょうね」
『明日、第一日目の受験者数は、三百五十四人。マサさんとノエルさんには、試験の中からトラブルが発生しないかを見ていて欲しいのです』
「俺等必要ですか?部隊が監視しているのでは?」
『勿論監視しています。あくまでついでで構いません。もし目に付く行為があった場合、無線にて監視部隊へ報告をお願いしたいのです。
今回は実験的な試験でもありますので、我々より鋭い感覚を持つお二人の意見も聞きたいと思いまして』
「成程。そういう事なら構いませんよ。別に集中して全員見てろ、ってなわけじゃないんですよね?」
『勿論。それは我々の仕事です』
「承知しました」
『それでは、要件は以上ですので、失礼いたします』
「は……あ、ちょっといいすか?」
『はい?』
「今回の試験期間の契約金ですけど、一部削って、一週間の旅行券とかにして貰えないですかね?」
『それは、構いませんけど。何処か行きたい場所が?』
「いえ、今回頑張ったのは有栖なのに、あいつ此処来れなかったんで。プレゼントに、と」
『成程。……ふふ、良いチームですね』
「それ程でも」
『それでは、予算はどれ位にしましょうか?』
「まぁざっと百万位で」
『、随分奮発しますね。畏まりました。有栖さんは京都に移住との事ですので、有馬温泉とかいかがでしょうか?』
「おお、良いですね。んじゃそこで頼みます」
『はい。……わぁ、こことか良いかも(ボソ)』
電話の奥から聞こえる弾んだ声に、東条もクスりと来てしまう。高級旅館やホテルを見るだけでテンションが上がる気持ちは、自分にも充分分かるのだ。
「……もし良ければ、美見さんも一緒に行ってあげてくれませんか?」
『……え?』
期待通りの返答に、こちらも気分がよくなってしまう。
「あいつ美見さんの事慕ってますし、友達いないんで、話し相手になってあげて下さいよ。それに今時、二人の方がお得とかザラですし。
少し高くなっても問題ないんで、二百までは勝手に使っちゃって下さい」
『にひゃっ……。……あの、……本当にいいんですか?』
「勿論、これは俺からの依頼と思って下さい。普段から上と下に挟まれて大変でしょう、どうぞゆっくり温泉で癒されて下さい」
『――っ、マサさんっ』
東条は満足気に微笑む。
チェックメイトだ。リアクションの良い女性を喜ばせるのは、何とも気分が良いものよ。それに美見さんは普段、表情一つ変えないポーカーフェイスの達人だ。そんな人が今、感情を露に喜んでいると思うと、……あぁ良きかな良きかな。
『本当に、本当に有難うございます。そのお言葉、甘えさせて頂きます』
「ええ、楽しんできて下さい」
『早速仕事に取り掛かります。それでは失礼いたします』
「はい。では」
『ぃやったっ』
ガチャ
「……いやかわい」
最後切る直前、漏れてしまったのだろう声に吹き出してしまう。
東条は食べかけのアイスに手を伸ばし、
「あ、おま、全部食ったろ!」
「シュルル〜」
知らん顔で浮かぶノエルに掴みかかる。
「こんのっ」
「シュルル、シュララっ」
「がボボ⁉︎ギブっ、ビブっ」
壮絶な二人の戯れを、星達は暖かい目で見守っていた。
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