1話

 

 特区での戦争が終結してから、早くも二週間が経とうとしていた。

 彼等は帰還すると同時に近場の大病院に搬送され、治療を受ける事となった。

 ある者は物々しい機械に繋がれ、緊急治療を。ある者は大した怪我も無く、自前の傷薬で消毒を。ある者は拘束を嫌がり、病院から逃走を。


 ゆっくりと流れる時間の中、それぞれの平穏へと戻っていった。



 ――『特別区域に指定された、山手線エリアに突入した自衛隊ですが、先週、大きな被害を出して帰還しました。今回の行動をどの様に見ますか?』


『そうですね、明らかに軽率でしたね。大規模な行動に出た事により、あのモンスター達を刺激した可能性があります。救えた命があったのは、避けようのない事実でしょう』


『ではいつなら良かったのでしょうか?あの猿型のモンスターが、人間を狩っていた事は国が発表しています。巨大なコロニーが攻撃されるのは、時間の問題だったのでは?』


『ですから――』


 壁に掛かったテレビから流れる雑音が、こぢんまりとした空間に響く。


 カウンターに座る数人が、その水掛け論に耳を傾ける中、


「ズルルルル」


 気にした風もなく、勢いよく麺を啜る者が一人。


 地面に届いていない足をぷらぷらと遊ばせ、

 巨大などんぶりを小さな手で持ち、

 汁を飲み干す子供。


 その者の顔は、目深に被った大きなフード付きパーカーの所為で窺い知れない。


 最後にお冷を呷った子供は、満足気に腹を摩り飛び降りる。


「ごちさま」


「あいよっ。いい食いっぷりだったぜ!ここら辺も安全か分からねぇからな、今度は父ちゃんと来な!」


「ん」


 扉を引き外に出て行く子供を、客の一人が麺を咥えたまま見つめる。


(今の子……。いや、そんなわけないか)


 今や巷で絶大な人気を誇るアイドル的存在が、こんな二郎系ラーメンに一人で来る筈がない。何かの見間違いだろう。


 客は彼女の影を頭から外し、引き続きぶっとい麺を啜るのだった。




「ふ〜。食った食った」


 大きな公園をぶらぶらと散歩する彼女は、ベンチに腰掛け一息つく。


 そして暑苦しいパーカーを外し、ポニーテールに括られた純白の髪を、手の甲で引き抜き解放した。


 その者の名は、ノエル。


 病院から逃走した彼女は、食べ歩きをしつつ、壊れていない都市という物を堪能していた。


 二日に一回は相棒に会いに病院へ戻り、その度に検査しようとする医者と看護師、話を聞こうとする軍部から逃げるを繰り返している。


 全国の海沿いから約二㎞以内の地域が、何故か足首程の高さまで水没してしまっている現状、その範囲内にある病院にわざわざ戻るのも面倒なのだ。


「……」


 ノエルは春風に髪を揺らしながら、ここに来て初めて触れた、生きている文化の数々を思い出す。


 道路には動いている車が沢山走っていて、臭かった。

 バスは窮屈だった。

 電車は便利で速かった。

 映画館は面白かった。画面から飛び出して来た時は、危うく攻撃しそうになった。

 お洒落なカフェには、同じ服を着た女達と、ノートパソコンを開いて作業をしている人間が沢山いた。フラペチーノは美味しかった。


 誰も彼もが平々凡々と暮らし、自分に危険が迫るとは全く思っていない。

 成程これでは、食われて当然だ。


 しかしそんな中から、まさの様な怪物が生まれたりもするのだ。


 ……人間とは、本当に面白い。


「ん?」


 そんな時、ポケット中で携帯が揺れた。相手を見て、通話ボタンを押す。


「ん?」


『今は何してんだ?』


「二郎系食べて休んでる。美味しかった」


『ハハハ。あの味、食ってる途中はキツいのに、食べ終わって少しするとまた食いたくなるんだよな』


「分かる。今度行こ」


『いいぜ。俺も明日には出れると思うし』


「検査終わったの?」


『ああ。肋骨にちょっと罅入ってたくらいだな。別に大した怪我じゃないってのによ、大袈裟なんだよ全く』


「それな」


『国との話し合いも大方終わったから、面倒事はもうねぇぜ』


「どんくらい取れた?」


『五億と、あと最新の情報と技術の提供』


「ん。上出来」


『ったくよぉ、こういうのお前の方が上手くやれるだろ。全部任せやがって』


「動いてる文明見たかったんだもん」


『分ぁってるよ。で?今日は帰ってくんのか?有栖もお前に愚痴り足りないって怒ってんぞ』


「ん。お土産買ってく」


『はいはい、じゃな』


「ん」


 ノエルは伸びをして立ち上がった後、鼻歌を歌いながら病院へと戻るのだった。

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