71話

 


 ――¬世界が変わる、一週間前。とある邸宅にて。


「パパ!」「お父さん」


「おかえりなさいませ旦那様」


「お勤めご苦労様です、ボス」


 可愛らしい女児が二人、帰宅した父を見てトタトタと走り出す。


 そんな彼女達の視線の先にいるのは、優しい笑顔を浮かべた、藜 梟躔。


 彼には二人の娘がいた。


 やんちゃで喧嘩っ早く、勝気な性格。髪の毛をサイドに纏め、鋭い眼光と笑った顔がチャーミングな、藜 鷹音たかね。十歳。


 物静かで冷静沈着、真面目な性格。サラサラとしたロングヘアは、同年代の男を一瞬で虜にし、鋭い眼光は寄ってきた男を黙らせる。藜 鶴音つるね。十歳。


 妻が命と引き換えに残した、掛け替えのない宝である。


「ただいま〜。あぁ愛しき我が娘達よ、今日も可愛「おかえり!」ブフっ。はいただいま」


「おかえりお父さん」


「ただいま鶴音」


 飛び込んできた鷹音を抱っこし、よいしょ、と立ち上がる。


 そこで鷹音が後ろの人影に気付く。


「あ、紅!」


「お久しぶりです、お嬢」


「久しぶり!」


「鶴音嬢も、お久しぶりです」


「うん。久しぶり」


 幹部はよく彼の家にお邪魔していた。娘二人ともそれなりに仲がいいのだ。


 扉を潜る紅の横から、次いで好々爺が顔を出す。


「お嬢方!爺やもおるぞ!」


 満面の笑みの笠羅祇を見て、はしゃいでいた鷹音が真顔になり、鶴音と一緒に頭を下げる。


「あ、笠羅祇さん。「こんにちは」」


「うんうんこんにちは。じゃなくて⁉︎何でいつもお嬢方は俺に冷たいんだ⁉︎泣いちゃうぞ⁉︎」


「だってパパが、お年寄りには親切にしろって。特に笠羅祇さんは、深く関わると危ないから、氷の様な心で接しろって」


「貴様のせいかクソボスガァ‼︎」


「ほら鬼が来たぞぉ!逃げろー!あ、これ材料、準備よろしく」


「かしこまりました」


 逃げる途中夕食の材料をお手伝いさんに渡す。


「きゃーーっ、あははははっ。あ、パパ、そう言えば真狐まこは?」


「あいつは今仕事で大阪だな」


「そっかー。お土産頼んどいて?」


「オッケー」


 廊下を駆けていく鷹音、梟躔、紅に、笠羅祇はがっくしと膝をついた。


「あんまりだっ」


 絶望に打ちひしがれる老人。そん彼の肩を、鶴音は慰める様に叩く。


「……爺や、後で一手相手して」


「つ、鶴音嬢ぉ。勿論、勿論だ!いっぱいやろう!今すぐやろう!さあ行こう!」


「はいはい」


 絶望一転、スキップで急かす老人に彼女は溜息を吐く。


「そうだ!菓子食べるかお嬢⁉︎」

「いらない」


 懐から出したお菓子を、悲しそうに仕舞う老人。


 鶴音はそんな彼を見て、クスリと頬を緩めるのだった。




 ――本日の夕食はバーベキュー。五人は広い庭でコンロを囲み、談笑しながら肉をつつく。


「それでね!そいつあたしの事バカにしてきたから、ボコボコにして服剥いで正座させてやったのよ!」


 本日の武勇伝を語る鷹音に、梟躔は頬を緩める。


「そうかそうか、鷹音は強いな〜。でも程々にね?最近パパ一日十回は先生と電話してるからね?この前謝りに行ったからね?」


「分かったわ!全員黙らせてやるから安心してパパ!」


「うんうん。多分分かってないけど、鷹音は可愛いな〜」


 デレデレする父親に、鶴音は獅子唐を齧りながら溜息を吐く。


「お父さん、甘やかしすぎ。先生まだ若いのに、最近げっそりして来てるんだよ?」


「うんうん。鶴音は優しいな〜。今度先生に口座聞いてきてくれ。一千万くらい振り込んどくから」


「……はぁ、」


 自分の頭を撫でる父に、再度溜息。そこで鷹音が肉を飲み込み、思い出したように口を開いた。


「あ!そう言えば、鶴音今日も告白されてた!」

「ちょっと!」


 瞬間、空気がピリつく。


「……ほほぉ。鶴音嬢は優しいからのぉ、勘違いしちまったんだな。なぁボス?」


「そうだなぁ笠羅祇。だが俺はそいつの事を何も知らない。知らないまま否定するのは、ちと可哀想な気がするんだ」


「と言うと?」


「ここは一つ、菓子折でも持ってに行こうと思うんだが」


「そりゃいい考えだ!」


「……てことで鶴音」


 男二人がニッコリと微笑む。



「「そいつの名前は?」」



 こうなる事が分かっていた鶴音は額を抑え、次いで肉を頬張りニヤニヤする鷹音のほっぺをグニー、と引っ張る。


「ひにゃいひにゃい!」


「二人共、この前も私に言わないで挨拶に行ったでしょ」


「はて?何のことだ笠羅祇?」


「むー、分からん。最近物忘れが酷くての、歳かのぉ」


「ふにゃいひにゃい!ひぎっ⁉︎」


 話の通じない男衆にムカつき、彼女は鷹音のほっぺを摘んで投げた。


 静かにビールを飲んでいた紅は、一連の話を聞いて呆れる。


「……この前急に部下連れていなくなったのは、そういうことだったのか」


「「……」」


 固まる二人に、二つの冷ややかな視線が刺さる。


「……そうだ鷹音!先生から聞いたが、将来の夢はアイドルなんだって?」


「なんと!鷹音嬢はアイドルになりたいのか」


 話を急激にシフトチェンジした二人に、紅と鶴音は諦め互いに溜息を吐いた。

 代わりにほっぺを赤くした鷹音が勢いを取り戻す。


「そうなの!私アイドルになって、国民の目を釘付けにしてやるの!」


「ガハハっ、そりゃ鷹音嬢がアイドルになったら、国民は涎垂らして狂喜乱舞するだろうよ!」


「間違いない!」


「そうでしょ!」


「「「わはははは」」」


 肩を組む三人を笑いながら、紅は尋ねる。


「鶴音嬢も、夢はおありで?」


「え、えぇ、まぁ……」


 煮え切らない返答に、紅は、聞いてはいけなかったか?と不安になるも、割り込むように鷹音がそれを否定する。


「勿論!鶴音も一緒よ!あたし達二人でアイドルになるの!」


 驚いたのは大人三人だ。てっきり彼女は、そういう事は好きでは無いと思っていた。


 梟躔は少し考え、父として問う。


「本当か?鶴音」


 彼女は一見冷たそうに見えるが、とても優しい子だ。

 もしかしたら、鷹音の夢に付き合ってあげている可能性もある。そうなのであれば、ここで否定の場を設けてあげるべきだ。


 しかしもし本当なら、親としてそれを笑う事は許されない。


 鶴音は少々恥ずかしそうに、頬を染めてそっぽを向いた。


「……けっこう、本気」


 幼いながらも己の道を定めた我が子。梟躔は夜空を見上げ、言い知れない嬉しさと悲しさを噛み締めた。


「……二人が言う程のアイドルになるには、小さい頃から厳しい練習をしなきゃいけないぞ?」


「分かってるわ!」

「うん」


「……友達と遊ぶ時間も減るし、辛いことも沢山あるぞ?」


「大丈夫よ!友達いないから!」


「私も」


「…………少し胸が痛んだが、まぁいい」


 梟躔は二人の瞳を見つめ、再度彼女達に問う。


「……本気なんだな?」


 二人の目に映るのは、眩しい程の未来への輝きと、ギラついた闘志のみ。

 弱音や不安など、そこには微塵も感じられなかった。


 なれば、父はその道を全力で後押しするまで。


「っよぉし分かった‼︎俺に出来る事は何でもやってやる‼︎」


「流石パパ!」


「先ずは何がいる⁉︎」


「……そうね、マナー講師はすぐに欲しい」


「練習ホール!ボイストレーナー!ダンストレーナー!」


「いいねいいね‼︎迷いなく親の力を使っていくその姿勢!流石俺の子だ!」


 鷹音と鶴音が獰猛に笑う。


「利用出来るものは全て利用する。パパの教えよ!」


「私の人生に付随するものは、全て私のもの。それを使ってどう生きるか、試行錯誤することこそが、……人生の楽しさでしょ?」


「……その通りだ」


 自分の血を引く彼女達の頭を、梟躔は優しく撫でた。


 紅と笠羅祇は、ワイワイと計画を立てる三人を肴に、酒を酌み交わす。


「……子は親に似る、とは、よく言ったものよな」


「似て良いのかどうか、私は心配だよ」


 そんな事を語り合う二人の目は、優しさに満ちていた。




 ――娘二人が寝静まった後、三人は和室にて静かに飲み直していた。


「……まさかお嬢達がアイドルとは、こりゃまだまだ生きんとなぁ、」


「あの子達の成長は私が見とくから、アンタは墓石の下でペンライトでも振ってなさい」


「かっかっ、ぬかしてろ。貴様より長く生きてやるわ」


「やめてよ。私の夢は、アンタの棺桶でターキーの丸焼き作る事なんだから」


「貴様なら本当にやりそうだわ」


「……(フフっ)」


 梟躔はウイスキーを舌で転がしながら、二人の言い合いに頬を緩める。


 そして、ずっと考えていた事を口に出す。


「……なぁ、お前らは、俺が悪事から身を引くって言ったら、どうする?」


「……」「……」


 二人の目が暗い輝きを帯び、細められる。


「……おいボス、そりゃぁ、家庭が大事になったから、五百人の部下共を見捨てるってことか?」


 笠羅祇は飾られている刀を取り、刃の切れ味を見る。


 今にも切りかかってきそうな彼に向け、梟躔は両手を上げた。


「そんな訳ねぇだろ。アイツらは全員俺の家族だ、見捨てたりなんかしねぇ」


「でもお嬢達の為ではあるんだろ?」


「勿論」


「はっ、潔いな」


 紅はグラスを置き、一息吐く。


「もしそれが可能であるとして、ボスはこれから、どうやって私達を食わせてくつもりなんだ?」


「そうだな、それが重要だ」


 二人の視線が刺さる中、彼は今さっき考えた、これからの大まかな計画を話し出した。


「まず今やってる不動産、工場、風俗の規模、店舗数を拡大する。

 日本内にある組織下の会社には、俺は細心の注意を払っていたからな。法に触る事は何一つやらせてねぇ。

 問題は海外事業の方だ。

 発展途上国にある、銃火器の製造工場、麻薬畑に麻薬製造所、密売、傭兵派遣、カジノ、臓器売買、挙げたらキリがねぇ」


「今思えば人間の屑だな、ボス」


「私達が一瞬でヤクザとして成り上がれたのも、この資金源があったからよ」


「分かってらぁ。俺はボス以上の天才を知らねぇよ。何でそれを悪に使ったかなぁ」


 梟躔は笑う。


「それ以外の生き方を知らなかったからさ。

 小さい頃親に捨てられ、ヤクザに拾われ、その組がマフィアに潰され、そのマフィアを俺が潰して、そっから藜組を創ったんだ。

 俺はこの世界の生き方しか知らないんだよ」


「……初耳ね」


「中々面白い人生だが、俺には及ばねぇな。ガハハ」


「お前より危ない人生歩んでる奴、この世にいねぇよ」


 三人は笑い合い、話を戻す。


「でだ、取り敢えず海外の事業は全て畳む」


「全てか」


「全てだ。

 それでアメリカに一つ会社を建てる。表では組とは一切繋がってない、クリーンな会社を。

 これからの海外事業は、全てその会社の下でやってもらう。勿論初期資金を出すのはウチだが、んなの何処でもやってる事だ。そこまで良い子ちゃんになる気はねぇ。隠す方法なんていくらでもあるしな。

 取り敢えず銃製造の許可を貰う事と、あとは麻薬畑潰して別の物作ろう。

 んで忘れちゃいけねぇのが、アイドル活動だな。鷹音と鶴音は、その会社から押し出す」


「……一体どこまで見えてるのよ」


 聞いただけでは到底成功するとは思えない計画だが、きっと彼の中には、既に成功までのプロセスが描かれているのだ。


 今までもそうであったし、これからもそれは変わらないのだろう。


 楽しそうに話す彼に、紅は関心と畏敬すら覚える。


 しかし諦める紅とは反対に、納得いっていない者もいた。


「……なぁボス、もしそれで話が終わりなら、俺はこの組を抜けるぜ?」


 そんな事を言う笠羅祇に、しかし二人は驚く素振りを見せない。

 まるで予想出来ていたかのように。


「くくっ、終わりだと思うか?」


「いいや思わない。ボスは俺の生を満たしてくれると、そう信じている」


 即答。


 梟躔は老爺からの熱い信頼に苦笑し、指を立てた。


「その会社でのメインビジネスは、民間軍事関連だ」


「おお!」


「警備、軍事教育、要人警護、勿論、直接戦闘もあるぜ?」


「流石ボスだ!合法で人間を斬れるなら、それに越した事はねぇ!」


 笠羅祇にとっては、それが全てなのだ。殺しの快楽が得られれば、隠れ蓑はどこでもいい。


 ただ彼も、今の居場所が気に入っていた。ボスがちゃんと自分の事を考えてくれていた事が、彼は普通に嬉しかった。


「そういう事なら、俺は意義無しだぜ」


 二人が紅を見る。


「……私はそもそも、ボスに意見する気はない。ボスの死に場所が、私の死に場所だ」


「嬉しいね」


「くくっ、大した忠誠心だよ。ま、下の奴らも喜んで着いてくるだろうけどな」


 梟躔がグラスを回し、氷を鳴らす。


「あとは真狐だが……」


「あ奴はいいだろ」


「そうね」


「だな。今度適当に言っとくわ」


 三人がグラスを呷り、テーブルに打ちつける。



「じゃ、そう言うことで、これからは真っ当な善人として生きていきましょう」



「カハハっ」

「ふふっ」


「……ひひっ」


 新しき道に笑い合う三者の顔は、二度と落とす事のできない悪意に輝いていた。










 ――来たる。十二月二十四日





 梟躔は大きな紙袋片手に、デパート内でケーキのショーケースを眺めていた。


「……うん、これ一つ下さい」


「かしこまりました。メッセージはお入れいたしますか?」


「愛する我が娘、たかね、つるねへ捧ぐ。Merry Xmas。と」


「ふふっ、かしこまりました」


 ケーキのお姉さんを待っていると、


「ボス、買ってきたぞ。肉だ」


「こっちも終わった。飲み物」


「おお、ありがとな。……おい紅、中身殆どビールじゃねぇか」


「大丈夫よ。下の方に隠れてるだけ」


「頼むぞおい」


 やいのやいの言い合ううちに、ケーキも完成し帰路に着いた。


 綺麗なイルミネーションに照らされる街並みを眼下に、黒塗りの車が高速道路を静かに走る。


 梟躔は車内にて、紙袋を見ては抑えきれない笑みをニヤニヤと浮かべていた。


「ボス、キモいよ」


「ああ、キモいな。まぁ気持ちは分からんでもねぇけどよ」


 今日の為に特注で用意させた、最高のクリスマスプレゼント。

 喜ぶ娘達の顔を想像し、顔筋が緩み切ってしまっているのだ。


 しかしそれは二人とて同じ事、よく見ればニヤニヤを抑えきれていない。


 専属の運転手は、後部座席の空気を微笑ましく思いながら、そこに水を刺さないよう軽やかに走る。



 色とりどりの光が踊る、聖なる前夜祭。


 親子が手を取り家路につき、

 恋人同士は互いの出逢いに酔い浸る。

 普段と変わらない日常を送る者でさへ、何だか胸がソワソワする。

 そんな不思議な日。


 しんしんと降る白雪が、笑顔と怨嗟を優しく包む中、




 ドサっ




 人混みの中心に、何かが落ちた。



「……何だ?」


 遠く小さな平穏の罅に、三人が顔を上げる。


「おい、」


「はい。今お開けします」


 窓が開き、冷たい風と共にそ・れ・は流れ込んでくる。

 平穏には馴染みが無く、自分達には最も馴染み深いモノ。


 悲鳴と、血の臭いが。


「おいおいおい、どうなってやがる」


「テロか?」


「いや、それにしては、……規模が、広すぎる」


 反対側の窓を覗く紅の声に振り返れば、街の至る場所から、既に火の手が上がっていた。


 そこで突如、前方から爆発音が轟く。


「っ⁉︎」「っ」


「今度は何だ⁉︎」


 前方から吹っ飛んでくる、ひしゃげた乗用車。後続車を巻き込み転がっていくそれに、四人は目を丸くする。


 次いで前を向き、原因となったモノを遠方に捉えた。


「……ありゃ、何だ?」


「……私に聞くな」


「……人、じゃねぇよな」


 緑の体表、強靭な筋肉に覆われた巨躯、醜い顔面、長大な石槍。

 その姿は正に、これからホブゴブリンと呼ばれる事となるモンスターと同じであった。


「ゴブァアアア‼︎」

「「「「――っ」」」」


 叫び声と共に、ホブゴブリンの頭上に浮かぶドブ玉から、大量のゴブリンが落ちてくる。


 自分達と同じく何事かと急ブレーキをかけていた前方車両を、見境なく襲い始めた。


「俺ぁ夢でも見てんのか?」


「夢であって欲しいね」


「…………まさか、こんなのがここら一帯にばら撒かれてんのか?」


「「っ」」


 梟躔の一言に、三人の表情がみるみる強ばる。


「――ッおいっ、今すぐ出せ!俺の家に向かえ‼︎」


「し、しかしっ」


「構わねぇよ、轢き殺せ」


「――っ畏まりましたっ」


 アクセル全開で飛び出した防弾仕様の大型車が、時速百㎞でゴブリンの大群に突っ込んだ。


 三人は床を開き、隠されていた刀剣や銃を取り出し安全レバーを外す。


 血のカーテンをワイパーで拭く中、三人はただ一匹、ホブゴブリンの動きを注視していた。


 部下を撥ね殺しながら、接近する一台の車にホブゴブリンも気づく。


「ゴルァア!」

「屈めぇ‼︎」

「「「――っ」」」


 高速で横を通り過ぎる瞬間、ホブゴブリンが石槍を一閃。車の屋根が吹き飛んだ。


「っぶねぇ!」


 笠羅祇はオープンカーになった車から顔を出し、すぐに敵を確認する。そして、


「――ッ」「「っ⁉︎」な」


 起き上がろうとする二人を両腕で押さえつけ、自分諸共思いっきり床に押し倒した。


 同時に、車の右半分、腰から上部分が消し飛んだ。

 上半身が無くなった運転手を見て、三人は息を呑む。


「っ助かった」

「あいよっ」

「紅!」

「――っチッ、」


 紅は運転手の下半身を道路に蹴り落とし、半壊したハンドルを握る。


「動く!」

「よしっ、そのまま飛ばせ!俺は左を見る」

「了解、右は任せろぃ!」

「デカブツは!」

 紅が叫ぶ。

「追って来る気配はねぇなぁ。槍も今の一本で終いだ」

「了解」


 三人を乗せるボロボロの装甲車は、逃げる車を強引に追い抜きながら目的地へと急ぐのであった。


 ――(鷹音っ、鶴音っ)


 自宅に近づくにつれ、横転した車や死体のせいで運転が困難となる。


 そんな中、サブマシンガンを連射しながら、三人は二人が待つ自宅へとひた走る。


 躊躇いなくモンスターを撃ち殺し、助けを求める人間になど目もくれず、死体を飛び越え、逸る気持ちを無理矢理鎮め、走る、走る、走る。


「――っフッ、フッ、」


 きっと無事だ。無事に決まっている。俺が帰れば、いつもみたいに笑って出迎えてくれるに違いない。


「フッ、フッ――」


 これからなんだ。これから始まるんだ。あの子達の人生は、これから輝いていくんだ。


「――っどけぇッ‼︎」


 今日はクリスマスイヴだ。祝福すべき聖なる夜だ。奇跡でも何でもいい、あの子達を、助けてくれ!


「――フッ、」


 梟躔は勢いよく路地を曲がり、



「パパっ」

「おかえり、お父さん」



 娘の姿を、した。


「……」


 ――立ち登る黒煙、転がる使用人の死体、燃え盛る邸宅。


 そこは最早、彼の知っている自宅ではなかった。


「――ッッ鷹音ェ‼︎鶴音ェ‼︎」


「――っ、お嬢ォ‼︎」「クソっ!」


 梟躔は紙袋を投げ捨て、轟々と燃える扉を蹴破った。二人も彼に続き、突入する。


 幸い屋内は火の回りが遅い、三人は彼女達の名前を叫びながら広い室内を駆け回る。その時、


 ガガガガガッ

「「「っ」」」


 二階から銃声が響いた。


 三人は階段を駆け上がり、音のした方へと走る。扉を開け放ち、広間へと飛び込んだ。


「っ……お、おとう、さん?」


 部屋の端でへたり込み、何かを抱く鶴音を見つけ、一瞬安堵する。


「鶴音‼︎無事だった、か……」


 しかし、彼女が抱く、その、を見て、三人の喉は凍りついた。




 それは、真っ黒な塊だった。


 それは、人の形をしていた。


 それは、ちょうどと同じ大きさだった。




「あ、ああぁあ」


 梟躔は目を見開き、彼女を、鷹音を抱き寄せる。


「鷹音、私を守って、守って、ひぐっ、うえぇええンッ――」


「ッお前は悪くない。よく頑張った、よく耐えたぞっ。もう大丈夫だっ」


 梟躔は鶴音を抱き締め、その存在を確かめる。今は、生き残ってくれたこの子の為にっ。


「……」

「……ボス、お嬢達連れて先行け」


 そんな光景を見ていた二人は、奥の扉を注視したまま、銃を構える。


 先まで聞こえていた銃声が止んでいる。つまり、……そういうことだ。


「……悪い。鶴音、歩けるか?」


「ひぐっ、ごめん、なさい。足が」


 梟躔は彼女の足を見て、痛ましさに顔を顰める。


 足首から下が、丸焦げになっていた。


「……大丈夫だぞ。ほら、背中に」


「うん、ひぐっ」


 その時だった。ドアが軋んだ音を立て、ゆっくりと開く。


 白い斑模様の体毛。

 異常に長い両腕。

 落ち窪んだ、赤い瞳。


 瞬間、幹部は悟った。




 ――死。




「――ッッ走れボスゥッ‼︎‼︎」「――ッ‼︎」

「――ックっ」


 銃弾の雨が部屋中を舞い、梟躔は走り出す。


 だが、一瞬だった。


「グぅッ⁉︎」

「焔季っ‼︎グッ」


 白猿の拳が紅の腹に減り込み、壁をぶち抜き吹っ飛ばす。

 逆手で笠羅祇の首を狙うが、彼は銃を犠牲に寸前で躱した。


 笠羅祇は刀を引き抜き、首を狙い必殺の一撃を放つ。しかし、


「なっ⁉︎」


 それは相手が人間ならの話。指先で摘まれた刀身が、パキン、と折れる。


「ッガッハァっ⁉︎」


 彼は無造作な腕の横薙ぎに吹っ飛ばされ、ガラスを砕き庭へと消えていった。




「ふぅっ、ふぅっ、」

「ひぐっ、」


 前に鷹音、後ろに鶴音を背負いながら、梟躔は階段を駆け降りる。


 炭化した彼女を崩さないように、少しでも速く、少しでも速く。


 玄関を出て、外の空気を肺に入れ――


「……」


 ……ソレは、自分達を待つように、そこに立っていた。


「ォオオ、ォオ、『ボォ、オ』」


 白猿の向く先から、火の手が上がる。

 彼は今、自分の力を把握している最中なのだ。

 その為には、実験台が必要なのだ。

 その対象が、偶然この家だっただけの話。


 梟躔が素早く片手で銃を構える。が、


「グハッ⁉︎」「キャッ⁉︎」


 一瞬で接近した白猿の平手打ちが、鷹音ごと彼の胸部を押し潰し、弾き飛ばした。


「ガハッ、ゲホっ、……たか、ねェっ」


 彼の目の前に転がる、バラバラになってしまった彼女の残骸。


 絶望に視界が黒くなるも、背中に重さが無いことに気づいて急いで首を振る。


「――っ」

 彼女はいた。ちゃんといた。まだ生きいた。



 ただ、彼女の目の前には、ソレがいた。



「……お、い、待て、やめ、ろッ」



 ジッ、と鶴音を凝視する白猿に、血を吐きながら這って進む。



 動けっ、動けっ、動けっ、



「おとう、さん」

「つる、ねぇッ」



 動けっ、動けっ、速くッ、



「俺を、みろ!おれに、しろ!頼む‼︎」



 やめてくれッ!



「まッ「『ガガッ』」

「……あ」



 人でない者に、人の声は届かない。待てと言われて待つ者は、余程の善人か馬鹿だけだ。


 そしてこの場所に、善人はいない。


 彼女の胸に、小さな穴が開く。銃弾の様な、小さな穴が。



「あ、あぁあぁあアアアアッッ」

「?」


 白猿は驚く。何故この男は騒いでいる?自分が殺された訳でもないのに。何故?


「……」


 考えても、今の自分では分からなかった。

 ただ、一つだけ。



「……ヒヒッ」



 自分は、この表情が好きだ。



「……」


 そんな白猿の初めての感情が、梟躔から表情を消す。


「……何を」


 彼女達だけが、自分に残された生き甲斐だった。


「……何を、笑ってる」


 彼女達だけが、自分に残された全てだった。


 梟躔の脳裏を、娘達との思い出が駆け巡る。


 託された命。


 小さな掌。


 可愛い泣き顔。


 屈託な笑顔。


 全てを含めて、



 ――愛しき我が子。








「――殺す」








 刹那、梟躔を中心として地面が陥没した。


 車が宙に浮き、道路が四方八方に弾け飛び、力場が滅茶苦茶に乱れ、余りの引力に空間が捻れる。


「――ッ」


 白猿は跳び、隣の家に着地。


 感情のまま導を失った力が、自らの大切なものを除いて、辺り一体を押し潰し、更地にしていく。


 脅威。


「……」


 白猿は、意識を飛ばしても尚怒り狂う彼を見つめた後、身を翻しその場を去った。




 ――投げ出された紙袋から覗く、赤と青のステージ衣装。


 行き場を無くした二着は、どこか悲しげに、燃え盛る炎を映し揺らめいていた。



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