第4話

 

 ――得物を刺し、殴り、殺した三匹のゴブリンは、王に献上する為男を引き摺っていた。


 そこで、ふ、と一匹が鼻をひくつかせる。


「ゲギャギャ」「……ゲェ」


 ナイフを持った一匹が、勝手にしろと顎をしゃくる。


 何かに気付いたゴブリンは運搬を二匹に任せ、再びトイレへと走って行った。





(……行ったか?)


 長く続いた緊張からの解放に、東条が身体を弛緩させた、

直後、


「ギゲァッ!!」

「――っ!?」


 唐突に鼓膜を叩いた奇声にビクリと固まる。


 手当たり次第に殴りつけ、陶器が壊れる音がする。しかし音には間隔があり、複数匹いるようには感じない。


(バレてるな、これ……)


 彼は一度深く息を吸い込み、覚悟なんてできていないまま、思いっきり蓋を開いた。


 ゴブリンが此方を向くのが見え、東条は急いで個室の中に飛び降りる。途中棍棒が飛んできたが、運良く扉に当たって防がれた。


 地面に降りた彼はすぐさま扉を閉める。

 しかし扉は先ほどの男を狩る経過でグラグラ。バリケードにはならない。


 ゴブリンは棍棒を拾い、新しい得物に歓喜し、扉に殴りかかっーー


「好、都合ッ!」


「グべっ!?」


 た矢先、鼻っ面に扉が衝突し押し飛ばされる。


 東条に最早隠れる気などない。内側から扉を蹴り飛ばしたのだ。


「ギッ、ゲアッ!!」


 ゴブリンは自分にのしかかる扉を苛立たし気に退け、得物を探す、が、


 「ゲッばッ!?ゴひゅっ!!かひゅっ――」


 反応が遅れるゴブリンの顔面にフライパンの縁を叩き込んだ東条が、間髪入れず馬乗りになり喉を横から刺し貫いた。

すぐさま引き抜きゴブリンから離れる。


 うるさい心臓を押さえつけ、耳を澄まし、顔を少し出し外の様子を窺う。


 こちらに走ってくるゴブリンと目が合うと、彼は迷わずトイレを飛び出した。




「フッフッフッ――はッはははっ……」


 走っている途中も、刺した感触が熱を帯び体中から冷や汗が噴き出している。


 何より、気を抜くと乾いた笑い声が腹から止めどなく溢れてくる。様々な情動がごちゃ混ぜになり、色々な感情を駄々洩れにしながら、走る、走る、走る――


「ギャッ!!ゲギャァッ!!」「グゲッ!!グゲァッ!!」


「チィッ」


 東条は舌打ちし、進行方向を右にずらす。


 今までいた場所はフロアの角、追い詰められれば秒で詰む。やり過ごすも迎え撃つも、四方を囲まれてないフロアの中央だ。


 反転する際に相手の武器を確認し、心の中でもう一度舌打ちをした。


 一匹はさっきと同じ棍棒、もう一匹はナイフ型の石器だった。



 ――運のいいことに奴らは足があまり早くなかった。東条はジグザグに商品棚の間を走り、一番デカい棚の裏に隠れる。


そして息を殺し、通り過ぎるのを待つ。


「ゲギャっ!!ゲッゲッゲッ」「グゲァ」


 見失った二匹が何か言い合いながら近づいてくる。


 その足取りは慎重ながら、迷いがない。確実にこちらとの距離を詰めている。


(なにやって……臭いかっ)


 鼻をひくつかせているのが見えた、瞬間、東条とナイフ持ちの目が交差する。


「っ!!らァッ!!」


 彼は咄嗟に全力で棚を押し倒し、辺りに轟音が響かせた。


「ギャッ!?グエェッ、ゲアッゲアッ――」


 棍棒持ちは巻き込むことに成功したが、ナイフ持ちには躱された。厄介な方に逃げられ悪態をつきたいが、相手がそれを許さない。


「ゲアアァァッ!!」

「――ッ!!」


 東条は振り下ろされたナイフを間一髪フライパンで受け止め、牛刀を振り抜くも空振りに終わった。


 相手との間に二m弱の距離が空き、膠着状態となる。


「……スゥゥゥゥ、フゥゥゥゥ――」


 彼はゴブリンから目を逸らさず、一つ深く息を吸い、吐き出す。体もだいぶ動くようになってきた。


 今日ほど自分の身体能力に感謝したことはない。


 武器を持ち替え、掌にべっとりついた汗を拭い、眼前の敵を睨みつけた。

生憎敵方と同じで目つきの悪さには定評がある。


 筋肉を収縮し、限界まで引き絞り――



「グウゥゥ!!」


 ナイフ持ちは苛立たし気に唸り威嚇する。


 今まで殺してきた同種は、ここまで手強くはなかった。きっと、こいつを殺せば褒美を沢山貰えるはずだ。


 ナイフを握り直し、喉元に狙いを定め――



「ォゥルァアッ!!」

「グゥウアッ、ッ!?ガハァッ」


同時に踏み込み、

瞬間東条が全力でぶん投げた鋼鉄のフライパンが、斜めに回転しながらぶっ飛んでいく。


 ナイフ持ちはとっさにガードしようとするも、投擲された距離が近すぎる。ナイフを弾き顔面に直撃した。


 ナイフ持ちは鼻血をまき散らしながら、霞む脳裏で驚愕する。

 この距離で武器を手放す奴があるか!?と。

 たたらを踏み、睨みつけ、目の前に迫る血を靡く銀光に目を見開いた。





 ――彼はフライパンを全力でぶん投げた勢いそのまま、牛刀を右に持ち替え敵に向かって突進、相手が咄嗟に盾にしたナイフを、袈裟切りで指ごと弾き飛ばす。


 パタタっと頬に血が飛び、ナイフ持ちが恐怖に一瞬の硬直を見せた。


「フッッ!!」


 裂帛の呼気の下、袈裟切りの勢いを利用し、敵の喉笛を横薙ぎに切り飛ばした。




「ふうッふうッふうっ――」


 目の前では、ゴブリンが夥しい量の血を散らしながら声にならない悲鳴を上げている。


 生に足掻く姿は悲痛ではあるが、しかし数秒もすると動かなくなった。


「ふぅぅぅ――……だぁー気持ちわりぃっ」


 濃厚な鉄臭さが辺りを包んでおり、殺しの感触が気分の悪さに拍車をかける。


 東条は一先ず生き残ったことを素直に喜ぼうとし、ふ、と思い出す。


 (そういえばもう一っぴ……)


 後ろでカサッと音がして振り返り、


 血走った目で飛び上がるゴブリンと、自分の側頭部の真横まで迫った棍棒を見つめる――






                    「あっ」





 死んだ。


 無意識に理解し、ただただ茫然と迫りくる棍棒を眺めることしかできない。


 近づいて、近づいて、近づいて、耳の産毛に触れ、耳に当たろうかという瞬間、




 棍棒が逆方向にぶっ飛んだ。




 「……は?」



 死んだと思ったら、振り抜かれた棍棒がゴブリンもろとも逆方向に飛んでいった。

 突然のこと過ぎて頭が回らない。


 左の方ではゴブリンが叫びながら右肩を抑えて転がっている。空中でいきなり起動が変わったから肩でも外れたのだろう。


 彼は誰かが助けてくれたのかと考え、首をひねる。

 と、目の前にそれはあった。




 黒い、どこまでも暗い黒。全てを飲み込んでしまいそうな、漆黒の『円』がそこにはあった。




 そして、直感した。これは自分だ。


 他の誰でもない、自分が出し、自分がゴブリンを吹き飛ばしたのだと。


 段々と死の淵から浮かび上がってきた東条の思考力が、今やるべきことを即断する。


 牛刀をもう一度強く握りしめ、残った一匹に向かって地を蹴る。


 痛みに顔をゆがめたゴブリンは、向かってくる人間を見て無事な方の手で棍棒を拾い上げた。


 ゴブリンが間合いに入り棍棒を振るも、利き腕とは比べ物にならないほど精度が落ちている上、本来両腕で使う武器を片腕で扱えるわけがなく、身体が持っていかれる。


「ラァッッ!!」


 東条はバランスを崩した敵を見て、距離を詰めおもっきし顎裏を蹴り上げる。

 砕けた歯が中を舞う中、倒れるゴブリンにまたがり胸に刃を突き立てた。



 ごぼごぼと不快な音を立てて数度藻掻いた後、ゴブリンは糸が切れた様に動かなくなった。




「……ふぅぅぅ――」


 感覚がマヒしているのか、単なる慣れなのか、身体の強張りが全くない。

 むしろ、多少の嫌悪感はあるも、それを上回る昂揚感とでもいうべきか、一種の快楽物質が脳を、全身を駆け巡っている。


 東条が戦いの余韻に侵されながら辺りを見回すと、やはりある、というかついてくる。

 一定の距離を保ってついてくる。


 この物体を検証したいのは山々だが、まずは一刻も早くこの場から離れるべきだ。


 戦闘音に気付いて他のモンスターが来る可能性がある。


 それに血の匂いが凄い。ゴブリンどもは鼻が利くように見えた。糞に群がるハエよろしく集まってくるかもしれない。


 彼は急いでフライパンを拾い、隠れる場所を探す。


 改めて見てみると、室内の至る所に木が生えているのが確認できる。


 トレントという木型のモンスターを警戒するが、時間が惜しい。


 物は試しだ、と少し離れた場所にある一際大きい一本に目をつけ、その場所まで小走りで向かった。


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